【完結】今さら執着されても困ります

リリー

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50. 未来へ

 教会は息苦しかった。安っぽい薫香クンコウの匂いと、盲目的な信者たちの熱気がヨドんでいる。

 フィンレイは柱に寄りかかり、腕を組んだ。そのブルーの瞳は冷ややかに、祭壇で繰り広げられる茶番劇を見下ろしていた。

「次」

 予言師と呼ばれる男が、赤子の額に枯れ木のような手を置く。大仰な沈黙。芝居がかった痙攣。

「この子の胸には火がある。鉄を振るうだろう……」

 母親が感涙にむせぶ。群衆が感嘆の溜息をつく。よくできた喜劇だ。

「……そういうことか」

 フィンレイは呟いた。その唇に、からくりを解いた愉悦と、侮蔑の色が浮かぶ。隣で、ユリアナが不安げに彼を見上げた。

「どうされましたか?」

「予言師のからくりだ。あれは詐欺だよ」

 彼は声を潜め、彼女だけに聞こえるように囁いた。

「彼らは、この国に残存する魔術師のなれの果てだ。術を行使する力は残っていないが、微かな光を見る感度だけはある。……赤子の魂は器が脆く、透明だ。潜在能力や健康状態が透けて見える」

 彼は祭壇の老人を一瞥した。

「奴らは魂の形を覗き見ているだけだ。それを見て、適当な作り話をでっち上げているに過ぎない」

「それでは……」

 ユリアナの顔から血の気が引いた。彼女は自身の腕を抱きしめ、声を震わせた。

「私の魂には、やはり不吉なものが映っていたのでしょうか。誰かが呪わなければならないほど、深い影が?」

「……いや、違う。そうじゃないんだ、ユリアナ」

 フィンレイは彼女の震える手をそっと取り、両手で包み込んだ。そこにはもう、迷いや隠し事はなかった。

「今なら、はっきりと断言できる」

 魔力は、魂に宿る。

 かつて彼女を鑑定した魔術師は、何を見たのか。
 魔術の廃れたこの国で、『アンカー』としての器――強大な魔力を受け止め、無効化する底なしの魂を見たら、どう思うか。
 それは凡庸な術者には、決して祝福には見えなかったはずだ。光を飲み込む、巨大な虚無。底なしのブラックホール。半端な魔術師には、それが得体の知れない化け物に見えたに違いない。
 彼は呪いを見たのではない。理解を超えた器の大きさを恐れたのだ。
 
 すべての辻褄が合った。過去の悲劇も、誤解も、すべては彼女が特別な存在である証明だったのだ。

「フィンレイ様?」

 ユリアナがスガるような目で、言葉を待っている。フィンレイは、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ、愛おしげに微笑んだ。

「君に予言を授けた者は、君の魂の深さを恐れただけだ。彼らにとって、光すら飲み込む君の広大な器は、理解不能な闇に見えたのだろう」

「私の……器?」

「ああ。だが、その闇に見えるものこそが、俺の荒れ狂う嵐を受け止められる、唯一の場所だ」

 彼はユリアナの手の甲に、誓いの口づけを落とした。

「君は呪われてなどいない。君は、俺が世界でただ一人待ち焦がれていた、運命の『対』なんだよ」

 フィンレイの言葉に、ユリアナの目から涙が溢れ出した。それは恐怖の涙ではなく、長年の呪縛が解け落ちた、安堵の涙だった。


――――――


 あの倉庫での悪夢のような事件の後、フィンレイ様は私を、森の奥にある隠れ家へと連れ帰ってくれた。
 すべてが夢の中の出来事のようだった。
 用意されたバスルームで、私は熱いシャワーを浴びた。
 肌にこびりついた倉庫の埃や汚れ、死の恐怖をすべて洗い流すように時間をかけて体を磨く。
 あがると、ふかふかのタオルと共に、シルクのナイトドレスが用意されていた。袖を通すと、滑らかな感触が傷ついた肌を優しく包み込んでくれた。

「ユリアナ様、お食事の準備ができていますわ!」

 リビングへ行くと、そこには賑やかな夕食が待っていた。
 エレナ様が腕を振るったというシチューからは、湯気と共に芳醇な香りが漂っている。

「ほらほら、たくさん食べて体力を戻さないと! あんな不味い薬の後じゃ、口直しが必要でしょう?」

「エレナ様、お声が大きいです。……しかし、味は悪くない」

「素直に美味しいって言いなさいよ、ギデオン!」
 
 二人の軽口の応酬に、私は思わず吹き出した。

 カチャカチャと食器が触れ合う音。温かいスープの味。そして、何より私を気遣ってくれる人たちの笑顔。
 それは私がずっと、冷たい屋敷の中で求め続けていた家族の団欒そのものだった。

「ふふっ……、美味しいです、エレナ様」

 私は口元を押さえ、くすくすと笑った。こんな風に心から笑ったのは、いつぶりだろう。
 ふと視線を感じて顔を上げると、フィンレイ様がグラス越しに、私を眩しそうに見つめていた。その瞳の優しさに、胸がトクンと高鳴る。
 食後のハーブティーを飲み終えた頃、フィンレイ様が立ち上がった。

「ユリアナ。少し、風に当たらないか」

 彼に促され、私はテラスへと出た。
 そこは、息を呑むような満天の星空だった。宝石箱をひっくり返したような星々が、頭上で瞬いている。夜風は少し冷たかったが、隣に並ぶ彼の体温が伝わり、不思議と寒くはなかった。

「……美しいな」

「はい。とても」

 しばらく沈黙が流れた後、フィンレイ様が静かに口を開いた。

「アレクセイに正体が知られた以上、俺はすぐにこの国を去らなければならない。……おそらく、明朝には出発することになる」

「明日の朝、ですか……?」

「ああ。国境を越え、帝国へ戻る」

 その言葉に、ズキリと胸が痛んだ。
 わかっていたことだ。彼は一国の皇太子。いつまでも、こんな場所に留まっていられるはずがない。
 彼は光の世界へ帰るのだ。私のような娘とは住む世界が違う場所へ。

「そう、なんですね……」

 私は必死に笑顔を作った。泣いてはいけない。彼を困らせてはいけない。
 命を救ってもらえただけで十分だ。これ以上を望むなんて、罰が当たる。

「ご無事で。……フィンレイ様の未来が、光あるものであることを祈っています」

 精一杯の強がりで別れを告げようとした、その時だった。

「何を言っているんだ?」

 フィンレイ様が、私の手首を掴んだ。
 驚いて顔を上げると、彼は真剣な眼差しで私を見下ろしていた。
 そして、流れるような動作で、その場に片膝をついたのだ。

 まるで、おとぎ話の中の王子様のように。

「フィ、フィンレイ様……?」

 彼は私の手を取り、その甲に敬虔ケイケンな口づけを落とした。そして、真っ直ぐにそのブルーの瞳で私を射抜いた。

「置いていくわけがないだろう。君は俺の『対』であり、俺の命そのものだ」

「……え?」

「俺と共に来てほしい。帝国へ」

 彼は懐から、銀色に輝く指輪を取り出した。中央には、彼の瞳と同じ、美しいサファイアが埋め込まれている。

「君を、俺の妻として迎えたい。……決して楽な道ではないかもしれない。だが、俺の残りの人生をかけて、君を必ず幸せにすると誓う」

 涙が溢れた。
 視界が滲み、立っていられなくなる。私はその場に泣き崩れそうになりながら、縋るように彼の手を握り返した。

「本当に……いいのですか? 私で……」

「君がいい。君でなければ駄目なんだ」

「……はい。……私で、よろしければ。……どうか、あなたのお側にいさせてください」

 フィンレイ様が優しく微笑み、私の体を抱き寄せる。

 星空の下、私たちは重なり合った。

 触れ合う唇から、温かな魔力と愛が流れ込んでくる。

 それはどんな魔法よりも強く、甘く、私たちの未来を祝福していた。
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