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第7章 壊されたショーウィンドウ

66: 記憶の破片

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 守門が赤座から得た情報によると、守門の退魔活動継続は、歌う鳥の会の中でも、かなり疑問視されていたらしい。
 今回、レッドの模倣犯を退魔出来たことが、この事案から外されずに済んだ主な理由だったようだ。

 本部は、ノイジー追跡から守門を外しレッドに当て、更にケルベロスを通常任務から引き剥がして守門に就けた。
 それらが、立て続けに失敗し、本部は切迫していた。
 この国の有数権力者達が、メンバー会員である「歌う鳥の会」であっても、様々な所から沸き起こってくる不満の声を、全て圧殺出来るわけではないのだ。

 何よりも、幼稚園で起こった大量殺人事件の生中継が、「歌う鳥の会」の堅持していた対超常現象における絶対的な主導権を大きく損なわさせていた。
 メンバー会員達のまとめ役でもある会長は、この緊急状態の中で、以前「歌う鳥の会」のエースだった神雷を、国内に呼び戻す事も検討し始めていたらしい。

 神雷は、ニューフェィスだった守門の台頭により、退魔活動に若干の余裕が出来た日本鳥の会が、他国支部に貸し与えていた人物だ。
 神雷の出向は、両国間の極めて政治的な配慮の元に行われており、彼を呼び戻すことは、更に大きな外交面での困難を自国に招き入れる可能性があった。

 しかしそれでも、会長はこの選択に傾いていたという。
 斬馬を急遽、リクルートするという手段もあったが、その実力の評定や手順にかける手間暇を考えると、時間的な余裕もなかったようだ。
 神雷を呼び戻す、正にその一歩手前まで行ったらしい。
 守門云々の非難や鳥の会の運営よりも、会長は、子ども達の死が許せなかったのだろう。

 そして、事件後の連日の幼稚園大量殺人事件の報道。
 当然の如く、警察と政府が責任を問われ続けていたが、一般的な防犯体制が強化されるだけで、捜査の進展も、具体的な善後策も何も打ち出せない状態が続いていた。

 ただ、不思議なことに、レッドの正体については、様々な噂が飛び交うものの、それが大手のマスメディアに大きく取り上げられる事は、まったくなかった。
 ただ一つの幼稚園に押し入って幼児たちを殺して回った「怪物」がいた、ということだけが報道され続けていた。
 いつもなら犯人像について面白可笑しく根掘り葉掘り取り上げられるものがだ。
 その不穏さを前にして、人々は逆に無言の圧力を敏感に感じ取ったのか、レッドの正体を口にする事自体を、憚り始めていた。

 おそらくは、「歌う鳥の会」を構成する実力者達が、それぞれ自分の持ち場に戻り、総力を上げてこの事件を忘却の淵へと追い込もうとしているのだろうと、守門は想像した。
 物事の捉え方を操作するには、実力行使だけが有効なのではない、こういった空気感への操作も有効なのだ。

 そんな諸々の状況の中で、本当に居たたまれないのは、井筒のような遺族達だろうと守門は思った。
 そしてもちろん守門の中で「退魔を成功させなければならない」という重圧は、ますます高まっていった。


   ・・・・・・・・・


 羊飼保に対する退魔が完了した数周週間後、ノイジーから連絡が来た。
 レッドの次の動きがないうちに、守門と一度会っておきたいと、ノイジーは言う。
 レッド関連の最近の状況で、目立った変化といえば、羊飼の件が上げられるだけだ。
 ノイジーの連絡は、それと関係するのかも知れない。
 守門の方から、羊飼の始末について話した事はないが、ノイジーなら既にその顛末を掴んでいるだろう。

 この局面で、二人の間で今更なんの腹の探り合いが必要なのかが解らなかったが、有事の際には、連携したプレーが必要になるのは、間違いない。
 例え、面談のきっかけがなんであれ、敵味方に別れていた前の状況のまま闘いに臨むより、お互いを知っている方がずっといい。
 そう考えて、守門はノイジーの申し出を受けることにした。

「待ち合わせ場所は、あの幼稚園が見える公園で、」
「もう少し具体的に言って貰えると助かるんだけど。第一、僕の記憶では、公園は東と西に、大きいのと小さいのが二箇所。いや一番小さなのを入れると三箇所ある。」

「悪魔を狩るエクソシストなんだから、そんなの見つけるのは簡単でしょ?それに幼稚園の中から見れば、私のいる場所は目で見たって直ぐに判るわけだし。第一、交通の便で言えば、まず幼稚園じゃない?」
 ノイジーは、自分を試しているのだと思った。
 確かに、あの忌まわしい場所から見れば、ノイジーが何処にいるかは、直ぐに判るだろう。
 それに慰霊に訪れる人間の為に、閉鎖された幼稚園横には、臨時の駐車場も設けられている。
 もちろんノイジーが守門の移動の便などを考慮している筈はない。

 ノイジーは、暗に問いかけているのだ。
 あの忌まわしい場所に、再び立ち、もう一度闘いを始める強い気力が、今のお前にあるのか?と。
 幼い子供達の叫び声を、もう一度聞き、それを背負えるかと。


 守門は、沢山の花束が添えられた幼稚園のフェンス周辺に人影がないのを確認すると、2メートル以上もあるフェンスを軽々と飛び越えた。
 鎧の力を上手く利用すると、この程度の事は簡単に出来る。
 普段、それをしないのは鎧の力に溺れない為と、力そのものの存在を隠すためだ。

 今は閉鎖されて、人気のない園庭の中心に向かって歩いて行く。
 あの時の事を思い出して、守門は自分の動悸が激しくなるのを感じた。
 『なぜ救えなかった?何故、倒せなかった?』という責に似た自問を振り切る様に、守門は園庭を歩き回り、ノイジーとの約束の公園を探し出そうと、周囲の景色を確認した。

 不意に、園庭の隅にある砂場が目に止まった。
 そこから何かが、自分にこちらに来いと呼びかけている様な気がしたのだか、その気持ちの源は、守門の内側のものではなかったのかも知れない。

 鎧が、何かに反応している様にも思えたが、それは今までのように明示的なものではなかった。
 守門は砂場に屈み込むと、砂の中から、自分を呼び続ける小さな破片を取り出した。
 指先で摘める程の小さな黒い強化プラスチック片、、。
 いかにも質感が、幼稚園にある見慣れた遊具などからは程遠く、それに鎧が感応したという事実。
 事件に関係する遺留品の全ては、一旦、警察がその全て回収している筈だが、さすがに砂の中に埋もれていたこれは無理だったようだ。

 欠片をもっと良く見ようと、目に近づけた途端、鎧が突然、その破片を介して過去にリンクした。
 ただ、それはサタンジが守門によく見せるような、はっきりとしたイメージではなかった。
 メタ意識プールを利用して、誰かの記憶を再構成して見せているのではなく、過去に起こった事象を、次元の窓から覗き込んでいるのかも知れなかった。
 意志的な関わりの元に、それを見せられているのではなく、ただ単に、守門の知覚へ、無理矢理その光景をコネクトしたような感じだった。

 園庭の片隅に生えている大木の下に、レッドが実体化した。
 レッドは、そのまま暫く動かずにいて、周囲を観察しているようだった。
 校舎寄りの園庭部分で、園児たちが集団遊戯に入る準備を始めている。

 校舎奥の一室の窓が空いていて、そこから一人の男が、顔を覗かせ園児たちの様子を眺めていた。
 男の顔には、見覚えがある。
 園長だった。

 レッドは、最初にこの男を襲った。
 園長と知って襲ったのか、それとも単純にレッドの近くにいたという距離的な理由だったのかは、分からない。
 だがレッドは、ノイジーのように自在に電子情報にアクセスする能力があり、ホワイトの犯罪分析能力と犯罪についての豊富なデータを持っている。
 園児たちにとって最大の保護者である園長に、子どもたちを追い回す悪鬼の役割を担わせるという企みを、レッドが一瞬の内に考えつき、それを実行に移したとしても、なんら不思議ではなかった。

 園長の顔を奪ったレッドは、園児たちの集団に飛び込み、一度、子どもたちを脅しつけ四散させた上で、再び追いかけ回し始めた。
 この時、校舎から一機のドローンが飛び出して来て、レッドに突進していった。

 レッドは、暫くドローンを五月蝿げにあしらっていたが、何かに気付いたのか、その顔を園の西側に向けた。
 遠くの林の中に、見覚えのある小さな顔の形が見えた。
 光景がズームアップされる。
 ノイジーだった。
 守門は、ノイジーが自分の力を使って、レッドの凶行を阻止しようとしているのだと理解した。
 レッドは、自分の力を見せつけるように、一人目の子供を殺し、その手でいともあっけなくドローンをはたき落とし粉々に打ち砕いた。
 それが、砂場の側だった。
 あの破片は、ドローンのものだったのだ。

 レッドの凶行は続いた。
 だがノイジーも、それで引き下がったのではないようだった。
 体育倉庫らしい小屋から、遠隔操作の万能トレーラーが、扉を壊しながら姿を表した。
 殺戮を小休止して、レッドは暫く、そのトレーラーを見つめた。
 トレーラーは、レッドに睨まれたからという風に、その場で停止してしまう。

 次にレッドは、再びノイジーのいる公園の方を向いた。
 その途端に、ノイジーの顔が見えなくなった。
 これが、レッドによって中継されなかった、もう一つの出来事だった。
 その後もレッドによる園児たちへの殺戮は続き、それを見続けるのを守門が耐えられなくなった時、過去の光景は消えた。



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