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Wish
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数日が経った。
いつものとおり診察を行い、最後に部屋を去ろうとしたラングを少女が呼び止めた。
「これ」
イーリヤは自分のガウンのポケットから、細い輪を取り出した。そのまま、ラングの手に乗せる。
「せんせは多分いらないと思う」
ラングはそれを凝視した。
淡いプラチナ色のそれは──髪の毛で編まれた、縄編みの輪っか。サイズは腕輪くらい。
「でもね、イーリヤが作りたかったの。……せんせの、願いがかないますように」
「何のことだ」
「あのね、ごめんね」
端末を指差す。
「イーリヤ、それ見ちゃった」
声を失う。
失態だ。どんなに言葉が達者になっても、端末まで操作できるようになるとは考えていなかった。
沈黙をどう解釈したのかわからないが、イーリヤは微笑んで言った。
「せんせ、嘘吐かないもんね。……ね、イーリヤ、そのうち死ぬのね?」
答えなかった。──否。答えられなかった。
「最初、そこになんて書いてあるのかわからなかったよ。だから、本があるところでいろいろ調べたの。
それでわかったの。頭の中に病気があって、イーリヤのそれはもうすぐ動き始めるって。そうでしょう?」
彼女はなぜ──そんなに穏やかに笑っているのか。
「そしたら私……きっと、せんせのこともわからなくなるのね」
少女は背を向ける。
「外、綺麗だね」
硝子の外は、夕焼けで赤く染まる空。
「せんせと一緒に並んで歩きたいな。──晴れてても曇ってても、雨でも雪でもいいわ。こうやって他愛ない話をしながら、硝子越しでない空を見るの」
退室してからどうやって自室へ戻ってきたのか、よく覚えていない。
彼女が死ぬことに動転しているわけではなかった。そんなことは、彼女を受け持つと決まったときに既に予測がついていたことで──
彼女の脳に未発達の腫瘍があることはロシアから強奪した資料にもあったし、この施設の初期のカルテにも記載されていた。
その腫瘍が彼女の──人の、普段使用しない脳の一部分を刺激し、通常発現しえない能力を有することになっているのだろう、というのが現在の我々の判断だ。
しかし腫瘍は病気であることに違いはない。最終的に脳の根幹がそれに冒されれば死に至る。──その前に、五感や語彙が徐々に失われていく。彼女の腫瘍は発症の臨界点へ達しようとしていた。
早いピッチで進んでいた足音が徐々に減速し、最後に一際高い音を響かせ──とまる。
ある考えに思い至る。不可能ではないだろう。だが、験体にそこまでする必要はあるか。
無意識に、白衣のポケットに手を突っ込む。指が、もらった腕輪に触れた。
『でもね、イーリヤが作りたかったの』
明度を抑えられた廊下の中、佇む。
ああそうか。必要があるかないかじゃなく……『何を願うのか』だな。
「ラング博士……これは」
翌朝。ラングは申請書を持って主任に机の前へ立っていた。
「規則には抵触しないはずです」
「もちろん、問題はない。ないが……」
「日程は?」
「差し支えない。だがな……」
「なら、許可はいただけるという事でよろしいですね」
「あ、ああ」
のろのろと主任は申請書の自分の欄にサインを記入する。
「ありがとうございます」
主任のサインの入ったそれをラングは受け取り、さらに上の上司の席へ向かった。
午後。
扉に視線を向けた少女は目を丸くして青年を見つめた。
「5分で着替えろ。廊下にいる」
それだけ言うと、ラングは膨らんだ紙袋をベッドの足許へ置き、部屋を出た。
いつものとおり診察を行い、最後に部屋を去ろうとしたラングを少女が呼び止めた。
「これ」
イーリヤは自分のガウンのポケットから、細い輪を取り出した。そのまま、ラングの手に乗せる。
「せんせは多分いらないと思う」
ラングはそれを凝視した。
淡いプラチナ色のそれは──髪の毛で編まれた、縄編みの輪っか。サイズは腕輪くらい。
「でもね、イーリヤが作りたかったの。……せんせの、願いがかないますように」
「何のことだ」
「あのね、ごめんね」
端末を指差す。
「イーリヤ、それ見ちゃった」
声を失う。
失態だ。どんなに言葉が達者になっても、端末まで操作できるようになるとは考えていなかった。
沈黙をどう解釈したのかわからないが、イーリヤは微笑んで言った。
「せんせ、嘘吐かないもんね。……ね、イーリヤ、そのうち死ぬのね?」
答えなかった。──否。答えられなかった。
「最初、そこになんて書いてあるのかわからなかったよ。だから、本があるところでいろいろ調べたの。
それでわかったの。頭の中に病気があって、イーリヤのそれはもうすぐ動き始めるって。そうでしょう?」
彼女はなぜ──そんなに穏やかに笑っているのか。
「そしたら私……きっと、せんせのこともわからなくなるのね」
少女は背を向ける。
「外、綺麗だね」
硝子の外は、夕焼けで赤く染まる空。
「せんせと一緒に並んで歩きたいな。──晴れてても曇ってても、雨でも雪でもいいわ。こうやって他愛ない話をしながら、硝子越しでない空を見るの」
退室してからどうやって自室へ戻ってきたのか、よく覚えていない。
彼女が死ぬことに動転しているわけではなかった。そんなことは、彼女を受け持つと決まったときに既に予測がついていたことで──
彼女の脳に未発達の腫瘍があることはロシアから強奪した資料にもあったし、この施設の初期のカルテにも記載されていた。
その腫瘍が彼女の──人の、普段使用しない脳の一部分を刺激し、通常発現しえない能力を有することになっているのだろう、というのが現在の我々の判断だ。
しかし腫瘍は病気であることに違いはない。最終的に脳の根幹がそれに冒されれば死に至る。──その前に、五感や語彙が徐々に失われていく。彼女の腫瘍は発症の臨界点へ達しようとしていた。
早いピッチで進んでいた足音が徐々に減速し、最後に一際高い音を響かせ──とまる。
ある考えに思い至る。不可能ではないだろう。だが、験体にそこまでする必要はあるか。
無意識に、白衣のポケットに手を突っ込む。指が、もらった腕輪に触れた。
『でもね、イーリヤが作りたかったの』
明度を抑えられた廊下の中、佇む。
ああそうか。必要があるかないかじゃなく……『何を願うのか』だな。
「ラング博士……これは」
翌朝。ラングは申請書を持って主任に机の前へ立っていた。
「規則には抵触しないはずです」
「もちろん、問題はない。ないが……」
「日程は?」
「差し支えない。だがな……」
「なら、許可はいただけるという事でよろしいですね」
「あ、ああ」
のろのろと主任は申請書の自分の欄にサインを記入する。
「ありがとうございます」
主任のサインの入ったそれをラングは受け取り、さらに上の上司の席へ向かった。
午後。
扉に視線を向けた少女は目を丸くして青年を見つめた。
「5分で着替えろ。廊下にいる」
それだけ言うと、ラングは膨らんだ紙袋をベッドの足許へ置き、部屋を出た。
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