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【 旅と温泉グルメ しゃぶれどもしゃぶれども(中部編) 】

18: 愛知 知多郡南知多町 常滑から内海温泉へ 月光とフナムシ

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 常滑焼きに魅せられた私・・って、ちょっと大げさだけど、観光地主催の「○○祭」の類に、一切興味のなかったアンが、常滑の「窯屋まつり」に出向いたんだから、これは相当、重症なのかも知れない。
 と言うか、焼き物をみる度に、肥えてくる自分の「目」が、楽しい時期なんだろうと思う。
 たとえば「あっ、これいいな」って思った焼き物もの価格は、必ず万単位だし、陶器店の玄関に立つだけで、そのお店が、どんな品揃えなのかなんとなく判るようになって来ている。

 「窯屋まつり」のメイン会場では、和楽器を軸に据えたクロスオーバーバンドがライブ演奏していた。
 常滑にちなんだものかどうかは定かじゃないけど、打楽器の太鼓は全て陶製だそうだ。
 確かに音の響きは、水琴窟のそれに似ている。

 この前、常滑に訪れた時より、秋は完全に深まっていて、空には見事なまでの鱗雲が広がっている。
 その秋空の下、これも陶製の横笛が鳴り響き、実りの秋を賛美しているようだ。
 でも、これほど全てが、豊潤に輝く季節なのに、夕暮れ近くになると、気配の中にどこかに「寂しさ」が忍び寄ってくるのは何故だろう。
 そう言えば「秋刀魚」にちなんだあの有名な詩だって、「美味しい」くせに、寂しさを感じさせるものだったけ、、。
 「春」と「秋」、、人の複雑な感情を映す鏡のような季節、この國の自然に生まれた幸せを感じる時だ。 


 今夜の宿泊地は、知多郡南知多町の内海温泉。
 知多半島の先端近くで伊勢湾向きの土地。
 でも内海温泉周辺って、主立った観光スポットが殆どないのね。
 この「なさ」具合ってちょっと珍しい(笑)。

 唐人お吉出生地碑ってのが、あるみたいだけど、「唐人お吉って誰?」みたいな話だよね。
 本名は斎藤きち、幕末から明治期にかけての伊豆国下田の芸者さん。
 1857年(安政4年)の5月に、日本の初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリスが病気でダウンしちゃって、その看護役に日本から召し出されたのが斎藤きちさんで、、って話なんだけど、日本側はこの要請を勘違いして「色筋」だと思ってたみたい。

 で、あれやこれやの誤解が重なって、斎藤きちさんには、「唐人お吉」みたいな不吉なネーミングでお察しできる様な、悲劇が待っていたという話。
 安政4年とか聞いちゃうと、遙か昔の「あり得ない」物語に見えるけど、これ構造的には、つい最近まで、いや今でも起こってる話。
 何処かの国は、何処かの国に弱くて、一般的な常識は、常に少数者を迫害する。
 ・・・でもこれ、下田の話なのね。
 知多郡南知多町は、斎藤きちさんの出生地って話だけで、、、。


 月の光に照らされた夜の海を、リアルで初めて見た。
 ちょっと感激だ。
 勿論、月光の下、夜の海岸を歩いた事だってあるし、冴え冴えと光る夜の海を、映画やTVの画面で見た事はある。
 でも肉眼で、しかも俯瞰した状態で見たのは、これが初めてのような気がする。
 (頭の中では、幼い頃に、瞼を閉じてさえ、その白銀が感じられる程の月光を浴びながら、誰かと一緒に夜の砂浜で眠った記憶があるんだけれど、、、それは幻なのかしら。)
 海の肌は、魚の銀の鱗のように光っていて、波の音がザザザと忙しなく聞こえる。
 ちっともロマンチックじゃなくて、なんだか怖い感じ、、。
 海にまつわる怪談や神話は、こんな場面から生み出されるのかも知れないと思った。

 温泉の方は、浴室にいたフナムシのせいで、ゆっくり楽しめなかった。
 せっかくのトリウムー塩化物温泉なのに。
 海岸のすぐ側にある露天風呂だから仕方がないと言えば、そうなんだけど、、、。
 ウゲゲですぅ、、。
 こいつのお陰で、夕食に出た内海名物のシャコも赤シャ海老も「節足動物」になっちまったぜぃ、、。
 でも「タコ釜めし」でリセット(笑)。

 大アサリに海老にタコ、、日本の食文化は、遠洋漁業で得られる魚介類よりは、「浜と海」で得られる海の幸で、豊かになった部分が多いのだろうと思う。
 今は、回転寿司なんかの影響で、その辺りのバランスが破壊されてしまった感じがするけれど、、。
 それと上にも書いたけれど、やっぱり月光の美しさには見惚れるばかり、、実を言うと、夕食をとってから、又、気を取り直して露天風呂に再チャレンジ、窓から差し込む月の光と、海の照り返しは、軽く「フナムシ」の脅威を超えてた(笑)。
 これで月の高さが、もう少し低ければ言う事はないんだけれど、結局、この月の高度と空気の澄み具合で、光り輝く月光が保障されるんだから、もうこれ以上は望んじゃいけないんだよね。






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