18 / 33
蛇足
(13)自分の抱えるものと別の意味を持っていたとしても。
しおりを挟む(なんて野蛮な)
侍女のアンナは、僅かに眉を寄せた。
たとえそれがクラウドであったとしても、騎士団の訓練など深窓の令嬢であるミレーヌに見せるものではない。
アンナはよくもお嬢様をこんな場に連れてきたわねと、デジレの背中をひたすら睨んだ。
(これは不味い…。俺、下手こいた……)
デジレは、自身の失敗を確信していた。
模擬戦は第二部隊の勝利という結果に収まったが、あの戦い方はなんだ。相手が負けを認めるか、反撃不能となれば終了となるため決して反則ではないが、褒められたものでもない。
剣を手放してもなお迷いなく隙をついて相手の足を蹴り払い地面に沈めただけでなく、剣を奪って突き付けるなど誰が想像できただろう。
クラウドの流れるような体術への移行、それを叶える瞬発力と柔軟性は流石と言えるが、騎士らしいのは断然ルーカスの方だ。
実戦ならまだしも、たかが模擬戦でそこまでやる奴はいない。相当相手の事が嫌いで、最初からボコッてやろうと思っていない限りは。
(クラウドのやつ、夜会でルーカスがミレーヌ嬢に告白した事を根に持っていたのか? その割にはこの程度で済んで何よりだけど、当の本人は引いちゃってる……よな?)
恐る恐る視線を向ければ、隣に並ぶミレーヌは大きな瞳を見開き、驚愕の表情を浮かべていた。
胸の前で組んだ両手は微かに震えている。
(やばい…。やっぱりご令嬢には刺激が強かったか。いずれバレるとはいえここはクラウドに見つかる前に彼女を連れて退散した方が……って、うわ!!! クラウドこっち見た!!? うわわわわ来る…っ! まだ呼んでないのに、すげぇ大股で近づいて来たぁあぁ!!!)
「あ、姉上殿…っ! クラウドが」
「ミレーヌ!」
デジレが反射的にミレーヌを背に隠すように回り込むが、時すでに遅し。
クラウドがミレーヌの名を呼ぶと、ミレーヌは「はい」と返事をし、悪びれる事なくひょっこり顔を出した。
幻かと思ったが、本物だ。なぜこんなところに義姉がいるのだと、クラウドは理解が追い付かずにその場で固まった。
そしてゆっくりとデジレへ視線を移し、口を開く。
「…デジレ、これは、どういう…?」
「ひ…っ!? お、俺!?」
「お前以外に、誰に聞けというんだ」
「当事者が目の前にいるだろ! 姉上殿がお前に会いたいと言うから俺は案内しただけだからな?!」
「案内ね…」
緩りと細められた瞳は、全く笑っていない。
苛立ち任せの戦い方を見られてバツが悪いクラウドは、ミレーヌと目を合わせることが出来ない分、デジレにその矛先が向いていた。
(わかる…!!『てめぇ、こんな場所に案内してんじゃねぇよ…』って言いたいんだろ!? いやまさか、お前だってあんな戦い方普段しないじゃん!! 俺だって失敗したって思ってるし、とにかくごめぇぇえん!!)
デジレが模擬戦時よりもダラダラと汗をかきながら、底冷えするような視線から目を逸らすと、隣でふたりの様子を伺っていたミレーヌが遠慮がちに「クラウド」と声を掛けた。
名を呼ばれ、クラウドの瞳は温度を取り戻す。
一見、先ほどと同じように見える緩やかに細められた目元は途端に柔らかさを帯びた。
「お仕事中だってわかっていたのに、勝手な事をしてごめんなさい。どうしても貴方が心配で、デジレ様に無理を言って案内してもらったのよ」
「そうか。それは悪かったな、デジレ」
「え?」
なんだその変わり身は。
先程までの愚かな人間を氷漬けにしてやろうかと言わんばかりの無言の圧はどこへ行ったんだ。
長年の付き合いでわかってはいたが、久しぶりに見るクラウドのシスコンぶりと急に向けられたよそ行きの笑顔に、デジレは大いに戸惑った。
ミレーヌを前にしたクラウドは、その全てが別人のように変わる。
目の前では普段無愛想で可愛げのない男が、今はその顔の良さを存分に生かし、とろける様な瞳でミレーヌを熱く見詰め、彼女に掛ける声はまるで恋人に対するもののように、甘く優しい。
(これが他で出せたならめちゃくちゃモテるだろうに……。しかしこの状態のクラウドを前にして、姉上殿が平然としているのは何でなの? 麻痺してんの?)
デジレはクラウドを残念な目で見ながらも、ミレーヌの煩悩から解き放たれた仙人の如く動じない姿にも驚愕していた。
「ミレーヌが心配するようなことは何もないよ。ディエゴからは何も聞いていないの?」
「お仕事が忙しいから戻れないと聞いたわ」
「うん、そうだよ。ごめんね。もしかして何か困ったことがあった?」
「いいえ。みんな貴方の言い付け通り、よくやってくれているわ」
「それなら良かった。相談事があるならディエゴに言って。彼とは定期的に連絡を取っているから何かあれば俺から指示をするからね」
「……直接、クラウドと話すのではダメなの?」
「そうだね。この場にミレーヌは相応しくないから、もう来てはいけないよ」
久しぶりに顔を見たクラウドは、相変わらずとても優しい。怒っているから帰ってこないのかも、などというミレーヌの懸念は杞憂だったのだと思えた。
けれど、家に帰れないほど忙しいという義弟の身体が心配なのも本当だ。
もうここに来てはいけないと言われては、今後どのように彼の無事を確認すればいいのだろう。
(いけないわ。きっとこんな事はお互いに独立すれば普通のことなのだから、私も慣れていかないと。毎日顔を見合わせていたこれまでが、きっと子供だったのよ…)
ミレーヌはニコリと笑顔を作った。
「ええ、そうね。でも、貴方が無理をして身体を壊さないかと心配で差し入れをもってきたの。今日だけにするから、受け取ってもらえるかしら? もし宜しければたくさんあるので皆様にも召し上がって頂きたいわ」
スッと後ろに控えていた侍女が、持っていたバスケットを差し出した。蓋を開ければ仄かにバターの甘い香りと焼き菓子が顔をのぞかせる。
「これは、ミレーヌが?」
「いいえ、私はまるで料理はダメだもの。作ったのはうちの料理人たちだから味は保証付きよ」
「ああ、なら良いんだ。わかった、後で団員にも配るよ」
(…今、『なら良い』って、言ったわね? どうせ私の料理は食べられたものではないけれど)
ミレーヌは子供の頃に大好きなケーキを自分で作れないものかと何度か料理にチャレンジしたことがあるが、決定的にセンスがない事が判明している。
困り顔の料理人たちに無理を言って場所とレシピを提供してもらったが、同じように作っても全く別の『何か』になってしまうのだ。
そして、クラウドが10歳の誕生日の時に焼いた『ケーキらしき何か』を最後に、ミレーヌは料理界から引退した。
しかし、クラウドの本音は別だ。
ミレーヌを揶揄する気持ちなどなく、むしろミレーヌの手作りだったのなら他のやつにやるわけがない。
あの味のよく分からない、自分は味覚を失ったのかと錯覚させてくる不思議な料理さえ愛している。
「ありがとう、ミレーヌ。今度は俺のためだけに、貴女が作ってくれる?」
「うふふ、からかわないで? 本気で作るわよ」
「そう頼んでいるんだけど」
全く伝わっていないが、クラウドはどんなミレーヌも愛している。ミレーヌでさえあれば、他はなんであろうと構わない。
(本当に、心から、愛しているよ。ミレーヌ)
だからこそ、今はまだ帰れない。
いつものようにその滑らかな頬に触れようとして伸ばした手を、クラウドがそっと下ろしたことにミレーヌは気付かなかった。
(触れたい……けれど、まだ、ダメだ)
自身の心を律して、クラウドはただ微笑みを浮かべる。
「クラウド…早く帰って来てね」
「…そうだね。必ず、帰るよ」
たとえ、愛する人の言葉が、自分の抱えるものと別の意味を持っていたとしても。
(どんな手を使ってでも、貴女を手に入れてみせる。望みが叶わないのなら、全てが無意味になるだけだ。その時は……)
門の外まで見送りに来たクラウドはミレーヌの乗った馬車が見えなくなっても、その方向を暫く見詰め続けていた。
0
あなたにおすすめの小説
転生令嬢と王子の恋人
ねーさん
恋愛
ある朝、目覚めたら、侯爵令嬢になっていた件
って、どこのラノベのタイトルなの!?
第二王子の婚約者であるリザは、ある日突然自分の前世が17歳で亡くなった日本人「リサコ」である事を思い出す。
麗しい王太子に端整な第二王子。ここはラノベ?乙女ゲーム?
もしかして、第二王子の婚約者である私は「悪役令嬢」なんでしょうか!?
放蕩な血
イシュタル
恋愛
王の婚約者として、華やかな未来を約束されていたシンシア・エルノワール侯爵令嬢。
だが、婚約破棄、娼館への転落、そして愛妾としての復帰──彼女の人生は、王の陰謀と愛に翻弄され続けた。
冷徹と名高い若き王、クラウド・ヴァルレイン。
その胸に秘められていたのは、ただ1人の女性への執着と、誰にも明かせぬ深い孤独。
「君が僕を“愛してる”と一言くれれば、この世のすべてが手に入る」
過去の罪、失われた記憶、そして命を懸けた選択。
光る蝶が導く真実の先で、ふたりが選んだのは、傷を抱えたまま愛し合う未来だった。
⚠️この物語はフィクションです。やや強引なシーンがあります。本作はAIの生成した文章を一部使用しています。
親愛なるあなたに、悪意を込めて!
にゃみ3
恋愛
「悪いが、僕は君のことを愛していないんだ」
結婚式の夜、私の夫となった人。アスタリア帝国第一皇子ルイス・ド・アスタリアはそう告げた。
ルイスは皇后の直々の息子ではなく側室の息子だった。
継承争いのことから皇后から命を狙われており、十日後には戦地へと送られる。
生きて帰ってこれるかどうかも分からない。そんな男に愛されても、迷惑な話よ。
戦地へと向かった夫を想い涙を流すわけでもなく。私は皇宮暮らしを楽しませていただいていた。
ある日、使用人の一人が戦地に居る夫に手紙を出せと言ってきた。
彼に手紙を送ったところで、私を愛していない夫はきっとこの手紙を読むことは無いだろう。
そう思い、普段の不満を詰め込んだ手紙。悪意を込めて、書きだしてみた。
それがまさか、彼から手紙が返ってくるなんて⋯。
『お父様、違いますわ!』結婚したい相手を間違えられた侯爵令嬢は、離婚したいに決まってる
栗皮ゆくり
恋愛
ユージェニー・サレット侯爵令嬢は、しつこく付き纏っていたジョセフ・ドット公爵から突然求婚され、有頂天で結婚した。
しかし、その結婚は家宝『ラピスラズリの杯』を手に入れるための陰謀だった。
ジョセフの剣により父と共に命を奪われたはずが……目を覚ますと時間が巻き戻っていた。
「今度こそ、サレット家を守り、幸せな結婚をするわ!」と誓ったユージェニーに、新たな恋の予感が訪れる。
しかし、優しいお父様の計らい(?)で見ず知らずの男性との結婚生活が始まる。
果たして、ユージェニーはサレット家を守り、真実の愛と幸せを掴むことができるのか?
※他にも長編や短編の完結作品を投稿しています。お読み頂ければ幸いです。
内気を隠すためにツンデレになった私ですが、王子様に婚約破棄されたら隣国の王子に求婚されました。~隣国に嫁に行く事になったので幸せになります~
北条氏成
恋愛
エリサンドル王国に公爵家として生まれた主人公、アリシア・グレイセス。
幼少期は内気で大人しい性格だったアリシアは王子であるクリス・デルノンの婚約者だったが、クリスが内気で大人しい性格を嫌っていた事もあって自分を変えようとツンツンとした性格に成長し、ツンデレの概念がないこの世界では辛辣令嬢なんていうあだ名まで付いてしまう。
16歳の王国主催のパーティーでアリシアは王子のクリスに婚約破棄を言いつけられる。そのショックから森の中に迷い込んでしまったアリシアを幼い頃に森の中で出会った隣国の王子であるアレク・ノーゼスと再会する。アリシアは新たにアレクの国で幸せになる為に新しい生活を開始する。
※小説家になろうでも出しています。そちらのタイトルは『王子の好みに合わせ内気を隠すためにツンデレになった私ですが、王子様に婚約破棄されたら隣国の王子に求婚されました。~隣国に嫁に行く事になったので自分らしく幸せになろうと思います。~』と同じ内容になります。※
【完結】呪われ令嬢、王妃になる
八重
恋愛
「エリゼ、お前とは婚約破棄させてもらう」
「はい、承知しました」
「い、いいのか……?」
「ええ、私の『呪い』のせいでしょう?」
エリゼ・グローヴは自身の『呪い』のせいで、何度も婚約破棄される19歳の侯爵令嬢。
家族にも邪魔と虐げられる存在である彼女に、思わぬ婚約話が舞い込んできた。
「ヴィンセント王から婚約の申し出が来た」
「え……」
若き25歳の国王からの婚約の申し出に戸惑うエリゼ。
だがそんな国王にも何やら思惑があるようで──。
自身の『呪い』を気にせず溺愛してくる国王に、戸惑いつつも段々惹かれてそして、成長していくエリゼは、果たして『呪い』に打ち勝ち幸せを掴めるのか?
一方、今まで虐げてきた家族には次第に不幸が訪れるようになり……。
※小説家になろう様が先行公開です
※以前とうこうしておりました作品の一部設定変更、展開変更などのリメイク版です
この度、変態騎士の妻になりました
cyaru
恋愛
結婚間近の婚約者に大通りのカフェ婚約を破棄されてしまったエトランゼ。
そんな彼女の前に跪いて愛を乞うたのは王太子が【ド変態騎士】と呼ぶ国一番の騎士だった。
※話の都合上、少々いえ、かなり変態を感じさせる描写があります。
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
伝える前に振られてしまった私の恋
喜楽直人
恋愛
第一部:アーリーンの恋
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。
そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。
第二部:ジュディスの恋
王女がふたりいるフリーゼグリーン王国へ、十年ほど前に友好国となったコベット国から見合いの申し入れがあった。
周囲は皆、美しく愛らしい妹姫リリアーヌへのものだと思ったが、しかしそれは賢しらにも女性だてらに議会へ提案を申し入れるような姉姫ジュディスへのものであった。
「何故、私なのでしょうか。リリアーヌなら貴方の求婚に喜んで頷くでしょう」
誰よりもジュディスが一番、この求婚を訝しんでいた。
第三章:王太子の想い
友好国の王子からの求婚を受け入れ、そのまま攫われるようにしてコベット国へ移り住んで一年。
ジュディスはその手を取った選択は正しかったのか、揺れていた。
すれ違う婚約者同士の心が重なる日は来るのか。
コベット国のふたりの王子たちの恋模様
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる