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第1章 赤と黒

02: 断れない依頼

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「随分手間取ったな?この程度のビニィを捕獲するのにダンクなら、そう時間はかからないだろうに。」
 頭頂が少し禿かかった長髪で眼鏡をかけた男が、葛星弾駆にそう問いかけた。
 葛星のパートナーであるアレンだ。
 通称レイニィ・アレン、疑似バンパイアでもある。

 数年前起こったタトゥ感覚でやる身体改変のブームにのって、バンパイアぽく見せるように自分の身体を弄ったが、現在はゆるく後悔中だ。
 アレン以外にも、結構多くの若者が自分の見てくれを、物語上の有名なモンスターに似せる身体改変に手を出していた。
 そういった事を煽る世相なのだ。
 アレンの場合、時々、唇の合わせ目に尖った犬歯が覗き見えるのだが、その吸血鬼の牙は、彼の垂れ下がった目尻やこけた頬にはまったく似合わなかった。
 上着は薄汚れてくたびれたTシャツ、バックプリントは『カム バック ガイア』とある。
 パンツはレザーのスリム。
 体格が貧弱なので案山子の様に見える。

 アレンは、彼らがケーブと呼んでいるアジトの中央の部屋に置かれているコンソールに向かい、葛星が着用する鎧の行動データを整理し終わったばかりだった。
 遠視用の分厚いレンズの下で、大きな目が忙しなく動いている。
 偽吸血鬼への身体改造に金を回せるのなら、視力をなんとかすれば良いのにもう金がないので、それをしない。
 アレンはそんな男だった。

「、、毎度の事だろ、今回は念入りにやっただけだ。間違って人間をやるわけにはいかない。最近、女達にビニィメイクなんて奇妙なものが流行ってるからな。俺達のようなプロでも、あれをやられると肉眼では見分けがつきにくい。ましてああいう子供のなりをした奴は特に難しい。それより、あの残骸はちゃんとセンターに持って行っただろうな?この前みたいに持っていくのが遅れて、遺伝子情報が『腐り』かけてて、判別出来なかったなんて事は言わせないぞ。ビニィの遺伝子情報は特別製の上に、最近のは出来が悪いんだ。生成された遺伝子パズルが直ぐ『溶け』る。それに近頃の客はセンターの証明書がないと残金を出し渋るからな。」

 葛星は、ついさっき浴びたばかりのシャワーで濡れたややウェーブの掛かった漆黒の髪を、タオルで拭きながら不機嫌に言った。
 肌は、右脇腹にある入れ墨を除いて、シミ一つ無い艶やかな象牙色だ。
 ただしシミはないが、背中の上部に脚を広げた蜘蛛の形のような皮膚の薄い隆起がある。
 筋肉は水泳選手のものの様に過不足なく全身を覆っている。
 鎧は、着用者の身体との間に出来る空間に、ジェル状のものを吐き出す。
 それは鎧から解放された葛星の身体に、ズルズルとまとわりつくものではなかったが、彼はその不快感をぬぐい去る為に、毎回念入りにシャワーを浴びることにしていた。

「十七万クレジットになった。いつもの様に取り分は半分でいいよな。」
 アレンの目が又、忙しなく動いた。
 アレンがこんな表情を見せるときは、もっと他に言いたいことがあるのだ。
 あるいは隠したい事が。
 葛星は、彼らのケーブの壁に突っ立っている鎧を横目で見ながら、恐るおそるアレンに尋ねた。

「アレン、お前まさか、又、新しい仕事を受けたんじゃないだろうな、、?」
 葛星はこの三ヶ月間、働きづめだった。
 彼はそろそろ休暇を取ろうと考えていた所だった。

「なぁ、ダンク、聞いてくれよ。」
 葛星は首に巻いていたタオルをアレンに投げつけながら怒鳴った。
「お前な!あの赤剥けの骸骨野郎の縫いぐるみに、一度入って見ろ!どんな気分になるのか判っているのか!お前は、いつも安全なところにいて、俺にあれやこれやと文句をつけているだけじゃないか!」

 アレンは、顔に被さったタオルを取りながら情けなさそうに言った。
「もう金は貰っちまったんだ。今更、断れない。」
「だったらその金を突き返せ!もちろん俺の分はいらん!今月に入って、俺は仕事を三つ引き受けた。お前がいくら機械いじりの道楽に金を注ぎ込んでも、まだ余裕があるはずだ。俺はしばらく、こいつらと離れたいんだ!お前に、蜘蛛にカマを掘られる気持ちが判るか!」
 鎧のそばにいて長い脚をちじこませてじっとしている大蜘蛛を睨み付けて葛星が喚いた。

「金は返せない。もう使ってしまった。」
「、、たくっ!お前が道楽で注ぎ込んだ金のことはもういい!問題なのは仕事の方だ。どうせ前金のかたちなんだろ?!いくらなんだ?俺の取り分から回してやってもいい!それで突き返せ。」
 葛星は、突き上げてくる怒りを抑えるために、堅く目をつむりながら言った。

「二千五百万クレジット。お前の取り分を入れると合わせて五千万になる。引き受けただけで、それだけくれた、豪勢な話だよ。後金の事を考えると、緩んだ頬が落ちちまう。いや!お前のには手を付けていないさ!」
 葛星は、アレンが口にした金額を聞いて一瞬目をむいた。

「お前のには手を付けていないだと?ふざけるな!五千万クレジット?ビニィ狩りにそれだけを出す奴がどこにいる。第一、そんな大金を何に使った。機械じゃないだろ?お前が弄る機械の相場なんて決まってる。借金の返済か?いや、そうじゃねえな。お前の借金は、今でもそれぐらいはあるはずだが、お前がそいつを直ぐに返すような玉じゃないのは、この俺が一番よく知っている。」
 葛星は一気にまくし立てると、アレンの胸ぐらを掴んだ。

「キープ爺さんの引退記念を兼ねて、、。爺さんが最近、外でサルベージしてきたロストワールド最盛期のランドクルーザーを買ったんだ。それに、あれがあれば、これからのサルベージが楽になる。もっと遠くまで足を伸ばせるし、それに爺さんには、ダンクも俺も世話になってる。なぁ、そうだろう?それに依頼を断れない理由が、他にもあるんだよ。」
 アレンが目をしょぼつかせて言った。
 大きいが垂れ長の目が潤んでいる。
 まるで主人に許しを乞う犬のようだ。
 しかし葛星は、そのアレンの目に弱かった。
 それに葛星が、今こうしてこの世界に生きていられるのは、他ならぬ、この『ロクでなしの相棒』のお陰でもあったのだ。
 葛星はため息をつきながら、アレンの胸ぐらを締め付けるのを止め、彼のそばの椅子に座り込んだ。

「、、使い道は判った。お前の話を信用するなら、この前みたいに俺の取り分を使い込まなかっただけまだ上等だ。それでどんな仕事なんだ?仮にもお前はこの世界での俺の名付け親だ。今度だけは、言うことを聞いてやる。今度だけはな!」
 葛星は『今度だけ』に力を入れて、両手で顔をゴシゴシとマッサージした。
 興奮を抑えこむ為だった。

「それを持ち出すなよ。俺は、お前に恩を着せるつもりはない。第一、あの時だって、お前がいなけりゃ、俺はあのゴロツキどもにきっと殺されていた。借りがあるのは俺の方だ。」
 アレンは今でも、出会って間もない頃の葛星の鬼人の様な強さを覚えている。
 あの時、葛星は、四人のサルベージマン相手に拳銃を取り出させる隙も与えず、一瞬の内に叩きのめしたのだ。

「いいから、その話は聞きたくない。先を続けるんだ。合わせて五千万の前金を払う依頼ってのは一体何だ?」
「これを見てくれるか?これを見れば、お前だって、今回の依頼にきっと興味がわくはずだ。」
 アレンは尻ポケットから手のひらほどの黒いディスケットを取り出すと、葛星に見せてからコンソールの一部であるコンピュータにそれを挿入した。
 アレンのコンピュータは、この斑文明にありがちな普及型のポンコツだが、彼が改良を施し、今はロストワールド世代のモノの10分の1程度の性能がある。
 この世界にあっては単独の記録媒体自体が珍しい、それだけで、この黒いディスケットがいわく因縁付きの代物であるという事を証明しているようなものだ。
 挿入と連動するように、ちょうど二人が腰掛けている前面の壁に埋め込まれた大きなディスプレイに灯が点った。

 ディスプレイは、壁ごと窓ガラスにしたような部屋を映し出している。
 映像の中の、撮影カメラがある方の部屋には、大勢の人間がいるのか、マイクがそれらの種々雑多の音を拾っている。

「ダンクはこれ、見たことがないか?これが噂の黒ディスクの映像だ。別名、ギロチンディスク、『黒』には色々なジャンルがあるからな。それに高価すぎて、滅多に普通の人間には手に入らない。まぁ俺たちは普通じゃないから、やばいルートでこれが手に入るわけだけど。」
 葛星は、ギロチンディスクと聞いて生唾を飲んだ。

 ギロチンは最近になって復活した処刑方法だ。
 あろう事か、国家権力がこれを公開刑として採用している。
 一説によると、生と死が完全に管理され、『死』が見えないこの世界で、『死』そのものが刑罰の対象として現存することを大衆に刷り込む方法として、ギロチンが復活したとも言われているが、真実のほどは定かでない。
 こんな閉ざされたちっぽけな世界の「政治」など、ただの思考ゲームに過ぎない。
 いずれにしても、人口が絶対的に少数の世界での『目に見える死』は、貴重品である事は確かだった。
 公開刑は、この世界の停滞した人間の精神に、少なからずのショックを与え続けているのは確かで、そして不幸にも、このショックに対する正式の反対の声は、誰の口からも上がらなかったのだ。

 しかし、公開死刑とは言っても、このギロチンの一部始終を見れらるのは一部の限られた人間だけだ。
 その観客用特別シートに座るためには、権限か忍耐力のいずれかが必要となる。
 そして蛇の道は蛇という。
 このギロチン刑の様子を記録した映像ディスクが闇のルートで出回っていた。
 アレンが今、コンピューターに突っ込んだのがそのディスクだった。

「、、こんなものを俺に見せやがって、こいつが依頼と関係がなければ、ぶっ飛ばすぞ。」
 ガラス窓の部屋に、二人の覆面の大男に挟まれる様にして、やや年増のブロンドの髪の大柄な女が後ろ手に縛られて連れ込まれて来た。
 これから我が身に起こる恐怖を予感してか、その茶色の瞳は、焦点を失って有らぬ方を見つめている。
 カメラのある部屋の、ざわめきが途絶えた。
 やや厚化粧ではあるが、美しいとも言える女の口元には、余計な事を口走らせないためか、ゴム製の猿ぐつわが噛ませてあった。
 黒いゴムボールに移った女の赤いルージュが奇妙に克明に見えた。

 その首が、断首台のくぼみに、二人の大男の手によって無理矢理押し込まれる。
 それを見るアレンの顔が火照っていた。
 断首される者の首を固定する上部の装置が、機械的に女にセットされる。
 執行官達が、女のブロンドの髪を刃に掛からぬ様、かき上げ別けてやる。
 これから首と胴体が泣き別れになるというのに場違いな心遣いだった。
 女の白すぎるうなじが見えた。
 ブロンドの生え際がやけに規則正しい。

 そしてカメラが置かれてある方の部屋にアナウンスが流れる。
 大方、この女の罪状を読み上げているのだろうが、法的要素が多すぎて理解できないし、その声も低すぎて聞き取れない。
 しかし彼女の罪状など「観客」にとってはなんの関係もない事だった。
 ディスクごしに処刑を見ている者も、その場で見ている者も、そんなアナウンスに用はないのだ。
 彼らには、唯、処刑のショッキングなシーンだけがあればいい。
 そしてギロチンの刃が唐突に落ちた。
 クライマックスなどありはしない。
 なぜならそれは用意されたドラマではなく「事実」だからだ。
 そして尚更、最悪な事に、これがフィクションなら、シーンは次の場面に切り替わったのだろうが、映像は、女の首が見事に切り落とされ血飛沫をまき散らしているのを、冷静に写し続けていた。

「もういい!止めろ!十分だ。」
 アレンは葛星の激しい声に押されて、コンピューターの映像スイッチを切った。
 しかし、その時、アレンが葛星を一瞥した目の色の中に、少しばかりの蔑みの色が混じっているのを葛星は感じていた。
 葛星は、この世界に来た時には全ての記憶を失っていた。
 記憶の中の大して重要でもない幾つかは取り戻したし、幾つかはアレンとの共同作業ででっち上げて来た。
 しかし肝心なものは、何一つとして取り戻せていない。
 その中には、自分自身が過去何者であったのかという本質的なものの他に、性的なリビドーも含まれていた。
 だから、アレンはこう言っているのだ。
(ダンクよ。お前が俺を非難するのは間違いだ。男なら誰でも、この映像を見れば興奮するのだ。)と。

「さぁ説明しろ。どういうつもりで、こんなものを俺に見せた。俺が毎日、ビニィばかりを殺し回っているから、これを見ても平気だとでも思っているのか、、。」
 葛星とアレンは通常、飼い主から逃亡したビニィを捕獲、あるいは屠刹する事を生業としている。
 アレンは、外界でのサルベージを本業にしたいらしいが、サルベージを生業として続ける為には馬鹿にならない額の資本金が必要になる。
 アレンにしてみれば、その為のツナギの仕事がビニィハンターだった。

 ビニィハンターの仕事は表向きは合法ではあるものの、食い詰めたならず者のする事である。
 ただしそれなりに腕は立たなければ勤まらない仕事だ。
 『アレン&弾駆』は、それなりに名前が売れていた。
 その為、時々、彼らにはビニィハンター以外の「やばい依頼」が持ち込まれる事があるのだ。
 葛星には、アレンが5千万で引き受けた仕事はそういった類のものである事ぐらいの推量があった。
 ただ前金で、5千万は桁外れだった。


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