俺の最強のゲームアカウントが乗っ取られた話。

ひがらく

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一章

【13】悪役令嬢の沙汰 4

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「シエンヌ・ルヴェール嬢。この私、アモイラ国第三王子レオニス・ファルビネリュ・アモイラは、本日をもって、貴女との婚約を正式に破棄させていただく!」

 その高らかな宣言は、会場を静寂に包み込んだ。音楽は途切れ、人々の息遣いすら聞こえるほどの静けさが広がる。
 その真っ直ぐな声と姿勢は一見すると凛々しくも見えたが、事情の知らない人からすれば混乱するだろう。彼の向けられた熱い眼差しは婚約者ではなく、その傍らに立つ少女へと注がれているからだ。

「俺の心はすでにアリネ嬢にある。誠に勝手ではあるが、どうか理解してほしい」

 そう言って、アリネ嬢の肩を抱き寄せる。
 愛おしい人を守り抜くという決意に満ちた眼差しだった。だがそれは独りよがりな幻想に過ぎない。抱かれた当の本人は明らかに困惑して、声も出せず、戸惑いのまま動けずにいる。

「レオニス!」

 静けさを破って現れたのは、フィリク殿下だった。
 その眉間には深い皺が刻まれている。

「フィリク兄上、何を言われようと俺の決意は揺るがない。この愛は真実だ。例え兄上たちがなんと言おうと、俺は彼女を――」
「……レオニス。では、ひとつだけ確認させてくれ」

 フィリク殿下がアリネ嬢の方へ視線を向け、静かに問いかける。

「アリネ嬢。あなたは彼のことを……心から愛していますか?」
「……っ!」

 アリネ嬢は目を丸くし、次いで顔を真っ赤に染めて首をぶんぶんと横に振った。

「ち、ちがいます! わ、わたしは、レオニス様のことは、その、友人としては尊敬しています。でも、その……恋愛感情とか、そういうのは……ありませんっ!」

 その言葉に、レオニス殿下の身体が僅かに揺れた。
 目を見開き、まるで信じられないものを見たかのようにアリネ嬢を見つめる。

「……な、なぜだ」
「なぜって? お前が見ているのは彼女じゃない。自分に都合のいい幻想だ。彼女がお前に優しく接したのはただの礼儀だ。それを、いつから愛されていると錯覚していた?」

 フィリク殿下の声音が一段と鋭くなり、レオニス殿下の表情からゆっくりと血の気が引いていく。顔が青ざめ唇がわなわなと震えていた。

「……だが、庶民の小説では、こうやって宣言した方が、ロマンチックだと……」
「小説と現実を混同して、周囲の人間を巻き込むものじゃない。このような祝いの席で私情を持ち込んで騒ぎを起こすとは。もっとお前に言葉を尽くさなかった私にも責任はあるが、もう私の手には負えない。叔父上に進言するよ」
「だがアリネ嬢と俺は……!」
「いい加減目を覚ますんだ、レオニス。学園に入学してから様子がおかしいと思っていたが、そこまでとは思わなかったよ」

 そこでふと、気付いた。
 レオニス殿下の身体を淡く揺らめく紫色のモヤが包んでいる。照明か何かの反射かとも思ったが、じっと目を凝らすとそのモヤはまるで意志を持つように、殿下に寄り添っていた。

「……ヤシュ、こっち」

 そのとき、肩を軽く叩かれる。
 振り向くとそこには護衛の服に身を包んだユリシャスがいた。彼もまた会場に潜入していたのだ。
 
「ユリシャス?」
「やばいよアレ。あんな露骨なマジナイの干渉、普通ならすぐ気づくはずなのに……どうして、こんなになるまで誰も気づかなかったの……?」

 低く小さな声だったが、その声には確かな焦りと苛立ちが滲んでいる。

「……もしかして、何か見えてる?」
「はっきりと。何かヤバいマジナイ――呪いがかけられてる。それもかなり複雑に。……おかしいと思ったんだよ。三年前のレオニス殿下はそれはもう優等生として知られてた。でも、学園に入学してからの評判は全然違った。……でも今ならわかる。あれは性格が変わったんじゃなくて」
「ずっと、操られてたってこと」
「そう。しかも――」

 その言葉を遮るかのように、突然、冷たい声が会場に響き渡った。

「……レオ様の心は、まだそこにいる『その女』のものなのでしょう?」

 凍りつくような声がすぐ近くから聞こえた。振り向くと、シエンヌ嬢がいた。
 その瞳は黒く染まり、先ほどまでの高飛車な令嬢の面影はない。冷たい炎のような狂気が、その双眸の奥で揺らいでいた。

「すまない、シエンヌ嬢。私はアリネ嬢を心から愛しているんだ。君には――」
「……やめて。嫌よ! 絶対に許さないわ!」

 金切り声が響き渡る。

「どうして!? その呪いは、私のためのものなのに! どうして私を好きになってくれないのよ! 私がどれだけ願ったと思ってるの!」

 パリンッ――と、突如、会場の窓が一枚、音を立てて砕け散った。
 ざわめく会場。その数秒後、二枚目、三枚目と連続して窓ガラスが次々に破裂するように割れていく。

「私はこんなにも、レオ様が大好きなのに……どうして、あんな平凡な女がっ!」

 彼女が叫ぶたびに会場の空気が揺れ、ガラスが砕け散っていく。
 誰かが叫び、誰かが逃げ出した。きらびやかだった舞踏会は一瞬にして混乱の渦へと落とされる。

「そうだわ……そんな女、ころしてしまえばいいのよ! そうすれば、レオ様は私だけを見てくれる!」

 その言葉と同時に、会場の高窓にあしらわれた巨大なステンドグラスが、まるで内側から砕け散るように破裂した。ガシャァンッと音が響き、ぽっかりと穴が開く。そして外の夜闇から滑り込むように現れたのは――黒い獣影。
 闇より濃い毛並みに血走った瞳。異形の狼、ハーフダークウルフだ。しかも一体ではない。次々とガラスを破って一体、二体、三体――何十体もの影が会場内に飛び込んでくる。

「きゃあぁっ!!」
「子どもたちを逃がせ! 早く、扉を――!」
「各人!戦闘態勢に!」

 容赦なく襲いかかってくる猛獣を前に、叫び、逃げ惑う人々で溢れかえる。
 卒業を祝うはずの晴れの舞台は、地獄のような場へと変わっていった。
 
 白布をかけたテーブルがなぎ倒され、黒い影がすべてを蹴散らしていく。獣の唸り声と人々の叫びが交錯し、舞踏会の余韻などすでに跡形もなかった。会場に満ちるのは恐怖に渦巻く混乱だけ。
 
 そしてその中心に、静かに立ち尽くすシエンヌ嬢の姿があった。
 ――笑っていた。
 狂気に塗れた、どこか虚ろな笑みを浮かべながら。

 その混乱のさなか、警備を担当していた騎士団が真っ先に動き出していた。
 混乱している参加者たちを保護し、会場の外へと誘導している。猛獣の攻撃を受け止め、時に剣を抜いて応戦しながら。
 
 視界の端でフィリク殿下が気を失ったレオニス殿下を背負うようにして走っていくのが見える。

「結界、張るよ!」

 ユリシャスの声と同時に、床に幾何学模様の魔法陣が浮かび上がる。
 空気がぶわりと波打ち半透明の結界が広がった。暴れる猛獣たちを内側に閉じ込めるように、会場の全体が封じられる。

「結界の外へ!」

 人々が結界の隙間を縫うようにして。会場から脱出していく。

「アリネ嬢、こちらへ!」
「は、はいっ……きゃぁ!」
 
 すぐ傍にいた彼女を守るように手を取って、出口に向かい走り出す。
 だが突如、横合いから飛び出してきた黒い獣が、俺たちの行く手を遮った。
 
 ハーフダークウルフ。
 ダークウルフほどの巨体は持たないが、人の背丈をゆうに超える巨体。血走った赤い瞳は獲物を狙う捕食者のそれで、鋭く光る牙の隙間からは唾液が滴り落ち、唸り声とともに凄まじい殺意が肌を切り裂くように伝わってきた。

「っ、邪魔だ!」

 手の中に槍を呼び、MPを練り込みながら一突きして薙ぎ払う。肩口を大きく裂くものの、その巨体を吹き飛ばすには力不足だった。だが怯んだ隙をついて逃げ出すことはできる。
 しかし、その先にはさらなる猛獣が待ち構えていた。血走った赤い瞳が何体もこちらを獲物と狙い定めている。動きから察するに、おそらくアリネ嬢を集中的に狙っているようだ。
 もしかすると、シエンヌ嬢の意思に同調しているのかもしれない。であれば、このハーフダークウルフはきっと彼女が召喚したの獣だろう。

「ヤシュ様……っ!」
「大丈夫っ」
 
 数体ならばなんてことない。だがMPが、圧倒的に足りなかった。
 一撃だけで半分近くは容赦なく持っていかれる。インベントリからマナポーションを取り出し喉に流し込む。
 追いついてきた猛獣の腹に槍を突き立て、間髪入れずに振り払う。それを何度も繰り返して進む。
 
「こっちへっ!」
「は、はいっ……!」

 俺はアリネ嬢の手を引き、結界の外、出口へと目指して走った。
 あとも少し、もう少し。――そう思った瞬間だった。
 
 ――どん、と、地面が揺れた。
 
 傾いた天井の柱が音を立てて崩れ、俺たちの前方を塞ぐ。轟音と土煙。舞い散る破片。会場が倒壊しそうな勢いで――

「きゃぁっ……!」
「アリネ嬢っ!」

 アリネ嬢がぐらりと重心を崩した。慌ててその小さな体を抱き寄せて、飛び散る破片が当たらないように柱の陰に身を隠す。
 数秒で地面の揺れはおさまったが、腕の中の彼女はぐったりとしていた。白い頬を軽く叩くがぴくりともしない。だが呼吸はしてるようでほっとした。極度の恐怖によって気を失ってしまったようだ。

 最悪だ。
 MPはもう残っていない。ユリシャスから貰ったマナポーションもすでに使い切った。なにより短時間に繰り返したMPの過使用で、気分が悪い。
 
 ――近くに誰かいないかと、周囲を見渡す。

 警備の騎士団は今も戦っている。しかしその動きには疲弊が滲んでいた。鋭かった斬撃が鈍くなり、守りきれずに倒れる兵の姿もある。
 
 ユリシャスはこの会場からハーフダークウルフを出さないように結界を貼り続け、動けない。フィリク殿下やレオニス殿下の姿も、逃げることが出来たのか見当たらなかった。

 ここから見える範囲で最低でも、まだ十数体のダークウルフが吠えていた。

 槍を握る手に力が入らない。足元がふらつく。一人だったら出口に逃げる事ができただろう。だがアリネ嬢を置いていくなんてことはできない。

「どうする、べきか……」

 ――その時、鋭い鳴き声がひとつ上から降ってきた。
 抱えていたアリネ嬢を慌てて地面に寝かせ、力の抜けた手で槍を必死に握りしめる。目の前に飛んできた猛獣は大きく口を開き、牙を剥き出す。

「ぐっ……!」

 槍で振り払う間もなく、右腕に鋭い牙が深く食い込む。鈍く重たい衝撃が全身に走り、激痛に顔が歪む。噛まれた勢いで仮面が地面に落ち、握っていた槍は手から滑り落ちる。腕からは血が溢れ出し、身体がぐらりと揺れ、そのまま押し倒される――そう思った瞬間。

「伏せろ」

 風を裂く音と共に声が響いた。
 直後、猛獣が俺の腕を離して呻き声をあげ、横に吹き飛ばされていった。

 見えたのは、血飛沫の中にある黒い影。
 礼装の乱れた裾を気にもとめず、血に濡れた双剣を構えている。
 その姿を視界にとらえ、酷く安心したのと同時に体が重力に引かれるように、前方へと傾いていった。

「ヤシュ!」
「……っ!」

 手が伸びてきたが、支えきれずに俺の体重が彼にのしかかる。勢いのまま、二人して床に倒れ込んだ。ヨルバを押し倒すような格好になってしまう。

「……ごめっ」
 
 慌てて身を起こそうとするが、右腕がずきりと鋭く疼き思わず顔を歪める。噛まれた箇所が熱を持って、じわじわと痛みが広がっていく。力が入らない。
 
 ヨルバの体温が近い。息遣いが触れるほどの距離。ふと見下ろした彼の顔は返り血が飛び散っているのにやけに冷静で、俺の腹に手を当てて顔をしかめていた。

「またからっぽ、だ」

 その言葉に、はっとした。
 ヨルバからまたMPをもらえば。あのスキルが使える。この状況を切り抜けられるかもしれない。

「……わけて、くれる?」

 口に出した瞬間、ヨルバは少しだけ目を見開いた。
 けれどそれは一瞬で、言葉もなく両腕を伸ばしてくる。
 首の後ろに手が回り、顔が引き寄せられる。彼の唇がほんの少しだけ開かれ、赤い舌先がわずかに覗いた。けれどそれ以上は近づかない。――待っている。自分から来いと促すように。じっと、静かに俺だけを見て。

 ……やっぱり、コレじゃないとダメか。
 
 されるのは不可抗力だったが、自分からするのは少し抵抗がある。彼に、自分から顔を寄せに行くなんて、なんだかいけないことをしているかのようで。
 けれど、今はそんなこといってられなかった。

 彼の顔半分を覆う仮面にそっと手を添え、ゆっくりと外す。整った顔があらわになり、切れ長の目と至近距離で視線が交わって、思わず、喉が鳴った。
 
 大丈夫、触れるだけ、触れるだけだ。
 そう思っていたのに――ゆっくりと顔を近づけてぴったりと重なった唇から、舌先がそっと誘うように触れてきて、わずかに息が漏れる。

「……っ」

 舌先から、奥へと、ゆっくり舌が絡み合う。が――

「んっ……!?」

 突然ずるりと、喉の奥にまで届きそうなほどに口内を圧迫される。驚いて思わず身を引こうとしたが、首の後ろに回された腕がぎゅっと力強く引き寄せてきて身動きが取れなかった。
 
 ――舌が、長いっ。

 そう、長い舌が、口内をゆっくりと蛇のように動き回っている。擦りつけるように舌を絡みとられ、息ができない。互いの舌が絡み合う度に、くちゅりと耳の奥で鳴り響き、ぞくぞくとした甘い痺れが身体中を撫でるように走り抜けた。吐息が交わるたび、痺れが身体の奥深くまでじんわりと染み渡り、理性がゆっくりとほどけていく。

「……ん、ぅっ、……」
 
 次第に、触れ合っているところからあたたかい何かが流れ込んでくるのを感じた。身体中にほのかな熱がゆっくりと広がっていく。
 渇きはあっという間に満たされていったが、その数十秒はまるで永遠のように長く感じられた。
 唇を離した瞬間、思わず小さな吐息が零れ落ちる。

「はっ……ぁ」
 
 ヨルバは変わらない表情のまま、ただじっとこちらを見上げていた。けれど、わずかに紅潮した頬と熱を含んだ吐息、濡れた唇が――何をしていたのか、すべてを物語っている。
 普段は重たい前髪で見え隠れしているその瞳が、今だけははっきりと見えた。湿った睫毛の奥、小さく熱を孕んだアンバーの瞳が、俺を見つめ返していて、やけに胸がざわついた。

「……足りるか?」
「ん、……大丈夫」
 
 なんだか恥ずかしくなって、唇を手の甲で隠して視線を逸らした。
 そのまま痛む右手を庇いながらヨルバの上から退き、地面に左手をついた。空気が震えるように魔法陣が展開される。
 
 ――集中しろ。

 白銀の光を帯びた槍が、次々と空中に出現していく。何十本も、いや、それ以上。眩い光をまとったそれらは周囲にひしめく敵の気配を正確に捉え、すべてを貫こうとするかのように鋭く先端を向けていた。
 
 ただ淡々と、屠るべきものを見据える。そして、槍の先が標的を捕らえ――

「いける」

 その光の槍は、ハーフダークウルフの群れに容赦なく降り注いだ。一体も残らずに。


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