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一章
【11】護衛のお迎え 2
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城内に入るのは初めてだ。
関係者以外立ち入り禁止とされる王城。広い敷地を囲む高い石壁を越え、分厚い鉄扉をくぐった先にそれはある。
夜も遅いため灯る光はまばらで、一定の間隔で設置された魔晶石のランプがぼんやりと淡く輝いている。その仄明かりが石造りの床や天井を照らし、壁に飾られた紋章入りのタペストリーが夜風にわずかに揺れていた。
とても静かで、騎士団の静かな帰還以外は物音ひとつ聞こえない。
兵舎に到着すると、騎士たちは次々と荷下ろしに取りかかっていた。
先に馬から降りたヨルバが、俺の方に手を差し出してくれる。その手を取り馬から地面に降り立とうとした、が。
「あっ」
足腰に力が入らなかった。激しい振動に晒され続けた体はすでに限界だったらしい。
このままではヨルバを巻き込んで地面に倒れてしまう。――しかし彼の腕が、驚くほど力強く俺を支えてくれた。意外なほどに安定した抱きとめ方だった。そのまま地面にゆっくりと降ろされて、ほっと安心した。
足がちゃんと地面についている。まだ膝は震えているが、立てないことはない。
「す、すみません。足が、もう使い物にならなくて……」
「問題ない。むしろあの速度の馬に乗って気絶してないだけマシだ」
そのレベルだったの!?
「歩けるか?」
そう問われて言葉に詰まり、視線が泳ぐ。立つことはできる。けれど、歩けるとは言っていない。今一歩踏み出せば地面と仲良く抱擁する未来が容易に想像できた。
ヨルバはそんな俺の様子を察したのか、俺の背中に手を回して――ふわりと身体が浮いた感覚の直後、視界がぐるりと傾いた。
何が起きたかと戸惑う間もなく、自分が抱きかかえられていることに気付いた。
「あ、あの!? 重たいですよ……!?」
「軽い」
即答だった。
確実に君より重いと思うけど!?
筋肉量では負けているが、体格差は圧倒的に俺のほうが大きい。それなのに、ヨルバはまるで羽毛でも抱いているかのような顔で涼しげな表情を崩すことなく、俺を抱えたまま城内へと進んでいく。
なぜかどきどきしてしまって、でも落ちないようにヨルバにぎゅっとしがみ付く。フードの中に沈んでいるその表情は、相変わらず何を考えているのかわからなかった。
城内は薄暗く魔晶石のランプだけが静かに瞬いている。その中をゆっくりと、しかし一切の足音を立てずに進む。おそらくスキルを使っているのだろう。
音もなく、気配もない。ヨルバの得意技だ。
仄暗い長い通路を進む途中向こうから使用人らしき人物が数人歩いてきたが、誰一人としてこちらに目を留めることはなかった。すれ違っても気付かれない。まるで俺たちの存在ごと彼らの視界から消されているようだった。
誰にも見られていない。それだけが今の俺にとって、ほんの少しの救いだったのかもしれない。
連れてこられたのは、城内の一室。
部屋に足を踏み入れた瞬間ふわりと魔晶石のランプが灯り、やわらかな明かりが部屋を照らし出す。
こじんまりとしていながら丁寧に整えられた部屋だ。質素というには調度品が上質で、豪華というには落ち着いた佇まい。
部屋の中央にはシンプルなベッド。バルコニーに面した窓辺には小さな机と椅子があり、壁の本棚にはいくつかの書物が並べられている。
部屋の中に流れている空気は静かで、どこか懐かしさを感じる安心感のある空間だった。
「ここ、は」
「僕の部屋」
王城の中に自分の部屋があるって、どう言うことだ?
ヨルバはフィリク殿下の友人で、ヴァリュシア聖国の龍血族の生き残り。立場的にはそう、アモイラ国の王族に連なるほどの特別な存在だというのは理解している。だがその立場だけではなさそうだ。こうして城内に私室まで与えられているとなると、フィリク殿下との信頼の深さは想像以上だ。
ヨルバに促されてベッドの縁にそっと腰を下ろす。沈み込みの少ないしっかりとした感触のマットレスだった。力の入らない足腰を柔らかいシーツが包んでくれる。それだけで慣れない乗馬で固まってしまっていた体がふんわりと緩んだ。
ヨルバは黒衣のマントを脱いで椅子にかけている。
その下から現れたのは少年のような小柄な体格。だが決して華奢なわけではない。服越しにもわかる引き締まった筋肉が、肩や腕、腰のあたりにしっかりと形を成している。細身ながら鍛え抜かれた身体は力強さを感じさせ、身体にぴったりと沿うタイトな服が、その輪郭を余すことなく浮かび上がらせている。
耳の上から弧を描くように伸びた漆黒の龍の角が、アッシュグレーの癖毛に縁取られるようにして、静かにその存在を主張している。
襟足だけ長く伸びた髪は背中でゆるく揺れ、それをひと房だけ指で梳いて整える仕草に、どこか色っぽさを感じてしまった。
細身の腰に沿うように巻かれていた黒いベルトを、するりとほどく。だがそれは彼の腰に繋がったままで――あ、と。息を呑む。
ベルトかと思ったそれは、鱗に覆われた細い尻尾だった。腰に巻きつけるようにして隠していたのだろう。ほどけた尻尾は足首まで長く、彼の動きにあわせてゆらゆらと宙を泳いでいる。
ひとつ、またひとつと、隠していたものを解いていくその無防備な姿に、思わず見惚れてしまう。普段の彼からは見えない一面が不意に垣間見えたようで、胸が少しだけ騒ぐ。
――やっぱり、綺麗だな、と素直に思う。
と同時にいやいやと、自分の邪にも見える視線や考えにはっとする。こんなにじっと見るなんて失礼だ。と慌てて頭を振って視線をずらした。
「ヨルバ、さん」
「……なに?」
「その、殿下の調べものは?」
「それは後日だ。フィリクも忙しい。さすがに今日は疲れもたまっているだろう」
「そうなんですか。……では俺はどこで待っていれば?」
客室とか、小さな部屋をひとつ借りられたらそれでよかった。冒険者協会の寮で待機した方がいいかとも思ったが、いくら王都とはいえこんな夜中に外を出歩くのは危険だ。
そう思って遠慮がちに申し出たのだが、ヨルバはきょとんとしたように小さく首を傾げた。まるで、何か不思議なことでも言われたかのような反応だった。
「ここ、だけど」
「………は?」
聞き間違いだと、思いたかった。
「ここ、僕の部屋」
「………すみません、耳が疲れてるのかも、もう一度いいですか?」
俺の戸惑いなど意に介さず、ヨルバはすっと顔を寄せてきた。
やめてくれ。近づかないでくれ。その綺麗な顔は心臓に悪いんだ。
「僕はお前の護衛だ。お前を守る義務がある。だから、僕の部屋が一番安全。城の滞在中はここで過ごしてもらう」
思わず頭を抱えたくなった。
護衛っていうのは道中で魔物に襲われる可能性があるからであって、そういう意味じゃないのでは?
「……でも、ヨルバさんもお疲れでしょうし、ひとりでゆっくり休みたいですよね?」
「別に。気にしない」
「お、俺、泊まる準備まではしてませんし」
「こちらで用意させている」
「そ、それに寝るとしても、ベットひとつじゃ……」
「ダブルベッドだから、ふたりで寝ても狭くない」
「男二人で……?」
「何か問題でもあるか?」
詰め寄られ、ぐっと唸ってしまった。ヨルバは絶対に譲る気がない顔をしている。いや、そもそも譲る気なんて最初からなかったんだろう。まっすぐな視線がそう物語っている。
「……いや、その。問題と言うか、ええっと。王城とか、豪華で、慣れてないですし……」
「客室の方が目が痛くなるほど豪華な造りだ。ここの方が、まだ華美ではない」
苦し紛れに口を開くも、言い訳はことごとく潰されていく。逃げ道がない。
「問題はないな?」
「………ハイ」
あのフィリク殿下にしてこのヨルバ。似た者同士の友人と言うのはこう言う事だろうか。それとも俺の言い訳が弱すぎるのか。いや、そういう問題でもなかった気がする。
こうして俺は完全に押し切られる形で、ヨルバの部屋に泊ることが決まってしまった。
* * *
「ふぁー……生き返る」
生まれたての小鹿だった足腰も、なんとか復活してきた。
脚付きのバスタブには温かいお湯がたっぷり張られている。その中に身を沈めていると、疲れが嘘のように溶けて消えていく。やはりお風呂は良い。心も体も癒されていく。
しかもこんな夜中にもかかわらず、お風呂の支度をしてくれた城の使用人たちは、皆優しくて気の利く人ばかりだった。それにヨルバとも随分気兼ねなく話していた。彼は、ずっとここで暮らしているのかもしれない。
「それにしても――」
――ヨルバはいったい何者なんだろう。俺が考えた最強のアバターのはずなのに、彼のことを知らなすぎる。彼の行動の意図も、目的も、まるで見えない。
『ヨルバ』
あのとき彼は自分の名前を確かに呼んだ。
バレていない、とは思う。もしバレているのであれば、今頃もっと何か行動しているはずだ。
そもそも今のヨルバは自分の意思で生きているひとりの人間だ。中に入っていた俺の事なんてわかるはずがない。
きっとあの時の俺の白い姿が、他の誰かに似ていたのだろう。ずっと探している人がいるとかも言ってたし。
考えれば考えるほど泥沼に沈んでいく。もう関わらないと決めたはずなのに、やはり彼を目の前にしてしまうと放っておけなくなってしまう。親心、みたいなものだろうか。
湯から上がり、使用人が用意してくれた服に袖を通す。来客用の服なのか、とても動きやすくて着心地が良かった。
湯浴み場から出ると、ヨルバが扉の横の壁に寄りかかっていた。
きっと待ってくれていたのだろう。申し訳ない気持ちになったが、部屋の場所をすっかり忘れていたので正直助かった。
「ヨルバさんは湯浴み、いいんですか?」
「僕はあとで」
そのまま部屋へ戻ると、促されるままに椅子に腰を下ろす。涼やかな風が、頭をそっと撫でるように通り抜けた。どうやら風のスキルで髪を乾かしてくれているらしい。
ヨルバは必要最低限のスキル魔法は使える。火も、風も、水も。ただその風のスキルがまさか髪を乾かすことに使われるとは思わなかったけど。
「……至れり尽くせりで、逆に怖いんですけど」
「風邪をひいてもいいのか?」
「嫌ですけど……このくらいなら、自然乾燥でも良いと思います」
「ベッドが濡れる」
「ぜひ乾かしましょう」
他人様のベッドを濡れた髪で汚すなんてことはできない。かといって、自然乾燥を待てるほどの体力ももう残っていない。ならば、彼の好意に甘えるしかない。
ヨルバの指が、風とともに髪を丁寧に梳いていく。
その心地よさと優しい手の動きに、気づけば意識がふっと遠のいていた。
関係者以外立ち入り禁止とされる王城。広い敷地を囲む高い石壁を越え、分厚い鉄扉をくぐった先にそれはある。
夜も遅いため灯る光はまばらで、一定の間隔で設置された魔晶石のランプがぼんやりと淡く輝いている。その仄明かりが石造りの床や天井を照らし、壁に飾られた紋章入りのタペストリーが夜風にわずかに揺れていた。
とても静かで、騎士団の静かな帰還以外は物音ひとつ聞こえない。
兵舎に到着すると、騎士たちは次々と荷下ろしに取りかかっていた。
先に馬から降りたヨルバが、俺の方に手を差し出してくれる。その手を取り馬から地面に降り立とうとした、が。
「あっ」
足腰に力が入らなかった。激しい振動に晒され続けた体はすでに限界だったらしい。
このままではヨルバを巻き込んで地面に倒れてしまう。――しかし彼の腕が、驚くほど力強く俺を支えてくれた。意外なほどに安定した抱きとめ方だった。そのまま地面にゆっくりと降ろされて、ほっと安心した。
足がちゃんと地面についている。まだ膝は震えているが、立てないことはない。
「す、すみません。足が、もう使い物にならなくて……」
「問題ない。むしろあの速度の馬に乗って気絶してないだけマシだ」
そのレベルだったの!?
「歩けるか?」
そう問われて言葉に詰まり、視線が泳ぐ。立つことはできる。けれど、歩けるとは言っていない。今一歩踏み出せば地面と仲良く抱擁する未来が容易に想像できた。
ヨルバはそんな俺の様子を察したのか、俺の背中に手を回して――ふわりと身体が浮いた感覚の直後、視界がぐるりと傾いた。
何が起きたかと戸惑う間もなく、自分が抱きかかえられていることに気付いた。
「あ、あの!? 重たいですよ……!?」
「軽い」
即答だった。
確実に君より重いと思うけど!?
筋肉量では負けているが、体格差は圧倒的に俺のほうが大きい。それなのに、ヨルバはまるで羽毛でも抱いているかのような顔で涼しげな表情を崩すことなく、俺を抱えたまま城内へと進んでいく。
なぜかどきどきしてしまって、でも落ちないようにヨルバにぎゅっとしがみ付く。フードの中に沈んでいるその表情は、相変わらず何を考えているのかわからなかった。
城内は薄暗く魔晶石のランプだけが静かに瞬いている。その中をゆっくりと、しかし一切の足音を立てずに進む。おそらくスキルを使っているのだろう。
音もなく、気配もない。ヨルバの得意技だ。
仄暗い長い通路を進む途中向こうから使用人らしき人物が数人歩いてきたが、誰一人としてこちらに目を留めることはなかった。すれ違っても気付かれない。まるで俺たちの存在ごと彼らの視界から消されているようだった。
誰にも見られていない。それだけが今の俺にとって、ほんの少しの救いだったのかもしれない。
連れてこられたのは、城内の一室。
部屋に足を踏み入れた瞬間ふわりと魔晶石のランプが灯り、やわらかな明かりが部屋を照らし出す。
こじんまりとしていながら丁寧に整えられた部屋だ。質素というには調度品が上質で、豪華というには落ち着いた佇まい。
部屋の中央にはシンプルなベッド。バルコニーに面した窓辺には小さな机と椅子があり、壁の本棚にはいくつかの書物が並べられている。
部屋の中に流れている空気は静かで、どこか懐かしさを感じる安心感のある空間だった。
「ここ、は」
「僕の部屋」
王城の中に自分の部屋があるって、どう言うことだ?
ヨルバはフィリク殿下の友人で、ヴァリュシア聖国の龍血族の生き残り。立場的にはそう、アモイラ国の王族に連なるほどの特別な存在だというのは理解している。だがその立場だけではなさそうだ。こうして城内に私室まで与えられているとなると、フィリク殿下との信頼の深さは想像以上だ。
ヨルバに促されてベッドの縁にそっと腰を下ろす。沈み込みの少ないしっかりとした感触のマットレスだった。力の入らない足腰を柔らかいシーツが包んでくれる。それだけで慣れない乗馬で固まってしまっていた体がふんわりと緩んだ。
ヨルバは黒衣のマントを脱いで椅子にかけている。
その下から現れたのは少年のような小柄な体格。だが決して華奢なわけではない。服越しにもわかる引き締まった筋肉が、肩や腕、腰のあたりにしっかりと形を成している。細身ながら鍛え抜かれた身体は力強さを感じさせ、身体にぴったりと沿うタイトな服が、その輪郭を余すことなく浮かび上がらせている。
耳の上から弧を描くように伸びた漆黒の龍の角が、アッシュグレーの癖毛に縁取られるようにして、静かにその存在を主張している。
襟足だけ長く伸びた髪は背中でゆるく揺れ、それをひと房だけ指で梳いて整える仕草に、どこか色っぽさを感じてしまった。
細身の腰に沿うように巻かれていた黒いベルトを、するりとほどく。だがそれは彼の腰に繋がったままで――あ、と。息を呑む。
ベルトかと思ったそれは、鱗に覆われた細い尻尾だった。腰に巻きつけるようにして隠していたのだろう。ほどけた尻尾は足首まで長く、彼の動きにあわせてゆらゆらと宙を泳いでいる。
ひとつ、またひとつと、隠していたものを解いていくその無防備な姿に、思わず見惚れてしまう。普段の彼からは見えない一面が不意に垣間見えたようで、胸が少しだけ騒ぐ。
――やっぱり、綺麗だな、と素直に思う。
と同時にいやいやと、自分の邪にも見える視線や考えにはっとする。こんなにじっと見るなんて失礼だ。と慌てて頭を振って視線をずらした。
「ヨルバ、さん」
「……なに?」
「その、殿下の調べものは?」
「それは後日だ。フィリクも忙しい。さすがに今日は疲れもたまっているだろう」
「そうなんですか。……では俺はどこで待っていれば?」
客室とか、小さな部屋をひとつ借りられたらそれでよかった。冒険者協会の寮で待機した方がいいかとも思ったが、いくら王都とはいえこんな夜中に外を出歩くのは危険だ。
そう思って遠慮がちに申し出たのだが、ヨルバはきょとんとしたように小さく首を傾げた。まるで、何か不思議なことでも言われたかのような反応だった。
「ここ、だけど」
「………は?」
聞き間違いだと、思いたかった。
「ここ、僕の部屋」
「………すみません、耳が疲れてるのかも、もう一度いいですか?」
俺の戸惑いなど意に介さず、ヨルバはすっと顔を寄せてきた。
やめてくれ。近づかないでくれ。その綺麗な顔は心臓に悪いんだ。
「僕はお前の護衛だ。お前を守る義務がある。だから、僕の部屋が一番安全。城の滞在中はここで過ごしてもらう」
思わず頭を抱えたくなった。
護衛っていうのは道中で魔物に襲われる可能性があるからであって、そういう意味じゃないのでは?
「……でも、ヨルバさんもお疲れでしょうし、ひとりでゆっくり休みたいですよね?」
「別に。気にしない」
「お、俺、泊まる準備まではしてませんし」
「こちらで用意させている」
「そ、それに寝るとしても、ベットひとつじゃ……」
「ダブルベッドだから、ふたりで寝ても狭くない」
「男二人で……?」
「何か問題でもあるか?」
詰め寄られ、ぐっと唸ってしまった。ヨルバは絶対に譲る気がない顔をしている。いや、そもそも譲る気なんて最初からなかったんだろう。まっすぐな視線がそう物語っている。
「……いや、その。問題と言うか、ええっと。王城とか、豪華で、慣れてないですし……」
「客室の方が目が痛くなるほど豪華な造りだ。ここの方が、まだ華美ではない」
苦し紛れに口を開くも、言い訳はことごとく潰されていく。逃げ道がない。
「問題はないな?」
「………ハイ」
あのフィリク殿下にしてこのヨルバ。似た者同士の友人と言うのはこう言う事だろうか。それとも俺の言い訳が弱すぎるのか。いや、そういう問題でもなかった気がする。
こうして俺は完全に押し切られる形で、ヨルバの部屋に泊ることが決まってしまった。
* * *
「ふぁー……生き返る」
生まれたての小鹿だった足腰も、なんとか復活してきた。
脚付きのバスタブには温かいお湯がたっぷり張られている。その中に身を沈めていると、疲れが嘘のように溶けて消えていく。やはりお風呂は良い。心も体も癒されていく。
しかもこんな夜中にもかかわらず、お風呂の支度をしてくれた城の使用人たちは、皆優しくて気の利く人ばかりだった。それにヨルバとも随分気兼ねなく話していた。彼は、ずっとここで暮らしているのかもしれない。
「それにしても――」
――ヨルバはいったい何者なんだろう。俺が考えた最強のアバターのはずなのに、彼のことを知らなすぎる。彼の行動の意図も、目的も、まるで見えない。
『ヨルバ』
あのとき彼は自分の名前を確かに呼んだ。
バレていない、とは思う。もしバレているのであれば、今頃もっと何か行動しているはずだ。
そもそも今のヨルバは自分の意思で生きているひとりの人間だ。中に入っていた俺の事なんてわかるはずがない。
きっとあの時の俺の白い姿が、他の誰かに似ていたのだろう。ずっと探している人がいるとかも言ってたし。
考えれば考えるほど泥沼に沈んでいく。もう関わらないと決めたはずなのに、やはり彼を目の前にしてしまうと放っておけなくなってしまう。親心、みたいなものだろうか。
湯から上がり、使用人が用意してくれた服に袖を通す。来客用の服なのか、とても動きやすくて着心地が良かった。
湯浴み場から出ると、ヨルバが扉の横の壁に寄りかかっていた。
きっと待ってくれていたのだろう。申し訳ない気持ちになったが、部屋の場所をすっかり忘れていたので正直助かった。
「ヨルバさんは湯浴み、いいんですか?」
「僕はあとで」
そのまま部屋へ戻ると、促されるままに椅子に腰を下ろす。涼やかな風が、頭をそっと撫でるように通り抜けた。どうやら風のスキルで髪を乾かしてくれているらしい。
ヨルバは必要最低限のスキル魔法は使える。火も、風も、水も。ただその風のスキルがまさか髪を乾かすことに使われるとは思わなかったけど。
「……至れり尽くせりで、逆に怖いんですけど」
「風邪をひいてもいいのか?」
「嫌ですけど……このくらいなら、自然乾燥でも良いと思います」
「ベッドが濡れる」
「ぜひ乾かしましょう」
他人様のベッドを濡れた髪で汚すなんてことはできない。かといって、自然乾燥を待てるほどの体力ももう残っていない。ならば、彼の好意に甘えるしかない。
ヨルバの指が、風とともに髪を丁寧に梳いていく。
その心地よさと優しい手の動きに、気づけば意識がふっと遠のいていた。
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