【完結】今さら執着されても困ります

リリー

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※45. 歪

 ※注意喚起:暴行・監禁の表現を含みます。


 ――――――

 フィンレイは弾かれたように目を覚ました。
 びっしょりと寝汗をかいている。悪夢を見ていた。ユリアナが腕の中で砕け散る夢それが脳裏にこびりついて離れない。
 彼は上体を起こし、いつもの胸を焼くような激痛と、血が沸騰するような高熱を覚悟した。
 ……だが、痛みはなかった。あれほど荒れ狂っていた魔力の嵐が、不気味なほど凪いでいる。熱は引き、体はここ数日の倦怠感のすべてが嘘だったように軽かった。
 
 たった一度。昨夜、ほんの一瞬彼女の手に触れただけ。それだけで、彼女は確かに彼を繋ぎ止めたのだ。

 ――治っている。その事実は、安堵ではなく、吐き気を催すほどの自己嫌悪を連れてきた。
 フィンレイはベッドの上で、自分の右手をじっと見つめた。彼女の手を掴んだ手。そして、彼女を突き飛ばした手。

『出ていけ!』

 自分の怒鳴り声が、耳の奥で反響する。彼女を一刻も早く危険から遠ざけたくて、あえて強い言葉をぶつけた。これ以上暴走する魔力に巻き込まないよう、必死で拒絶した。だが、その時の彼女の瞳――傷つき、怯えたあの瞳が、瞼の裏に焼き付いて消えない。

「……傷つけた。この手で」

 彼は虚空に向かって呻いた。アンカーが見つかれば、それで全てがうまくいくと思っていた。運命の相手と出会えれば、この苦痛は終わり、ハッピーエンドが訪れるのだと。
 しかし、現実は残酷すぎた。内側の魔力は強大すぎる。自分が生きるためには、彼女が傍にいなければならない。だがそれは、彼女を常に暴走という致死の危険に晒すことと同義だ。彼女を求めれば求めるほど……彼女を殺しかねない化け物だ。


「殿下」

 扉の外からギデオンの声がした。

「入れ」

 扉が開き、偵察から戻ったギデオンが入ってくる。彼の声は硬く、いつもとは違う緊張を孕んでいた。

「ご報告します。……クロシェード邸に、ユリアナ様の姿が見えません」

「どういうことだ?」

 フィンレイは眉をひそめ、机上の書類から顔を上げた。

「彼女の部屋は空です。使用人たちが噂しています……彼女が煙のように消えてしまったと。おそらく、地図にはない場所に幽閉されたのかと」

 ガタン、と部屋の外で物音がする。

「……ギデオン、今の話本当?」

 扉が開く。エレナが呆然とした顔で部屋の入口に立ち尽くしていた。

 ――――――


 私は死んだように横たわっていた。
 ここには窓がない。朝なのか夜なのかもわからない。時間の感覚はとうに闇に溶けてしまった。

 何度か首輪を外そうと試みたが人間の力ではびくともしなかった。

 フィンレイ様を思った。彼は、生き延びたのだろうか。
 私のことなど忘れていい。助けになど来なくていい。
 ただ、生きてさえいてくれれば。
 あの方が世界のどこかで息をしていてくれること。それだけが、今の私に残された唯一の希望であり、光だった。


 扉が開く音がした。リアム様が食事を運んでくる。だが、その匂いを嗅ぐだけで吐き気がした。食べる気力など、欠片も残っていない。

「起きろ。少しは食べろ」

「……いりません」

「食べろと言っているのが聞こえないのか」

 彼は私の髪を無造作に掴むと、無理やり上体を起こさせた。頭皮が引きつり、悲鳴を上げる。彼は強引にスプーンを口に押し込み、喉の奥へと流し込んだ。

 喉が詰まる。私は激しく咳き込み、涙目で喘いだ。

「汚いな」

 リアム様は吐き捨てるように言った。その目は冷酷で、汚物を見るような色を浮かべている。

「あの男、伯爵とはどういう関係だ? その体で誘惑したのか?」

「違う……そんなこと……ッ」

 髪の毛を引っ張られたまま頬をぶたれる。一度、二度、私は痛みに身をよじった。

「そうだ、もっと暴れろ。許しを請え。ひざまずけ。『呪われた子』であるお前を妻にしてやるなんて寛容な男の俺くらいだ。」

 私は目を見開く。

「知らないと思ったか? 結婚相手の調査をしないわけがないだろう。皆知ってるさ。屋敷のものは皆。それでもなお、父上は金のためにお前を引き取った」

「違うっ! 私は呪われてなんかいません。今のこの状況も、自分の選択の結果です」

 フィンレイ様がかつてあの星空の下で私に言った言葉を思い出す。

『全ての物事には原因と結果がある。君は目の前の結果を、呪いという原因に無理やり結びつけているだけだ。』

 父上も、母上も、私も、この男も、誰もが愚かにも予言に踊らされているのだ。
 私は自嘲気味に笑い、目の前の男につばを吐いた。

「……この期に及んで、まだ逆らうのか?」

 男の顔が、怒りに歪む。
 ビリッ、と嫌な音がした。
 怒りに任せてドレスが引き裂かれる。
 彼の太い指が私の首に食い込み、気道を塞いだ。
 息ができない。目の前が白くチカチカする。生理的な涙が溢れ出した。

 その時だ。
 ふっ、とリアム様の動きが止まった。驚愕に見開かれた目が、次の瞬間、異様な輝きを帯びる。

「……泣いているのか?」

 首の力が緩む。私は激しく咳き込みながら顔を背けた。
 彼はゆっくりと体を起こした。どこか安堵したような、歪んだ笑みが浮かんでいた。

「すまない……泣かせるつもりはなかったんだ。君を愛している。どうか、許してくれ」

 どこまでも噛み合わない言動。暴力の直後に愛を囁くその狂気に、背筋が凍る。
 彼は何事もなかったかのように衣服を整えると、踵を返して部屋を出て行った。
 ガチャリ、と重い錠が下ろされる音が響く。
 私は引き裂かれたドレスをかき集め、もう一度纏う。再び訪れた闇の中で、震える体をそっと自分で抱きしめた。


 しばらく経って、重い鉄の扉が再び軋みを上げて開いた時、部屋の空気が変わった。

 そこに立っていたのは、あまりに完璧で、あまりに優しい――まるで顔に貼り付けたような笑みを浮かべたリアム様だった。その手には、真新しいドレスが抱えられている。

「そんなボロボロの格好で震えて。冷えるだろう?」

 彼の声からは、腐った蜜のような甘さが滴っていた。つい数時間前、自らの手で私の服を引き裂いたことなど、記憶から抜け落ちているかのようだ。

「おいで。着せてやろう」

 それは提案ではなかった。ベルベットに包まれた、絶対的な命令だった。
 私に拒否権などない。抵抗する力も、もう残ってはいなかった。
 鉛のように重い体を引きずって立ち上がり、ただ黙って彼に従った。

「腕を上げて」

 言われるがままに腕を上げる。
 彼は破れたドレスの残骸を剥ぎ取り、新しいシルクの布地を頭から滑らせた。その手つきは丁寧で、まるで、高価で壊れやすい骨董品を扱っているかのよう。
 背中のボタンを留める際、彼の冷たい指先がうなじに触れた。
 ゾクリ、とおぞましい悪寒が背筋を駆け抜け、私は無意識に身を強張らせた。

「うん……。完璧だ」

 着せ終わると、彼は私をくるりと回して正面に向けた。
 その目は、所有欲に満ちた満足げな色で、私の全身を舐めるように査定している。彼は手を伸ばし、乱れた髪を耳にかけると、親指で私の頬を愛おしげに撫でた。

「綺麗だよ、ユリアナ。まるで、本物の人形のようだ」

 私はただ虚ろに立ち尽くしていた。
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