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一章
【11】護衛のお迎え 1
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「ヨルバ、さすがにやりすぎだぞ。君のMPは底なし沼であること、そろそろ自覚したらどうだい?」
「次から気を付ける」
ぼんやりとした意識の中、そんな会話が聞こえてきた。瞼をゆっくりと持ち上げると、薄明かりのテントの天井が見えた。
「おや、目が覚めたようだね。気分は大丈夫かい?」
すぐ近くから声がして、顔を向ける。フィリク殿下が心配そうにこちらを覗き込んでいた。
どうやら長椅子に寝かされていたらしい。上体を起こすと、身体は重くない。眩暈もなく、頭もはっきりしている。身体の中のMPの流れも穏やかで、上限近くにはあるが荒れている気配はなかった。
「大丈夫、です。すみません突然倒れてしまって」
「謝るのはこちらの方だよ。ヨルバのせいでMP酔いをさせてしまったようで申し訳ない。ほら、ヨルバも謝るんだよ」
「……すまなかった」
ヨルバが申し訳なさそうに目を逸らす。
MP酔い。聞いたことはあった。
MPは個人ごとに上限がある。通常であれば回復はその範囲内に収まるものだが、マナポーションなどの外的な回復手段により、限界を超えてMPが流れ込んでしまうと処理しきれず、過剰な分が負荷となって現れることがある。
水の入ったコップに無理やり注げば、当然あふれてしまう。あふれた分が体に負荷をかけ、めまいや吐き気、意識喪失を引き起こすのだ。それがMP酔いだ。
そしてその混乱で、俺は倒れてしまったらしい。
「起きたばかりで悪いんだけど、本題に戻ってもいいかな?」
「あ、はい。……なんでしょう」
「ヤシュくんにお願いがあってね。君が書き写してくれた文字のことで不明点がいくつかあって。それを尋ねたいんだ」
「それでしたら、俺でよければ」
そう答えると、フィリク殿下の顔がぱっと明るくなる。
「本当かい、助かるよ!……ただ、私はこれから視察の報告で一度王都に戻らなければならなくてね。君も一緒に来てくれると助かるのだけれど」
「……王都へ?」
「ああ、あのレリーフを確認したのは君とヨルバだけだからね。できれば、その場にいた君自身の感覚や記憶も頼りにしたい。王城には由緒ある図書館もあるし、調査の手伝いをしてくれるととても助かるんだ」
アモイラ国の殿下からの頼みとなれば、名目上「お願い」でも、実質的に拒否権はない。それをフィリク殿下が理解した上で「お願い」しているのかどうかはわからないが、おそらくその笑顔からして、後者だろう。
だが本音を言えば、できることならもうこれ以上関わりたくなかった。
簡単な調査なら手伝える。だが王都、それも王城となれば話は別だ。この二人としばらく行動を共にすることは避けられない。
ここ数日間、命の危機にさらされ続け、実際に一度は死にさえした。慣れない環境と状況で、心身の疲労は限界に近い。
俺は突然、冒険者協会のただの事務員と言う立場がとてつもなく恋しくなった。穏やかで、静かで、責任のない元の日常。
「何か問題でもあるのかい?」
返事をためらっていると、フィリク殿下がすっと視線を向けてきた。その目はまるで全てを見透かしているようだった。
おそらく俺が即答できないことなど、とうに計算済みなのだろう。
「ま、……まだ片付けが残っていますし……」
「冒険者協会の人手は足りていると、さっきグレン団長から聞いたよ?」
「じ、事務仕事も残ってますし……」
「ユリシャスくんから、片付けが終わるまでは仕事は休みにすると聞いたけどね」
「……えっと、その、ここを離れる許可を貰ってないので」
「君が抜ける事に関してはもう許可を貰っている」
「え」
「だから何も問題、ないね?」
「……ハイ」
言い負かされてしまった。
この人に口で勝てる気がしない。いや、俺の言い訳が酷すぎたのかもしれないが。
「明日の朝発つ予定でね。今日はゆっくりと休んでくれ。君には随分と苦労をかけたからポーションを渡そう」
おそらく事務員の一ヶ月の給料はするであろう高級ポーションを手に握らされ、にっこりと笑う殿下に、引きつった笑みしかでなかった。
その日の夜は、殿下の顔がついたベムトードに襲われる夢を見て、うなされた気がした。
* * *
少し寝坊してしまった。
だが昨晩貰った高級回復ポーションのおかげで疲れは全て吹き飛んでいた。疲労からそのまま風邪をひいて寝込んでしまえば王都へ帰らなくていいと思っていたのに。恨めしい。
同じテント内で寝ていたニコは一晩寝たら調子が戻ったらしく、グレンの元へ。リオットは俺が起きるまで朝食を待っていたみたいで、軽く身支度を整えてから一緒に食堂へと向かった。
「王城に行くのか!? すごいな、羨ましい!」
「そんなに言うなら代わろうか。むしろ代わって欲しいまである」
「それは遠慮しておく」
薄い味の野菜スープに、焼き立てパンと目玉焼き。それを口にしながらリオットと談話する。内容はともかくも、平和な朝食としては及第点だ。
「だって殿下ご指名なんだろ? ヤシュがそんなに仲良くなっていたなんて知らなかった」
「仲良くはないよ。成り行きで関わることが多かっただけだし……」
「はぁ……それにしても殿下ってかっこいいよな。冒険者の間でも、どうにかお近づきになれないかなって話してる人多かったし。しかも傍に〈影喰らい〉もいるんだぜ! ちらっと顔を見たんだけど、絶世の美少年だったよな! 成長したらもっと化けるってあれは!」
リオットは興奮しているようだ。
確かにあの二人は並ぶとかなり目立つ。プレイヤーにも美男美女は多いが、それとは違う、この世界に生きている者としての凄みがあるというか、綺麗な見た目だけじゃない何かをまとっていた。
「冒険者の中でも意見が分かれててさ、王道イケメンの殿下と、陰のある美少年〈影喰らい〉、あとたくましいグレン団長も人気で! それにお兄さん属性のユリシャス! ヤシュは誰がタイプなんだ!?」
「誰がタイプ、と言われても……そもそも、男に興味ないし」
「女の子の方が好きなのか?」
「まあ、そうかな。今まで好きになった人は皆女性だった」
初恋は胸の大きなお姉さんだった。ゲーム内だったけどさ。
それに二十六年も生きていれば他に気になる女性もいたし、良い感じの関係まで発展したことだってあった。でも結婚とか考えたり、深い仲になるまで続いた人はいなかった。たぶん恋愛にそれほど興味がなかったんだと思う。
「この世界でも男女パートナーが多いし、それが普通だよな。……でもこっちの世界って同性同士の結婚も多くてさ、おれビックリした」
「まあ、確かに多いね」
この世界に来て間もない頃、男性同士で抱き合っていたり、女性同士が平然とキスしていたりするのを見て驚いたのを思い出す。最初は目のやり場に困ったが、今ではもう慣れてしまった。
この世界でも同性同士なのは珍しいと言う感覚はあるが、特別おかしいと言うわけでもないらしい。
けれど男女恋愛で育ってきた俺は、実際に男を好きか? と言われても、好きになったことがないからわからないとしか答えられない。同性同士のあれそれに対しても偏見も何もないのだが、わからないものはわからないのだ。
「もしかしてリオットはどっちもいけるの?」
「えっ……あっ、まあ、たぶん。……変か?」
「いいや、変じゃない。リオットは美男子だから引く手あまただろうね」
「……ヤシュのそう言うところ、ほんっと、気を付けた方が良いって」
リオットの頬が少し赤い。変なことを言ってしまっただろうか。
そんな他愛もない話をしながら朝食をとっていると、――ざわ、と食堂にいた冒険者たちのどよめきが聞こえてくる。
「……? 何かあったのか?」
「さぁ?」
食堂の入り口の方へ視線を向けると、小さな黒い人影がそこにいた。その影は俺に気づいたのか、ためらいのない歩調でこちらに向かってくる。
俺は思わず「えっ」と声を漏らしてしまったが、リオットの「うひゃっ」という高い声にかき消された。
闇夜に溶けるような黒ずくめの出で立ち。気配も足音も消さず、堂々とした足取りで食堂を横切ってくる。
もちろん彼も冒険者なのだから、この食堂を利用してもおかしくない。理屈の上では、だ。
だが実際に現れると空気は一変した。冒険者協会の中でもトップクラスの実力者。彼の登場に食堂内の視線が一斉に彼へと向けられるのを感じる。
実際、彼が入ってきた瞬間から冒険者たちの視線が集まっている。
だが当の本人はそれを一切気にする様子もなく、一直線に俺のもとへ向かってきて――ぴたりと目の前で止まった。
「迎えに来た」
落ち着いた声だ。
……迎えに来た? そんな話聞いていない。朝食を終えたらちゃんと殿下のもとへ行くつもりだったのに。まさか、逃げ出さないよう見張りを寄こしたってことか?……あの殿下ならやりかねない。
そんな思考を巡らせる俺をよそに、ヨルバは隣に腰を下ろす。食べ終わるまで待つつもりらしい。
「わざわざ迎えに来なくても……」
「フィリクに道中の護衛を任されている。それに急いでいない。ゆっくり食べるといい」
だがじっと見つめられたままではさすがに食べにくい。リオットもさっきからスプーンを口に加えたまま、あわあわと挙動不審になっている。
ヨルバは自分がどれだけ目立っているかの分かっていないのだろうか。
食堂中の視線が痛いほどに突き刺さる。ひそひそとした噂話が耳に入ってきて、それはきっとヨルバにも届いているはずだ。けれどそれすらも意に介さない。まるで「関係ない」と言わんばかりに、表情ひとつ動かさない。
俺は小さくため息をついた。味のしなくなったスープをぐいっと飲み干し、立ち上がって食器を片づける。
「リオット、それじゃあ行ってくるね」
「い、いい、行ってらっしゃい……!」
リオットに手を振って食堂を出ると、ヨルバは黙ってついてくる。
「持ち物は? 取りに戻るのなら付き合う」
「インベントリに入れてるのでこのままで大丈夫です」
「そうだったな、……では」
ヨルバが手を差し出してきた。何か渡し忘れでもあっただろうか。でも書き写した紙はもう渡しているし、……まさか昨夜の高級回復ポーションを返せってことじゃ?
「手を」
短く言われて、思わず首を傾げる。
手……? 何のつもりだ?
よくわからないまま自分の手を彼の手の上に重ねてみる。するとそのまま、きゅっと掴まれた。
「えっ……!?」
思考が追いつく前に、ヨルバはそのまま歩き出した。
繋がれた手を振りほどく間もなく、俺は引っ張られるようにして、少し背の低い彼の背中を追うことになる。
ちなみにすれ違う冒険者や騎士団の人たちには、何事か、という視線で見られた。穴があったら入りたい。
ヨルバに連れられて着いたのは、簡易的な馬舎だった。
そこにはすでに王都へ戻る騎士団の一行が集まり、それぞれが馬に乗ったり荷馬車を整えたりしていた。ヨルバはその中から一頭の馬を受け取ると、慣れた手つきで宥めながら鞍をつけていく。
馬か。以前、一度だけ乗ったことがあるが、あまりの下手さに馬を怒らせて振り落とされ、盛大に怪我をした。それ以来一度も乗っていない。
ヨルバは馬に軽々と跨った。手綱を引き、馬の動きを器用に抑えている。
「ヤシュ、後ろに乗れ」
「……一緒に乗るんですか?」
移動手段が馬になることは何となく察していたが、まさか二人乗りだとは思わなかった。
ヨルバは馬を宥めながら膝を折らせ、乗りやすいようにしてくれる。そこまでして貰っておいて乗らないわけにはいかない。馬に乗る恐怖心はまだあるが、俺は恐る恐る後ろに跨った。
「乗馬は、苦手なんだろう」
「え、なんでそれ――をっ!?」
言い終わる前に馬が急に立ち上がる。驚いてヨルバの細い腰にぎゅっと抱き着いてしまった。
「ひっ……!」
「それでいい、掴まっていろ。振り落とされるぞ」
遠くでフィリク殿下の声が聞こえる。出発の合図だろう。ひとり、またひとりと騎士たちが馬を走らせ次々に出立していく。
そして俺はというと、馬のものすごい速度に、ただヨルバにしがみ付く事しかできなかった。
風が耳元を切り裂くように吹き抜け、視界の端がどんどん後ろに流れていく。馬の背は高く、揺れも激しい。ヨルバの腰をぎゅっと抱えたまま、何度か悲鳴を堪えた。
しかも荷馬車なら三日はかかるという道のりを、馬で一日。
そのため夜にはもう王都に付いていた。さすがは騎士団。馬の体力までも鍛え上げられているらしい。
だが正直、――もう二度と馬には乗りたくない。
「次から気を付ける」
ぼんやりとした意識の中、そんな会話が聞こえてきた。瞼をゆっくりと持ち上げると、薄明かりのテントの天井が見えた。
「おや、目が覚めたようだね。気分は大丈夫かい?」
すぐ近くから声がして、顔を向ける。フィリク殿下が心配そうにこちらを覗き込んでいた。
どうやら長椅子に寝かされていたらしい。上体を起こすと、身体は重くない。眩暈もなく、頭もはっきりしている。身体の中のMPの流れも穏やかで、上限近くにはあるが荒れている気配はなかった。
「大丈夫、です。すみません突然倒れてしまって」
「謝るのはこちらの方だよ。ヨルバのせいでMP酔いをさせてしまったようで申し訳ない。ほら、ヨルバも謝るんだよ」
「……すまなかった」
ヨルバが申し訳なさそうに目を逸らす。
MP酔い。聞いたことはあった。
MPは個人ごとに上限がある。通常であれば回復はその範囲内に収まるものだが、マナポーションなどの外的な回復手段により、限界を超えてMPが流れ込んでしまうと処理しきれず、過剰な分が負荷となって現れることがある。
水の入ったコップに無理やり注げば、当然あふれてしまう。あふれた分が体に負荷をかけ、めまいや吐き気、意識喪失を引き起こすのだ。それがMP酔いだ。
そしてその混乱で、俺は倒れてしまったらしい。
「起きたばかりで悪いんだけど、本題に戻ってもいいかな?」
「あ、はい。……なんでしょう」
「ヤシュくんにお願いがあってね。君が書き写してくれた文字のことで不明点がいくつかあって。それを尋ねたいんだ」
「それでしたら、俺でよければ」
そう答えると、フィリク殿下の顔がぱっと明るくなる。
「本当かい、助かるよ!……ただ、私はこれから視察の報告で一度王都に戻らなければならなくてね。君も一緒に来てくれると助かるのだけれど」
「……王都へ?」
「ああ、あのレリーフを確認したのは君とヨルバだけだからね。できれば、その場にいた君自身の感覚や記憶も頼りにしたい。王城には由緒ある図書館もあるし、調査の手伝いをしてくれるととても助かるんだ」
アモイラ国の殿下からの頼みとなれば、名目上「お願い」でも、実質的に拒否権はない。それをフィリク殿下が理解した上で「お願い」しているのかどうかはわからないが、おそらくその笑顔からして、後者だろう。
だが本音を言えば、できることならもうこれ以上関わりたくなかった。
簡単な調査なら手伝える。だが王都、それも王城となれば話は別だ。この二人としばらく行動を共にすることは避けられない。
ここ数日間、命の危機にさらされ続け、実際に一度は死にさえした。慣れない環境と状況で、心身の疲労は限界に近い。
俺は突然、冒険者協会のただの事務員と言う立場がとてつもなく恋しくなった。穏やかで、静かで、責任のない元の日常。
「何か問題でもあるのかい?」
返事をためらっていると、フィリク殿下がすっと視線を向けてきた。その目はまるで全てを見透かしているようだった。
おそらく俺が即答できないことなど、とうに計算済みなのだろう。
「ま、……まだ片付けが残っていますし……」
「冒険者協会の人手は足りていると、さっきグレン団長から聞いたよ?」
「じ、事務仕事も残ってますし……」
「ユリシャスくんから、片付けが終わるまでは仕事は休みにすると聞いたけどね」
「……えっと、その、ここを離れる許可を貰ってないので」
「君が抜ける事に関してはもう許可を貰っている」
「え」
「だから何も問題、ないね?」
「……ハイ」
言い負かされてしまった。
この人に口で勝てる気がしない。いや、俺の言い訳が酷すぎたのかもしれないが。
「明日の朝発つ予定でね。今日はゆっくりと休んでくれ。君には随分と苦労をかけたからポーションを渡そう」
おそらく事務員の一ヶ月の給料はするであろう高級ポーションを手に握らされ、にっこりと笑う殿下に、引きつった笑みしかでなかった。
その日の夜は、殿下の顔がついたベムトードに襲われる夢を見て、うなされた気がした。
* * *
少し寝坊してしまった。
だが昨晩貰った高級回復ポーションのおかげで疲れは全て吹き飛んでいた。疲労からそのまま風邪をひいて寝込んでしまえば王都へ帰らなくていいと思っていたのに。恨めしい。
同じテント内で寝ていたニコは一晩寝たら調子が戻ったらしく、グレンの元へ。リオットは俺が起きるまで朝食を待っていたみたいで、軽く身支度を整えてから一緒に食堂へと向かった。
「王城に行くのか!? すごいな、羨ましい!」
「そんなに言うなら代わろうか。むしろ代わって欲しいまである」
「それは遠慮しておく」
薄い味の野菜スープに、焼き立てパンと目玉焼き。それを口にしながらリオットと談話する。内容はともかくも、平和な朝食としては及第点だ。
「だって殿下ご指名なんだろ? ヤシュがそんなに仲良くなっていたなんて知らなかった」
「仲良くはないよ。成り行きで関わることが多かっただけだし……」
「はぁ……それにしても殿下ってかっこいいよな。冒険者の間でも、どうにかお近づきになれないかなって話してる人多かったし。しかも傍に〈影喰らい〉もいるんだぜ! ちらっと顔を見たんだけど、絶世の美少年だったよな! 成長したらもっと化けるってあれは!」
リオットは興奮しているようだ。
確かにあの二人は並ぶとかなり目立つ。プレイヤーにも美男美女は多いが、それとは違う、この世界に生きている者としての凄みがあるというか、綺麗な見た目だけじゃない何かをまとっていた。
「冒険者の中でも意見が分かれててさ、王道イケメンの殿下と、陰のある美少年〈影喰らい〉、あとたくましいグレン団長も人気で! それにお兄さん属性のユリシャス! ヤシュは誰がタイプなんだ!?」
「誰がタイプ、と言われても……そもそも、男に興味ないし」
「女の子の方が好きなのか?」
「まあ、そうかな。今まで好きになった人は皆女性だった」
初恋は胸の大きなお姉さんだった。ゲーム内だったけどさ。
それに二十六年も生きていれば他に気になる女性もいたし、良い感じの関係まで発展したことだってあった。でも結婚とか考えたり、深い仲になるまで続いた人はいなかった。たぶん恋愛にそれほど興味がなかったんだと思う。
「この世界でも男女パートナーが多いし、それが普通だよな。……でもこっちの世界って同性同士の結婚も多くてさ、おれビックリした」
「まあ、確かに多いね」
この世界に来て間もない頃、男性同士で抱き合っていたり、女性同士が平然とキスしていたりするのを見て驚いたのを思い出す。最初は目のやり場に困ったが、今ではもう慣れてしまった。
この世界でも同性同士なのは珍しいと言う感覚はあるが、特別おかしいと言うわけでもないらしい。
けれど男女恋愛で育ってきた俺は、実際に男を好きか? と言われても、好きになったことがないからわからないとしか答えられない。同性同士のあれそれに対しても偏見も何もないのだが、わからないものはわからないのだ。
「もしかしてリオットはどっちもいけるの?」
「えっ……あっ、まあ、たぶん。……変か?」
「いいや、変じゃない。リオットは美男子だから引く手あまただろうね」
「……ヤシュのそう言うところ、ほんっと、気を付けた方が良いって」
リオットの頬が少し赤い。変なことを言ってしまっただろうか。
そんな他愛もない話をしながら朝食をとっていると、――ざわ、と食堂にいた冒険者たちのどよめきが聞こえてくる。
「……? 何かあったのか?」
「さぁ?」
食堂の入り口の方へ視線を向けると、小さな黒い人影がそこにいた。その影は俺に気づいたのか、ためらいのない歩調でこちらに向かってくる。
俺は思わず「えっ」と声を漏らしてしまったが、リオットの「うひゃっ」という高い声にかき消された。
闇夜に溶けるような黒ずくめの出で立ち。気配も足音も消さず、堂々とした足取りで食堂を横切ってくる。
もちろん彼も冒険者なのだから、この食堂を利用してもおかしくない。理屈の上では、だ。
だが実際に現れると空気は一変した。冒険者協会の中でもトップクラスの実力者。彼の登場に食堂内の視線が一斉に彼へと向けられるのを感じる。
実際、彼が入ってきた瞬間から冒険者たちの視線が集まっている。
だが当の本人はそれを一切気にする様子もなく、一直線に俺のもとへ向かってきて――ぴたりと目の前で止まった。
「迎えに来た」
落ち着いた声だ。
……迎えに来た? そんな話聞いていない。朝食を終えたらちゃんと殿下のもとへ行くつもりだったのに。まさか、逃げ出さないよう見張りを寄こしたってことか?……あの殿下ならやりかねない。
そんな思考を巡らせる俺をよそに、ヨルバは隣に腰を下ろす。食べ終わるまで待つつもりらしい。
「わざわざ迎えに来なくても……」
「フィリクに道中の護衛を任されている。それに急いでいない。ゆっくり食べるといい」
だがじっと見つめられたままではさすがに食べにくい。リオットもさっきからスプーンを口に加えたまま、あわあわと挙動不審になっている。
ヨルバは自分がどれだけ目立っているかの分かっていないのだろうか。
食堂中の視線が痛いほどに突き刺さる。ひそひそとした噂話が耳に入ってきて、それはきっとヨルバにも届いているはずだ。けれどそれすらも意に介さない。まるで「関係ない」と言わんばかりに、表情ひとつ動かさない。
俺は小さくため息をついた。味のしなくなったスープをぐいっと飲み干し、立ち上がって食器を片づける。
「リオット、それじゃあ行ってくるね」
「い、いい、行ってらっしゃい……!」
リオットに手を振って食堂を出ると、ヨルバは黙ってついてくる。
「持ち物は? 取りに戻るのなら付き合う」
「インベントリに入れてるのでこのままで大丈夫です」
「そうだったな、……では」
ヨルバが手を差し出してきた。何か渡し忘れでもあっただろうか。でも書き写した紙はもう渡しているし、……まさか昨夜の高級回復ポーションを返せってことじゃ?
「手を」
短く言われて、思わず首を傾げる。
手……? 何のつもりだ?
よくわからないまま自分の手を彼の手の上に重ねてみる。するとそのまま、きゅっと掴まれた。
「えっ……!?」
思考が追いつく前に、ヨルバはそのまま歩き出した。
繋がれた手を振りほどく間もなく、俺は引っ張られるようにして、少し背の低い彼の背中を追うことになる。
ちなみにすれ違う冒険者や騎士団の人たちには、何事か、という視線で見られた。穴があったら入りたい。
ヨルバに連れられて着いたのは、簡易的な馬舎だった。
そこにはすでに王都へ戻る騎士団の一行が集まり、それぞれが馬に乗ったり荷馬車を整えたりしていた。ヨルバはその中から一頭の馬を受け取ると、慣れた手つきで宥めながら鞍をつけていく。
馬か。以前、一度だけ乗ったことがあるが、あまりの下手さに馬を怒らせて振り落とされ、盛大に怪我をした。それ以来一度も乗っていない。
ヨルバは馬に軽々と跨った。手綱を引き、馬の動きを器用に抑えている。
「ヤシュ、後ろに乗れ」
「……一緒に乗るんですか?」
移動手段が馬になることは何となく察していたが、まさか二人乗りだとは思わなかった。
ヨルバは馬を宥めながら膝を折らせ、乗りやすいようにしてくれる。そこまでして貰っておいて乗らないわけにはいかない。馬に乗る恐怖心はまだあるが、俺は恐る恐る後ろに跨った。
「乗馬は、苦手なんだろう」
「え、なんでそれ――をっ!?」
言い終わる前に馬が急に立ち上がる。驚いてヨルバの細い腰にぎゅっと抱き着いてしまった。
「ひっ……!」
「それでいい、掴まっていろ。振り落とされるぞ」
遠くでフィリク殿下の声が聞こえる。出発の合図だろう。ひとり、またひとりと騎士たちが馬を走らせ次々に出立していく。
そして俺はというと、馬のものすごい速度に、ただヨルバにしがみ付く事しかできなかった。
風が耳元を切り裂くように吹き抜け、視界の端がどんどん後ろに流れていく。馬の背は高く、揺れも激しい。ヨルバの腰をぎゅっと抱えたまま、何度か悲鳴を堪えた。
しかも荷馬車なら三日はかかるという道のりを、馬で一日。
そのため夜にはもう王都に付いていた。さすがは騎士団。馬の体力までも鍛え上げられているらしい。
だが正直、――もう二度と馬には乗りたくない。
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半ばあたりシリアス
後半ざまぁ。
訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前
お腹がすいた時に食べたい食べ物など
思いついた名前とかをもじり、
なんとか、名前決めてます。
***
お名前使用してもいいよ💕っていう
心優しい方、教えて下さい🥺
悪役には使わないようにします、たぶん。
ちょっとオネェだったり、
アレ…だったりする程度です😁
すでに、使用オッケーしてくださった心優しい
皆様ありがとうございます😘
読んでくださる方や応援してくださる全てに
めっちゃ感謝を込めて💕
ありがとうございます💞
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