転生ハムスターは王妃を夢見る?

ハイエルフスキー

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第2章 救国のハムスターは新たな人生を歩む

16 救国のハムスターは生きているらしい?

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「では、ここまでにしましょうか。今日の宿題はここからここまでの単語を百回ずつ書き取るだけで結構です」

 家庭教師のロッテンホイヤー女史が、唇を片側だけキュッと持ち上げ、笑顔らしきものを見せて立ち上がる。

 私も立ち上がり、軽く頭を下げて、ありがとうございましたと声に出した。

 毎度のことながら、どれだけ宿題出せば気が済むのよ。

 腱鞘炎けんしょうえんになったらどうすんのよ、と心の中で叫びながら、カツカツと硬質な音を響かせながら去っていく女史をひきつった笑顔で見送る。


 いつも思うのだが、ふっかふっかに敷きつめられた絨毯じゅうたんの上を、どうやったらあんなに足音を響かせて歩けるのか。

 一度、試しにおもいっきり跳び上がって絨毯の上に着地してみたけど、ぱふっという音しかしなかった。

 どんな魔法だよ、と思いながらやわらかなソファーに沈みこんだ私に、ターニャがいつもの愛らしい笑みを浮かべて、水の入ったコップを差し出してくれる。

「ありがとう、ターニャ」

 私が水を飲んでいる間に、ターニャはてきぱきと机の上の本や筆記道具を元あった場所に片づけていく。

 本当にターニャは働き者だ。

 ずっとターニャが専属メイドだったらいいのに、と思いながらも、今の自分の立場では遠からずターニャと引き離されるだろう、とも思う。


 私が人としてこの世界に転生して九カ月がたった。

 晩秋だった季節は初夏を迎え、言葉も日常会話には差し支えないほどのレベルに達している。

 そういった意味では順調なんだけどね、と私はターニャに見つからないように、こっそりと長く深い溜め息を吐き出した。





 転生四カ月目に初めてターニャの名前を呼んだとき、ターニャは大きな瞳が零れんばかりに見開いた目に、いっぱいの涙を浮かべて喜んでくれた。

 それまでずっと傍で母音や子音の発声練習をさんざん繰り返していたというのに、ターニャと呼びかける私の声を聞くまでは、私がまさかしゃべれるとは思っていなかったらしい。

 それからしばらくは、私がターニャと呼びかけるだけで、目がウルウルとするのが可愛くて、必要以上にターニャ、ターニャと呼んでしまった。


 私がしゃべったと聞いたトールは、すぐさま私の前に現われ、私の名前を執拗に聞きだそうとした。

 うーん、どうしようかなと思いながらも、今のところ元ハムスターであると納得させられるだけの、証拠も言語能力もないと判断した私は、ハーモニーという名前を喉から絞り出した。

 一瞬、ハーミアと名乗ろうとしてから、待てよ、と考え直したからだ。

 ハーに続く言葉がモニーしか思い浮かばなかったために、私の名前はそれ以後、ハーモニーということになった。


 その後も色々と、トールのお屋敷に現われるまでの生い立ちや、家族関係などを根掘り葉掘り聞かれたのだけど、私はどう応えたらいいかわからず、ずっと曖昧な笑みを浮かべていた。

 トールは私が言葉がわからないのか、記憶がないのか判断できなかったのだろう。

 私専属の四十歳前後と思われる銀ぶち眼鏡の家庭教師が付けられ、受験生さながらに、ハードモードで文字やら言葉づかいやら教養やらを詰め込まれることになった。


 厳しいながらも指導力に定評のあるロッテンホイヤー女史は、国語を中心に私をみっちり鍛え、わずか三カ月後には、私はこの世界の十歳水準の学力を持つにいたった。

 とはいえ、あまりのスパルタ学習ぶりに、一度はお屋敷を逃げ出そうかと思ったこともあったけど。


 この頃になると、トールの私に対する認識というものがほぼ固まった。

 どうやら、私は召喚獣契約陣に巻き込まれ記憶を失くした人であるという判断をされたようで、専属護衛のクレアが私の前から姿を消した。

 つまり、私が危険な存在ではないと判断されたか、もしくは、重要な存在ではないと判断されたかのどちらかだろう。

 いいことなのか、悪いことなのか、今ひとつわかりかねる。

 ただ、ターニャはそのまま私の専属メイドとされたので、ひとまずはホッとした。


 しかし、このまま放っておけば、私の地位はどんどん低下し、いずれは専属メイドも取り上げられ、しまいには屋敷を追い出されることになるだろう。

 まずい。

 召喚獣契約陣に巻き込まれて人生を台無しにされたとトールに訴えて、引き換えにメイドとして雇ってもらおうかとも思ったけど、できれば現在置かれているお嬢様ポジションを確保したい。

 そんなゲスな思惑にとりつかれた私は、自分が救国のハムスターであると立証するための証拠集めを開始した。


 まずは手始めに、会話の練習という名目で、お屋敷の使用人の方々と世間話をさせてもらった。

 幸いにも転生後の私の容姿は、お人形かはたまた精霊かという、人離れしたほどに整った無表情顔なので、ゲスな思いは表情からは読み取れまいと、手当たり次第にみんなに声を掛けまくり、日々情報を収集した。

 トールを説得し、王太子様の婚約者とまではいかなくとも、手厚くぬくぬく暮らさせてもらおうという下心で、使用人さんたちの休憩部屋にも押しかけた。
 
 そして、ようやくというか、ついにというか、ものすごい情報をゲットしたのだ。



 救国のハムスターである、ハーミア・レンホルムは今なお存命で、王宮で暮らしている――と。



 さすがに、真っ白陶器顔を誇る私の顔色も変わっていたのだろう。

 ターニャが不思議そうに、どうされましたか? と声をかけてきた。

 うん?

 どうもしないよ、と強引に口角を吊り上げて笑みを見せた私を、みんなが目をまん丸にしてガン見していたが、私の意識はすでに、心の奥底に沈みこんでいた。


 生きてるって、どういうこと?

 死んでいないってこと?

 たしかに、自分が死んだっていうのは自分ではわからないよね。 

 でも、じゃあ、私は誰なんだろう?

 まさか、クローン? 

 いやいや、こんな中世ヨーロッパ風のファンタジーな世界にクローンはないよね。

 ということは、私が死んだ後に新しいハムスターが召喚されたってこと?

 たしかに、それならありえる。

 そもそも私は命を三つ持っていた。

 それは王太子様も知っている。

 生まれ変わって、また召喚陣から出てきても不思議ではない。

 私が死んだ後に、別のハムスターが現われたとしたら、もちろん私が生まれ変わったんだという扱いになるだろう。

 でも……そのハムスターは私の記憶を持っていないから、別のハムスターだっていうことになるよね。

 その場合、どうなるんだろう? 

 救国のハムスターとはちがうよねって、お引き取り願うのかな?

 いやいや、それはないよね。

 神の使いが私かどうかなんて、みんなどうだっていいはずだ。

 王太子様はともかく、トールにしたってティトラン王国の人々にしたって、私を必要としてたんじゃない。

 自分たちを守ってくれる神の使いを必要としてたんだ。

 私の記憶を持っていようがいまいが、神の使いでありさえすれば、ありがたやーってなるよね。


 ということは……何の力も持たない私がのこのこ現われて、ハーミアは私ですって言ったって、ウソつきって言われて石を投げられかねない。

 最悪、捕まって牢獄ろうごく送りだ。


 うーん、まいったね、こりゃ。

 とはいえ、転生するときにハムスターじゃなくて人間を選んだ自分のせいだよね。

 ひょっとしたら、大天使が国力の落ちているティトラン王国を守るために、わざわざ私の代わりに新しいハムスターを遣わした可能性だってある。


 うーん、仕方ないね。

 方針転換だ。

 私は記憶を失くした女の子で、名前はハーモニー。

 気がついたら、ティトラン王国の王都ターナンにあるレンホルム伯爵家の召喚獣契約陣の上で倒れていた。

 これからは自分の力で生きていかなければならないけど、幸いにも当主のトール・レンホルム伯爵がお優しい方で、私を手厚く保護してくれている。

 よしっ! 

 スタート位置としては悪くない。

 なにせ伯爵の知り合いだ。

 しかも、伯爵は私に引け目を感じているようだし、温厚で頼りになる。

 この屋敷においてもらえる間になんとか生活の術を身に付けて、自立することを目標としよう。




 そう決意してから、ほぼ一カ月。

 ロッテンホイヤー女史のスパルタ教育のおかげで、さらに学力は向上。

 トールはほとんど姿を現さなくなった。

 できれば、このまま私を放っておいていただきたい。

 お嬢様ポジションのままで。




「ハーモニー様、お待たせいたしました。それでは、午後の散歩にまいりましょう」

 鈴の音のような声にふと頭を持ち上げると、あっというまに机まわりをピッカピカに片付けたターニャが、いつもの愛らしい笑顔を私に向けていた。

「ありがとう、ターニャ」

 ターニャの笑顔に釣られるように、私の硬質の頬がキュッと上がる。

 うまく笑えているといいな、と思いながら、私はターニャの手を取って立ち上がった。
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