異国の地で願うもの、それは

桃木葉乃

文字の大きさ
7 / 7

7

しおりを挟む
 綺麗な海に私は見惚れていた。
 この景色をどこかで見た気がするのに何も思い出せない。

「鷹華、どうかな。何か思い出せそうかな」
「いえ……ごめんなさい。せっかく連れてきてもらったのに……私」
「いいよ。ほら、僕も前に連れて行くって言ってただろ?」

 そう言って彼はいつものように、私の頭を撫でる。
 彼を好きだと気付いた後に撫でられるのはとても心臓がドキドキして、私の鼓動が彼に聞かれそうなのが不安になり、私は彼から背を向けようとした。
 でも、おちょこちょいな私は砂に足を取られて転んでしまった。
 その時、私はあの肖像画を落としてしまい、それを拾いあげた彼の顔を私はすぐに見れずに俯いた。

「これ、やっぱり見てたんだね」
「鷹華……彼女の名前、だったんですね」
「うん、彼女は僕のとても大切な人だった。だからこそ、君につけたかったのかもしれない」

 私がそれを見たことを知っても彼は私を怒ったり、責めたりしない。
 それどころか、表情を覗き見れば悲しい瞳で描かれた彼女を見ていた。
 その姿に私は胸が痛くなるのを感じた。

「僕にとって、この海は特別なんだ。落ち込んでいた僕を、優しく撫でてくれた女性を忘れられない」
「それって……」
「うん、きっと僕は五年前から好きなんだ……ははっ、何を言ってるんだろう。照れくさいね」

 頭を掻き笑う彼は教えてくれた、五年前から好きな人がいることを。
 ああっ、私はなんて報われない恋をしたんだろう。

(彼の瞳に映る鷹華は私じゃない……私につけてくれた鷹華。それって……)

 私の心を嫉妬の炎が支配する。
 ああっ、彼の気持ちを知りたくなかった。
 私を通して彼は彼女を見てたんだ。
 そう思うと、私は咄嗟に波へと走り出してしまった。


 足に触れる海水の冷たさなんか気に留めることなく私の頬には涙が伝う。
 そう、これは全て私の嫉妬が招いたことにしか過ぎない。
 突然走り出した私を心配して、彼は追いかけてきてくれた。

「鷹華、こっちへおいで。危ない、風邪をひいてしまう」
「嫌、です! 来ないでください、私、私っ。彼女の代わりではありませんっ」
「君を代わりなんて思ってないよ。本当だよ、鷹華……代わりだと思えるわけないじゃないか」
「でも、五年以上前から忘れられない好きな人がいるって……それって、肖像画の鷹華――彼女のことでしょう?!」

 私がそう言うと、彼は肖像画の描かれた紙を手に困ったように眉を下げた。
 そして左右に首を振ると彼は真っ直ぐ私を見つめた。

「違うよ、彼女は……僕の姉さんなんだよ」
「お姉……さま?」
「うん。姉さんはね、五年前に亡くなったんだ。僕の身寄りは姉さんだけでね、彼女が亡くなった日に落ち込んでいた僕の話し相手になってくれた女性がいたんだよ」

 勘違いにほんの少し私は恥ずかしくなった。
 それでも、懸命に私へと話してくれる彼の言葉に耳を傾ける。

「それが君なんだよ、鷹華」
「えっ?!」
「流れ着いた君を見つけた時は半信半疑だったんだ。似ているだけかもって……だけど笑顔もおちょこちょいなところも、間違いなくあの日の君と一緒だったんだよ」

 彼は一歩、また一歩と私との距離を詰めてくる。
 その距離に私は戸惑って、再び距離を空けてしまう。
 彼はそれでも私を真っ直ぐ見つめて語りかけてくる。

「君から海に行きたいと言ってくれた時、嬉しかった。だって君と初めて出会ったのもこの海なんだ。約束したのもこの海……」

 約束――その言葉に胸がざわついた。

『また会いましょうね、また五年後にここで。船に乗って会いに行きます。私の事を忘れずにいてくれたその時、私の名前を教えます。だから約束、ですよ?』

 ああっ、そうだ。
 私、確かに約束していた。この場所で。
 五年前、奉公先の主人に連れられてここまで来たけど、何もうまくいかなかった私と、最愛の姉を亡くして落ち込んでいた彼。
 彼はずっと覚えてくれていたのに私は忘れてしまうなんて。
 彼はどんな気持ちで私にずっと接してくれていたの? どんな気持ちで頭を撫でてくれていたの?
 目頭が熱くなって、胸が苦しくなって私はうずくまりむせび泣いた。

「鷹華っ!」
「ごめんなさいっ、私っ。やっと、あなたとの約束を思い出しました。私の名前それは――」

 名を告げようとした私の口は塞がれる。
 大量の海水によって塞がれた。
 波に攫われた私は彼との約束すら果たせない。
 ああっ、どうして私は最後までダメなんだろう。
 名前すら教えてあげることも出来ずに、私の恋する気持ちすら伝えることは叶わない。


 海から始まり海に終わる。
 私は意識を失う寸前、お守りを握り締めると願わずにはいられなかった。
 もう彼に会えないのなら、生まれ変わってまた会いたい。
 ――私が異国の地で願うもの、それは……記憶を失ってる時からずっと思ってた。この小袖が似合うような彼と同じ黒い髪になりたいと。
 そして彼に伝えたい。
 ――好き。
 だだその言葉だけでも彼に、波が届けてくれたらいいのに……。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

蝋燭

悠十
恋愛
教会の鐘が鳴る。 それは、祝福の鐘だ。 今日、世界を救った勇者と、この国の姫が結婚したのだ。 カレンは幸せそうな二人を見て、悲し気に目を伏せた。 彼女は勇者の恋人だった。 あの日、勇者が記憶を失うまでは……

愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました

蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。 そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。 どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。 離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない! 夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー ※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。 ※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。

婚約者の番

ありがとうございました。さようなら
恋愛
私の婚約者は、獅子の獣人だ。 大切にされる日々を過ごして、私はある日1番恐れていた事が起こってしまった。 「彼を譲ってくれない?」 とうとう彼の番が現れてしまった。

幼馴染を溺愛する旦那様の前からは、もう消えてあげることにします

睡蓮
恋愛
「旦那様、もう幼馴染だけを愛されればいいじゃありませんか。私はいらない存在らしいので、静かにいなくなってあげます」

処理中です...