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第9章 荒ぶる神々の荒野

74: 弟は寂竜、兄は寥虎、合わせて寂寥竜虎

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 丑寅巡査部長は6係が身柄を押さえたブルーから、寂寥ファミリーの知識を得ることに成功していた。
 ブルーこと寒楚は、首都石逗のマヒドンナ大学を首席で卒業したというだけあって、自国の暗黒面だけでなく、その歴史や海馬美園国を取り囲む世界情勢にも非常に高い見識と知識を持っていたからである。
 戸橋巡査からは「丑虎さんは、頭が良い相手だと誰とでも仲良くなれますね」と嫌みを言われたくらい、寒楚とは馬があったようだが、もちろん、丑虎巡査部長の狙いは、ただただ美馬の組織の壊滅、当面はパペッターの逮捕だった。
 その為には、一見、本件とは関係がないように見えるどんな些細な事柄でも、データ化しておくべきだと彼は考えていたのである。

 寂寥ファミリーとは、寂竜と寥虎の双子を頭目にした海馬美園国最大のマフィアである。
 寂竜は右目を、寥虎は左眼を潰されており、嘘か本当か、その目は容貌がそっくりの双子を見分ける為に潰されたのだと言う。
 弟は寂竜、兄は寥虎、二人合わせて寂寥竜虎と呼ばれていた。


 海馬美園国の首都・石逗(シーズー)から、地続きの中国大陸内部に向かって北西八十キロ辺りの場所に、彼ら双子の生まれ故郷があった。
 彼らの産まれた村は、豊穣をもたらすリバイ河から距離があり、農耕という面では決して肥沃な土地ではなかったものの、かって隣国への交通の中継点だったという歴史が生みだした大きな集落だった。
 集落の周辺には幾つかの古代遺跡もある。
 だが皮肉にも、その「歴史」が、村に災いをもたらしたのだ。

 旧日本軍が此処に小隊を送り込んだ理由は、この村が敵軍によって再び中継点として使われない為の「先手」にあったのだ。
 しかし、その可能性は現実的な戦局から見ると極めて低いものだった。
 大量の物量と近代兵器を投入してくる敵軍が、多くの山岳地帯を抜けざるを得ないこの経路で奇襲をかけてくる筈がなく、それを一つの「可能性」として捉えていたのは、自らが前線にいない日本軍上層部だけだった。

 駐屯を余儀なくされた小隊もそのことを理解していた。
 これは前線に赴いた事もないどこかの小賢しい幕僚が、自らの才気を誇示する為にだけに考え出した命令に過ぎない、と。
 だがこの命令は美味しい、、。
 全ての兵士達がそう考えていた。
 少なくとも、ここに留まる限り、自分たちは今日明日の命の心配をしなくて済むのだ。

 そして本来必要のないポイントに、一小隊をつぎ込んだと言うことは、どこかの激戦地帯では、より以上の死傷者が出ているという裏返しでもある。
 だがそれを憂うる兵士も又、ここにはいなかった。
 銃弾が当たるかどうかは運でしかない。
 それは人の力で変えられる事ではない。
 それと同じ事だった。
 ならばその運を、良くも悪くも受け入れる事が兵士達の全てだった。

 大きな動きのない監視だけの日々が続く中、鉄の軍律によって日頃抑制されたエネルギーは、はけ口を求め、死から遠ざかることの出来たこの小隊に、微妙な影響を与えていった。
 『我々は、この家畜同然の人間どもを支配する聖なる集団だ。』
 それが村の中心に一分隊、数キロ離れた左右にそれぞれ配置された一分隊、合計三分隊全てに同じく起こった変化だった。
 村人に対する略奪と搾取は、位置を違えても人を変えても、同じように起こったのだ。
 それが旧日本軍の体質だった。
 こうしてこの村に、一人の暴君が支配する小さな帝国が出来上がったのだ。

 寂竜ら兄弟が、初めからその名と同じ「竜虎」という怪物ではなかったように、この村に来るまでは加藤という小隊長もごくありふれた男だった。
 ただ彼には、駐屯地である村に対して三分隊、つまり三十人分の武装兵力があり、対して村人達は長すぎる被支配の現実の下で「服従」に慣れ過ぎていた。
 その力場の上に、加藤少尉を頂点とした帝国が成立したのだ。
 天の配置の妙というものかも知れない。
 誰が悪いというのではない、ただ「運」が悪かったのだ。
 だがその不幸な巡り合わせの中で、寂竜・寥虎という二人のモンスターが生まれたのである。
 「運」は、時たま驚異を生み出すという事だろうか。

 加藤は貢ぎ物の「女」に飽きていた。
 もっと違うものを求めていた。
 思えば加藤がそう感じ始めた頃が、任務よりもこの村で暴君振りを発揮することに、自らの重きを移す変わり目でもあったようだ。
 村の双子が加藤の目にとまった。
 話に聞いたことがある「衆道」というものを試してみようと、彼はふと思った。
 二人なら倍楽しめるというものだ。

 双子の両親に命令して、自分の身の回りの世話をさせる使役として二人を差し出させた。
 両親からの激しい抵抗があると思っていたが、予想外に事はスムースに進んだ。
 双子の両親は、自分たちへの駐留部隊の覚えをよくする為に、自ら息子達を差し出した節さえあった。
 加藤はそんな両親に、身勝手な嫌悪感を覚えながらも、今更ながらに、ここが日本ではなく海馬美園国である事を思い出していた。
 さて、準備は整った訳だが、今度はそこからどうしてよいのか判らない自分に加藤は気付いた。

 そこで思いついたのが、衆道の指南役の登庸だった。
 勿論、通常の軍務が続いていたならこのような事は、ごく隠微に人目に触れず行われたはずだ。
 それが今の加藤小隊では、この類の事がかなりおおっぴらに行われていた。
 この頃、既に、小隊の村に対する略奪と陵辱は日常化していたからだ。

 加藤が選んだ人間は、古参兵の楠熊上等兵だった。
 熊楠は、これほど緩みきった小隊の中で生真面目さを保っている不思議な人物だったが、不思議と言えば、彼が衆道趣味である事を知らぬ人間が小隊の中にはいないという事実もそれに該当した。
 その理由自体は実に単純で、本人が衆道趣味である事を隠さなかったからだ。
 ただ隠さない理由が、変わっていた。
 自分がそれを隠すことは、かって愛した人物を裏切る事になるからだというのだ、、、。
 岩を削って作り出したような熊楠の口から、男同士の純愛を聞かされても、誰もが反応に困ったから、その話はそれで宙に浮いてしまっていた。
 そんな人物だったが、それでも熊楠はこの軍隊という歪な世界の中で通用し、生き延びてきたのだ。
 それなりの何かを持った男なのだろう。
 加藤は初め熊楠についてそう考えていた。

 加藤が初めて熊楠に相談を持ちかけた時、彼の顔色は曇っていた。
 軍隊では、位の上下は絶対だったが、軍歴の長い古参兵は、それだけで一目を置かれれる部分がある。
『位はあんたが上だが、命のやり取りの経験は数段こちらの方が積んでいるんだ。判っているよな。そこの所?』そういう事だ。
 熊楠の古参兵としての余裕が、上官の前でも「顔色」として出るのだ。
 だが表面上は、相手を立てている。
 面従腹背と言うやつだ。

「様子を見られてはいかがですか。何事にも準備期間が必要です。」
「意味がわからんのだがね。巧いやり方がわからんから、君に聞いておるだけだ。」
 加藤の薄い鼻の穴が開く。
 加藤は随分前からポーカーフェィスの技を身に付けていたが、怒りに火が付いた時に顕れるこの顔の動きだけは、未だに抑えられないのだ。
「子どもですから、尻の穴が裂けて嫌になれば次から身体の動きに出ます。子どもは我慢しません。それを押さえつけて事に及ぶのは楽しくはない。逆に味を覚えれば向こうからせがむようになる。」

 加藤には熊楠が、なんのかんのと理屈を付けて子どもを庇っているのがよく判った。
 プライベートであれ、士官の頼みに、一兵卒が意見をのべるのか、、、。
 それに自らが、衆道でありながら偽善も甚だしい。
 この男は遠回しに自分の行動を批判しているのだ。
 その程度の事が、相手から読みとれなければ人の上には立てない。
 だが判らないのは、こんな属国の家畜同様の子どもを何故、庇うかだった。

「そうさせる為にはどうすればいい。」
「満足な食事を与えてやり、身体を清潔に保たせ、充実感のある仕事を与えてやるのです。」
 加藤は、「お前は馬鹿か」と嘲り罵倒しそうになったが、それを我慢した。
 日本軍は石逗から2年分の米を吸い上げていたが、それでも充分な余力がある訳ではなく、熊楠が双子の為に示した条件は、士官クラスでやっと手に入れられるという生活レベルだった。
 熊楠は勿論それらの事を見通した上で、この条件を口に乗せているのだ。

「、、肥えた豚の方が美味いということかね。」
「そうです。それにそうすれば子ども達は、他の村民達の妬みとやっかみのせいで、もう村へは戻れなくなる。そうなれば、彼らの行き所は小隊長殿しかなくなるという事です。」
 その返事を聞いたとき、加藤の中に何かが生まれた。
 この男、見かけほど馬鹿ではないのかも知れない。
 ならばお前の小賢しさと博愛主義を、この俺が粉々に打ち砕いてやるまでだと、、。
 その方が衆道よりずっと面白い。

「なるほど、良い案だ。では君があの坊主共の面倒を見てくれたまえ。その時が来たら監視も頼む。」
「監視と言われますと。」
「小心な上官と笑うかもしれんがな。相手は二人で一応、男だ。それに今が戦時中で有ることには違いはない。寝首をかかれるのは困る。あの最中は、君が銃を構えて見張っていてくれ。」
「、、、、。」
「どうした。何故、黙っている。言い出したのは君だぞ。受けてくれんのなら君の助言は白紙に戻す。君は、私という男を知っている筈だな。」
 加藤は、あえて命令という言葉を使わなかった。
 加藤の心の中では、部下に私事を無理強いするのと、無茶な上部の軍務命令を伝える事の間に差などありはしないのだから、そうしたのは、彼の心に熊楠に対する加虐があったからだ。
「判りました。上官殿。」
 熊楠は加藤の予想に反して即断した。
 そして見事な敬礼をしてから加藤の部屋を出ていった。

 こうして加藤少尉の奇妙ないたずらが始まったのだが、それが自分自身にどのような結果を及ぼすのか、この時の少尉は想像もしていなかっただろう。
 無骨な熊楠が、自分たちに見せたその優しさは、まだ幼い双子には理解しがたかったようだ。
 双子は熊楠の顔色を常に伺い怯えていた。
 あるいは生来、人の情けを受け入れぬ子たちであったかも知れない。
 いずれにせよ、自分たちが両親によって人身御供に差し出されたという事実だけが、この双子の気持ちの全てを覆い尽くしていた事だけは確かなようだった。

 だがこの双子は、熊楠が彼らに与えた食事だけは余すところなくむさぼり喰った。
 腹をすかしきった小動物が、隠れ家から飛び出してきて餌を喰い、再びその安全地帯に逃げ込む、彼らはそんな様を彷彿とさせて、熊楠は暫くやりきれない思いでいた。
 しかし他国の支配下にある状況の中で、どの村にも生活の余裕などがあるはずもなく、それに耐えていた食べ盛り伸び盛りの彼らに、遠慮を求めるのは無理というものだろう。
 成長期にあった二人は、見る見る内に、やせぎすの身体から少年らしい丸みを帯びたものに変化していった。

 そんな中、熊楠は自分が世話をする事になった双子に相反する感情を抱くようになっていた。
 生涯独身を貫くつもりでいた熊楠は、もうすでに双子の父親になっていても良い年齢に達しており、そういった意味で、この双子には父性的な愛情を感じ始めていたのだ。
 もう一つの感情は、非常に不可解なものだった。
 熊楠はこの双子に、得たいの知れない恐怖を感じていたのである。
 それは初めて接触した未知の猛獣に対する感情に近い。
 両親に裏切られた子どもの心のゆがみ?いや、そのような容易いものではなかった。
 確かにそれもあったが、熊楠の感性を犯している双子の「毒」は何かもっと根元的なものだ。
 彼らのあどけない子どもじみた表情の中に隠れているものは、これまでの人生をタフに生き抜いてきた熊楠でも、把握しきれない黒さがあった。

 始まりの日がやってきた。
 熊楠は軍用ライフルを肩付けにし、標準を双子の頭部に交互に合わせながら加藤の挙動を見守っていた。
 加藤の寝室は村人の家屋を転用したものだ。
 夜といっても何処からか光が忍び込んでおり、闇に慣れた肉眼なら充分監視が出来る。
 双子には、今夜彼らの身に起こることを言い含んである、、滅多な事はあるまい。
 加藤も双子が自分の寝首をかくかも知れぬなどと、下らない理由を考えついたものだ。
 それにしても、部下をいたぶることに喜びを感じるとは、この男も変わったものだ。
 この村に駐屯するまでは、特に対した度量もない代わりに、「毒」もない男だったのだが。

 数分たった。
 初めこちらを意識していた加藤も、慣れないまでも内なる欲望に突き動かされて、双子の肉体に没頭し始めている。
 床がぎしぎしと揺れ、空気が生ぬるく揺れた。
 ライフルを支える腕が辛かった。
 そしてもっと辛かったのは、銃口の向こうに見える双子達が、加藤の肉欲に応えだしたという事だった、、。
 普段なんという事はない子ども達の身体が違ったものに見える事を、この夜、衆道に身を沈めた筈の男が初めて知った。

 初めての夜から一週間がたった。
 加藤と双子の交わりは、より激しくなっていた。
 ぴちゃぴちゃと舐める音、グジュグジュとこすれ合う音、くくと声を潜めて笑う幼い声。
 そしてそれを見せつけられる熊楠の内も変化している。
 遙か昔に、断ち切った筈の恋人への思いと肉欲の残滓が熊楠の思いをかき乱す。
 あの時感じた嫉妬と妄執だけが一匹の獣のように熊楠の闇に出現した。
 熊楠はライフルの引き金を引きたくなる。
 引けば、その獣を倒せるのだと、、。
 その相手は、時に加藤であり双子でもあった。

 加藤の寝室に忍び込む月の光が段だらに三人を染めている。
 やけに光が眩しい。
 その夜は満月だった。
 ふいに双子の動きが変わった。
 双子の一人が、加藤の首を後ろから羽交い締めしている。
 喉仏に細い腕が食い込んで、加藤は息を吸い込むのがやっとで声が出せないでいる。
 そしてもう一人が、あがらう加藤の身体にしがみつきその動きを制している。
 月光の中で、加藤の視線と双子の兄の視線が同時に見えた。
 二人は熊楠に問うていた。
 どちらを助けるのだと。
 答えに中間はない。
 こうなっては、どちらかの選択しかないのだ。
 だが加藤の死は、同時に熊楠の死である。
 つまり答えは決まっていた。
 しかしその夜は満月だった、、、。

 ジャングルに響きわたる銃声は、二度続いた。
 最後の銃声は、熊楠が自分の脚の親指で筒先を口にくわえたライフルの引き金を引いたものだ。
 悔恨の自殺とはいえまい。
 一瞬の魔から立ち戻った男の理にかなった判断だろう。
 いくら緩んだ軍律でも、上官殺しを誰も見逃しはしない。
 熊楠は、楽に死ぬ道を選んだのである。

 その銃声を聞きながらジャングルの中を、日本軍が占拠する首都石逗に向けてひた走る二つの幼い姿があった。
 二人のポケットの中には、加藤の部屋から盗み出して来た金目のものがいやというほど詰め込まれていた。
 その双子の二人が、後の寥虎と寂竜となるのである。

 
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