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一章 旅謎調査人とバンコクのスコポラミン 1/4
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『旅にまつわるお悩み相談、不思議の調査等、受け付けます。お気軽にメッセージください。』
——タイのバンコクの路上で、スマートフォンを開くと、そう表示されていた。
インターネット上で、旅についての検索を繰り返しているうちに、辿り着いたようだ。『旅謎(たびなぞ)調査社 日本支部』と続いている。会社のホームページに見える。
(調査社って探偵みたいなところかなぁ。うーん……気になるけど……)
私の指は、それを消す。
旅謎調査社なんて、聞いたこともない。
あやしいサービスに、立ち止まっている余裕はない。再び、歩き始める。
私の名前は、佐藤沙羅(さとうさら)、二十歳。
出身は埼玉県川口市、夏休み中の大学二年生で……今朝、実家を出て、成田空港の格安航空に乗り、六時間のフライトを経て、タイにきたばかりだ。
安物スーツケースに数日分の衣服を詰め、いつも使っているハンドバッグと日用品を持ち、お気に入りのワンピースを着て出国した。
こんな準備で良かったのか……初めての海外旅行なのに一人で来てしまったことを含め、不安なところだ。
ただ、スマートフォンに東南アジア用SIMカードを入れてきたのは良かったと思う。これが頼りだ。現地でもネットにつながり、地図で現在地が表示される。入国してから、交通手段に困惑したものの、なんとか街中まで出てこられた。
歩む路面は濡れている。雨を吸って黒くなったアスファルト。けれど空に雲はない。時刻は夕暮れ。私がくる前にスコールでもあったのかもしれない。急速に蒸発し、地面から立ち上る熱気に、蒸し焼きにされそうだ。
額の汗を、ウェットティッシュで拭う。
目に入るものは、いまだ新しさを主張するようにギラギラとした高層ビル、ガラス張りの巨大なショッピングモール、TOYOTA製だけれど緑と黄色の塗装をした日本で見かけないタクシー……。
(バンコクって、立派な都会なんだなぁ)
だんだんと橙色に染まっていく街中で、そう思う。
この場所は、首都バンコクを縦断するチャオプラヤ川の東岸で、国の中心を担う地区らしい。経済的豊かさについては、日本の都市とほとんど同じように感じる。
そんなところでうつむいてスマートフォンばかり見ている私はまるで、『迷子になった残念な日本女子』だろう。
はい。すみません。
実は、行くあてがない……今夜泊まるホテルが、ないのです。
とにかく今は、周辺のホテルの空き情報を確認する。一泊一万円くらいの部屋ばかりが表示されるけれど、普通の家庭、普通の大学生の私に、そんな金銭的余裕はない。
この地区に来たのが間違いだったのかもしれない。旅慣れた人なら、きっと安宿街に行くのだろう。でも、一人じゃ怖くて、綺麗で安全そうな場所を目指してしまった。
ふと、目の前にカラフルな看板があることに気づいた。極彩色のカクテルの絵柄に、日本語で『いらしやいませ シアワセカクテル素晴らしい景色』とあった。よく見れば、他の言語でも説明書がある。
タイ語は……蛇が小さくなって死んだみたいな形をしている。読めない。英語で読むことにすると、目の前のモダンな高層ビルが、『オークラ プレステージ バンコク』という日系ホテルで、その中にルーフトップバーというところがあるらしい。
(このホテルのバーなら、寄りたい)
本能的に、日系なら安心だ、と思ってしまう。
裕福そうな欧米人が、ホテルの回転扉から入っていく。漏れ出た室内の冷気が私の前まで流れてきて、消えた。
早く、涼しく、オシャレなところで、癒やされたい。
私も、ビルの中へ入って行く。高級ホテルにありがちなツンとしたフレグランス。冷房は強め。お高級な宿泊のご案内をされないように、こそこそと『和 OMOTENASHI Roof top Bar』の表示に従って、エレベーターに乗り込む。24階に着いた頃には、顔の汗は引いていた。
「サワディカー」
白い制服を着た小綺麗な女性店員が胸元で手を合わせ、私にタイ語の挨拶をする。「さ、サワディカー……」とぎこちなく返す一人の私を見て、余計なことも言わず、微笑みながら「こちらにどゥぞ」とタイ訛りの日本語で案内をしてくれた。
ぱっと見で日本人だと見抜かれるのは、海外にきて不思議に思うことの1つだ。自分のアイデンティティが認められたようで、少し嬉しい。
導かれ、歩きながら見る空間は、ラグジュアリー。黒とグレーをベースにしたオシャレで大人な雰囲気をしている。高層階に設けられた大きく開放的なルーフトップバーは、バンコクの空に浮かぶ船のデッキのようだ。店員は、メニューを持ってくると言い立ち去った。
一人、眺望の良いテラス席のソファに座って見れば、
(……素敵な、景色)
バンコクは少しずつ陽が沈んでいくところだった。西の雄大なチャオプラヤ川の水面と、川岸に乱立するビル群のガラスに暖かな緋色が乱反射している。遠くには、日本とは異なる世界にきた印のように、黄金色をした寺院の仏塔が輝いている。わずか半日、日付すら変わらず、私は日本の地方都市から南国に来ていた。
高所のせいか、冷房と外気の急な行き来のせいか、気持ちが昂揚していく。息を吸うと、厨房から漂うエスニック料理のスパイシィな匂い、ブッフェ台のマンゴーの芳香。聞こえるのは、数組の欧米人の大げさな会話、知らないタイミュージックのEDMアレンジ……。
こうした馴染みのないカオスに触れることを、異国情緒というのだろうか。私は旅情を、解放感を、そして孤独を感じながら、固まっていた。
そんな姿に目をつけたのか、
「やあ! 日本の女の子でしょ?(Hello, Girl! Are you Japanese?)」
チャラい風貌の、タイ人青年が話しかけてきた。
(これって、ナンパだろうか……)
戸惑いながら、見返す。その男は、東南アジア的には見た目が良い方なのかもしれない。でも、その勢いが良すぎる喋り方、強い香水の臭いに好感は持てなかった。
「え、韓国人? どこから来たの? てか英語ダメなの?(……Oh, Korean? Which your country? No English?)」
矢継ぎ早な質問を受ける。英語はやや訛りがあり、くだけている。それでも私には日本語のように聞き取れた。物心ついた時から英語の歌を聴き慣れていて、英語のリスニングだけは得意なのだ。
「わかりますよ。日本人で合ってます。出身は埼玉ですよ(I can hear you. I’m a Japanese, you're right. I’m from SAITAMA.)」
と拙い英語で返せば、
「そっか、俺は日本が好きなんだ! さいたまって知ってる、クレヨンしんちゃんだろ! いつか日本に行って、本物を見るのが夢なんだ!」
彼は英語で喋りながら私の向かいのソファに勝手に座った。
「……そうですか」
私は、アイ シー(I see)と言っただけ。ツッコミどころはあったけど、うまく返せる英語力も、コミュニケーション力も、持っていない。
「俺の名前はベン。君は美しく、エレガントな女性だ! ここでナンバーワンだから声をかけたんだ」
「はぁ」
つい苦笑してしまう。平凡な顔と軀の私に、お言葉が過ぎませんか。
それからも、ベンと名乗ったタイのナンパ男は、「バンコク初めて?」「結婚してるのかい? 俺はしていないんだ」「タイの女は品がない」と喋り続けた。私はただ、ぼんやりと適当な相づちを打つ。
話を聴いて、ええ、とかアーハァ↑とか言ってるだけでも、喉が渇いてきた。
(メニュー、まだかなぁ。もう、注文しに行こうかな)
そう思った時、先ほどの店員がドリンクメニューを持ってきた。それをベンが、
「喉が渇いたよね。僕がここのオススメを選んであげるよ」
と手に取り、一番高いカクテルを指さし、「サクラマティーニ!」と注文しようとする。
「ちょっと、やめてください」
制止しようとするも、
「バンコクにきた君へのプレゼントだ。もちろん俺が支払うよ」
ナンパ男は、百バーツの札を四枚(約千二百円)、手早く店員に渡してしまった。
(どうしよう……このチャラい人のペースに乗せられてるよね……でも……)
初めての旅に、非日常的な空間。不思議な昂揚感の中で、人の好意を拒絶できなかった。それに、思い出す。サクラマティーニという名のカクテルはガイドブックにも載っていた、有名なものだ。それを見、味わう楽しみの方が勝ってしまう。
私がもじもじとしているうちに、その名物カクテルは、銀のトレイに乗って運ばれて、テーブルに置かれる。
美しい、桜色のカクテルだ。トリュフチョコレートが3個もお団子みたいに竹串に刺さって乗っかっている。お酒も好きだけど、甘味もあるとは——垂涎ものだった。
これだけいただいて、もうちょっとだけ愛想良く相づちうったら、帰ればいいんじゃないかな。
「ちょっと待ってね、俺がタイの魔法をかけるから——」
ベンは、カクテルを両手で覆うとタイ語でなにやら唱えた。そしてサクラマティーニを夕陽に掲げてしばらく見つめ、大きく笑ってから、私に手渡した。
「チャオプラヤリバーに沈む美しいサンセットと、君との出会いというギフトに、乾杯」
なんてキザなセリフ、日本で聞いたら吹き出してしまったろう。
「えっと……うーんと……ありがとうございます」
高価なカクテルを振る舞われ、さすがにサンキューの一言は、絞り出す。
そして、カクテルグラスに、口を、つけた、
その時だった。
カツン、カツン、と一直線にこちらに向かってくる、革靴の音。
その人は——私の目の前で止まって。
王女に跪くナイトのように、私の視線までかがんで、一拍置いてから、日本語で言った。
「今から僕の言うことが、合っていたら、黙って首を横に振ってください」
息をするのを忘れるような、イケメンだった。
歳は二十代半ばのようだけれど……年齢不詳な雰囲気がある、青年だ。白い肌、細身の肉体はムダがなく引き締まっている。艶のある少し長めの髪と睫毛、整った目鼻立ちは女の自分が欲しかったパーツで、中性的な美しさを持っている。
「——調査に、ご協力をお願いしたいのです」
『旅にまつわるお悩み相談、不思議の調査等、受け付けます。お気軽にメッセージください。』
——タイのバンコクの路上で、スマートフォンを開くと、そう表示されていた。
インターネット上で、旅についての検索を繰り返しているうちに、辿り着いたようだ。『旅謎(たびなぞ)調査社 日本支部』と続いている。会社のホームページに見える。
(調査社って探偵みたいなところかなぁ。うーん……気になるけど……)
私の指は、それを消す。
旅謎調査社なんて、聞いたこともない。
あやしいサービスに、立ち止まっている余裕はない。再び、歩き始める。
私の名前は、佐藤沙羅(さとうさら)、二十歳。
出身は埼玉県川口市、夏休み中の大学二年生で……今朝、実家を出て、成田空港の格安航空に乗り、六時間のフライトを経て、タイにきたばかりだ。
安物スーツケースに数日分の衣服を詰め、いつも使っているハンドバッグと日用品を持ち、お気に入りのワンピースを着て出国した。
こんな準備で良かったのか……初めての海外旅行なのに一人で来てしまったことを含め、不安なところだ。
ただ、スマートフォンに東南アジア用SIMカードを入れてきたのは良かったと思う。これが頼りだ。現地でもネットにつながり、地図で現在地が表示される。入国してから、交通手段に困惑したものの、なんとか街中まで出てこられた。
歩む路面は濡れている。雨を吸って黒くなったアスファルト。けれど空に雲はない。時刻は夕暮れ。私がくる前にスコールでもあったのかもしれない。急速に蒸発し、地面から立ち上る熱気に、蒸し焼きにされそうだ。
額の汗を、ウェットティッシュで拭う。
目に入るものは、いまだ新しさを主張するようにギラギラとした高層ビル、ガラス張りの巨大なショッピングモール、TOYOTA製だけれど緑と黄色の塗装をした日本で見かけないタクシー……。
(バンコクって、立派な都会なんだなぁ)
だんだんと橙色に染まっていく街中で、そう思う。
この場所は、首都バンコクを縦断するチャオプラヤ川の東岸で、国の中心を担う地区らしい。経済的豊かさについては、日本の都市とほとんど同じように感じる。
そんなところでうつむいてスマートフォンばかり見ている私はまるで、『迷子になった残念な日本女子』だろう。
はい。すみません。
実は、行くあてがない……今夜泊まるホテルが、ないのです。
とにかく今は、周辺のホテルの空き情報を確認する。一泊一万円くらいの部屋ばかりが表示されるけれど、普通の家庭、普通の大学生の私に、そんな金銭的余裕はない。
この地区に来たのが間違いだったのかもしれない。旅慣れた人なら、きっと安宿街に行くのだろう。でも、一人じゃ怖くて、綺麗で安全そうな場所を目指してしまった。
ふと、目の前にカラフルな看板があることに気づいた。極彩色のカクテルの絵柄に、日本語で『いらしやいませ シアワセカクテル素晴らしい景色』とあった。よく見れば、他の言語でも説明書がある。
タイ語は……蛇が小さくなって死んだみたいな形をしている。読めない。英語で読むことにすると、目の前のモダンな高層ビルが、『オークラ プレステージ バンコク』という日系ホテルで、その中にルーフトップバーというところがあるらしい。
(このホテルのバーなら、寄りたい)
本能的に、日系なら安心だ、と思ってしまう。
裕福そうな欧米人が、ホテルの回転扉から入っていく。漏れ出た室内の冷気が私の前まで流れてきて、消えた。
早く、涼しく、オシャレなところで、癒やされたい。
私も、ビルの中へ入って行く。高級ホテルにありがちなツンとしたフレグランス。冷房は強め。お高級な宿泊のご案内をされないように、こそこそと『和 OMOTENASHI Roof top Bar』の表示に従って、エレベーターに乗り込む。24階に着いた頃には、顔の汗は引いていた。
「サワディカー」
白い制服を着た小綺麗な女性店員が胸元で手を合わせ、私にタイ語の挨拶をする。「さ、サワディカー……」とぎこちなく返す一人の私を見て、余計なことも言わず、微笑みながら「こちらにどゥぞ」とタイ訛りの日本語で案内をしてくれた。
ぱっと見で日本人だと見抜かれるのは、海外にきて不思議に思うことの1つだ。自分のアイデンティティが認められたようで、少し嬉しい。
導かれ、歩きながら見る空間は、ラグジュアリー。黒とグレーをベースにしたオシャレで大人な雰囲気をしている。高層階に設けられた大きく開放的なルーフトップバーは、バンコクの空に浮かぶ船のデッキのようだ。店員は、メニューを持ってくると言い立ち去った。
一人、眺望の良いテラス席のソファに座って見れば、
(……素敵な、景色)
バンコクは少しずつ陽が沈んでいくところだった。西の雄大なチャオプラヤ川の水面と、川岸に乱立するビル群のガラスに暖かな緋色が乱反射している。遠くには、日本とは異なる世界にきた印のように、黄金色をした寺院の仏塔が輝いている。わずか半日、日付すら変わらず、私は日本の地方都市から南国に来ていた。
高所のせいか、冷房と外気の急な行き来のせいか、気持ちが昂揚していく。息を吸うと、厨房から漂うエスニック料理のスパイシィな匂い、ブッフェ台のマンゴーの芳香。聞こえるのは、数組の欧米人の大げさな会話、知らないタイミュージックのEDMアレンジ……。
こうした馴染みのないカオスに触れることを、異国情緒というのだろうか。私は旅情を、解放感を、そして孤独を感じながら、固まっていた。
そんな姿に目をつけたのか、
「やあ! 日本の女の子でしょ?(Hello, Girl! Are you Japanese?)」
チャラい風貌の、タイ人青年が話しかけてきた。
(これって、ナンパだろうか……)
戸惑いながら、見返す。その男は、東南アジア的には見た目が良い方なのかもしれない。でも、その勢いが良すぎる喋り方、強い香水の臭いに好感は持てなかった。
「え、韓国人? どこから来たの? てか英語ダメなの?(……Oh, Korean? Which your country? No English?)」
矢継ぎ早な質問を受ける。英語はやや訛りがあり、くだけている。それでも私には日本語のように聞き取れた。物心ついた時から英語の歌を聴き慣れていて、英語のリスニングだけは得意なのだ。
「わかりますよ。日本人で合ってます。出身は埼玉ですよ(I can hear you. I’m a Japanese, you're right. I’m from SAITAMA.)」
と拙い英語で返せば、
「そっか、俺は日本が好きなんだ! さいたまって知ってる、クレヨンしんちゃんだろ! いつか日本に行って、本物を見るのが夢なんだ!」
彼は英語で喋りながら私の向かいのソファに勝手に座った。
「……そうですか」
私は、アイ シー(I see)と言っただけ。ツッコミどころはあったけど、うまく返せる英語力も、コミュニケーション力も、持っていない。
「俺の名前はベン。君は美しく、エレガントな女性だ! ここでナンバーワンだから声をかけたんだ」
「はぁ」
つい苦笑してしまう。平凡な顔と軀の私に、お言葉が過ぎませんか。
それからも、ベンと名乗ったタイのナンパ男は、「バンコク初めて?」「結婚してるのかい? 俺はしていないんだ」「タイの女は品がない」と喋り続けた。私はただ、ぼんやりと適当な相づちを打つ。
話を聴いて、ええ、とかアーハァ↑とか言ってるだけでも、喉が渇いてきた。
(メニュー、まだかなぁ。もう、注文しに行こうかな)
そう思った時、先ほどの店員がドリンクメニューを持ってきた。それをベンが、
「喉が渇いたよね。僕がここのオススメを選んであげるよ」
と手に取り、一番高いカクテルを指さし、「サクラマティーニ!」と注文しようとする。
「ちょっと、やめてください」
制止しようとするも、
「バンコクにきた君へのプレゼントだ。もちろん俺が支払うよ」
ナンパ男は、百バーツの札を四枚(約千二百円)、手早く店員に渡してしまった。
(どうしよう……このチャラい人のペースに乗せられてるよね……でも……)
初めての旅に、非日常的な空間。不思議な昂揚感の中で、人の好意を拒絶できなかった。それに、思い出す。サクラマティーニという名のカクテルはガイドブックにも載っていた、有名なものだ。それを見、味わう楽しみの方が勝ってしまう。
私がもじもじとしているうちに、その名物カクテルは、銀のトレイに乗って運ばれて、テーブルに置かれる。
美しい、桜色のカクテルだ。トリュフチョコレートが3個もお団子みたいに竹串に刺さって乗っかっている。お酒も好きだけど、甘味もあるとは——垂涎ものだった。
これだけいただいて、もうちょっとだけ愛想良く相づちうったら、帰ればいいんじゃないかな。
「ちょっと待ってね、俺がタイの魔法をかけるから——」
ベンは、カクテルを両手で覆うとタイ語でなにやら唱えた。そしてサクラマティーニを夕陽に掲げてしばらく見つめ、大きく笑ってから、私に手渡した。
「チャオプラヤリバーに沈む美しいサンセットと、君との出会いというギフトに、乾杯」
なんてキザなセリフ、日本で聞いたら吹き出してしまったろう。
「えっと……うーんと……ありがとうございます」
高価なカクテルを振る舞われ、さすがにサンキューの一言は、絞り出す。
そして、カクテルグラスに、口を、つけた、
その時だった。
カツン、カツン、と一直線にこちらに向かってくる、革靴の音。
その人は——私の目の前で止まって。
王女に跪くナイトのように、私の視線までかがんで、一拍置いてから、日本語で言った。
「今から僕の言うことが、合っていたら、黙って首を横に振ってください」
息をするのを忘れるような、イケメンだった。
歳は二十代半ばのようだけれど……年齢不詳な雰囲気がある、青年だ。白い肌、細身の肉体はムダがなく引き締まっている。艶のある少し長めの髪と睫毛、整った目鼻立ちは女の自分が欲しかったパーツで、中性的な美しさを持っている。
「——調査に、ご協力をお願いしたいのです」
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