Epitaph

あきら るりの

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Encounter

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 709号室はエレベータを降りた突き当たりのすぐ右手にある。
 最上階の角部屋。そこに『白鳥』がいる。
 扉をノックして、ラングはそのまま扉を開いた。
 正面の窓に横付けされているベッドには『白鳥』の姿はなかった。
「……今度はどこだ」
 思わず溜息が零れる。
 そのままふと視線を右斜め45度に下げると、そこで『白鳥』が悪戯めいた視線でこっちを見ていた。
「何をしている」
「隠れてた」
 独特の訛りを含んだ口調で楽しそうに笑う。
 『白鳥』の正体、それは12歳の少女だ。
 淡いプラチナブロンドの、癖のない絹糸のような髪。紫を帯びた色の薄い青い瞳。透けるような白い肌。なるほど『白鳥』のコードネームに遜色のない美少女だが、その性格は白鳥のイメージとは程遠い。
 イーリヤ=リヒテル。ミドルネームは不明。
「くだらん。さっさとそこの椅子に座れ」
「はぁい」
 何が楽しいのだか、少女は笑いながら部屋の中央の椅子に腰掛ける。
「気分は」
「嬉しい」
「……気持ち悪くない、と取っていいか」
「うん」
 ロシアを祖国に持つこの少女との会話は彼女があまりドイツ語に堪能でないこともあり奇妙な色を帯びる。
「採血するから、袖をまくってくれ」
「はい」
 イーリヤは寝巻きの袖をまくり、腕を差し出す。肘の上に硬くゴムを巻き、注射器の準備をする。
「こぶしを硬く握って」
 少女がこっくり頷いたところで、手順に従いさっさと採血を済ませる。
「せんせ、注射上手ね」
 ラングは応えず、採った血と薬品をゆっくり揺り動かし混ぜ合わせる。
 イーリヤは注射跡に貼った絆創膏に触れながら足をぶらぶらさせた。
「ねぇね」
 少女の声をラングはしばらく無視していた。採った血液をすべてしまいこむと看護師に鞄を渡し、検査室への運搬を命じる。
「ねってば」
「何だ」
 根負けしたのかラングはベッドの横の椅子に腰掛け、応える。同時に枕許に置かれた旅行パンフレットに気がついた。
「……これはどうした」
「シュタインが置いてった」
「わざわざか」
「昨日来たときに、いろいろ言うから追い返したんだけど、そのときに落としてった」
 眩暈がする。だらしがないにも程がある。
「これ、綺麗ね」
 イーリヤはぱらぱらと旅行パンフレットをめくり、見開きの大きい写真のページを広げる。広い、青い絵の具を水で溶いたような青空と、一面地に広がる花畑。
「……行きたいのか」
「んー」
 ラングの問いにイーリヤは考え込む。やがて顔を上げて、きっぱりと言った。
「イーリヤ、お金ないね。ここにいれば御飯には困らない」
 少女の奇妙な現実主義に思わず苦笑する。
「あ、せんせ。笑ったね」
「──さっきから気になってるんだが」
 笑いの表情を収めるとラングは訊いた。
「その『せんせ』は何だ」
「『せんせ』て、偉い人のことなんでしょ?」
「私はラボの一番下っ端だが」
「でもイーリヤ、ほかの人達嫌い。『せんせ』だけ好き」
「それだ」
 息を吐く。
「他と私と、何が違う」
「せんせ、嘘つかないね」
 予想しなかった言葉に思考が硬直する。
「他の人は嘘つき。イーリヤは知ってる」
 拗ねたようにイーリヤは続ける。
「注射は痛い。それに皆イーリヤのこと可哀想に思ってるふりするけど、本当はそんなこと考えてない」
 吐き棄てるように言うと、少女の顔はぱっと笑顔に変わる。
「でも、せんせは違う。注射の時に『痛くないよ』とか言わないし、イーリヤのこと可哀想、という顔しない」
「当然だろう」
 青年は少女の言葉とは裏腹に厳しい表情で応える。
「お前は験体だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「うん」
 しかし、少女は笑顔を変えなかった。
「イーリヤはそれがいい。だってイーリヤは自分でここにいるから。ちっとも可哀想じゃないわ」
「……勝手にしろ」
 少女はその返事に安心したのか、寄ってきてベッドの縁にちょこんと座る。ラングはさりげなく椅子を離した。
「ね、せんせ。イーリヤ知りたいことがある」
「何だ」
「イーリヤの身体調べて、それでどうなるの?」
 大きな瞳がまっすぐラングの顔を覗き込む。
 長い沈黙。青年は椅子を机のほうに引き寄せ、端末の電源を入れる。
「──兵器ができる」
 キーボードを叩き、しばし待つ。画面には電子カルテのスプラッシュが現れた。
「うん」
「作られたそれは一億の命を奪うだろう」
 振り返らずに青年は言う。
「だが、最終的にその10倍の人間を生き延びさせることができるかもしれない」
「──もし、それが作れなかったら?」
「わからん。同時進行している他のチームの開発する兵器によってそれはなされるかもしれないし、最悪の場合は……」
「場合は?」
「全ての人間が死ぬ」
 イーリヤの瞳はラングの背中を外れ、中空を向く。
 しばし考え込んだ後に、ぶらぶら揺らし始めた足を見ながら彼女は訊いた。
「……せんせ、どうしてそれを作ろうと思ったの?」
「理由が必要か?」
 ラングは振り返らない。
「だって。多分、一億人も殺したらせんせは世界中の人から嫌われるよ」
「そんなことはどうだっていい」
 イーリヤは足の動きを止め、不思議そうな表情を浮かべた顔を青年の背中に向ける。
「この先の歴史に可能な限りの人間を残す。それが私の命題だ」
「ふぅん」
 言葉の合間の静寂に、キーボードの連続音が響き始める。
「せんせ、恰好いいねぇ」
「何がだ」
「世界中の人から嫌われても、それをやるんでしょ?」
「ああ」
「嫌われるけど──そのうちきっと、皆せんせのおかげで助かったんだって言ってくれるよ」
「どうでもいい。仮にそうだとしても、その頃には私はもう生きていない」
 ひときわ大きな音を立て、キーボードを叩く音が止まる。
「──本気にしたか?」
「え?」
「こんな話、本当な訳がないだろう」
 身体をベッドのほうへ向け、青年は少女の顔を鋭利な視線で射る。
「……これで私も嘘つきの仲間入りだ」
 その口許が嗤う。
 しかし少女の顔には反感の色はなかった。
「うん、せんせも嘘つきだね」
 にっこりと笑う。
「最後のが、嘘。──ま、いいや」
 何が楽しいのか少女はくすくすと笑い、窓の方向へ視線を向けた。
 再びキーボードの音が走り始める。
「イーリヤもそれがいいな」
「……」
「大丈夫だよ、せんせ。イーリヤが知ってるよ」
「嘘だといっただろう」
「うん、そうなんだね」
「そうだ」
 会話はそこで途切れた。
 やがてラングは端末の電源を落とすと少女に退室を告げた。少女も特にひきとめることなく、『せんせ、またね』と言った。

 この日以来。
 青年は709号室付を命じられた。
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