20 / 51
20. ドレス
仮病は続いた。部屋に籠る日々。あれ以来、リアム様が訪れることはなかった。カリナによれば、アリスは相変わらず彼にべったりだという。彼女はこの屋敷に巣食っている。まるで、女王蜘蛛のように。
『――またこちらから連絡をする』
耳の奥にこびりつく声。それは私の祈りとなる。
その時は、思ったよりも早く訪れた。窓を叩く音。見れば、青い光を纏った小鳥が窓枠にとまっている。せわしなく嘴でガラスをつつく。その瞳は、透き通るような青。
恐る恐る窓を開ける。鳥は室内に滑り込み――弾けた。光の粒子が、一枚の紙片へと変わる。
『週末、迎えをやる。街へ出よう』
差出人の名はない。記されていたのは待ち合わせ場所と、ふわりと香る白檀の残り香だけ。読み終えると同時に、紙は跡形もなく空気に溶けて消えた。
――魔術。
おとぎ話の中でしか知らなかった奇跡。生まれて初めて目にするそれは、あまりにも美しかった。
約束の週末が訪れる。
私はクローゼットの前で立ち尽くしていた。並んでいるのは、流行遅れのドレスばかり。
実家からの支援金も持参金も、すべては当主である公爵が管理している。「将来のため」という美名のもとに没収され、一方でリアム様がそれを食い潰す。アリスへの贈り物として、煌びやかなドレスや宝石に消えていく。私に自由になる金など一銭もない。
比較的見るに耐える、紺色のデイドレスを手に取った。色褪せているが、ほつれは繕ってある。これが、私の精一杯だった。
屋敷から離れた木立の陰に、紋章のない黒塗りの馬車が、ひっそりと停まっていた。
御者台には、手綱を握る人影がある。ユリアナが近づくと、影は素早く、かつ音もなく地面へと降り立った。
「お待ちしておりました、ユリアナ様。フィンレイ様の付き人のギデオンと申します」
ギデオン。先日の舞踏会で、ユリアナを屋敷まで送ってくれた男だ。三十代前半くらいだろうか。銀縁の眼鏡の奥には、感情を排した理知的な瞳。仕立ての良いスーツを隙なく着こなし、背筋は剣のように伸びている。
彼は一礼すると、流れるような動作で馬車の扉を開け放った。促され、ステップを上がる。中にいた人物を見て、息を呑んだ。
「やあ」
窓枠に肘をつき、彼は優雅に微笑んでみせた。フィンレイ様。首元のタイを外し、シャツのボタンをラフに開けている。上着はなく、ベスト姿だ。この前の舞踏会の夜とは違って、リラックスした装いなのに、隠しきれない気品が溢れる。
フィンレイ様に促され、向かいの席に座る。私は自分の着古したドレスが、急に恥ずかしくなって、隠すようにドレスの裾を握りしめた。
「……この前とは違うな。少なくともボロ布ではない」
彼は私の装いを一瞥し、小さく口元を緩めた。
「――少し、地味だが」
「申し訳ありません、あまり新しい服を持っていないんです……」
恥ずかしさで顔が沸騰しそうだ。穴があったら入りたい。
縮こまる私に、彼の長い指が伸びてきた。あ、と声を漏らす間もなく、私のほつれた髪を優しく梳く。至近距離にあるブルーの瞳。視線が絡む。
「別に謝らなくていい。そんなに悪くない」
苦笑する彼につられ、私の強張りも少しだけ解ける。彼は改めて私の装いを見つめ、優しく目を細めた。
「ただ、そのドレスでは素材が泣いている」
「そ、そうでしょうか?」
「ああ。君にはもっと似合う色がある。――試してみるか?」
悪戯を見つけた子供のように、彼の口元が弧を描いた。私は流されるままに、小さく頷いた。
『――またこちらから連絡をする』
耳の奥にこびりつく声。それは私の祈りとなる。
その時は、思ったよりも早く訪れた。窓を叩く音。見れば、青い光を纏った小鳥が窓枠にとまっている。せわしなく嘴でガラスをつつく。その瞳は、透き通るような青。
恐る恐る窓を開ける。鳥は室内に滑り込み――弾けた。光の粒子が、一枚の紙片へと変わる。
『週末、迎えをやる。街へ出よう』
差出人の名はない。記されていたのは待ち合わせ場所と、ふわりと香る白檀の残り香だけ。読み終えると同時に、紙は跡形もなく空気に溶けて消えた。
――魔術。
おとぎ話の中でしか知らなかった奇跡。生まれて初めて目にするそれは、あまりにも美しかった。
約束の週末が訪れる。
私はクローゼットの前で立ち尽くしていた。並んでいるのは、流行遅れのドレスばかり。
実家からの支援金も持参金も、すべては当主である公爵が管理している。「将来のため」という美名のもとに没収され、一方でリアム様がそれを食い潰す。アリスへの贈り物として、煌びやかなドレスや宝石に消えていく。私に自由になる金など一銭もない。
比較的見るに耐える、紺色のデイドレスを手に取った。色褪せているが、ほつれは繕ってある。これが、私の精一杯だった。
屋敷から離れた木立の陰に、紋章のない黒塗りの馬車が、ひっそりと停まっていた。
御者台には、手綱を握る人影がある。ユリアナが近づくと、影は素早く、かつ音もなく地面へと降り立った。
「お待ちしておりました、ユリアナ様。フィンレイ様の付き人のギデオンと申します」
ギデオン。先日の舞踏会で、ユリアナを屋敷まで送ってくれた男だ。三十代前半くらいだろうか。銀縁の眼鏡の奥には、感情を排した理知的な瞳。仕立ての良いスーツを隙なく着こなし、背筋は剣のように伸びている。
彼は一礼すると、流れるような動作で馬車の扉を開け放った。促され、ステップを上がる。中にいた人物を見て、息を呑んだ。
「やあ」
窓枠に肘をつき、彼は優雅に微笑んでみせた。フィンレイ様。首元のタイを外し、シャツのボタンをラフに開けている。上着はなく、ベスト姿だ。この前の舞踏会の夜とは違って、リラックスした装いなのに、隠しきれない気品が溢れる。
フィンレイ様に促され、向かいの席に座る。私は自分の着古したドレスが、急に恥ずかしくなって、隠すようにドレスの裾を握りしめた。
「……この前とは違うな。少なくともボロ布ではない」
彼は私の装いを一瞥し、小さく口元を緩めた。
「――少し、地味だが」
「申し訳ありません、あまり新しい服を持っていないんです……」
恥ずかしさで顔が沸騰しそうだ。穴があったら入りたい。
縮こまる私に、彼の長い指が伸びてきた。あ、と声を漏らす間もなく、私のほつれた髪を優しく梳く。至近距離にあるブルーの瞳。視線が絡む。
「別に謝らなくていい。そんなに悪くない」
苦笑する彼につられ、私の強張りも少しだけ解ける。彼は改めて私の装いを見つめ、優しく目を細めた。
「ただ、そのドレスでは素材が泣いている」
「そ、そうでしょうか?」
「ああ。君にはもっと似合う色がある。――試してみるか?」
悪戯を見つけた子供のように、彼の口元が弧を描いた。私は流されるままに、小さく頷いた。
あなたにおすすめの小説
とっていただく責任などありません
まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、
団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。
この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!?
ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。
責任を取らなければとセルフイスから、
追いかけられる羽目に。
【完結】妹ばかり愛され追い出された姉ですが、無口な夫と暮らす日々が幸せすぎます
コトミ
恋愛
セラフィナは、実の親と、妹によって、家から追い出されることとなった。セラフィナがまだ幼い頃、両親は病弱なカタリナのため設備環境が良い王都に移り住んだ。姉のセラフィナは元々両親とともに住んでいた田舎に使用人のマーサの二人きりで暮らすこととなった。お金のない子爵家な上にカタリナのためお金を稼がなくてはならないため、子供二人を王都で暮らすには無理があるとセラフィナだけ残されたのだ。そしてセラフィナが19歳の時、3人が家へ戻ってきた。その理由はカタリナの婚約が上手くいかず王宮にいずらくなったためだ。やっと家族で暮らせると心待ちにしていたセラフィナは帰宅した父に思いがけないことを告げられる。
「お前はジェラール・モンフォール伯爵と結婚することになった。すぐに荷物をまとめるんだ。一週間後には結婚式だ」
困惑するセラフィナに対して、冷酷にも時間は進み続け、結婚生活が始まる。
【完結】離縁したいのなら、もっと穏便な方法もありましたのに。では、徹底的にやらせて頂きますね
との
恋愛
離婚したいのですか? 喜んでお受けします。
でも、本当に大丈夫なんでしょうか?
伯爵様・・自滅の道を行ってません?
まあ、徹底的にやらせて頂くだけですが。
収納スキル持ちの主人公と、錬金術師と異名をとる父親が爆走します。
(父さんの今の顔を見たらフリーカンパニーの団長も怯えるわ。ちっちゃい頃の私だったら確実に泣いてる)
ーーーーーー
ゆるふわの中世ヨーロッパ、幻の国の設定です。
32話、完結迄予約投稿済みです。
R15は念の為・・
婚約破棄ですか???実家からちょうど帰ってこいと言われたので好都合です!!!これからは復讐をします!!!~どこにでもある普通の令嬢物語~
tartan321
恋愛
婚約破棄とはなかなか考えたものでございますね。しかしながら、私はもう帰って来いと言われてしまいました。ですから、帰ることにします。これで、あなた様の口うるさい両親や、その他の家族の皆様とも顔を合わせることがないのですね。ラッキーです!!!
壮大なストーリーで奏でる、感動的なファンタジーアドベンチャーです!!!!!最後の涙の理由とは???
一度完結といたしました。続編は引き続き書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
砕けた愛
篠月珪霞
恋愛
新婚初夜に男に襲われた公爵令嬢エヴリーヌは、不義密通の罪を被せられた。反逆罪に問われた彼女の一族は処刑されるが、気付くと時間が巻き戻っていた。
あなたへの愛? そんなものとうに、砕け散ってしまいました。
選ばれたのは私ではなかった。ただそれだけ
暖夢 由
恋愛
【5月20日 90話完結】
5歳の時、母が亡くなった。
原因も治療法も不明の病と言われ、発症1年という早さで亡くなった。
そしてまだ5歳の私には母が必要ということで通例に習わず、1年の喪に服すことなく新しい母が連れて来られた。彼女の隣には不思議なことに父によく似た女の子が立っていた。私とあまり変わらないくらいの歳の彼女は私の2つ年上だという。
これからは姉と呼ぶようにと言われた。
そして、私が14歳の時、突然謎の病を発症した。
母と同じ原因も治療法も不明の病。母と同じ症状が出始めた時に、この病は遺伝だったのかもしれないと言われた。それは私が社交界デビューするはずの年だった。
私は社交界デビューすることは叶わず、そのまま治療することになった。
たまに調子がいい日もあるが、社交界に出席する予定の日には決まって体調を崩した。医者は緊張して体調を崩してしまうのだろうといった。
でも最近はグレン様が会いに来ると約束してくれた日にも必ず体調を崩すようになってしまった。それでも以前はグレン様が心配して、私の部屋で1時間ほど話をしてくれていたのに、最近はグレン様を姉が玄関で出迎え、2人で私の部屋に来て、挨拶だけして、2人でお茶をするからと消えていくようになった。
でもそれも私の体調のせい。私が体調さえ崩さなければ……
今では月の半分はベットで過ごさなければいけないほどになってしまった。
でもある日婚約者の裏切りに気づいてしまう。
私は耐えられなかった。
もうすべてに………
病が治る見込みだってないのに。
なんて滑稽なのだろう。
もういや……
誰からも愛されないのも
誰からも必要とされないのも
治らない病の為にずっとベッドで寝ていなければいけないのも。
気付けば私は家の外に出ていた。
元々病で外に出る事がない私には専属侍女などついていない。
特に今日は症状が重たく、朝からずっと吐いていた為、父も義母も私が部屋を出るなど夢にも思っていないのだろう。
私は死ぬ場所を探していたのかもしれない。家よりも少しでも幸せを感じて死にたいと。
これから出会う人がこれまでの生活を変えてくれるとも知らずに。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
悪女役らしく離婚を迫ろうとしたのに、夫の反応がおかしい
廻り
恋愛
第18回恋愛小説大賞にて奨励賞をいただきました。応援してくださりありがとうございました!
レジーナブックス様から書籍が4月下旬に発売されます!
王太子妃シャルロット20歳は、前世の記憶が蘇る。
ここは小説の世界で、シャルロットは王太子とヒロインの恋路を邪魔する『悪女役』。
『断罪される運命』から逃れたいが、夫は離婚に応じる気がない。
ならばと、シャルロットは別居を始める。
『夫が離婚に応じたくなる計画』を思いついたシャルロットは、それを実行することに。
夫がヒロインと出会うまで、タイムリミットは一年。
それまでに離婚に応じさせたいシャルロットと、なぜか様子がおかしい夫の話。