蛇が知るは秋のぬくもり(旧版)

幽月 篠

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京に向かうか否か


自分のような人間が土御門の元で学べるか。それが不安であった。


 化物を倒した秋也は、その日の内に土御門に住み込みで屋敷で働くことを条件に陰陽の術の手解きをしてくれないかと文を送ることにした。龍神はああは言っていたが本当に受け入れてもらえるのだろうか。不安になりながら書き終えた文に自分が紅原の家系である証として血判を押す。そして文を宙に投げると烏の姿へと変わり、まっすぐに京の都の方角へと飛んでいった。それを見送る秋也の不安そうな横顔を見ていた影縄は秋也の背中を軽く叩いた。

「大丈夫ですよ。さあお茶でもいれますので一息入れましょう」
「影縄……ありがとう」

 秋也はぎこちなく笑うと、部屋に戻った。




 
 秋也の文を土御門から受け取った青年は文を見ながら笑みを浮かべた。

「へえ、紅原の倅がね。良いんじゃないかな」
「ですが、相手はあの紅原ですよ。それも凡庸と噂の」
「私は凡庸と思わないよ。それに噂を鵜呑みにするのはお止めなさい。一度頭の方の力量を測ってから判断するべきだ」
「承知……致しました」

 土御門は重々しく頷くと屋敷に戻る。土御門の足音が遠ざかると物陰から誰かが顔を出した。

「晴子、早く帰りなさいな。もうそろそろ日が暮れるよ」
「だってご先祖の場所が居心地が良いんだもん」

 少女が青年の隣に座ると、青年が苦笑しながら少女の頭を撫でた。

「君はもう年頃の娘だ。縁談もいくらか舞い込んで来たんだろ? そんなお嬢さんがこんな時間まで一人でいるのは感心しないな」

 晴子は不貞腐れたように膝を抱える。

「家柄や血筋だけで申し込まれる縁談なんて嫌。本当に愛した人だけに嫁ぎたいの」
「分からなくもないけど……君のお父さんは君のことを思って縁談を考えてくれている。安心してもいいのでは……」
「好きな相手と結婚したご先祖様に言われたくない」

 青年は苦虫を噛んだような顔をすると、先ほど受け取った文に視線を戻した。

「ご先祖様、紅原の倅ってどんな人なの?」
「おや、晴子。興味あるのかい」

 晴子はうんと頷いた。

秋也あきやという人なんでしょ。さっき父上とご先祖様の会話で一度だけ聞いたのだけど、何か名前の響きが気に入ったわ。会ってみたいなあ」
「そうだねえ。もしかすると君の家に陰陽道を学びに来るかもしれない。そのときは仲良くしてやるといいさ」
「はーい」

 晴子は会ったことのない少年のことが気になり始めていた。


 返事を今か今かと待ち、秋也が龍神の神域の傍で待っていると、数日後に鶺鴒せきれいが秋也の元に真っ直ぐ飛んできた。それは秋也の肩に止まると文の形となる。数枚重ねになっているそれを開くと、秋也は目を丸くした。


「陰陽師に教えを乞うならばそれなりの基礎の知識は必要です。これを一刻以内に解いてから提出しなさい。それで受け入れるか判断します」

 文の下にあった紙を捲れば、そこに書かれていたのは膨大な問題。秋也は目を大きく見開いたものの、すぐに寝床にしている建物の部屋に向かった。

「主様、おかえりなさいませ。そんなに急がれてどうされたのですか? 土御門から文が届いたことは分かりますが……」

 事は一刻を争い、話している時間も惜しいが冷たくあしらうのは影縄に失礼だ。簡潔にだが説明をすることにした。

「一刻以内に土御門から出された陰陽道に関する問いを解けと書かれていたので今から解く。すまないが一刻の間は部屋に入らないでくれると助かる」
「承知しました。では後でお茶と巫女様から頂いた菓子をお持ちしますね」
「ありがたい。楽しみにしている」

 秋也は急いで草履を脱ぐと文机に向かって問いを解くことに専念した。問いは難問ばかりで手元に専門書が無かったのが悔やまれる。だがどうせ取りにもいけない。育ての親から教わったことを必死に思い出しながら秋也は必死に解くことにした。
 そして一刻後、答えを記した紙が鳥となって飛んでいく。それを見送った途端、秋也は青くなった顔を手で覆った。間違えていたらどうしよう。土御門に行く手だても無くなり、あの頭領からの折檻の日々を繰り返すこととなる。そうすれば頭領となれる可能性が低いままで終わりかねない。
 腹も空かなかったが、影縄がせっかく用意してくれた菓子と茶を無駄にするのはいけないので無理矢理飲み込むことにしようと思い、茶に口をつけると何故だか目頭が熱くなった。どうしてか不安に押し潰されそうだ。命のやり取りでもないのにこんなに不安になるのは初めてで胸が苦しい。

「影縄……すまないが夕食は要らぬと巫女に伝えてくれ」
「どうされたのですか……?」

 不安が伝わったのか、曇った表情で影縄が首を傾げる。ああいけない。影縄までもを不安にさせては。無理矢理微笑んでみる。

「何でもないんだ」

 それでも影縄は信用していなかったので、逃げるように菓子を飲み込んでから神域の掃除を始めることにした。
 夕食の時間を過ぎても食べる気になれない。それどころか眠る時間になると吐き気がして不安で眠れなかった。布団に横になっても悪い考えが浮かぶばかりで眠れない。そんな私を見かねてか影縄が熱い茶を用意してくれた。それを一口飲んだ時、堪えていた不安が一気に溢れだした。

「影縄……どうしよう……土御門から出された問いの答えを間違えていて……京に行けなかったら……」

 影縄は私を抱き締めると背を優しく叩いた。そのせいか涙が溢れる。

「大丈夫ですよ。怖がらないでくださいまし」
「でも……何でだろう……怖くて……」
「何があっても傍にいます。だから主様、安心してお眠りください」

 影縄は私が泣き止むまで傍にいてくれた。そしていつの間にか眠ってしまったのであった。


 数日後経って、人界に様子を見に行った主が文を胸に抱えて戻ってきた。箒で掃除している私に近寄ると落ち着かないように目を泳がせている。

「おかえりなさい、主様。文が届いたようですね」
「あ……ああ。まだ中身を見ていないんだが、一緒に見てくれないか」

 不安を露にしている主の言葉を拒める訳がない。

「いいですよ。私でよろしいのなら」

 主はほっと息をつくと一緒に部屋に戻ることにした。
 主が震える指で文を開こうとしたが上手く開かない。主の手に己の手を重ねると、ゆっくりと文が開いた。


「貴方は基礎的知識を十分身につけているようです。貴方を十二天将を共に使役する家系の次代として、土御門の元で陰陽の道の知恵を授けましょう」


「夢……ではないよな……」

 文を読んだ後、震える声で主が呟く。軽く主の頬をつねると主は迷子になった子供のように私の方を見上げた。

「頬に痛みを感じるのならば、夢ではないでしょう」

 主は私と文を交互に見返すと、私に抱きついてきた。

「影縄っ……ありがとう。夢みたいだ……!」
「いいえ。私は何もしてませんよ。貴方様の実力です」

 本当に私は何もしていないのに、どうして主は私に感謝するのだろうか。主は顔をあげると目に涙を浮かべて笑う。

「だって……影縄が傍に居てくれなかったら、私は不安に押し潰されていた。影縄に出会わなかったら……何かに挑戦してみようなどと思わなかったんだ」

 ただ貴方の不安を取り除きたかっただけだ。貴方には幸せでいてほしいと願った。それだけのことで感謝されるなど思っていなかった。


「救われたのは私の方ですのに。……主様、おめでとうございます」

 様々な思いは言葉にならなくて、口に出せたのはその程度。主は屈託の無い顔で私に笑う。

「影縄、ありがとう。これからもよろしく頼む」
「はい、勿論ですとも」

 京に行こうが行くまいがどうでも良い。あの里のように主が冷たく扱われなければ、影縄は秋也を優しく抱き締めて微笑んでいた。
 土御門からの報せを知った巫女は、豪勢な食事を用意して宴を開いてくれた。

「秋也おめでとう。まあこれで私は厄介払いができる」
「龍神様、今までご迷惑をおかけしてすみませんでした」

 別にと龍神は笑う。影縄は巫女に酒を勧められて飲みながら話を聞いていた。久々飲む酒は美酒で身体を清められる心地がする。

「秋也、もしも無事に頭領になったら氷雨を頼んだよ。あの子は君達のところで言う『愛し子』に近い存在だ。私に似た清らかな魂だから変な物に目をつけられやすいんだよ。妖狐がいるから心配はないと思うけど。まあ念の為にね」
「はい、承知しました」

主は静かに頷くと、龍神は安心した顔で酒を飲む。そして徳利を主に投げた。

「まあ祝い酒だ。飲みたまえ」
「え!? いや、元服したとは言いましても、まだ私は若輩ですので」
「えー? こんな美酒は滅多に飲めないんだよ。しかも神が勧めた酒。飲んじゃえよー」

 困惑する主に、悪戯っぽく笑いながら酒を勧める龍神。初めて会った頃には考えられなかった光景を肴に飲む酒は今までで一番美味であった。
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