こじらせ悪役ループ中、異国の皇子に甘く口説かれる

ひがらく

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野外学習の夜 5

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 ある程度乾いた制服へ袖を通すクロヴィスは、もうほとんど普段の調子を取り戻していた。
 貸していたローブを受け取ると、ほんのりと彼の体温が残っていた。それを羽織れば、そのぬくもりに包まれているような感覚に、なんだか変な気分になって妙に落ち着かない。
 おそらくまだ、熱が身体に残っているせいだ。

「どうやって、ここから出るんですか」

 問いかけると、クロヴィスは髪を結いながら視線を上に向け、真上を示す。

「彷徨っていた時に気づいたんだけど、結界は森の中だけに張られているようだった。だから上はがら空きだ。おそらく、そこから出られるよ」
「……なにをいってるんですか。さすがに空からは無理でしょう」

 木々の合間から空を見上げるが、果てしなく遠い。空から森の外に出るなんて、現実的では無さすぎる。
 
「できるんだ。僕は飛べるから」

 え、と隣を向いた瞬間、頬をかすめるように風が吹き抜けた。
 目の前に、夜空を思わせる漆黒の翼が広がっていた。肩甲骨あたりから力強く張り出た、月光を受けて艶やかに光沢を放つ翼。その広がりは、俺ごと包み込めそうなほどの大きさだ。
 耳のすぐ上には、緩やかに反った角。先端は鋭く尖っているが、威圧感よりも造形の美しさが際立っていた。

 息を呑む。
 人の姿のまま、確かにそこに「竜」がいた。
 風になびく青みがかった銀髪とは対照的な、黒曜石のような色。その神秘的な姿に、つい口を開けて見惚れてしまっていた。

「驚いた?」
 
 クロヴィスの顔はどこか誇らしげで、しかし無邪気な子どものようでもあった。
 遠い記憶のどこかで、既視感のようなものも覚える。

「……ええ、少し驚きました」
「完全に竜にもなれるんだよ。すごく疲れるけどね」

 クロヴィスがさっき「力を出せない」といっていたのは、こういう意味だったのか。
 東国の皇族は竜の血筋を引く家系だ。クロヴィスの人とは違う特徴は、そこからくるものだったのだろう。
 でも、ここまで目を奪われるものだとは思わなかった。理屈抜きに惹きつけられる、美しい、という月並みの言葉では足りない姿だ。

「さて、抱き上げても良いかな」
「え、あ……はい」
 
 クロヴィスは俺をそっと優しく抱き上げる。
 唖然としすぎて、横抱きにされる羞恥心も感じないまま、されるがままに軽々と持ち上げられてしまう。

「怖かったら、目を瞑っていてもいいよ」
「だ、大丈夫です……」
 
 大きな翼がゆったりと空気をはらうと、地面がすっと遠ざかる。
 羽ばたくたびに舞い上がる土埃が地面に渦を描き、木々の梢が流れるように視界の下へと遠のいていく。
 
 空を飛ぶ。そのはじめての感覚に突然怖くなる。重力がふわりと浮いて、地面に足が付いていない状態にぞわりとした。慌てるようにクロヴィスの首に腕を回しぎゅっと力を込めると、くすりと笑われた。

 笑うな。ここから落ちたらひとたまりもないんだからな。

 やがて鬱蒼とした木々を抜け、視界が一気に開けた。
 その光景に、思わず目を見開いた。

「わっ……」

 空からの景色なんて、今まで見たことがなかった。
 月明かりがあたりを照らしていて、山並みも、遠くの都市の灯も、地平線の向こうまではっきりと見える。
 何も遮るものがない広さと、静けさ。星はひとつひとつが煌めき、手に届きそうなほど近い。空気は透き通っていて、息を吸うたび、冷たく澄んだ空気が肺に満たされる。
 純粋に、綺麗だと思った。

「気に入った?」

 顔を覗き込まれて、思わずこくこくと頷く。
 「綺麗です」とありふれた表現の感想しか言葉にできなかった。
 だって、途方もないほど長い時間を過ごしてきたのに、こんなに綺麗な景色は今まで一度も見たことがなかったから。いつも地面に視線を向けているようにしか、生きてこなかったから。

 クロヴィスは翼をゆるやかに羽ばたかせている。二人分の重さを感じさせないその動きは、魔力で風を操っているのだろう。

「僕は高いところが好きなんだ。すべてを見渡せる。どこで何が起きてるか、手に取るようにわかるからね」
「故郷では、いつも飛んでいたんですか?」
「気分転換したいときにはね、雲の上はもっと気持ちがいいよ。特に東国の澄み渡った青い空。いつか先生も連れて行ってあげたいな」
「……ええ、ここでこんなに綺麗なら、もっと素晴らしいんでしょうね」

 クロヴィスはこんな光景をいつも見ていたのか。
 少し、羨ましいと思ってしまった。
 俺はこの国しか居場所を知らず、家と学園の中だけでずっと生きてきた。でも世界はこんなにも広くて、美しかったんだ。
 思わず目を大きく開けて、食い入るように景色を眺めてしまう。もっと早く、この景色を知っていたら、自分は何か違っていたのだろうか、とふと考えた。
 
「……ねぇ、ヴァレンス先生」
 
 声をかけられて、視線を向ける。
 夜風がクロヴィスの髪をふわりと揺らす。その奥から覗く白銀の瞳は、目の前に広がるどの星よりもきらきらと輝いていた。その優しい視線にまっすぐ見つめられると、胸の奥がとくんと熱くなる。
 
「僕の〈ツガイ〉になってよ。絶対に、幸せにするから」
 
 迷いのない声。
 俺が頷けば、きっとクロヴィスは言葉どおり全てを包み込み、どんな不安も消してしまうほど幸せにしてくれるのだろう。
 
 わかっていた。
 わかっていたんだ。
 いつからか、俺に向けてくるその言葉も、笑顔も、すべて本物なんだろうって。だからほんの一瞬、その空気に呑まれて、口が動きかけた。頷きそうになった。
 
 けれど、頭の中で理性が繋ぎとめる。
 俺は、それができない。許されない。
 
 一時的な幸せに身を委ねてしまったら、もう戻れなくなりそうで怖いんだ。手放したくなくなる。それなら、最初から幸せなんて持たない方がマシだ。
 
 俺は視線を逸らして、口を噤む。
 それだけで答えを悟ったのだろう。クロヴィスは何も言わず、静かに苦笑した。その微かな笑みには、全てを包み込むような優しさが含まれている。だが俺は、そんな視線を向けられるほどの存在じゃない。
 
「急がないから安心して。いつか僕のことを好きだって、言わせてみせるから」

 その言葉が、痛いほどに優しく心に沈みこんでくる。
 だが俺は、たとえ時間をかけてもその想いに応えることはできない。

 最初から分かっていたことなのに、胸の奥がきしむように痛んだ。

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