蛇が知るは秋のぬくもり(旧版)

幽月 篠

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揺り籠を出る日

いつまでも逃げてばかりではいけない


 次の日には体調が戻った秋也は残りの印の場所に向かった。数ヵ所の穢れが特に酷く、最後の印の場所に向かう頃には既に霊力の大半を使い果たした状態であった。

「主様、もう無理をなさらない方が……」
「いや、これで最後だ。何とか踏ん張ってみせる」

 地図の印の部分を見ると、森の奥深く。嫌な予感がするがまあ気のせいだろう。疲れで悪い方向に考えてしまっているだけだと秋也は不安を頭の片隅に押し込んだ。
 だが辿り着いた時、秋也は自分の不安を過小評価してしまったことを後悔した。印の場所には何人もの人骨と酷い腐敗臭。そして……

「随分と美味そうな小僧だなあ」

 人か化生か分からぬ化物と秋也は目が合ってしまった。影縄が反応する前に、化物が襲い掛かる。秋也は必死に身を捩って回避したが、着地した時に生暖かい血が頬を流れ、皮一枚切られたことに気づいた。化物は秋也の頬を裂いたであろう爪を舐めて笑う。

「久々に美味い。きっと肉も美味いだろうなあ」

 秋也は背筋が凍りつく。影縄よりも早い化物から逃げられるのだろうか。恐怖に足が動かない。そんな秋也に化物が再び飛びかかった。



 その瞬間、鼓膜を突き破るような音が周囲に響いた。

『主、今のうちに……!』

 俵のように影縄に抱えられて秋也は必死にしがみつく。そしていつの間にか龍神の社に戻ってきた。

「馬鹿か君は。油断禁物という言葉を知らないのか」

 龍神に報告をすると、龍神から説教を受けた。説教はどれもこれも正論で言い返すことが出来ない。まあ正論でなくても神に文句を言うのは自殺行為であるが。

「申し訳ございませんでした」
「まったく……。もし僕が雷を落とさなければ君は死んでいたところだぞ」

 やはり龍神の雷であったか。秋也はあの晴天の中の雷の理由に納得する。

「ところで龍神よ。どうして直接雷であの化物を殺さないのです」

 すると龍神は苦虫を噛んだ顔をした。

「だって……気持ち悪いし。あれ雷で殺したら穢れを撒きかねない気がするんだ」

 この龍神は癒しと清めの神。城下の分御霊が奉られる神社では縁結びなど明るい面を司るらしい。ああいう類いは苦手なのか。秋也は何としてもあれを倒さねばと判断した。
 正直に言うと、一番怖かったのは影縄の説教である。私の不手際を間近で見ていた影縄に正座をさせられて、一刻程説教を受けた。

「あの時私は『ご無理をなさらない方が』と申し上げましたよね。このようはことを申したくないのですが、下手に踏ん張った結果死んでいたかもしれないんですよ」
「すまない」
「貴方の強がりは、時には自分を傷つけることになるのをお忘れなく」

 影縄の言葉も正論ばかりで返す言葉がない。説教が終わった頃には少し落ち込んでしまい、夕食を食べた後、横になった。本当は呪符を用意すべきだろうが、その為には霊力が必要であり、自分にはその分の霊力すら無かったのだ。影縄もそれを理解してか夕食後に眠る私を咎めることもせずに枕元に座っていた。

「なあ、影縄」
「何ですか?」

 首を傾げる影縄の手を握る。

「最近、私は人らしい感情を取り戻した気がする。そのせいで私は弱くなっているような……」

 影縄は溜め息を吐くと、私の頭に手を置いた。

「確かに貴方は、人らしい感情の起伏を見せるようになりましたね。そして恐怖に怯える姿も、見るようになりました」

 人らしい感情を持ち合わせたままで闘いに向かう私は未熟者なのであろうか。
 そう胸中で呟いた時に、影縄は私の頭を撫でた。

「私は、以前の貴方が感情を押し殺すさまが大嫌いでした。なので、時折笑ったり苦難に戸惑ったりする今の貴方が好ましいです。主様、自分の未熟さを感情のせいにしないでください。感情を押し殺せば、いつか自分の心の在処を見失ってしまいます。どうかそれだけは止めてください」

 影縄の言葉が優しく胸に響いていく。感情を押し殺して生きてきた私には、酷な言葉だというのに…。

「ああ、ごめん。ありがとう」

 影縄の指を握っていると睡魔が私の意識を呑み込んでいく。影縄の手は冷たいというのに、どこか安心感というか、影縄の傍にいれば怖くないという気がしてしまう。
 秋也が眠った後、影縄はその寝顔を見ていた。正直なところ、感情を出す前の方が無茶をしていたので今日の方がマシだといえよう。それを感情のせいにするのは今まで感情を出せる環境にいなかったからか、一旦育て親が亡くなってからは心をうちのめされるくらいの絶望を味わって自責の念で感情を出すべきではないと思っているからか。まだ子供だというのにと影縄は秋也の頬を指の背で撫でる。

「無茶をなさらないでくださいね。私は貴方に生きて幸せになってほしいのですから」

 影縄は一人ぽつりと呟いた。
 龍神の神域では霊力の回復も早いので、秋也は昼頃になってから巫女から硯と墨を借りて護符を書くことにした。呪符や護符を書く際は精進潔斎が必要不可欠。泉で身を清めてから口にするものは、水や塩のみ。それで次の日まで作業に集中した。だがそれをよく思わなかったのは、影縄である。呪符や護符を書くことには異を唱えなかったが、霊力をかなり消耗したのにも関わらず、朝から食事を摂らなかった秋也を心配していたのである。

「せめて味噌汁など飲まれてはいかがです。巫女が作ってくださったのですよ」
「すまないが駄目だ。これが終わってからにする」

 本当は腹が減っている。影縄が目を離した際に腹の音も鳴ってしまった。今更ながら自分も食べ盛りの年頃だと自覚しながら、塩と水を口にして空腹を誤魔化すしかない。龍神の膝元というだけあって、水が甘いのが多少の救いであったが、書き終えたことにはもう空腹に耐えられなかった。霊力は体力にも比例するというが、その通りらしくその場から動けず、眠ってしまったのである。
 起きると身体に羽織が掛けられていた。

「ようやく起きられましたね。お食事はどうされます?」

 その途端、腹の音が鳴ってしまい、頬が熱くなる。自分の身体が己の意思よりも先に空腹を訴えるのはどうにかならないものか。

「ああ……いただく」
「正直でよろしい」

 影縄は微笑むと食事を取りに行った。
 影縄が持ってきたのは味噌汁と山菜を煮たものと白飯である。どれもこれも湯気が立っており、美味しそうであった。

「いただきます」

 がっついてしまうと噎せるのでいつも通りにいただく。どれもこれも塩加減が丁度良く、美味でこれ程の物は食べたことがないと思った。

「巫女様が『最近は味噌や醤油などで味付け出来て料理の幅が広がり、楽しい』と仰っていました」
「確かに、味噌や醤油が出来たのは巫女にとっては最近の話だろうからな。それにしても巫女の作る物は美味だ。龍神様に作っておられるのだろうな」
「みたいですね。今朝、主が食事をいただかないことを心配しておいででしたよ。後で謝った方が良いかと」
「そうだな……私が片付けついでに謝りに行くから、影縄は此処にいてくれ」
「承知しました」

 そういえば巫女は楽しげに料理を作られていた。そんなにいらないのに、沢山私にご飯を装ってくださるので、子供扱いされていると思う。

「どうして体力もまだあまり戻られていないのに作業を長時間されたのですか」
「……此処が居心地良すぎてな、人界に戻ることを拒みそうになってしまう。そんな気がして早く出ようと急いてしまった」

 折檻をされない。飯もたらふく食べられる。冷たい目で見られない。そんな桃源郷のような空間は我が身を堕落させてしまう気がして少し怖いのだ。


「貴方にとって故郷とは嫌なものですか?」
「颯月様がいた頃は帰りたいと思える場所だった。だけども彼処には私を傷つけるものばかりだ。だけども逃げてはいけない気がする。頭領に勝たないと」

 影縄は腕組みをして目を瞑る。やがて口を開いたがそれは川の水の如くつらつらと言葉が溢れた。

「勝ってどうするのです? 私は少ししか見ていませんが、貴方の父親を慕うものは多いようだ。そして貴方は親だけでなく、皆から冷遇されている。私以外で貴方の味方になりそうなのは、夜萩と桔梗、そして騰蛇程度でしょう。貴方が勝つことで鬼祓いは簡単に貴方に膝を折るような素直な相手なのですか? そうでなければ暗殺まっしぐらですよ」
「うぐっ……」

 その通りで返す言葉がない。短絡過ぎる自分が嫌になる。どうするべきかと悩んでいると、背後に気配がした。

「あれ? 紅原家って自分で希望をすれば、住み込みで陰陽寮の陰陽師から教えを乞うことが出来なかったかい?」
「はい?」

 初耳だ。振り返ろうとすると龍神が私の両肩を背後から掴んだ。

「龍神様それはどういう……」
「紅原家って十二天将を使役する家系だろ? それに見合った力量を身につけるべく、陰陽寮に所属していない十二天将の家系でも特別に陰陽寮の陰陽師から教育を受けられるようになっている訳さ。うちの氷雨は陰陽道は苦手そうだから無理だけど」

 そんなことが出来るなんて聞いたことがなかった。だけどそれを使えば、頭領よりも陰陽術を越えられるかもしれないし、陰陽寮の陰陽師から教えを受けたという箔は付く。

「君の父親、その決め事を使わなかったからさ、有利にはなれる筈だよ。それにそれは個人的に志願して親の同意なんて要らないから、君には可能性が高い。ああでも、あいつを倒してからにしてね」

 龍神はそれだけを言うと、去っていった。

「確かに今は勝つことよりも、知識を身につけることが最優先でしょう。主様、どうしますか」

 他に手立ても無いであろう。使える手立てはいくらでも使うべきだ。

「あの化物を倒してから式文を出してみる。影縄、仮に京に行くことになっても着いてきてくれるか」

 影縄の真面目な顔が綻ぶと、ふわりと微笑んだ。

「勿論ですとも。貴方は私の主なのですから、何処へでもお供いたしましょう」

 影縄にとっては当たり前の言葉なのかもしれないが、それでも不安が取り除かれた。

「ありがとう」
「どういたしまして。主様、京やその周辺の国に行ったことはございますか」
「いいや、あまり知らないんだ。知っていることがあるなら教えてほしい」

 すると影縄はまるで子供のように目を輝かせた。

「はい、私で良ければ」

 食器を片付けた後、巫女に謝ると巫女は育ち盛りなんだからたんとお食べなさいと言われた。その後、寝起きをする建物に戻ると、縁側に座って、影縄から色々な話を聞いた。その話はどれも興味深かったが、影縄が嬉しそうに話をする顔を見ていると嫌なことを忘れてしまうほど此方も嬉しくなった。



 次の日、例の場所に向かう。人界では数日経っているようなのであれ以上人を食べて力を増していないといいが。森に入る直前に一旦呼吸を整えてから足を踏み入れた。一歩一歩足を踏み入れて、あの場所に辿り着いた時、背後から凄まじい早さで邪気が迫ってきた。
 秋也は足に力を入れて一気に跳躍すると、太い木の枝に手を掛ける。そして反動をつけてくるりと木の枝に飛び乗った。
秋也を見上げると、化物はにたりと笑う。

「そんな芸事が出来るなんてお前さんは猿かい?」
「さあどうだろうか。強いて言うなら猿というより蛇だろう」
「どちらでもいい。さっさと食われちまいなっ!」

 化物が跳躍したので、前を見たまま秋也は後方の枝に飛び移る。そして矢のような早さで小刀を投擲するが、化物もそれを避けて秋也に遅いかかってきた。秋也は懐からすかさず十枚程呪符を投げると、それは光の矢となり化物にはりついた。

「ぐっ……」

 化物が呻きながらも追いかけようとするが、その早さは格段遅くなっている。秋也は素早く呪符を投げた。呪符は縄の形状に変化すると、化物の四肢や首を締め付ける。
化物が憎悪のまま睨み付けたが、少年は冷たい目で見下ろすだけだ。

「死んで肉となれ__!!」

 化物の妖気が鋭い矢の如く秋也に降り注ぐが、秋也の影が一瞬動きそれを全て撃ち落としたので、一本も届かなかった。

「魔を縛るは大蛇おろち神。紅き眼で魔を縛る」

 秋也が家に伝わる呪を唱えると、秋也の身体を和魂の神気が包み込んだ。

「おい……待て……止めろ……! なあ、手を組まないか? そうすればお前の憎い相手を食って……」
「知らん。興味ない」

 秋也は刀印を組むと真っ直ぐと振り下ろす。

「砕けて清まれ」

 その声と共に和魂の力の奔流が化物に叩きつけられると、化物は断末魔を上げて引き裂かれた。

「呪符と影縄のお陰で、思っていたよりも大したことなかったな」
『いいえ。貴方様が普段通りなら、苦戦などいたしませんとも』

 そんな従者の声に秋也は苦笑する。

「お前の方が私の力量を信じてくれるんだな。あんなに叱ったくせに」
『霊力はともかく、貴方の力量は中々のものですからね。無理をしなければですが』

秋也は化物の死骸の前に膝をつく。死骸は既に灰になっていた。少し先にはあの腐乱臭と散乱した骨。

「何故、人を食らうんだろうな」
『人がある意味強いからですよ。時代を作ってのうのうと日向を闊歩して、神から愛される存在。だからそれを食らうことで強くなるのかと』
「そうなのかもな……」

 秋也は食われた人の供養をしに化物の死骸から離れる。秋也が死骸から背を向けた途端、灰の塊が秋也に振りかかろうとした。それを影の中に潜んでいた影縄が妖気で全て消し飛ばす。

「影縄、助かった」
「どういたしまして」

影縄は影から出てくると、何事も無かったかのように笑った。
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