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第一章 遺産 

05: 保海にとってのCUVR・W3

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「叔父貴は、外の奴らが気にならないんですか?」
 保海真言は、朝食後の湯飲みを黒塗りの食膳にコトンと置きながら、昨夜からの疑問を口にした。
 忍は、保海源三郎の湯飲みに熱い茶をついでいる。
 服装は黒い和装の喪服だった。
 忍の三十代前半の様にしか見えない美貌が、今日は違った意味で艶めいて見える。
 細面の真言の容貌は母親似だと言われている。
 そして、精神は父親似だとも。

「銀甲虫などを気にしておっては、この家業はやっていけんよ。」
 保海源三郎は気負いもなく静かに言った。
 これがミイラの如く干からびて逝ってしまった源次郎の実の弟とは思えないほどの、瑞々しい男の色気に満ちあふれた人物だった。

「叔父貴がものに動じない人間だという事は十分承知しています。奴らにつけ回されている僕という人間の資質を聞いているんです。」
 そんな自分が組を継げるのか?と、真言は源三郎から目を離さずに食い下がった。
「それも含めて同じ事だ。俺はお前という男を信用している。兄と忍さんの息子だ。間違いはない。ところで跡目の事は、考えているな。返事は兄の消息が判明してからという事だったが、判ったのは良いが、こんな事態になった。、、、だが約束は約束だ。」

「叔父貴はまだまだ若い。今頃、僕なんかに組を譲る必要はないはずだ。」
「その事はお前と何度も話し合って来た。俺は、保海を地方の弱小ヤクザにしておきたくはない。だから分不相応な事業にあれこれと手を出して来た。自分で言うのはなんだが、成功を収めている。しかし今度は、古い経済ヤクザという看板が俺の足を引っ張るんだ。俺達のやり口はまだまだ変えていける、それで今、一流企業と呼ばれている存在を出し抜ける筈だ。人間はとことん醜く弱いものだ、それを知ってる俺達が誰よりも強い。組は一端は分割する。名を変えた俺が保海組を再吸収するまではな。その間、お前が思うように保海組を自由にしていい。そうすれば、世間の目も、保海組に対する見方が変わるはずだ。数年後、俺とお前、二つが出会えば、保海はもっと大きなものに生まれ変わる。これは単に組を継ぐ継がないの話ではない。」

「大きなものって、CUVR・W3の事を言ってるんですか。あれは止めた方がいい。ソラリスでも本当はあれを扱いかねてる。だからコアとして使ってるだけで、全部採用してる訳じゃない。、、、叔父貴は確かに経済ヤクザにしておくのは勿体ない程、商才がある。それ以上に人の上に立てる器でもある。一言で言ってのし上がれる人物だ。でもCUVR・W3に手を出すのは良くない。」
「CUVR・W3は、お前の父親が開発したシステムだぞ。いわば保海の遺産だ、それを忘れるな。」
 源三郎の口調が固いものに変わった。

「真言さん。確か、10時からじゃなかったかしら。そろそろ用意をしなくていいの?佐藤さんは時間に厳しい人だし、ロイヤルロッカーはそれこそ、ねっ。」
 忍が二人の間に割って入った。
 佐藤とは保海源次郎の遺産相続管理人だった。
 真言は彼と10時に会見し、遺産相続をする手はずになっている。
 まだ時間的な余裕がある事は、源三郎も真言も判っていたが、二人は忍に従った。
 立ち上がる真言に向かって源三郎が声をかけた。

「真言。儂は忍さんとは、一ヶ月後に祝言を上げる。いいな。」
「それは、叔父貴とお袋との関係の事だ。僕に了承を求める必要はないでしょう。叔父貴が、蒸発した親父とお袋の事で苦しんできたのは、子どもの頃から気が付いていた。それ以上、今の僕には言うことはない。」
 本当は、父を心底愛している筈の母がなぜ叔父を受け入れられるのか、真言には理解できなかったが、それをここで言うつもりはなかった。
 真言はそう言い残して、部屋を出た。

(坊やが出てきた。これからが本番だ。)
 通称、保海屋敷と呼ばれる、純東洋風な大邸宅の木製の門が開いた。
 保海真言は、オートバイのシートの上に跨りながらグローブを指になじませている所だ。

(これからが本番ってどういう事だ?)
 ローズのヘルメットの中の独り言に反応したのは流だった。
(スパイダーか?勘の悪い野郎だな。さっき本部から、坊やの今日の行動予測が送られてきたろうが。今から坊やは遺産相続に出かける。一体何を相続するのか知らないが、ロイヤルロッカーって名前が挙がっている限りは、それ相当のものだと考えていい。ロイヤルロッカーの年間契約者は坊やの親父名義になっていて、その使用期限は今日の夜中までだ。しかもそれは俺達が坊やをガードしなけりゃならない期限と一致する。だから本番なんだよ。ここからは俺の推測だが、、、ロイヤルロッカーは中央通りだ。ドンパチが始まれば相当な見せ物になるぞ。本部はそれをねらって、俺達を坊やの護衛にあてたんじゃないかな?)

 流はローズの言葉を吟味してみた。
 銀甲虫の第三部隊をかり出さねばならぬ警護の割には、保海に対する攻撃が、アーチャーの店で途絶えている。
 そのアーチャーの店の前の攻撃にしても、見た目の派手さに比べて内容はお粗末なものだった。
 第一、本当に保海をガードしなければならないのなら、保海の身柄を保護してしまうのが最もてっとり早い。
 ただ保海に対しての攻撃がデモンストレーションであり、保海のガードもデモンストレーションならば、その意味で、銀甲虫は適任と言えた。

 しかし一体この派手なバカ騒ぎを、誰が誰に見せようというのか?
 見せるというよりは、単にお互いが敵対するという事の意思表明なのか?
 流が考えられたのは、そこまでだった。
 流のバイザーの裏側のディスプレィにはこれからのガードのフォーメーションやなにやらが、矢継ぎ早に送り込まれ始めたからだ。

(野郎。なかなかの腕をしてるぜ。誘導ビームを切って、あれだけ走れるんだ。下手するとスパイダー、お前さんよりバイクの腕は上なんじゃないか?)
 グリズリーがいかにも楽しそうに言った。

 この時代、高速道路は誘導ビーム技術の導入により渋滞はなくなった。
  勿論、高速道路を走る車両の数が減少したわけではない。
 言い方をかえれば、新しく登場したのは、高速で移動する渋滞と言って良いのかも知れない。
 この高速道路の中で、さらなるスピードを求めるなら、誘導ビームの範囲外でのマニュアル運転しかないのだが、他の車両が高速で動いている分、その隙間を縫って速度を稼ぐことは、非常に危険な事と言えた。
 誘導ビームは、ただ単純に各車両を定速で牽引しているのではないからだ。
 その動きはコンピュータによって制御されている。
 車両の隙間を縫うことは、コンピュータの演算機能の隙間を縫う事と同等だった。
 しかし銀甲虫達が追尾する保海真言はそれをやってのけていた。

(止めろ、スパイダー。グリズリーの挑発に乗るな。誘導ビームを切るんじゃない。俺達のは特別のチャンネルなんだ。坊やに引き離される訳がない。) 
(スパイダーの野郎、我々との連携モードも切り離しやがった!)
 隊員の誰かが言った。
 ローズは自分のディスプレィの中でスパイダーの位置を示す光点が消えたのを発見して慌てて言った。
 高速道路上では、銀甲虫相互の動きは誘導ビームのネット上での情報で賄われる。
 それが消えたという事は、スパイダーが誘導ビームの受信を切ったという事になる。
 スパイダーはマニュアル走行に切り替えて、保海真言を追尾しだしたのだ。
 ローズは最悪のシナリオを考えていた。

 銀甲虫達の使用しているオートバイは装甲が厚く、彼の経験ではミニミサイル弾を被弾した直後でも駆動するという代物だった。
 しかし、高速道路上では、それこそ様々な車両が走っているのだ。
 もしスパイダーのオートバイが横転でもしたら、オートバイ自体が強力な巨大な砲弾となる。
 誘導ビームの流れに乗っているが故に、その巨大な塊を、どの車も避ける事が出来なくなる。
 もしハイパーゲルなど、衝撃に弱いエネルギーを満載した車両にぶつかったら、、、。

 ローズは、バイザー内の種々雑多な情報を絞り込んで、出来るだけ周辺把握の為のノーマルな映像を出すようにディスプレィをセットしなおし、そのモードを強制的に仲間のディスプレィに伝え、彼らのもの全てをリセットさせた。
 今は、先の任務は関係ない。
 高速道路上で起こるかも知れない危険を回避する事だった。
 これはもう任務の遂行といった事態ではない、スパイダーの暴発の制御が最優先だった。
 仲間達にも、客観的に見て自分たちがどれくらい危険な要素そのものになっているのかを判らせる必要があった。

 視界が急激に広がり、自分のオートバイが高速道路上を走る車の間を接触ギリギリのところで走り抜けているのを、ローズは再確認した。
 保海とスパイダーはこれを手動でやってのけているのだ。

(誰か、スパイダーを見つけだすんだ。そう遠くない所にいる筈だ。)
(こちらロック。見つけたぜ。奴ら競り合いをしてやがる。)
 ディスプレィによると、ロックは,ローズの右前方の十台ほどの車両グループの前にいる。
 保海とスパイダーがさらにその前にいるなら、銀甲虫のグループは相当、引き離されていることになるのだ。

(ちょっとやばいぜ。奴らどんどんこっちを引き離していきやがる。俺達の誘導ビームは本当に特別チャンネルなんだろうな!)
 ロックの切迫した声がヘルメットに流れ込んでくる。
 ローズに冷や汗が流れ始めた。
 保海には追跡用の発信装置を仕込んでいない。
 銀甲虫なら簡単にできる細工だ。
 警護の仕事を甘く見ていたからだ。
 いやそれよりも天下の銀甲虫の追尾を振り切れる存在に思いが及ばなかったのだ。

(ローズ。こりゃやばいぞ。儂がマニュアルに切り替えて、奴らを追う。このままじゃ俺達が査問会行きだ。)
 ゴリラが通信をよこしてきた。
(待て、スパイダーで無理なら、内の隊で保海を追える奴はいない。こうなったらもう、スパイダーを信じるんだ。)
 その時、ディスプレィの中の光点にスパイダーのものが戻ってきた。
 スパイダーは誘導ビームに、制御を戻したのだ。

(どうしたんだ!スパイダー!?。保海を見失ったのか!)
 ローズは、ほっとしたような、情けないような、銀甲虫リーダーとしては滅多に味わえない奇妙な気分になった。
(逆だよ。ローズ。あの野郎。追いつけないこっちの様子に気づいて、わざとスピードを落としやがったんだ。) 
 スパイダーは歯がみするように言った。



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