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蛇足
(14)反省しています。(デジレ後日談)
しおりを挟む馬車の中でミレーヌは、胸を押さえて「うう…」と呻いた。
「ミレーヌお嬢様、どうされました!?」
「アンナ……私、どうしたのかしら。胸がギューっとするの…」
「大変ですっ、すぐにお医者様を!」
「いいえ、きっと、あんなクラウドを初めてみたからだわ…」
(だって、あの模擬戦を思い出すと、胸が苦しいんですもの…)
ほうっと息を吐いて思い浮かべるのは、騎士団本部で見た義弟の姿だ。
いつも穏やかで優しく気品あふれるクラウドの激しい一面。ミレーヌには決して見せることのない凍てつくほどの冷たい瞳。それに、あんなに強いなんて知らなかった。
別人のような義弟の姿から目が離せずに、しばらく感動で震えていたほどだ。
けれど、それを聞いた侍女の表情がストンと抜け落ちた。
「あのような暴力的なものは、お嬢様の目には毒でございます。早くお忘れになれるよう、戻ったらゆっくりと湯に浸かり、マッサージをいたしましょう」
「暴力的? 違うわ、私達を守ってくださる騎士様を誇る事はあれど、毒だなんて言わないで」
「けれど、お嬢様…っ」
「とても素敵だったじゃない。力強くて、男性的で…私には決して無いものだわ」
ミレーヌは、うっとりと目を細める。
社交界で見かける男性のほとんどは線が細く中性的ともいえる美しい顔立ちをしている。世の美の基準はそれが当たり前だと思っていたが、今日見た男性達はその概念を覆した。
騎士団に所属する者の中にはクラウドやルーカスのように貴族の家に生まれ、社交界で顔を合わせるものもいるだろう。
普段、上質で華やかな衣装を身に纏い、洗練された立ち居振る舞いをする彼らにはなにも感じなかったが、あの様に清廉な騎士団の制服に身を包み、乱れる髪も砂埃も気にすることなく、勇ましく、力強く、そして目にも留まらぬスピードで剣を交える姿のなんと美しいことか。
元よりミレーヌは騎士道と言われてもそれがどのようなものかをよくわかっていない。
ただ、あの模擬戦が、戦う男達の姿が、強く彼女の胸を打った。
(あんなにも素敵な一面を持ちながら、クラウドもルーカス様もなぜ隠していたの!? もっと早く見たかった! くううう、これが閉鎖された騎士団内でしか見られないなんて、勿体ないぃい…っ!)
思い出すだけで、悶えてしまいそうな体を抑え込もうとすれば、自然と頬が熱くなり瞳が潤んでくる。
騎士達は皆、まるでミレーヌが子供の頃に何度も読んだ絵本の登場人物のようだ。
魔王との熾烈な戦いを制しお姫様を救い出す騎士の活躍を描いた物語は特にミレーヌのお気に入りで、今でもたまにページを開くことがあるほどである。
何故あんなにも夢中になって読んでいたのか気にすることもなかったけれど、今日をもって確信した。
自分は王子様のようなキラキラとした男性よりも、強く逞しい戦う男性が好きだ。大好きなのだ、と。
自分の潜在的な好みがわかったところで、クラウドから騎士団への出入りを禁止されたばかりではどうにかなるわけでも無いが、ミレーヌにとってそれは眼から鱗が落ちる思いだった。
(クラウドを『あれ、ウチの弟なんですのよ』ってみんなに自慢して歩きたいくらいだわ。今度、彼が帰ってきたら剣を振るう姿を見せてもらえるように頼んでみようかしら。ああ、楽しみ! いつ帰ってくるの? 早く帰ってきてほしい…)
そうだ!とミレーヌは名案のように手を打った。
「アンナ、私、お手紙を書こうかしら!」
「かしこまりました。どなたにですか? 女性にでしたら、ちょうど良い綺麗な便箋が…」
「クラウドに」
「はい……は?」
「クラウドに、ファンレターを書こうと思うの。陰ながら応援してますって」
「あの、仰っている意味が……私には……は?」
侍女のアンナは困惑した。
クラウドが愛するミレーヌに手紙を書くのならまだわかる。
しかしミレーヌが、なぜ、義弟に。
しかも、ファンレター?
あの義弟の、どの辺のファン? ふぁん? ……ふぁんってなんだっけ?
聞き間違いだろうか、とアンナは再度ミレーヌに問うた。
「あの、お嬢様、もしや不安レターという事でしょうか?」
「まあ、アンナったら面白い事を言うのね。ふふ!」
「…お、面白いでしょうか…?」
侍女はニコニコと上機嫌に微笑むミレーヌに、それ以上追及する事が出来なかった。
ミレーヌの中でどんな変化があってそうなったのか理解できる気がしなかったし、知るのが恐ろしかったのだ。
(素敵だった? ファン? これ、今どういう状況?)
結局『ファンレター』の真意はふんわりベールに包まれたまま馬車は伯爵邸に到着する。
侍女はミレーヌを部屋に送り届けると、その足で家令に状況を報告に向かい、再び緊急使用人会議が開かれることとなるのだった。
※※※
その夜、ルーカスは騎士団の宿舎に設置された浴場で、延々と冷水のシャワーを頭から浴び続けていた。
もう会う事は叶わないだろうと思っていたミレーヌが、突然訓練場に現れた。
騎士団本部内には、全く女性がいない訳ではない。
少数だが女性騎士も在籍しているし、事務方や食堂にも通いの女性職員はいる。身元さえしっかりと確認できれば、家族や恋人が団員に会いにくることも。
しかし、ミレーヌの姿は騎士団本部内で違和感しかなかった。焦がれる余りにルーカス自身が脳内で作り出した幻想の産物か、若しくは試合での打ちどころが悪かったのかとも思ったが、試合後にクラウドが彼女の元へと一直線に向かうのを見て本物である事が証明された。
現れたというより、舞い降りたと表現したいほど天使だった。いや、女神かもしれない。なぜ彼女の周りはああも輝いて見えるのだろう。
先日フラれたばかりだというのにひと目見ただけで頭の中がミレーヌでいっぱいになってしまう自分を律するために、現在こうしてルーカスは冷水を被り続けているのだが、時間が経てば経つほどに囚われていくだけだった。
「なにが、騎士道だ……」
クラウドに偉そうに騎士道を説いたくせに、心の奥ではどうしたら彼女を奪えるのかを考えてしまう。
(……っ、俺は、浅ましい男だ…)
どんなに身体を鍛えても、心は学生時代のまま何も成長していない。
優秀な兄に引け目を感じ、努力する事もせず、情けなくも殻に閉じこもっていたあの頃。
彼女に出会って、変わりたいと思った。
今はまだ眩しく、遠い存在であっても、いつか堂々と向き合える自分になりたいと。
なのに。
ミレーヌにハッキリと断られた時点で、潔く諦めるべきなのだ。
彼女を煩わせてはいけない。
わかっている。
わかっていても、心が追いつかない。
拗らせた初恋を手離す術を、ルーカスは知らなかった。
「うおっ、冷た!!」
背後からの声にルーカスが顔だけで振り返ると、そこにはオレンジブラウンの髪の男がいた。
浴場の入口脇にはいくつかのシャワーブースが並んでいる。
ルーカスの他には誰も居なかったために、そこで勢いよく出していた冷水が浴場に入ってきた男に跳ねたようだった。
シャワーのカランの位置を戻し、水を止める。
「ああ、ルーカス殿でしたか。さすがにそれは風邪をひきませんか?」
男は苦笑いを浮かべて、ルーカスの名を口にした。
ルーカスも、この女性受けしそうな顔立ちは見た事がある。
(確か、クラウド殿と同じ隊の……)
そして、今日ミレーヌの隣に居た男であることも思い出した。
(どんな理由があって彼女と……いや、もうやめておこう)
ルーカスは思考を追い払うように、自身の頭を軽く振って髪から滴る雫を落とした。
「……すまない。俺はもう出るから使ってくれ」
デジレは、特にルーカスと世間話などしようとは思っていなかった。
今日はこの後、女の子と約束がある。早く風呂に入って彼女を迎えに行かなくてはならないのだ。
けれど、自身の横を通り過ぎるルーカスの額に張り付いた黒髪が、表情に陰りを落としているかのように見えてつい声をかけてしまった。
「今日は残念でしたね」
「残念、とは?」
ルーカスが、足を止めた。
「ミレーヌ嬢の前で負けてしまったことです。まさかクラウドがあそこまでやるとは俺も意外でした」
「負けは負けだ」
デジレの口からミレーヌの名前が出ると、ルーカスは声を硬くする。
会話を打ち切るように短く言い捨てたが、デジレはそれを気にした様子もなく、ルーカスのいたシャワーブースに入り、冷水からの温度調節に手間取りながらもペラペラと話し続けた。
「言い訳も負け事も言わないんですね。俺はクラウドの友人ですからどうしてもクラウド寄りになりますが、貴方には好感を持っていますよ」
「……は?」
一瞬、高くなったルーカスの声音にデジレが振り返ると、ルーカスは眉間に深いシワを刻み一歩引いていた。
そして、勢いよくクルリと反転すると大股で浴場の出口へ逃げるかのように向かっていく。
「え!いや、違いますよ!?待ってください!確かに本部内にはそういう奴もいますけど、俺は女の子が好きですからっ!三度の飯より大好きですからっ!」
「……」
「あれ…その目、俺、別の意味で軽蔑されてます…?」
今度は冷ややかな目をしたルーカスに、デジレは困ったように眉を下げてヘラリと笑う。
クラウドの友人だというが、彼とは正反対に表情の豊かな男だとルーカスは思った。
「ルーカス殿は、クラウドを邪魔だと思いますか?」
「いや。俺は、クラウド殿の気持ちがわからないわけではない」
ルーカスの言葉に、デジレは軽く首を傾げて続きを促した。
「ミレーヌ嬢は、クラウド殿にとって宿り木なのだろう。幼い頃から彼女のような人が側に居たのなら、離れ難くなるのは当然だ。俺がクラウド殿でも、そうなっていただろうな」
現にルーカスは、学生時代のたった一時で心を囚われたのだ。それが数年単位となれば、クラウドの心が雁字搦めになり、失うことを恐れるのは不思議ではない。
デジレは「へえ」と感心したような声を漏らした。
「ルーカス殿は変わっていますね。ミレーヌ嬢を好きだという者は、クラウドを邪魔だという奴ばかりですから。まあ、俺もその反応が普通だと思いますけどね。恋敵なんて、邪魔なだけです」
「普通、か?」
「ええ、色恋なんてドロドロしていて当たり前です。だからといって、別にルーカス殿を否定してるわけではありませんよ。そういう聖人みたいな人もいるんだなと、少し驚いただけです」
「……」
ルーカスは、デジレの言葉に考えるように顎に手を添えた。
自分は決して聖人などではない。
人を恨む事も、妬む事もある。
ましてや、今もずっと消化できない気持ちを抱えて過ごしている。
手に入れたいと願う事も、諦めきれずに思い続ける事も、全て意地汚い感情であると疎んじてきたが。
(これは普通、なのか…? 当たり前の感情なのか…?)
黙り込んだルーカスに、デジレは少しだけ同情した。
デジレからみたルーカスは、真面目で不器用で、とても生き辛そうだ。
だから、少しだけ。
余計なお世話をしたくなってしまった。
「ルーカス殿。諦めるのは、まだ早いんじゃないですか。俺の予想ですが、クラウドは近いうちに姉離れをするでしょう。そうしたら、きっとチャンスはあります」
デジレは最近女の子との付き合い方に興味を示し出した友人を思い浮かべた。
今も義姉であるミレーヌを大切に思っているのは変わらないだろうが、それでも他に目が向いたことは大きな前進だ。
しかも、ここの所クラウドはミレーヌが居る屋敷に帰っていないらしい。
これは、本格的に姉離れの時が来たのだろうと確信していた。
そして、クラウドの大切な姉を託すなら、ルーカスのような誠実な男が安心だろうと思ったのだ。
しかし、クラウドには姉離れをする気など更々なく、本当に余計なお世話だったとデジレが知るのは、このすぐ後の事である。
(デジレ後日談)
「深く、反省しています」
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