21 / 61
蝶の羽やすめ
しおりを挟む「せんせい。ぼくがオトナになったら、ツガイになってくれる?」
その教え子は、まだ幼い竜の子だった。
大きな瞳をこちらにまっすぐ向けて、愛の告白をためらいもなく口にする。
「番?」
「うん、ぼくのツガイ」
「番っていうのは、簡単になれるもんじゃないんですよ」
「ちがう。つがいじゃなくて、ツガイ」
ツガイ。
発音は同じでも、彼の中ではまったく別の意味だったらしい。
言葉の意味は曖昧だけど、彼が何かを伝えようとしていることはわかった。
「ぼくのツガイになって」
「……そうですね。では、君が大人になったら考えましょうか」
「ぼくがオトナに? ほんとっ?」
ぱぁっと、彼の顔が一瞬で明るくなる。嬉しそうに口元が綻び、瞳の奥がきらりと輝く。
「これ、やくそくのあかし」
小さな手のひらに乗せられたのは、彼がいつも身につけていたピアスだった。その片方を俺に手渡す。
「大事なものでしょう。いただけません。お気持ちだけ受け取っておきますね」
断ると、彼はすごく悲しそうな表情をして俯く。
その姿に、何だかいけないことをしてしまったようで――……
はっ、と息を吐いて目を覚ます。
どうやら夢を見ていたようだ。上体を起こし時計を確認すると、深夜の時間帯だった。こんな時間に目が覚めるとは珍しい。
耳にそっと触れると、黒曜石のピアスがそこにあった。
以前、東国を訪れたときに小さな獣人の子からもらったものだ。
けれどさっきの夢の中で、俺はそのピアスを受け取っていなかった。
……あの子に会ったのは今回のループだけだと思っていた。だが、そうじゃないのだろうか。こうして夢に見るほどに記憶があるということは、過去のどこかでも出会っていたということ。
だとしても、ずいぶん昔のことだろう。細部までは思い出せず、ただ夢に断片が浮かぶだけなのだから。
つまり、ほんの些細なできごとにすぎない。
蝶の羽ばたきが遠い地で嵐を呼ぶのでなければ、大きな意味を持つこともないはずだ。
* * *
〈時廻〉について調べても、手掛かりは何も見つからなかった。
専門書を扱っている本屋でも、国髄逸の大書庫でも、この学園の図書室でも、索引を辿り古い文献までめくり進んだ。だが、その先は公にされていない閲覧禁止の書物に必ず到達する。さすがにそこまで閲覧する権限はない。しかし何か隠された痕跡のようなものは確かにあった。
今回の俺はここまでが限界だろう。次のループで、閲覧禁止の書物を読めるほどの権限を持った誰かと知り合いになれたらいいが。
「〈時廻〉か……」
名前からして、時を廻る何か。じかい、じめぐり、ときかい、ときめぐり。読み方は分からないが、俺のこの繰り返されるループと無関係とは思えなかった。
図書室の奥、長いソファとテーブルがある読書スペースの一角に、俺は腰を下ろしていた。
背もたれに寄りかかり、目の前に積み上げられた数十冊の本を見つめる。結局、どれも手掛かりにはならなかった。
疲れからか目を開いているのも億劫で、そっと瞼を閉じる。放課後の穏やかなざわめきや、遠くでページをめくる小さな音が心地よく耳に届く。
「あ、ヴァレンス先生! 珍しいね、ここにいるなんてっ」
目を開いて顔を上げると、カナトが本を数冊抱えてそこにいた。
「奇遇ですね、カナト。勉強ですか」
「うん。この間のテストの点数が悪くてテオに呆れられちゃったんだ。今から寮で教えてもらうとこ」
「ああ、確かに下から数えた方が早かったですね」
「うっ……先生まで言わないでよぉ……」
「でも勤勉なのは良いことです。しっかりと励んでください」
「ほら、ヴァレンス先生もそう言ってることだし、カナトはテオの元に急ぎなよ」
不意に聞こえた声にぎくりとする。気づけば、カナトの隣にはクロヴィスが立っていた。
「はぁい。じゃあまたね、先生!」
無邪気に去って行く背中を引き留めたかった。今、クロヴィスとふたりきりになるのは何となく気まずいからだ。
こちらだけが一方的に知り得た情報を握っている、その後ろめたさもある。まだこんな感情が残っていたことに驚いたが、おそらく俺は根っから悪事が苦手な性質なのだろう。ゴミのポイ捨てすら論外だ。悪役に向いてないのにも程がある。
クロヴィスは自然な動作で隣に腰を下ろし、こちらを覗き込む。すっと目元に伸びてきた指先に、思わず身構えた。
「目の下のクマが酷いよ。寝れてないみたいだね」
誰のせいだと思っている。
教師の業務もこなしながら、ここ数日ずっと調べ物をしていたため、睡眠という睡眠をとれていないのは確かだった。
「……忙しかったんです。寝れないことはよくあることですよ」
指の腹でそっと目の下を撫でられる。体温がじんわりと伝わり、抗えない眠気が押し寄せてくるのを感じた。
あ、だめだ。
クロヴィスの体温は普通の人間よりも少し高い。長い時間、本と睨めっこをしていたせいで、瞼の裏にまで活字が浮かぶほど疲弊したこの身体に、その温もりは危うすぎる。俺は慌ててその手を振り払った。
「用事を済ませたら、ちゃんと寝ますから」
「……用事って、調べもの?」
クロヴィスは机に積み上げられている大量の本を一冊手に取って、ぱらぱらとめくってみせる。
「東国の関連書籍ばかりだね。そんなに興味があるのなら僕に聞けばいいのに」
数冊手に取って、ここにあるものが全て東国のものだと気付いたらしい。
ここにあるのは公刊資料ばかりだ、特別見られても困らない。俺が何を調べているかなんて、ここにある書物だけではたどり着けないだろう。
「僕が教えてあげるよ。先生は何が知りたいんだ?」
一国の皇子であれば一般人よりも知識は長けているだろう。だが一番知りたい情報は彼の正体の核心に迫るもの。それをそう易々と教えてくれるはずもないだろう。それに、なぜそれを知っているのかと問い詰められたら困る。
どうせ次のループに行くのであれば、玉砕覚悟で聞くのもありかもしれない。だがそれは、今じゃない。
「……必要ありません。調べたら出てくることなので」
「でも出てこないからこんなに調べてるんじゃない? 古い文献から近代のものまで、ここまで揃えるのは大変だったでしょ」
目の前の書籍の量は確かに尋常ではない。積み重なった本だらけで机は埋め尽くされている。元の棚に戻すのも大変だ。
俺はクロヴィスの手にある本を奪って、目の前の本の山に積み直した。
「勝手に触らないでください」
「何を調べているかさえも教えてくれないんだね。論文? 研究? それとも授業で使うもの?」
「質問責めもやめてください。頭が疲れているんです」
「その様子だと、ご飯もちゃんと食べてなさそうだ。だめだよそれは」
「わかりましたから、もう話しかけないでください」
逃げるようにそのまま目を閉じて、ため息をつきながら背もたれに寄りかかる。まぶたの裏に浮かぶのは活字だけだった。
しばらくして、閉じた視界の向こうで空気が動く気配がした。そっと瞼に触れるものがある。クロヴィスの手だ。瞼を覆った掌からあたたかい体温が、じんわりと伝わってくる。
そのぬくもりは、今の俺にとっては劇薬だ。
「やめてくだ、」
その手を振り払おうとした瞬間、腰を掴まれ、体勢が崩れた。
気づけば長ソファの上で、クロヴィスに寄りかかるようにその腕の中に抱かれていた。頬のすぐそばで息がかかる。逃げようにも、腕の力がやわらかくも確かに絡みついて動けない。
「なっ……」
「疲れているだろう。少しだけでも寝て。日暮れ前には起こすから」
耳元で囁かれる、低く落ち着いた声。
掌は視界を覆うように瞼に添えられたままで、何も見えない。ただ、触れたところから伝わる体温だけがじんわりと広がり、心地が良かった。まどろみがじわりと寄ってくるのがわかる。
でも駄目だ。このままでは、またあのときのように簡単に意識を手放してしまう。
「クロヴィス、俺は」
「何も考えないで。僕の心臓の音、聞こえる? それに集中してみて」
頭を少しだけ傾けさせられる。胸に押し当てられた耳に、規則正しい鼓動が伝わってきた。とくとくと、ゆっくり打つ優しいその音に、いつの間にか意識が絡めとられてしまう。まるで自分の体の中に、その音が入り込んでくるようだ。
どうしてこんなにも、安心するのだろう。
気づけば肩の力がすっと抜け、クロヴィスにもたれかかっていた。抱きしめられるぬくもりに、呼吸が深く、ゆっくりになるのを感じる。
「おやすみ、先生」
クロヴィスの声が耳元で優しく囁かれ、かくんと、意識がまどろみのなかに溶けて消えた。
102
あなたにおすすめの小説
イケメンダブルセンターとアンチ>ファンな平凡な俺
ユッキー
BL
アイドルグループ【オーバーウェルミング】は圧倒的な歌唱力の深山影月、圧倒的なパフォーマンス力の漣陽太、そして圧倒的な平凡力な俺間桐真緒の3人で結成されている。
大人気の二人と違いアンチしかいない俺だが、メンバーからもファンからも愛される日が果たしてくるのか!?
聞いてた話と何か違う!
きのこのこのこ
BL
春、新しい出会いに胸が高鳴る中、千紘はすべてを思い出した。俺様生徒会長、腹黒副会長、チャラ男会計にワンコな書記、庶務は双子の愉快な生徒会メンバーと送るドキドキな日常――前世で大人気だったBLゲームを。そしてそのゲームの舞台こそ、千紘が今日入学した名門鷹耀学院であった。
生徒会メンバーは変態ばかり!?ゲームには登場しない人気グループ!?
聞いてた話と何か違うんですけど!
※主人公総受けで過激な描写もありますが、固定カプで着地します。
他のサイトにも投稿しています。
強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない
砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。
自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。
ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。
とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。
恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。
ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。
落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!?
最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。
12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生
悪役令息に転生した俺は推しの為に舞台から退場する
ユッキー
BL
前世の記憶を思い出したアレクシスは悪役令息に転生したことに気づく。このままでは推しである義弟ノアが世界を救った後も幸せになれない未来を迎えてしまう。それを回避する為に、俺は舞台から退場することを選んだ。全てを燃やし尽くす事で。
そんな俺の行動によってノアが俺に執着することになるとも知らずに。
劣等アルファは最強王子から逃げられない
東
BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。
ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。
(仮)攫われて異世界
エウラ
BL
僕は何もかもがイヤになって夜の海に一人佇んでいた。
今夜は満月。
『ここではないどこかへ行きたいな』
そう呟いたとき、不意に押し寄せた波に足を取られて真っ暗な海に引きずり込まれた。
死を感じたが不思議と怖くはなかった。
『このまま、生まれ変わって誰も自分を知らない世界で生きてみたい』
そう思いながらゆらりゆらり。
そして気が付くと、そこは海辺ではなく鬱蒼と木々の生い茂った深い森の中の湖の畔。
唐突に、何の使命も意味もなく異世界転移してしまった僕は、誰一人知り合いのいない、しがらみのないこの世界で第二の人生を生きていくことになる。
※突発的に書くのでどのくらいで終わるのか未定です。たぶん短いです。
魔法あり、近代科学っぽいモノも存在します。
いろんな種族がいて、男女とも存在し異種婚姻や同性同士の婚姻も普通。同性同士の場合は魔法薬で子供が出来ます。諸々は本文で説明予定。
※R回はだいぶ後の予定です。もしかしたら短編じゃ終わらないかも。→ちょっと終わらないので長編に切り替えます。スミマセン。
転生したらBLゲームのホスト教師だったのでオネエ様になろうと思う
ラットピア
BL
毎日BLゲームだけが生き甲斐の社畜系腐男子凛時(りんじ)は会社(まっくろ♡)からの帰り、信号を渡る子供に突っ込んでいくトラックから子供を守るため飛び出し、トラックに衝突され、最近ハマっているBLゲームを全クリできていないことを悔やみながら目を閉じる。
次に目を覚ますとハマっていたBLゲームの攻略最低難易度のホスト教員籠目 暁(かごめ あかつき)になっていた。BLは見る派で自分がなる気はない凛時は何をとち狂ったのかオネエになることを決めた
オチ決定しました〜☺️
※印はR18です(際どいやつもつけてます)
毎日20時更新 三十話超えたら長編に移行します
メインストーリー開始時 暁→28歳 教員6年目
凛時転生時 暁→19歳 大学1年生(入学当日)
訂正箇所見つけ次第訂正してます。間違い探しみたいに探してみてね⭐︎
11/24 大変際どかったためR18に移行しました
12/3 書記くんのお名前変更しました。今は戌亥 修馬(いぬい しゅうま)くんです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる