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君の笑顔 3
しおりを挟む連れて来られたのは生徒寮の一室、クロヴィスの部屋だった。
二人部屋をひとりで使っているとは聞いていたが、思っていたよりもずっと広い。ベッドや机など、最低限の家具だけが整然と置かれていて、寮の一室とは思えないほど落ち着いた空間だ。
扉をくぐった瞬間、ふっとクロヴィスの匂いがして、少しだけ落ち着かなかった。
ベッドの上にそっと降ろされる。
クロヴィスは目の前に膝をついてしゃがみ、俺のローブをするりと脱がせた。ガラスの破片がまだ残っているかもしれないと、シャツの襟や肩口から裾まで慎重に確かめていく。
その間も、ずっとその表情は暗いままだった。
「……先生、ごめん」
ぽつりと呟かれた声は、想像以上に弱々しかった。
「どうして君が謝るんです」
「僕の方でもう少しうまく対処できたはずなんだ……まさか先生を傷つけるとは思わなくて」
「驚きはしましたが、傷ついてはいませんよ」
「でも」
「人気者は、大変ですね」
冗談のつもりだった。少しでも笑ってくれればと思ったのに、皮肉ととられてしまったのか、クロヴィスの表情はかえって陰ってしまう。
しまったな。俺は人を慰めることなんて、得意じゃないのに。
「……本当に、怪我がなくてよかった」
手を取って、唇をそっと押し当てられる。
わずかに、その唇が震えている気がした。巻き込んでしまったことを、本心から申し訳なく思っているのだろう。
本当に、気にしなくていいのに。
あれくらいの思春期の暴走なんて、今までのループでも何度も経験してきた。生徒同士の泥恋愛に巻き込まれて暴力沙汰になったり、リンチにされかけてやり返したこともある。なぜか魔術準備室に呼び出されて間男にされそうになり、間一髪で逃れたこともあった。とても口にしづらいが、男女入り乱れた乱交現場に出くわしたこともある。
だから可愛らしい嫉妬で魔力を暴走させ、ステンドグラスを割るなんてまだ可愛い方だ。
でも、クロヴィスは納得がいっていないようだった。
俺の手を軽く握ったまま、ずっと落ち込んでいる。
まるでイタズラを咎められた大きな犬だ。
「あの、そんなに気にしないでください。俺は平気ですから」
「……でも」
「本当に大丈夫です。人に悪意を向けられることにも慣れてますから」
「そんなことに、慣れないでよ」
こんなに落ち込んでいるクロヴィスは初めてで、どう声をかけたらいいのかわからない。ずっと視線は落ちたまま、顔を上げようともしない。
伏せられた睫毛は長く、色の見えない瞳を隠している。表情の薄いクロヴィスは人形のように綺麗だと思ったけれど、その美しさはどこか儚く見えて、いつもの笑顔が恋しくなった。
彼はやっぱり、笑っている方がいい。そうでないと、俺の方も調子が狂ってしまう。
「……クロヴィス」
「……」
「クロヴィス?」
「……」
「……ああ、もう」
たまらなくなって、彼の両頬をぐっと掴んで上を向けさせた。驚いたように瞬いた白銀の瞳と、ようやく視線が合う。
「人の行動というのは、時に予測できないものです。特に感情任せで動く人たちは、制御できないことの方が多い。だから、あの子がやらかしたことを君が気に病む必要はないんです」
「……でも、先生に怖い思いをさせた原因は、僕にあるんだ。もっときちんと言い聞かせておけば、こんなことにはならなかった」
「俺は温室育ちのお嬢様じゃないんですよ。弱くありませんし、怖くもありません。あれくらい、ひとりで対処できます」
そもそも、今までそうやってひとりで生きてきたんだ。
今回のループは比較的穏やかに過ごせているが、人からの悪意も敵意も、悪役ティラン・ヴァレンスとして今までに数えきれないほど受けてきた。それでも、そのたびに対処してきた。だから些細なもめごとなど、俺にとっては肩にかかった雨露を払う程度のことだ。だというのに。
それでも、まだ彼の目は沈んだままだ。
なかなか笑顔が戻らない。本当に、調子が狂う。どうすればいいんだ。
どうして君は、そんなにも俺のことを心配するんだ。
「クロヴィス……君はいつも笑顔でいてもらわないと困ります」
そういいながら、勝手に身体が動いた。
両頬に手を添えたまま、クロヴィスの形のいい薄い唇に、そっと自分の唇を重ねる。触れた瞬間、クロヴィスの肩がぴくりと揺れた。驚いたように体が強張り、目が大きく見開かれる。
軽く触れるだけのキス。温度を少しだけ分け合う、たったの数秒。離れるときにかすかに互いの息が触れて、唇はふわりと離れた。
クロヴィスはまだ大きく目を見開いたまま、固まっている。
俺からキスをするなんて初めてのことだ。
絶対ないと思っていたのに、俺のせいで沈んでいるクロヴィスを見ていられなくて、気づいたら勝手に動いていた。
クロヴィスは何度か瞬きをする。次第に白い頬や耳がじんわり赤く染まり、息を呑むように喉を鳴らすと、ふいに身を乗り出してきた。
今度は、クロヴィスの方から唇を重ねてくる。
「せんせ、」
「んっ……」
そのままゆっくりと押し倒され、背中がベッドに沈み込んだ。クロヴィスは俺に覆いかぶさり、甘えてくるように抱きついてきた。
「ちょっと、これ以上は……!」
「ごめん、嬉しすぎて。止まれない」
珍しく焦燥に駆られた表情だ。
眉をひそめながらも頬は赤く染まり、嬉しさと焦りが入り混じっている表情だった。
唇がまた重なり、後頭部を包む手が優しく髪を撫でる。そのまま角度を変えて、何度も、少しずつ、触れては離れてを繰り返した。顔を近づけるたびに前髪が頬に触れ、くすぐったい。
「んんっ……ふっ」
あんなに肌を重ね合ったというのに、ベッドの上でこうして触れ合うのは初めてだ。このまま熱を求められるのかと思ったが、クロヴィスはただ、甘えてくるかのようにキスをするだけだった。
落ち込んでいたはずの彼が、今は俺を確かめるように抱きしめている。それだけで、何かが満たされるような気持ちになった。
「……ふふ、先生のキスで、全部吹っ飛んだ」
ふと唇を離したクロヴィスが、少し恥ずかしそうに笑った。
その笑顔を見た瞬間、ほっと心が軽くなった気がした。
ああ、それだ。それが見たかったんだ。
指先が俺の頬をなぞり、顎の下をそっと持ち上げる。
「先生、好きだよ」
囁く声と同時に、触れるだけの優しいキスがまた降ってきた。
「君も大変ですね。ああいう生徒の対応は」
「慣れてるとは思ってたんだけどね……今度からは今以上に言い聞かせておくよ」
その意味深な笑顔に、言い聞かせる、が脅す、に聞こえた気もしたけれど、まあ気のせいだろうと思うことにした。
「それに、やっぱり留学生という物珍しさもあるんだと思う。この国では僕みたいな容姿は目立つだろうし」
「物珍しい、というよりも、君が魅力的だからじゃないですか」
他の生徒より背が高く、そこに立っているだけで周囲を惹きつける。加えて、その容姿の良さと物腰の柔らかさだ。人たらしともいうけれど、あの少年が感情を爆発させるほど熱を上げるのも、納得できる。
「……僕のこと、魅力的だって思ってくれてるんだ?」
「まあ、君はかっこいいですからね、顔とか、普通に」
クロヴィスは「へぇ」と口の端を上げ、悪戯っぽく笑った。
「カナトが好きだっていってたから、可愛い方がタイプだと思っていたけど。僕の顔、好きなんだ?」
ぐいっと顔を近づけられて、思わず身を引く。
にこりと笑うその綺麗な顔を好きか嫌いかと聞かれたら、間違いなく好ましい。綺麗なものを嫌う人間は、まずいないだろう。
「……嫌いでは、ありませんね」
誤魔化すようにそう答えると、クロヴィスはくすくすと笑った。
ああやっぱり、君は笑っている方がいい。
「はやくその可愛い口から、僕のことが好きだって言わせたいな」
クロヴィスの指先が、俺の唇をそっとなぞった。
* * *
自室の扉を閉め、その場でずるりと座り込む。
どっとした疲労と脱力感に襲われて、はぁっと深く息を吐いた。
今まで我慢していたものを吐き出すように、背中を丸めながら何度も咳き込むと、口の中にじわりと鉄の味が広がる。口の端から垂れた血を手の甲で拭いながら、もう一度大きく息を吐いた。
「……やっぱり、反動が大きいな」
やはり、無理に魔力を引き出して魔法を使うのは、身体に大きく負担をかける。久しぶりに使った魔法は、思っていたよりも辛かった。数年前はここまでの反動ほどではなかったのにな。
今日は、薬を少し多めに飲んでおこう。
この病は、少しずつ俺を蝕んでいく。
タイムリミットは、刻一刻と迫っていた。
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