俺の最強のゲームアカウントが乗っ取られた話。

ひがらく

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一章

【8】龍血族の生き残り 1

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 塔の背面から出て入口側へ回り込むと、冒険者や騎士団が大勢集まっていた。その中に見慣れた金髪と桃色の髪が見える。そちらへ向かって歩いていくと、向こうもこちらに気付いたようで駆け寄ってきた。
 
「ヤシュ! 心配したんだからね!?」
 
 ユリシャスが抱きついてきてうっと小さく息が詰まる。まだ本調子ではない体には、少しきつい抱擁だった。
 
「ヨルバ、無事で良かったよ。どこから出て来たんだい?」
「中階層に隠し通路があって、そこから」
「中階層だって、それは本当かい?」
「オマエあの上階層を突破したのかよ……!?」
 
 後からやってきたフィリク殿下とグレンが驚きの声を上げる。
 
「上階層の崖の下から中階層に続く森があった。その先に遺跡があって――……」
 
 ヨルバは塔の中で起きた出来事を簡潔に説明している。端的で無駄のない語り口に、フィリク殿下とグレンが耳を傾けている。
 その横で、ユリシャスがこそっと俺に話しかけてきた。

「ヤシュ、巻き込んでごめんね。フィリク殿下に脅されたんだって?」
 
 ああ、うん。と小さく頷く。するとユリシャスは、ムッとした表情でフィリク殿下のほうに視線をやる。
 
「まったく、あの人は本当に……でもちゃんと説明してなかったワタシが悪かったよ。フィリク殿下はね、プレイヤーの存在を最初から知ってるんだ」
「え、それって……」
「冒険者協会は各国に本部や支部があって、その国の上層部――たとえば王族とか、重要な立場の人には情報共有してるの。そういう取り決めになってるんだよ」

 じゃあ、俺が頑張って口を噤んだことは無駄だったってこと…?
 
「本当にごめんね。まさかこんな事態になるとは思わなくてさ。殿下も殿下で説明すればいいのに。あの人結構疑り深いからさ」

 ユリシャスの声は本当に申し訳なさそうで、俺の方が申し訳なくなってくる。あのとき俺がちゃんと塔の入り口で止めていればこんなことにならなかっただろうし。

 当の本人であるフィリク殿下は報告を聞いて首を傾げている。

「――ひとつ不思議に思ってね。塔の中の魔物たち、確かに魔物ではあるんだが、見た目や動きに違和感を覚えなかったかい?  弱点が効かなかったり、小型の魔物は力任せに倒すしかなかったし」
「それはオレも感じてたぜ。なんかこう、変なんだよな。色とか、攻撃パターンとか、見慣れたやつとは少しズレてる」

 グレンが腕を組みながら頷く。
 その事についてなら俺も共有したいことがある。でも――俺は一瞬だけちらりとユリシャスを見ると、「何か話したいことがあるならいいよ」と目で促された。意を決して、口を開く。
 
「あの、それについて思ったことがあるんですが」
 
 俺の言葉に全員の視線がこちらに向いたのを感じた。緊張するが、ぐっと堪える。

「もしかしたらこの塔の中は、β版に実装されていた初期の魔物で埋め尽くされているのかもしれないです」
「β版の魔物……?」
「はい。たとえば、赤色のベムトード。あれはβ版にだけ実装されていたんです。色があまりに鮮やかすぎて視認性が悪く、今のベムトードに修正されたと聞いています」
「良く知ってんな。オレでも知らない情報だぞ、それ」

 俺の話に、グレンが目を見開いた。
 
「い、一時期β版の魔物を調べていた時がありまして」
 
 β版の魔物に関する情報は、今となっては公式記録にも攻略サイトにも残っていない。少し苦しい言い訳になるが、ネットが使えないこの世界では確かめる術もない。たぶん、話しても大丈夫だ。
 
 グレンは渋い顔をする。
 
「その話が本当なら、β版プレイヤーでなければ魔物の攻略方法がわからない、ってことになるな。どうりで討伐に手間取ったわけだ。困ったな……オレもβ版のプレイヤーではあるが、その頃の魔物の情報はもうほとんど忘れちまってる。他に初期組は誰かいたっけか……?」

 β版のプレイヤーはこの世界で片手で足りるほどしか存在しない。その中でも魔物に詳しい人は限られるだろう。
 
「ともかく、裏手から中階層に行けることがわかっただけでも十分な収穫だと思うよ。……それにしてもヤシュくん。随分と血だらけのようだけれど、大丈夫かい?」

 フィリク殿下に言われてはっとする。服にこびりついた血はすでに乾いていて、先ほど抱きついてきたユリシャスの服に移ることはなかったが、ユリシャス自身もようやくそれに気付いたらしく、声を上げた。

「えっこれ、全部ヤシュの血なの!? にしてはちょっと、いやかなり多くない!?」
「あ、これは、俺が一度死んだから」
「――は?」

 全員の動きが一瞬止まった。
 
「でも生き返ったので、大丈夫です。傷はもう全部ありません」
 
 俺の血だけど、傷一つない。
 蘇生アイテムはかなり貴重なもので言うのは躊躇われたが、情報共有は大事だろう。それに復帰者専用アイテムの中に入っていたのだから、俺以外にも持っている人はいるはずだ。
 
「……は?  死んだ?  蘇生アイテムがないと無理だろ……?」
「俺は復帰組なんです。ウンエイから復帰アイテムを貰ってたみたいで、その中に入ってました。《精霊の涙》というアイテムなんですけど」
「レア課金アイテムじゃねぇかそれ!  キャンペーンの時のか!」
「えっヤシュって復帰組だったの!?」
「復帰組とは何だい?」

 グレンとユリシャスは驚きの声をあげていて、フィリク殿下は何だ何だと口を挟む。まずい。一気に慌ただしくなってきた。
 
「一度ゲームを離れて、また戻ってきたプレイヤーのことだよ。今回の復帰特典のキャンペーンって、少なくとも四年以上前に離脱した人が対象だったはずだから、……VR化は二年前だから、えっと……」
 
 ユリシャスは指を折りながら計算している。
 
「えっ?  四年以上前が対象なの?」
 
 今度はこっちが驚く番だ。
 俺がこのアカウントに最後にログインしたのは、たしか三年前だ。となると、俺が対象になるのはおかしい。
 だがふと、思い出してしまった。
 
「……そういえば、四年前に使っていたのって……別のアカウントだったような……」

 脳裏に浮かぶのは、もう使えなくなった俺の最初のアカウント。ログイン情報もメールもすべて変えられ、奪われてしまった大事なアカウント。もしかしてそれもカウントされている?――どうなっている?
 
「他のアカウント?  まさかオマエ、アカウント乗っ取り事件の被害者か?」
 
 グレンが目をぱちくりとさせている。つい口が滑ってしまったようだ。
 
「えっ……ええ、まあ。そう、かもしれないです。すみません。もう何年も前のことなので、記憶も曖昧で……」
 
 笑ってごまかすがグレンの視線がじりじりと痛い。
 アカウント乗っ取り事件。それは一時期ネットニュースにもなるほど炎上して、ゲームを知らない人ですら名前を聞いたことはあるはずだ。
 
「オマエ、もしかして……β版のプレイヤーか?」
 
 その問いに思わず固まってしまった。
 β版は今から約八年前に一部ユーザー限定で実施された最初期のテストプレイだ。俺が復帰者で、魔物の情報を詳しく知っているとなれば、そう疑われても無理はない。
 グレンが一歩詰め寄ってくる。顔が近い。やばい。――この人、勘がいいんだった。
 それが野生の勘なのは知ってるが、こういうときに限って鋭すぎるのが本当に困る。

「い、いえ、そういうわけでは、その、ですね」
 
 上手く返せず、つい口がもつれてしまう。
 このアカウントはβ版ではない。だが俺はβ版のプレイヤーだ。その時のアカウントはすぐ傍にいる。しかしそれはもう俺の手から離れてしまったもの。
 β版プレイヤーであることを隠しているつもりはなかったが、自分の置かれた状況はどうも説明しにくい。むしろ説明することで逆に混乱させてしまう恐れがある。
 どうするべきかと考えあぐねて言葉に詰まっていると、それがなおさら怪しいと思われたのだろう。
 
「……チッ、まどろっこしいな。少し体を見せてもらうぞ」
「えっ?」
 
 有無を言わさず、グレンの手が俺の服の前にかかる。ばっと勢いよく引きはがされて、乾いた血にまみれた上半身が外気にさらされる。冷たい風に思わず身震いした。

「……ひっ!?」
「ここにはないな。下か?」
「ちょ、ちょっと待ってグレン!?  何してんの!」
 
 β版プレイヤーの刻印を探すためなのだろうが、あまりにも乱暴なやり方にユリシャスが慌てて止めようとする。
 だが、グレンの手はすでにズボンにかかり、思わず俺は大きな悲鳴をあげかけた――が、その腕は横から伸びてきた誰かの手によって、ぴたりと止められた。

「な、なんだ?」
 
 金色の鋭い視線が、グレンを真っ直ぐに射抜いていた。
 その腕を掴んでいたのは、ヨルバだった。強くひねり上げられ、「いてぇ!」と情けない声を上げるグレンに目もくれず、ヨルバは俺の方へと視線を移す。
 
「……ヤシュ、こっちに」
 
 ひと捻りしてグレンの腕を振り払うと、ぽいと突き放すようにして手を離す。そして迷いのない動きで、俺とグレンの間に割って入ってきた。
 そのまま手首をぐいと引かれる。思わず「わっ」と声が漏れ、俺はヨルバの胸元に一歩、踏み込むように近づいていた。
 
「お前に話がある。……フィリクも、来い」
「おいヨルバ、こっちの話はまだ終わっちゃいねぇぞ!」
「グレン団長、我が友人がたいそうなご無礼を。……ああ、ヤシュくんも借りていきますね。のちほど彼の話を聞いて中階層の報告もしますので、冒険者協会の方々はお待ちいただければ」
 
 すっ、と軽やかにフィリク殿下が俺たちとグレンの前に躍り出る。
 
「それにしても突然服を脱がせるとは、……グレン団長にそっちの気があるとは思いませんでしたよ。我が国では同性同士の自由恋愛も寛容ですが、もう少し周りの目を気にされてください」
 
 にっこりと笑ったフィリク殿下に、グレンは自分が今まで何をしていたのかやっと気づいたのか、顔を真っ赤にした。集中すると周囲が見えなくなるのは今も変わらないらしい。
 
「そ、そんなんじゃねぇよ!  オレはこいつの体に……!」
「え?  ヤシュくんの体に興味があると?……そう言うのは、ふたりきのときにお伝えくださいね」
「いやだからそんなんじゃねぇって……!!」

 背後でそんなやりとりが続く中、俺はヨルバに軽く引っ張られるようにして歩き出した。
 
 少し前を行くヨルバの背中を見つめる。
 グレンの様子を見かねて助けてくれたのだろうか。
 お礼を言いたくて声をかけようと口を開きかけたが、言葉は喉の奥で止まる。

 ――なんとなく、掴まれた腕から伝わるぬくもりを、少しでも長く感じていたくて。

 ヨルバは何も言わず、一度も振り返らないまま、まっすぐに歩き続けていた。
 その小さな背に、俺はただ黙ってついていった。

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