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第3章 永き命、短き命
33: 雨の日の恋
しおりを挟む街の建物群が、数分前に降り始めた雨に反応して独自の匂いを立ちのぼらせ始める。
今日はメガエヤーが人降雨を降らせる日だった。
結構、雨脚が強い。
もちろん、この世界に豪雨は数少ない。
豪雨は、人々のリクエストに応えて、年に数回の大盤振る舞いとしてあるだけだ。
雨の中、石造りのアパートメントにレインコートを羽織った一人の女性が入ったのを確認して、二人の男がその後に続いた。
二人とも、雨具の類はいっさい身に付けていない。
なんの変哲もないダークスーツだ。
多少の雨など気にしていては勤まらない職業なのだろう。
一人は、先の男より頭一つ身長がある。
その動きは洗練されて、まるでファッションモデルの様だったが、どこか剣呑な部分があった。
よく見ると、その男の頭部には人間のそれの替わりに、猛禽類の鳥のものが乗っかっていた。
その鷲男の前を行く人物は、二人の人間関係からして先輩か上司にあたるようだった。
かといって男が、それほど年かさという訳ではない。
少年と言えば少年で通ってしまいそうな、濡れた少しウェーブのある黒髪を持った東洋系の男だった。
三人は、玄関ホールのエレベーター前で、昇降を示すパネルを見つめていた。
女性はパネルを見つめるふりをして、男達を、中でも特に、鳥の頭を持つ男の事を観察している。
三人は同時にエレベーターに乗り込んだ。
彼女にとって、もう一つ気になる事が起こった。
エレベーターに入った時から、彼ら二人の男達は行き先のボタンを押さなかったのである。
行き先が彼女の階と同じだというのか?
だが彼女の部屋がある階には、個室が三つしかない。
そのうち二つは老夫婦のものだ。こんな怪しい男達が出入りするような階ではない。
「チエコ・サリンジャーさんですね?」
とうとう、東洋系の男の方が口をきいた。
その声を聞いてサリンジャーは、日本という国の過去にあったらしい「わび・さび」という言葉を思い出した。
サリンジャーの知識では「わび・さび」は、「不足の美」を現す言葉だが、この男の不足は「飢え」に近いような気がした。
彼のミステリアスな風貌が、その思いのきっかけを作ったのだろう。
「あなた達、何者?私は、『李』と個人契約を結んでいるのよ。」
チエコ・サリンジャーは容姿に似合わぬきつい声で答えた。
最近の女達は、何かといえばすぐに民間の警備保障の名前を出したがる。
そのおかげでレイプ犯罪が激減したのは事実なのだが、、。
レイプ犯罪が減った理由は簡単だ。
『李』に限らず大手の警備保障会社が、被害者の復讐を、彼らに成り代わって、法の目の網をかいくぐりながら徹底的に行って来たからだ。
つまる所は、人々が本当に望む正義は無力な警察ではなく、そういった存在なのだ。
漆黒は、しかたなく昔から相も変わらぬ警察手帳を相手に提示するという手段をとった。
サリンジャーはその手帳を素早くひったくると、顔写真が貼ってある証明書の部分と、漆黒の顔を見比べる。
もちろん、ここまでする女性はいない。
お嬢様風な見てくれとは、まったく異なる内面を持った女性なのだろう。
「そちらの人のは?」
警察手帳を突き返しながら、サリンジャーはちらりと横目で鷲男のほうを盗み見る。
本当はまじまじと穴のあく程、鷲男を観察したいようだったが、彼女の社会的なステイタスがそれを許さないのだろう。
「私のでは、不十分ですか?彼は、まだ見習いの警察官なんです。身分証明書に当たるものはありません。何処かで、お聞きになった事があるでしょう?彼はスピリットなんです。」
「精霊、、。」
サリンジャーは言葉を飲み込む。
漆黒は、サリンジャーの専門が民族考古学であり、テーマが『神話の成立起源』であった事を思い出した。
今、まさに彼女の目の前には、精霊が舞い降りたことになる。
「少し、お聞きしたいことがあるんですが、、。」
漆黒が用件を切り出そうとした時、エレベーターのドアが開きサリンジャーは意を決したように早足で自分の部屋に通じる廊下を歩き始めた。
「精霊だか、何だか知らないけど、私は警察に用はないし、協力しなければならない謂われもないわ。」
サリンジャーは、自分の部屋のドアーを大きく開け放つと、そこで立ち止まって追いすがって来る漆黒達に向かってくるりと振り向いた。
両手は腰に当てられている。
いわゆる仁王立ちという奴だ。
もっとも彼女の意に反して、そのポーズは、どう見ても威圧的というよりは、どちらかというとチャーミングさを感じさせるものだったが。
「さあ、どうするの?ここから入ったら不法侵入の現行犯よね。」
きっかり自分の鼻先の前でドアを叩きつけるようにして閉められる事を予想していた漆黒は、虚を突かれると同時に、サリンジャーの度胸に半分感心しかけていた。
「あなたが、私たちを招いてくれるのなら、そうはならないでしょう?」
その時、鷲男が渋い深みのある声で言った。
まだ完全には、オウムが喋るようなニュアンスが拭い去れてはいないが、その声には聞く者を魅了せずにはおかない不思議な魅力があった。
なんといっても彼は精霊なのだ。
サリンジャーが不思議なものを見るように鷲男を見た。
今度はエレベーターの時のような横目ではなく、正面からだ。
それも突き刺すように。
「あなたの乗った車は、夜中のドライブで橋を渡る時、横を走る車をはじき飛ばしませんでしたか?その車に乗っていたのは我々なんです。」
漆黒は思い切って話の核心に入った。
この女性には、そういったアプローチが適していると判断したからだ。
そして、もう一つの理由は、そうしなければ、何時までもサリンジャーが鷲男を見つめ続けているような気がしたからだ。
これを世の中ではなんと表現していたか?
そう、一目惚れという奴だ。
漆黒はそう感じたが、すぐにそれを否定した。
その考え自体が、何か、神を冒涜しているように感じられたからだ。
いやそれは、神ではなく人間の愚かしい常識という奴かも知れない。
よく考えてみれば判ることだ、人は何にでも心を魅惑される生き物なのだ。
その対象が鷲の頭を持つ男であっても不思議ではなかろう。
第一、鷲男は、恋愛対象というカテゴリーを外せば、誰の目から見ても十分すぎる程、魅力的な生き物だった。
「私が、あなた方をはじき飛ばした訳じゃないわ、、。」
サリンジャーは、そう言うと、ドアを開けたまま部屋の奥に入っていった。
「どうやらお招きにあずかったようだな。ドンファン君。」
漆黒は、彼に続く鷲男に囁いてから、後ろ手でドアを閉めた。
「あなたのお話をお聞きすると、まるで私は、悪の教団の女幹部のように聞こえますね。」
サリンジャーは、彼女が用意した紅茶の入ったカップを両手でくるむようにして、紅茶をほんの少し啜った。
もちろん漆黒は、彼の知り得る全てをサリンジャーに語って聞かせた訳ではない。
だが、一人の娼男が殺され、その殺害と教団が関係することだけはボカさずに説明した。
その間、鷲男は室内をさりげなく観察している。
もちろん、人間には鷲男が正面を向いたままエレガントにじっと座っているようにしか見えないはずだ。
おそらく鷲男の頭の中では、この部屋から割り出せる情報を吃驚するほどのスピードで分析し蓄積してるに違いなかった。
多分、その中で最も大きな収穫は、本棚に無造作に突っ込んであった鬼子檸檬語録である”愚者の未来”だろうと漆黒は思った。
その存在は、学者が読むような本には疎い漆黒にも直ぐに判った。
現在の「本」には様々な機能が付与されているが、中でも大衆本には、所持している事自体の満足感がもっとも重要でアクセサリー性がずば抜けて高い。
それはポケット本と呼んでも良いような大きさなのに、装丁が素晴らしいものであるのが、背表紙だけだで判った。
一時は「本」としては大ベストセラーだった”愚者の未来”だが、今は禁書になっている。
その殆どは、回収され処理されているはずだが、何冊かはこういう形で残っているのだ。
「悪の教団の女幹部ね。だが実際に、美しいあなたに会って、そんな風に考える刑事はまずいないでしょうね。」
漆黒がうち解けた口調で笑いながら言う。
「随分、女性に甘い刑事さんなのね。」
サリンジャーは、カップをソーサーに置きながら、鷲男の前に置かれてある紅茶を気にしてそちらに視線を走らせる。
鷲男は紅茶にいっさい手を出していない。
嘴とカップではいかにも取り合わせが悪い。
「で、あの夜のあなたの役どころは、なんだったです?」
彼女の答え方で、教団側の漆黒達に対する圧力の強さが判る筈だった。
警察車両をひっくり返し、精霊を殺害するという事件の後なのだ。
そんな中、教団側の人間でないチエコ・サリンジャーが、一度ヘブンに連れて行かれ、再び大学に戻された事を考えると、教団には今回の一連の出来事を、容易にもみ消す算段と実力がある事が想像できた。
「それに答える前に、あなたの勘違いを一つ訂正しておくわ。私はヘブンには行っていないの。正確には『ヘブンの根っこ』よ。そこで追い返されたのよ。車に乗せられて途中からずっと目隠しをされていたけど、私には確信があるわ。」
「確信?多くの平凡な人間は、ヘブンどころか、根っこにさえ滞在し続けるのが難しいと言うのに?」
「どうして見たことがない場所が、判るのかっていいたげね?私は小さい頃、ヘブンの根っこにいたの。入院手術という形でね。私が彼らに連れて行かれたのは、奇しくもその病院だったと言うわけ。」
チエコ・サリンジャーは、試すような目つきで鷲男と漆黒を同時に見つめた。
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