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第1章 日輪、月を孕む
4: ダイエット
しおりを挟む信じられないことに、海は夢精をした。
海の欲望を刺激した夢の中の女は、海が絵画制作の合間に密かにアイデアスケッチしてきた「顔のない女」だった。
その女は、和服を着て頭部をすべて包帯で巻いている時もあれば、看護服を着て頭部をきつい革袋に包んでいたりする。
海はその「顔のない女」を、夢の中で犯していたのだ。
股間の違和感を感じながら、海は強く目をつむった。
だが、確かに「顔のない女」をスケッチしている時は軽い性的な高揚を感じてはいるが、そのモチーフ自体は夢の中に侵攻してきて夢精の対象になる程、強烈なものではなかった筈だ。
今日、会った真行寺真希の印象というのか、彼女の話が意外な程、海の心に食い込んでいたからかも知れない。
遊がセッティングしてくれた真希とのデートだったから、海は断るわけにもいかず適当に相手をし、結果、真希が自分に対する興味を失ってくれれば、それでいいと考えていた。
海の外見は、遊によく似ていた。
海にはあまり記憶がないのだが、周囲の年かさの人間達の証言によると、小さい頃、遊と海は同性の双子によく間違えられていたらしい。
・・当然、海は美男子である。
だが海の美貌は、内からの輝きを持っていなかったし、海自体がそれを無価値なものだと思っていたから、海は己の美貌で、何かを得たことはなかった。
それどころか海は己の容姿を疎ましく感じていたようだ。
それでも海の外見的な美しさに惹かれて、言い寄ってきた女性は数多かったし、他人を傷つけることを極端におそれる海は、それらの言い寄って来る女性の相手を無理にしてきた。
殆どの女性は、つきあい始めて、すぐに海の内実の中に虚無を見いだし、彼の元を去っていった。
勿論、例外の女もいたことはいた。
ある種の男達は、その胸の中に虚無を抱えており、ある種の女達は、その虚無を埋められるのが自分だけだという事に、喜びを感じるものだ。
そういうことだった。
ところが海の場合は、その虚無を埋める穴に、「予約」の札が掲げてある。
海自身には自覚はないが、彼の虚無を埋めるべき女は「遊」だったのだ。
その予約の札を見つけた女は、酷く自分のプライドを傷つけられたような気になり、ついには相手の男を憎むようになる。
この真希も恐らく、同じ事になるだろうと海は考えていた。
・・だが、そういった海の予想に反して、真希は一風変わっていた。
「遊先輩の凄い所は、あれだけ完璧なスタイルしてて、まだダイエットの努力を欠かさないってことかな。遊先輩は絶対近い将来、スーパーモデルになるわよ。」
デート中、真希は海への興味を一切示さず、その話題は常に姉の遊に終始していたのだ。
「僕はモデルの仕事がようわかれへんから、なんともいえんのやけど、姉貴が見せるダイエットへの執着は、なんか病気みたいに思えるんやけどな、、。」
「そんな事ないわよ。病気なんて言い方、いくら弟だからって失礼なんじゃない。」と真希は本気で立腹していた。
「あっ、ごめんごめん、心配やから、そうゆうただけや。」
実の弟が、姉の事で他人の真希に遠慮を感じるのは奇妙だったが、真希にはそうさせるだけの遊に対する熱量があった。
「なら許してあげる。でもさすがに、この前のはひいたけどね。」
「何、それ?」
「カイ君、マリア・カラスって人知ってる?」
「オペラ歌手やろ。真希ちゃん、趣味が渋いね。」
「知らなかったわよ、そんなの。遊先輩が教えてくれたの。」
真希は、自分が古いオペラ歌手の名前を知っている事を恥ずかしいことだと思っているようで、少しふくれっ面をした。
「ごめん。で、姉貴がなんて?」
海はわけも判らぬまま、又、謝って話の先を促した。
「マリア・カラスってすごっくオデブだったんだって。で彼女はいろんなダイエット方法にチャレンジしたんだけど、どれも効果がなかったのよ。でもそんな彼女が最後に見つけたダイエットが効いたの。なんと105キロあった体重を55キロまで減らすことに成功したんだって。それがサナダ虫を体内で飼う(サナダ虫ダイエット)なわけ。遊先輩、それをやるって言い出したの。」
「、、、。」
海は絶句した。
姉の遊には、驚嘆させられるような行動力があり、例えばそれが常人の感覚から言えば眉をひそめるようなものであっても、彼女自身の目的と一致するのであれば躊躇いなくそれを実行してしまう。
それがダイエットならば尚更だろう。
「世の中は広くて狭いよね。遊先輩、暫くしたら、そのサナダ虫ダイエットを専門にしてるお店を探し出しちゃったの。それでさ、今日、見学にいくから真希も付き合ってよって事になって、勿論、私はやだったんだけど、でもこれだけは止めさせなきゃってのもあって、しぶしぶ付いていったの。」
何をためらったのか、真希は次の言葉の前に、少し間を置いた。
「・・でも、私、あのとき見た寄生虫のおかげで少し世界観変わったような気がするんだよね。だから、もし遊先輩が今でも、あのサナダムシダイエット続けててもOKかなって。」
「え、真希ちゃん、それやってるかどうか姉貴に確認してないの?」
「あの時は、直ぐに追い出されちゃったし。後になったらなんだか言い出せなくて、それにさ、あのとき起こった事って強烈過ぎてホントにあった出来事だったんだろうかって時々自信なくなるんだ、、、、なにー、それっ?私のこと変な目で見ないでよー。」
「あっ、いやごめん、別に真希ちゃんのこと疑ってるわけじゃないよ。第一、真希ちゃんみたいな女の子がサナダムシダイエットなんか自分で思いついたり、情報として持ってるわけないじゃん。」
海はこれを言った瞬間、相手を侮った言い方をしたと後悔したのだが、真希はそれを違う意味でとったのか、あるいは気が付かなかったのか、更に話を続けた。
その体験は真希にとって余程、印象に残ったものだったのだろう。
「そのお店ってなんだか秘密の会員制クラブみたいで、目隠しされて迎えの車に乗って行くのよ。やっとついたと思ったらドアを開けてくれるまで、凄い身元の確認があったり、まるで映画みたいなの。で直前になって、当店では単なる見学者の入店は認めておりませんとか言い出しちゃって、私だけ追い返されそうになったの。で、遊先輩がそんな事言うなら、この話は無かったことにして、私も帰るって、ねじ込んでくれたの。このダイエット法はかなり変わってるから、第三者的にこれをやってイイかどうかを判断する人間が必要なんだって、あなたの所はダイエットをしようとする人間のそういう気持ちも受け入れられないのかって。押しまくるわけ。」
「姉貴らしいな。・・で結局、真希さんも見学は出来たんだろ?」
「うん、今思えば、無理を呑んででも、向こうの方がどうしても遊先輩に会員になってほしかったんじゃないかな。そんな気がする、、。」
「姉貴を宣伝に使うつもりだったんだろうか、、いや、あり得ないよな、、現役のトップモデルが真田虫ダイエットで減量に成功しましたなんて、、、」
真希が遊のサナダムシダイエットを止めさせようとしたのは、それが「気持ちが悪い」という事が勿論あっただろうが、遊のモデルとしてのイメージダウンに繋がるという同僚としての判断も働いたのだろう。
「でも、あれ見たら、色々考えてた事が、みんな蒸発しちゃった。」
「あれって、。」
「サナダムシよ。お客様の身体に入るモノだから、ご自分の目でご確認くださいとか、我々が扱っているのは、ただのサナダムシではありませんとか言っちゃってさ。」
「見本だろ?大きなガラス瓶に入ったホルマリン漬けの白いぶよぶよしたやつなんだろ?」
「ところが違うの、確かに大ざっぱな形は私達の頭の中にあるサナダムシなんだけど、表面の色とか艶が、、、なんて言ったらいいんだろ。玉虫色。レインボーカラー?スパンコールのドレス?、、それに表面に訳の分からない古代文字みたいな模様があって、とにかくグロテスクなんだけど、そのくせキラキラ光ってすっごく綺麗なの。なんだか地球の本当の生き物じゃなくて、空想の物語に出てくるような感じ。」
「空想って、ドラゴンとかの?」
「うーん、まあ、そんなのかな、ちょっと違う気もするけど、、とにかくあれは自分の目でみなきゃわかんないと思う。」
「作り物だとか、、」
「それはないと思うわ、透明な液体の入ってるガラス筒の中で動いてたし、体中のあちこちから細い白い糸みたいなのを吐き出したり引っ込めたりしてたわ。あれは絶対作り物なんかじゃない。ほら、動物園のゴリラの前にいったりすると他の動物と違って、ゴリラって知恵があるんだなって、なんとなくこっちに伝わってくるじゃない。あんな感じで、これは只の虫じゃないって伝わって来るのよ。」
真希がもどかしそうにいう。
「カイ君だから、正直に言う。あれなら遊先輩の身体の中に入っていても許せる気がする。」
なぜか真紀の顔が少し上気していた。
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