蛇が知るは秋のぬくもり(旧版)

幽月 篠

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生と死の間際

ここで死ぬなど許さない



 行灯の光を頼りに書物を読んでいた女は、何かを感じたような気がして、目を書物から離した。

「如何なさいました、奥方様」

 女の世話をする下女が首を傾げる。女は今先ほど感じた感覚を気のせいだと思い、首を振った。

「いいえ、何でもありません。ところで雫、例のお願いは叶えていただけたでしょうか」

 雫ははいと頷いて微笑む。

「我が子が無事に届けたとのこと。彼の人は喜んで召し上がられたそうですよ」
「そう……良かった」

 女はほっと胸を撫で下ろす。良かった。まだろくに体調が万全でない上に、夕飯抜きで戦いに行かせることなど怖かったのだ。

「あの……奥方様。そんなに彼の人のことが心配ならば、奥方様が会いに行かれてはどうですか。きっと彼の人は喜びますよ」

 そんな筈はない。女は首を横に振った。

「私は殿に『奴に近づくと穢れるから会ってはいけない』と言われました。私が会いに行けば、あの子が折檻を受けてしまう。それに……」

 女はこほっと何度も咳をする。雫は顔を青ざめさせると女の背を擦った。女は咳が止むと、ぽつりと呟いた。

「あの子は……蛍火は、見捨てた私を許してはくれないでしょう」

 秋也の母は自嘲の笑みを浮かべた。



凪人は影縄を無視して刀を血振りした。飛沫が影縄の身体に掛かる。

「手応えが軽い……とどめにはなっていないようですね」
「凪人っ……何故お前が……!」

 健吾は信じられないと言いたげに、震えた声で問いかける。凪人は涼やかな顔で答えた。

「次代が生きているなら、早急にとどめを刺すようにと命じられました。安心してください、貴方達には関係ありませんよ」

 だが凪人の背後には、十名程の鬼祓いがいる。凪人に逆らえば、容赦しないということだろう。
凪人と健吾が話している間にも、秋也の足元は血で水溜まりが出来はじめていた。

「ぐっ……う……」

 息が荒い。凪人の言うことが本当ならば、傷は即死する程のものではないようだが致命傷であることは変わりない。影縄は凪人を鋭い視線で射抜いた。

「では次代の首を落としましょう。次代……さようなら」

 凪人が刀を構えたその時、小僧は血塗れの手で数枚の呪符を取り出して中に放り投げる。呪符に書かれた紋様が輝いた途端、雷の如き閃光と轟音が凪人達を包んだ。

「走れ!」

 致命傷を負ったとは思えぬ秋也の言霊に突き動かされ、影縄は立ち上がると勢いよく駆ける。

「次代達を追え!生かしておくな!」

 凪人の声が背後から聞こえる。どうやら集中的に此方を狙っているようだ。影縄は急斜面を駆け下りて追っ手を振り切ろうとする。だが、崖に辿り着いてしまった。すぐ後ろでは追っ手の声が聞こえる。もう引き返せない。

「っ……主、しっかり掴まりなさい!」

 眼前には真っ暗な闇が広がっている。だが私は人よりも丈夫だ。それに昼間は此処は暗闇ではなかった。きっと大丈夫。影縄は10歩下がると、助走を着けて飛び降りた。




「凪人さん、あの大蛇が次代と共に飛び降りました」
「そうですか……。まあいいでしょう、どうせ助からない。夜萩と健吾は放っておいて良いですよ。健吾はともかく、夜萩は次代派の人間。次代が死ねば居場所も無いですし」

 秋也と同い年の鬼祓いは、苦虫を噛んだような表情で俯いた。頭領が極秘で凪人さんにこの命令を下し、凪人さんは遂行した。それは分かっている。しかし、次代が何故ここまでの不遇を受けねばならないのかが、理解できない。少なくとも、次代は頭領としての素質があるのに、それを踏み潰そうとする頭領や同胞を理解できないのだ。次代……生きていてくれ…。少年は心の中で祈っていた。

「次代は憐れですね。赤子の頃に死んでおけば悲しみも苦しみも味わうことなどなかったのに」

 凪人は影縄と秋也が落ちた暗闇を見下ろして小声で呟いた。



「うぐっ……」

 影縄が着地をした時、足の骨がひび割れる程の衝撃を覚えた。だがそれ以外は平気だ。影縄が辺りを見回せば闇ばかりで、その中に獣の気配がする。気配の方を見据えると、一匹の狼が闇から現れ出た。狼の毛並みは珍しい銀の色。月の光を浴びて美しいが油断は出来ない。何故なら狼はじっと小僧を凝視しているのだ。まさか喰うつもりか。影縄が警戒するが、狼は動かない。やがて狼は興味を失ったようにのそりのそりと闇に姿を消した。
 今のはどういうことだろう。影縄は怪訝に思いつつも、狼が去ってくれたことにほっと胸を撫で下ろす。早くまともに休める場所を探さないと。影縄が秋也を見下ろすと、秋也は意識が朦朧としているのか焦点が時折合わなかった。



 男は湖畔に膝から下を浸して月を見ていた。静寂に満ちた宵こそが落ち着く。巫女もたまには社から出て散歩をすればいいのに。海原の如く澄んだ蒼く長い髪を風に靡かせ気紛れに唄う。男の傍には森の獣達が集まり、男の歌声に耳を傾けていた。男の歌声が終わると同時に、木の影から銀の狼が現れる。

「おや、どうしたのかい?」

 男が首を傾げると、狼は男の前までくると伏せた。男はしばらく狼と目を合わせて黙る。やがてくすりと微笑むと、狼の頭を撫でた。

「確かにそれはそうだ。面倒なことが起こる前に行かねばな」
 
 男はゆっくり立ち上がると、狼を連れて歩き始めた。




 どれほど歩いただろうか。影縄は道なき道を歩き続け、休める場所を探していた。そしていつの間にか一本の大きな木の前まで来ていた。木の周辺は清浄な気で満ちており、これなら化生も来ないだろう。影縄は木の根元に秋也を下ろした。

「………」

 小僧の唇が動くが声にはならない。そういえば、小僧は止血用の霊符を持っていた筈。小僧の描いていた紋様を思い出しながら、小僧の懐を漁る。すると記憶通りの霊符が見つかった。だが、殆どは血で使い物にならない状態であり、まともに使えそうなのは5枚程度であった。小僧の背中に着物の上から貼りつけて、妖気で編んだ布で身体を包み込む。すると、背中の出血が少し止まった気がした。
 小僧の顔色は蒼を通り越して白い。呼吸も浅く、このままでは死んでしまうだろう。まだよわい16の少年が。影縄は500年の歳月を過ごしてきたので、戦乱や飢えで秋也よりも若く幼い子供の死体を見たことが何度もある。それに比べれば小僧は幸福な方だとは理解している。それでも、胸が痛くて堪らなかった。
 血が止まったことで秋也の瞳に光が灯る。そして吐息程度だったものが声となった。

「影縄……どうか私を捨て置いて逃げてくれ。ごめん……不甲斐ない……主で」

 掠れた声は小さい。なのに影縄にとって、それがはっきりと聞こえた。

「諦めないでください。貴方はまだ生きている」

 影縄は秋也の指を握り締めた。小僧が死ねば、契約は解消される。だが、契約が解消されるには早すぎる。こんな終わり方など認めない。私は…頭領となったお前に文句を言ってから別れを告げるつもりだったのに。

「この血の量では……助からない」

 小僧は諦めたように笑った。二人の衣は血で染まっており鉄の臭いに染まっている。小僧の顔の死相が刻々と濃くなっている。そんなことなど影縄は理解したくなかった。

「こんなときになって気づいた」

 小僧は私に手を伸ばす。血で濡れた指が私の頬に触れた。小僧の笑みをここで見たくなかった。私が見たかったのは、初めて会った夜の優しく眩しい笑み。全てを諦めた笑みではない。

「私はまだ生きたい……死にたくない……。嫌だ……こんな結末なんて……」

 小僧は言い終えた後、苦しげな顔をすると涙を流した。こんな状態で「死にたくない」などほざくことを遅いと言うのは簡単だ。だが小僧は死の一歩手前になるまで「生きたい」と思えなかったのだ。そう思わせるまで小僧を追いつめた鬼祓いが憎かった。小僧の肉親を、周りを憎くて殺したくなった。

「何故……私を助けたのです。死にたくないなら見捨てるなり、叫ぶなりすれば良かったではありませんか」
「あの瞬間、お前を喪うのが恐ろしくなって気づいたら刃を受けていた」

 私は厭くほど長い年月を生き、愛してくれる者など居やしない。なのに20年も生きていない小僧が私を庇うなど、訳が分からない。

「お前を喪いたくない……だけど私も死にたくない……ごめん……我儘言ってしまって……」

 血を吐きながら小僧は止めどない涙を流す。私のせいだ。私がいなければ小僧はしぶとく生きれただろうに。

「貴方は……本当に馬鹿ですね。この私のために命を落とそうとするなど」

 影縄は秋也を力強く抱き締める。気丈に影縄は振る舞うものの、声は今にも泣きそうな程震えていた。

「置いていくつもりはありません。せめて貴方を看取りましょう。最期まで……貴方を一人になどさせない」

 おかしい。小僧を抱き締めていると目頭が熱くなっていく。胸が苦しくて痛い。小僧を喪いたくない。

「私も我儘を言います。どうかまだ逝かないで……秋也様……」

 影縄は気づかぬ内に涙を流していた。
 この人が死ねば、私はまた一人ぼっちか。目的も無く生きてきた私だ。私はこれからどうすればいい。影縄はただ布越しで小さくなっていく秋也の鼓動を確かめていた。

「狼に言われて来てみれば……本当にいたのか」

 聞いたことのない声がする。影縄が顔を上げると、いつの間にか男が立っていた。蒼い髪と瞳は宵闇でも輝き、衣は神代の物。その上男の身体に纏わりついているのは凄烈な水の神気。それだけでこの男が神であると理解できた。

「神が何故此処に……?」
「さあ、何故だろうね」

 男は微笑むと、影縄の腕の中にいる秋也の顔を覗き込んだ。

「うん、大丈夫。私が来たから死ぬことはないと思うよ」

 龍神は秋也の身体に手を翳すと、神気で包み込んだ。神気は冷たかったものの、不思議と嫌ではない。秋也の呼吸が僅かながらに安定すると、影縄は息を飲んだ。

「私に着いてこい。このままでは血の臭いで山の獣達が寄ってくるからね」

 男は目を細めて笑うと、どこかへと歩いていく。影縄は慌てて立ち上がると、男の後をついていった。
 男はしばらく山を散歩するように険しい道を難なく歩いていく。両腕が塞がっている私の都合など考えていないようだ。影縄は顔をしかめたものの、無言で男の背を追った。
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