精霊捜査線・錬金術師達のマリオネット パラケルススの魔剣と天国にいる敵

Ann Noraaile

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第1章 ホムンクルス刑事と人造精霊

09: 戸惑う逃亡者

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 ブルーノ・ベンソンは、モーテルのベッドで浅い眠りに伴う寝覚めの汗に震えながら、自分が張果という老人を見くびっていた事を後悔し始めていた。
 これから彼の生きるべき新天地には、張果による破門回状が回っていて、相手先の規模の大小に関係なく、ありとあらゆるSEX産業が彼に門前払いを食わせていたのだ。
 それに、彼の卓越したジゴロとしての才能を買って、前々から引き抜きの声を掛けてくれていた三つのファミリーさえも手のひらを返したように態度を変えていた。

 彼らは『落ち目の張果の爺の所から離れるんなら、いつでも俺達が面倒みてやる。』そう言ってコンタクトして来た連中の筈だった、、。
 それが今は、張果の顔色を伺うだけではなく、張果が放ったという刺客の為に、ブルーノの居場所を売り渡しかねなかったのだ。

 故にブルーノは、こんな場末のモーテルに逃避し、自ら缶詰状態にならざるを得なかったのだ。
 ブルーノは自分の手のひらの中に顔を埋めた。

 ブルーノは決して肝の据わった男ではない。
 そして張果が思いこんでいる様に、ブルーノは周到な計画や反逆の根の深さを持ってして、張果を裏切ったわけではないのだ。
 ブルーノは、ただ張果の経営方針の古さ(張果本人が新しいと思いこんでいる分だけ、より最悪だった)や、毎日店が閉じる早朝に、現金や現金化したものの金勘定をしては金庫にそれをしまい込み、月に一度、張果へその金を献上する事に苦痛を感じていただけだ。

 何が「電子マネーは信用ならない」だ。
 何故、わざわざいちいち収益を現金化する必要があるんだ?
 今時、現金を持っている方が手間がかかる。
 意味が判らない。
 そんな時代がかった現金主義のシステムに嫌気がさしていたのだ。
 その考えは、細かな娼館の経営にも反映されていた。
 スマートさに欠ける。クールじゃない。
 しかも張果は、彼のそういった時代ががった行為を、一つ一つ楽しんでいるような節があった。

 だがブルーノは、そんな酔狂につき合いきれなかった。
 月に一度だが、張果に売上金を上納するときの自分の姿を思い起こすだけで惨めな気分になる。
 それだけの事だったのだ。

 それに娼館ライジングサンを離れようとした具体的なきっかけ、それはあの刑事のせいだった。
 よりにもよって、本物の刑事だ。
 民間警察なら一・二の企業を除いて、金の力で何とでもなる。
 ところが本物となるとそうはいかない。
 特に「処置者」を扱うライジングサンの様な店では、本物の刑事に目を付けられるのは致命的だった。
 だから張果が、自分の傘下の店で刑事の聞き込み等を許すはずはなかったし、それをブルーノが受けてしまえば、張果はその結果生じるありとあらゆる責任をブルーノに転嫁し、彼を責めるのに決まっていた。
 張果は、ブルーノを事あるごとにけなしていたから、張果がそうするであろうぐらいの事は予測がついた。

「お前ごときに、この店を任せているのは、ここではお前の女たらしの才覚が必要だからだ。前科持ちのオンナどもや、性転換者に口での脅しや、力ずくの脅しは効き目がないからな。しかしお前の経営力では、警察に何時摘発されてもおかしくない。そんなお前に、この店が切り回せる訳がないんだ。だからこの儂が何度も何度も、こうやって老体に鞭打って此処へやって来ざるを得ない。」
 そういった類のフレーズが、事あるごとに繰り返されて来た。

 それに張果は、警察を徹底的に嫌っていた。
 どうやら若い頃に、さんざん警察にはいたぶられた体験があるらしい。
 だが、実際の所、ブルーノは刑事の脅しに屈して、実地調査の要求を承諾してしまっていたのだ。
 抜き打ちではないから、そこでの業務違反発覚時の処罰には即決性があって、それからは逃れようがない。
 しかもその承諾は、自分自身が直接その刑事に会う事なしに、部下を通してやってしまったのだ。
 自分でも呆れるほどの迂闊な判断ミスだった。
 つまり正にその時、ブルーノは、娼館ライジングサン経営のどこが違法で、何を隠して良いのかさえも充分把握していない自分に、この時、気付いたのだった。

「警察だと?今の警察になんの力がある?奴らなんぞ敷居さえ跨がせなければ、鼻薬でなんとでもなるんだ。それをお前は!しかも、右も左も判らぬ手下の若造にそのデカの相手をさせただと?」
 張果はきっとそう言うだろう。
 張果は、そういった、どうでも良い物事の手順に拘るのだ。

 それでも暫くは、張果に感づかれる事なく、立ち入り調査の件は自分で処理をしてしまえるとブルーノは思っていた。
 しかし、その調査当日の夜明け前、ブルーノは自分が幼子になって張果から金勘定を間違えたと酷く責められている夢を見て、飛び起きてしまった。
 その時になって初めてブルーノは、今日が張果のライジングサンへの訪問日である事を思い出したのだ。
 下手をすると実地調査にくる刑事と張果が鉢合わせをするかも知れない。
 そうなれば最悪なことになる。

 その時、ブルーノは娼館ライジングサンを離れる決心をしたのだ。
 ・・・いろいろな事が重なっただけさ。
 それに面倒な事は御免だった。
 今まで面倒な事はすべて自分の周りの人間が処理してくれていた。
 実際にブルーノは天性の美貌と物腰でそうやって来たのだ。
 処置を受けて、自分と同じジゴロな生き方をしている男も随分みてきたが、彼らはみんなしくじっている。
 彼らのしくじりの原因の一つ目は、まず彼らの美貌が、何かをモデルにした借り物にしか過ぎない事にあるとブルーノは考えていた。
 つまりだ。端正すぎて見飽きてしまうのだ。
 小さな破綻が魅力を生む、それは性格も同じだ、単に「良い人・悪い人」だけでは女は男に惚れない。
 それが天分と、まがい物の微妙な差だった。

 ジゴロとしての性格も手管も同じ事が言えた。
 ブルーノは意識して、自分を愛する人間を食い物にしている訳ではないのだ。
 結果として「そうなる」だけなのだ。
 今回の張果への離反行為も煎じ詰めればそういう事だった。
 悪意があった訳ではない。
 巡り合わせが悪かった。自分は精一杯の誠意をしめてきた。ただそれだけだ、憎しみなんてない。
 それなのに、この俺の今のありさまはどうだ。

 ・・・・と、いう形でブルーノの思考は一向に深まることもなく、ただ現状を嘆いているだけだった。
 つまりブルーノは、ただただ、そういう男だったのだ。



「どうかしたの?お腹でも減った?何か間に合わせのものでも作りましょうか?朝食ってほどでもないけど」
 ベッドの隣で寝ていた女が、起きあがってそう言った。
 ブルーノは自動的に出てくる反射行為の様に、愛情一杯のとろけるような笑顔を女に見せた。

 スクランブルエッグと、こんがり焦がしたベーコン、新鮮なオレンジジュース、それらを交互に優雅に口に運びながらブルーノは何気なく訪ねた。
 それは質素とはいえ、ブルーノが逃避用に仕入れておいた携帯食では味わえないメニューだ。
 こんな食事なら、部屋の窓に下ろしてあるブラインドを上げて、目一杯の朝日と共にこれを楽しみたいものだとブルーノは思った。

「材料はどこで仕入れたんだい?ここのモーテルの親父に頼んだの?」
「いいえ。昨日の夜、私が買いに出かけたのよ。」
 ブルーノの顔色が変わった。
 この女、あの後で、幸せそうに眠りこけていたんじゃなかったのか?
 この俺とベッドを共にした後、夜中に24時間営業のマーケットに出かけたというのか?
  信じられない女だ。
 今までの女はブルーノに満足しきってぐっすり眠り込んでしまうのに。

 だが事実は逆だった。
 ブルーノがこのブロックに流れ着いて間もなく引っかけたこの女性は、彼とベッドを共にした幸せを原動力にして、夜中の買い物に出かけたのだ。
 この甘いマスクの逃亡者との生活が、彼女の母性本能を強く発動させたという次第だ。

「ねえハニー。ここから一歩も外に出るなと言っておいただろう?」
「無理言わないで、一週間も外に出ないなんて、、たとえ貴方と一緒でも、そんな事は不可能よ。第一、これからどうする積もりなの。行くあてがないなら私の実家へしばらく身を寄せましょうか。両親なら私が説得してみせるわ。」
「そんな事はどうでもいい。外に出て、何かおかしな事に気付かなかったか?」
「いえ別に。私だって、おおよその事情は飲み込んでいるつもりなのよ。貴方の迷惑になるようなドジは踏まないわ。」
 といいながらペネロペは外出した時間の中で、自分にはどうしても思い出せない空白の時間がある事を隠していた。
 それに、その空白に気付いたのは、モーテルに帰ってきてから、買い物の荷物を整理した時だったのだ。

 買い物袋から、買った覚えも、もらった覚えもない、酷く卑わいな印象を与える小さな人形が転がり出てきたのだ。
 人形を作ってある材料は、どこにでもある様な薄汚れた布やボタンだったが、所々に人の毛が編み込まれてあった。
 ペネロペには、その人の毛に見覚えがあった。
 それはペネロペとブルーノの陰毛だったのだ。

 その人形がきっかけとなって、ペネロペは自分の記憶の中に空白があることに気付いたのだ。
 それが何時間なのか、どんな場所で起こったのか、それさえも判らないのだが、ただ、空白がある事だけが強迫観念の様に『判る』のだ。
 誰かに拉致されて、何かをされたのだろうか?
 それともこれは自分が作った?ブルーノの陰毛を手に入れられるのは今の所、自分だけの筈だ。
 それさえも判らないのだ。

 記憶の完全な抜け落ちは、ペネロペの人生の中では異常な出来事であり、その事自体が大きな不安となっていた。
 もしかしたら私は悪性の神経症にかかっているのかも知れない。
 前の病気はなんとか克服した筈なのに、、。
 あるいは止めた筈の「薬」の後遺症が、今頃出てきたのか?
 それにその事を思い出そうとすると、脳味噌に焼きゴテを押されたような痛みが走るのだ。
 さらに、その『痛み』は、罪悪感まで兼ね備えていた。
 空白の時間帯の事を考えることは、神の命に背くことだとさえ感じ始めていた。
 「薬」の後遺症や神経症は罪悪感を引き連れてくるのだろうか?

『空白の時間の事は忘れろ。それは罪深い事だ。』
 『痛み』はそうペネロペに命じているようだった。
 しかしペネロペは忘れていた。
 自分自身が産まれてからこの方、神の事など一度も考えた事がないことを。

 ともかくペネロペは、ブルーノとの会話を外出の件から反らしたかった。
 その為には、自分の両親の事を持ち出すのが一番効き目がある事を知っていた。

「そんなに張果って人の追っ手が怖いなら、やっぱり私の家に行くべきよ。私の父親には大手民間の警備保障の知り合いが沢山いるのよ。」
『警備保障だと?黙れ、この馬鹿女。』
 ブルーノが手にしていたフォークの動きが、小さな怒りで止まった。


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