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3章

合宿編20

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 太陽が倉庫から持ち出したコンパスを頼りに視界の悪い雨と夜の森の中を歩き、宿舎に辿り着く。
 
 太陽が光を救出に、宿所内で歓喜の声が上がる。
 光の帰還に安堵する者。
 光の濡れた身体をタオルで拭いてあげる者など。
 
 彼女が行方不明と分かってから約1時間の出来事。
 外は未だに衰えず篠突く様な豪雨は見舞われているが、それを掻き消す様に光の無事を喜ぶ一同。
 その立役者である太陽だが、者どもは称賛の声を浴びせる一方で、監督役である先生が一喝する。

「古坂お前! 自分がどれだけ危険な事をしたのか理解しているのか!? 運良くて渡口を助けられることが出来たが、最悪お前も遭難していたかもしれないのだぞ!」

 先生は生徒の安全を最も考えなければいけない存在。
 故に光捜索に乗りだそうとする者たちを制止して雨が止むまで待機させていた。
 それは生徒の身の安全を確保する為の判断だが、それを無視して1人で助けに行った太陽を立場上叱らなければいけないのは胸糞悪いかもしれない。

 教師としての責務故の説教だと重々理解している太陽も素直に頭を垂れて謝るだけだった。
 一通り説教を施した先生であるが、最後にはふぅーと微笑して。

「まあ、教師としてお前の行動は看過できないが。1人の男としては、お前の行動は称賛する。だが、決して自分の行動は正しかったとは思うなよ? 言った通り、下手をすればお前も命を落しかねなかったのだから」

 ポンと太陽の肩を叩く先生。

「風邪惹かない様に風呂に入って体を温めろ」

「…………はい」
 
 先生は太陽の横を通りお祭り騒ぎのロビーを後にする。
 
 太陽は先生に言われた通り、濡れた身体を温めるのと湿った服を着替える為に一度部屋に戻ろうとするが、集団に囲まれる光が掻い潜って出て、太陽に声を掛ける。

「たい……古坂君」

 光に呼び止められた太陽は振り返る。
 光は太陽を前に感謝の気持ちを素直に表したいが、それを全て表面に出すのを躊躇う様に一瞬俯かせると、光は小さく笑い。

「ありがと。古坂君のおかげで助かった」

 端的な言葉である光の気持ちを表した言葉。
 太陽はそれに返答はせずに無言で再び振り返り部屋に戻る。
 その瞬間、空耳だったか光の声が小さく届いた。

「本当にありがとう、私のヒーロー」

 思わず太陽は振り返る。
 だが、太陽の目に入ったのは再び部員たちに囲まれる光の姿。
 気のせいか……と太陽は後ろ髪を掻いて去ろうとすると。

「おい古坂! お前、マジで冷や冷やしたぞ、いきなりこんな雨ん中出て行くんだからよ!」

 ガバッと後ろから首に腕を回され太陽は身を竦ます。
 声を掛けて来たのは同室の小鷹だった。そして、小鷹に続いて同室の他の部員と信也が集まる。

「おい俺今濡れてるからあまりくっ付かない方がいいぞ? 服とか濡れるから」

「別に気にしないぜそんな事。それよりも、お前本当に勇気あるよな。こんな雨の中をよ。コーチたちの話だと洪水警報とか土砂災害の警報も出ていたみたいだしよ」

 太陽は横目で外が確認できるガラス張りの壁を見る。
 確かに窓を叩く雨の音や風の音でその言葉は本当としか言えず、太陽自身も何故こんな雨の中命を危険に晒してまで外に出たのか理解が出来なかった。

「お前まさか……お前も渡口を狙ってたりするのか? 窮地を救った事で好感度爆上げだろうし。くぅー! 直接礼を言われたりとかされたし、これだと皆のアイドル的存在の渡口も夏休み前に彼氏持ちとか……」

 自分で言ってて何故か落ち込む小鷹に太陽は呆れた様子に答える。

「誰があんな女を狙うかよ。安心しろ。俺はあいつに興味は無え」

「おいおい嘘だろ。あの渡口だぜ。顔が可愛くてスタイルも良くて、おまけに優しく、誰にでも笑顔を振る舞う滅茶苦茶良い女だろ。俺、あんな女子と付き合えたら、もう、死ぬ気で部活頑張って全国に連れてってやるのによ」
 
 不純な動機であるが、好きな子に良い恰好を見せたいのは男の性だろう。
 
「あーはいはい。ならいっそ告白してみれば? 『お前を全国の舞台に連れてってやる』ってよ。どこのスポ根漫画だって言いたくなるが、ほら、よく言うだろ? 当たって砕けろって」

「それって確実に失恋フラグだよな? ……まあ、別にいいけどさ。つか、渡口に興味が無いんだったらなんで助けに行ったんだ? 普通別にどうでもいい相手の為に命を顧みずに行けるか?」

 痛い所を突っ込まれ目を逸らす太陽。
 確かに正義感があろうともどうでもいい相手、ましてや太陽からすれば光は嫌いな人物の部類に入るのに、常人であれば二次遭難の恐れがあるのに助けに行くかは疑問である。
 
「別に。あんなどうでもいい奴でも死んだら胸糞悪いからな」

 答えになってないが太陽はその後は何も答えずに小鷹の腕から離れて歩き出す。
 
―――――んなの、俺にも分からねえよ。なんであいつを助けに行ったのかなんて。

 光に対しての未練が無いのかと言われれば素直に頷ける自信は無い。
 だが、だからと言って光と復縁出来る可能性があるとも思ってない。
 太陽からすれば光は昔の女で、幼馴染と語るのも嫌悪を少し覚える程だ。
 
 だけど、昔から太陽は頭よりも先に体は動くきらいがある。
 あの時、光が遭難をして、大雨による土砂災害の危険を示唆された時居ても経っても居られない不安な気持ちに駆られたのは事実だ。
 だから、太陽は自分の光に対する気持ちよりも、死なせたくないという気持ちが先走り、気づいた時には外に出ていた。
 
 豪雨と強風の中を掻い潜り、明かりの無い森の中を懐中電灯で進むのは恐怖でしかなかった。
 だが、太陽は進む足を止めることは無かった。
 木の枝先などで太陽は頬を切ったりしても、必死に光を探した。
 そして岩の影に蹲る光を発見した時、どれだけ胸を撫でおろしたか、どれだけ安堵したか。
 
 昔、光が森の中を迷子になった時、光の親、太陽の親で少ない情報で光を探して発見した時も同じ気持ちを感じたのを覚えている。
 
 独り森の中は不安でしょうがないだろう。
 だからか、先の雨の中で取り残された光を見つけた際、彼女の嬉しそうな顔は昔の、まだ関係の壊れてない時の光の笑顔と重なる。
 
 その笑顔を思い出すとポカポカと胸を暖める様な燻ぶる気持ちが高まる。
 だが、それと同じくして、あの笑顔はもう自分の物ではないのだという黒い気持ちも生まれる。

「あぁー! マジで俺は何がしたいんだ! 前に進だったり、あいつのことは綺麗サッパリ忘れるって言ったりしているのに、全然吹っ切れてねえ! 自分のことながらイライラするぜ!」

 誰もいない薄暗い廊下の壁を思いっきり殴る太陽。
 ヒリヒリと拳から伝わる熱い痛み。
 しかし、その痛みは未だに元カノへの未練を捨てきれない自分への怒りで掻き消される。
 
 だが……あのまま光を見捨てることが出来ないジレンマで沈痛の想いを抱きながらに治まる。
 
「ホント……どこで間違えたんだろうな、俺たちは……」

 過去の自分に髪を引かれた様に重い足取りで太陽は歩く。
 その間、廊下に響く大きなクシャミを漏らしながら。


 予報を外す大雨は一晩で過ぎ去り。
 昨晩の雨で葉に付着した雫が朝露となって落ちている頃。
 マネージャー代行で合宿に参加している太陽たちは朝食を作らないといけない時間だが、

「ぶえっくしょん!」

 太陽と信也が寝泊まりする部屋に大きなクシャミが響く。
 発信源は太陽。その傍らに座る信也は施設に常備されていた体温計を眺め。

「……完全に風邪だな。原因は大体察するが……」
 
 体温計で鼻を啜る太陽の体温を測定済み。
 頬を赤くして鼻水を垂らし、熱で辛いのか胡乱な眼をする太陽。

「ぐぁああ……キツイ……」

 症状は風邪に酷似されている為に恐らく風邪だろう。
 原因は昨晩の雨の中を走り回った事で、身体を濡らして体温を下げたからだと思われる。
 一応体を暖める為に風呂には入ったが意味を成さなかった様子。
 
「これは早退だな……」

 ポリポリと髪を掻く信也は報告の為に部屋を出ていく。

 他の者たちは相変わらずに寝言の雑音を鳴らす部員たちが爆睡する部屋に取り残された太陽は、窓から見える薄暗い外の景色を眺め。

「マジで災難だぜ、踏んだり蹴ったりだな……」

 太陽とは別に一方。
 太陽と信也と同様に代行で参加した光と千絵だが。

「……風邪だね」

「うぅ……ごめんね千絵ちゃん。忙しいのに体調崩したりして……」

 同じく寝床に伏せる光もどうやら風邪のご様子。
 原因は太陽と同じく雨に晒され体温を下げたこと。

「まっ、昨日は災難だったからね。安静の為に光ちゃんは早退した方がいいから、私が先生に報告して来るから。光ちゃんは荷物を纏めていて。無理そうなら私が戻って来た時にしてあげるから」

「うん、ありがとう千絵ちゃん。荷物を纏めるぐらいは自分で出来るから、平気だよ……」

「平気ってのは風邪を惹いてない人が言う言葉だよ。無理はしないでね」

 そう言い残して千絵は先生に報告の為に部屋を後にする。
 
 男子部屋と対照的に静寂な部屋に残された光は、窓から差し込む朝日を眩しく思いながら、それでも目線を外さず外の景色を眺めた後、未だに感触が残っていると錯覚する自分の手を見つめ。

「災難だったな……本当に。けど、それ以上に良い事があったな……」

 もう握れないと思った彼の手の暖かさを思い出しながら、頭痛が軋みながら、他の者たちを起こさぬように荷物の纏めに入る。


 まだ合宿が始まって3日目。
 残り4日残されているが、3日目を持って太陽及び光は早退することとなった。
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