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蛇足
(15)どんなに鈍くても…(誤算)
しおりを挟むクラウドは、ミレーヌが自分を弟以上に見ていない事を知っている。
愛していると囁けば同じ言葉を返してくれるが、それが家族への慈愛でしかないことも。
クラウドが持つミレーヌに対する想いは、強い執着と独占欲を伴い、自身でさえ異常だと思うほどに日に日に増していくばかりだった。
最初こそミレーヌからの拒絶を恐れたクラウドは、姉弟という立場を存分に利用した。
姉を慕う『弟』として常に彼女のそばを離れず、彼女に近づく人間を片っ端から排除した。
クラウドの執着は、ミレーヌの関心が他へ向かうことを良しとしない。
それは、男に限らず同性でさえも許せない。
幼い頃に出向いた子供が集められたお茶会では、ニコニコとして愛敬のあるミレーヌはすぐに人気を集め、いつも周りを他の参加者に囲まれていた。
陰りの無い明るい表情。耳心地の良い弾むような声。柔らかな雰囲気と彼女の人形のような愛らしい容姿も相まって、大抵の少年たちは頬を染める。
ミレーヌが「クラウドと一緒がいい」と言ってきかなかったことで、この場には《おまけ》として連れてこられたにすぎないクラウドは、ジッと黙ってその様子を見ていた。
ミレーヌとクラウドは仲の良い姉弟としてお茶会の間はずっと手を繋いでいたけれど、ミレーヌは新しい友達とのお喋りに夢中になって途中で何度も手を引いたクラウドを気にする素振りもない。
繋いだ手はクラウドがギュッと握っていなければすぐにでも離れていってしまいそうだ。
クラウドは眉一つ動かすことのない子供らしからぬ無表情の下で、不満を募らせていた。
(ミレーヌは、僕のものなのに)
集められていたどの子供も貴族の子息子女だけあって質の良い衣服で着飾り、ふっくらとした血色の良い肌には擦り傷ひとつない。髪も爪も綺麗に整えられて、瞳はキラキラと輝いている。
何不自由なく十分に愛されて、欲しいものを欲しいと言えて、それをすぐに手に入れられる恵まれた子供たちだ。
それなら、どうして、クラウドからも奪おうとするのか。
クラウドにはミレーヌだけ。
父親も母親もいらない。
食事も、新たな衣服も、玩具も本もいらない。
クラウドに必要なのはミレーヌだけなのだから、ミレーヌにとっても自分だけであってほしい。
(ミレーヌの周りには人が多すぎるんだ。僕がもっとうまく立ち回って、要らないものを排除してあげなくちゃ。だって、片付けておかないと、邪魔になるよね)
もっと、賢く、狡猾に。
それからのクラウドは、乏しかった顔に常に笑みを浮かべるようにした。
初めはぎこちなかった表情も慣れれば自然と微笑む事が出来る様になり、背筋を伸ばし、相手にとって最も適した言葉は何かを瞬時に選び取り、柔和な雰囲気を意識的に作り出す。
人当たり良く、真摯な顔をしてその懐に入り込めば、他人を懐柔するのは思った以上に簡単だった。
子供の頃は天使のような容姿を、大人になれば知識と経験、そして肩書きを利用した。
そうして策を巡らせ周囲を牽制し、いつしか義姉の周りにいる親しい人間は、自分だけになった。
それでも、クラウドは満足できなかった。
(まだ、足りない)
ミレーヌを抱きしめても満たされるのは一時的でしかなく、共に歳を重ねるほどに心が枯渇していく。
日々美しく成長していく義姉を間近で見ていれば、自分だけが置いていかれるような錯覚にも陥った。
誰にも触れさせず、ミレーヌの紡ぐ言葉も、関心も、視線さえも、他者には奪われたくない。
(もっと、そばに、近くに)
いっそ自分の体の中にミレーヌを取り込めてしまえたら、どんなに楽になれるだろうと考えることもあった。
この狂おしい程の感情は、子供が馴染んだブランケットを手放せないような生易しい執着の域をとうに超えている。
クラウドにはこれが愛なのかどうかはわからなかった。
けれど、他に名前のないこの渇望を愛と呼べば、少しは綺麗なものに見えるかもしれない、と思った。
(そうか。俺は、ミレーヌを愛しているんだ。彼女の全てを支配すれば、この渇いた心もきっと満たされることだろう)
『ただ、ミレーヌに愛されたい』
薄汚れた愛の隙間に入り混じる切なる願いに、愛されることを知らないクラウドは気付けなかった。
突如現れたルーカス・バルマーは、ミレーヌのお気に入りの絵本に出てくる騎士そのものだった。
幼い頃に何度も付き合わされて眺めた絵本には、清廉で堅苦しいほど生真面目な逞しい騎士が必ず登場していた。
「私も、お姫さまになりたいなぁ」
ある日、特にお気に入りの絵本の最後のページを開いたままミレーヌがうっとりとしながら言った。
その見開きのページでは、恐ろしい魔王を倒した騎士から跪いてプロポーズされるお姫さまの絵が描かれている。
(そうか、ミレーヌは騎士が好きなのか)
それまで特に関心はなかったが、単純にそのひと言でクラウドは騎士になろうと決めた。
実父は眉を寄せていたが、それを無視してクラウドは騎士の道に進んだ。
あの絵本の一場面ように、いつか彼女の前に跪いてプロポーズをするために。
「どうか俺の手を取ってはもらえないだろうか! 俺は貴女を愛しているのです!」
あの夜会で、あの絵本とそっくりの騎士がミレーヌに跪き愛を叫ぶ姿を目にした時、クラウドの目の前が真っ赤に染まり、感じた事のない程の怒りと焦燥、絶望に飲み込まれていくのがわかった。
けれど、ミレーヌはやはり『姉』であった。
『弟』であるクラウドを見捨てられなかったのだ。
あれほど彼女の理想に近い男が現れたというのに、その手は迷う事なくクラウドを選んだ。
幼い頃に出席したお茶会で、自分が縋り付かなければすぐにでもこの手は離されてしまうだろうと思った。振り解くのではなく、あるべき場所へ彼女が引き寄せられるようにそれは自然と離れていくのだ、と。
けれど、彼女自身が繋ぎ止めてくれた。
ミレーヌが握り返した掌から、冷たくなったクラウドの体に温度が戻っていくのを感じる。柄にもなく泣いてしまいそうだった。
ミレーヌにはたくさんの選択肢があり、選択の分だけ未来がある。そして、そのどれを選んでも彼女ならきっと幸せになれるはずだ。
ミレーヌと生きるか、ミレーヌと死ぬか。
その二通りの道しかないクラウドとは違う。
(……だけど、ごめんね、ミレーヌ)
クラウドは、それでもミレーヌを道連れにする。
その道が、たとえ地獄であろうが手放すことはない。
(ミレーヌにとっては家族愛でも、単なる庇護意識でも構わない。繋ぎ止めたこの手を絶対に離すものか)
ミレーヌを手に入れるためならば手段を選んでなどいられなかった。
クラウドの想いをミレーヌがどこまで理解しているのかは定かではない。
けれど、さすがに婚姻誓約書を持ち出せば、どんなに鈍くても自分が異性として義姉を求めている事には気付いたはずだ。
その上でミレーヌは戸惑いながらもハッキリとした拒絶をみせなかった。クラウドはそれを好機と捉えた。
たとえ拒絶されたとしても引く気はなかったが、『弟』として愛しているクラウドをミレーヌが突き放せないのならばそれを利用するまでだ。
今はまだ、彼女の心が伴わなくても構わない。
『ただ、ミレーヌに愛されたい』
少しだけ疼いた胸には気づかないフリをした。
※※※
《 親愛なる クラウドへ
お元気でしょうか。
あの日から何度も貴方の戦う姿を思い出しては、誇らしい気持ちになります。
いつのまにか、とても強く立派な騎士となられていたことが嬉しくて堪りません。
次はいつ帰ってきますか。
その時は剣を振るう姿を見せてくださいますか。
今からとても楽しみです。
またお手紙を書きますが、貴方はお忙しいでしょうからお返事は気になさらないで。
どうか無理をせず、お身体ご自愛くださいませ。
貴方をいつも応援しています。
ミレーヌより 》
手紙を受け取ったクラウドは、騎士団本部の宿舎の部屋で、何度も同じ文面を紙に穴が開くのではないかというほど読み返していた。
(偽物かとも思ったが、何度見てもミレーヌの文字だ。……なぜ、彼女が突然俺に手紙を?)
業務連絡のようなメモや誕生日のメッセージカードなら何度か貰ったことがある。
それらはどんな端紙であっても、たった一言であっても、大事に大事に噛み締めて何度も読み返し今も全て丁重に自室の金庫に保管している。
けれど大人になってから、このような手紙は初めてだ。
シンプルで上質な白い便箋に、美しい文字が並ぶ。
本来、筆不精であるミレーヌの書く文章は決して上手いとは言えないが、彼女の素直で偽りのない言葉は温かみを感じさせた。むしろ好感しかない。
クラウドは、ふと思い返す。
(ミレーヌは以前『巷のカップルは手紙や花を贈り合う』と言っていたが、それで俺に手紙を……?)
そう思い至れば困ったことに緩む顔が抑えられなくなってくる。部屋には他に誰も居ないが、思わず片手で口元を覆った。
(自ら提案しておきながらどこか他人事のようだった『恋人ごっこ』をミレーヌが乗り気になってきている? 触るなと拒絶を示しながらも「帰ってきてほしい」と言っている? ……いや、待て。なんの罠だ。やはりこの手紙は偽物なんじゃないのか? だとしたら、随分と精度が高い。ミレーヌを語るなど許しがたいが、これはこれで制作者が知りたい)
「クラウドー、何してる?」
コンコンコン、とドアがノックされたかと思えば、返事をする前に無遠慮にドアが開かれ、デジレが顔を覗かせた。
(ノックの意味……)
呆れるが相手がデジレであれば言っても無駄だと、クラウドは手紙をさり気なく後ろ手に隠して視線だけを彼に向けた。
「何か用か?」
「今日は非番だろ。暇なら街に行かないか? 前に知りたがっていた女の子が好きな物をまた教えてやろうと思ってね」
「暇じゃない。情報なら口頭で十分だ」
何を好き好んで休みにわざわざ男と出かけなければならないのか、とあからさまに嫌な顔をしたクラウドにデジレはふふんと鼻を鳴らした。
「そんな事を言って、俺は知ってるんだぞ? クラウドが女の子の好みや雰囲気に合うか、実際に俺が教えたカフェを下見してたそうじゃないか!」
デジレは眉を寄せたクラウドに、してやったりとばかりにニヤリと口端を上げた。
「なんで知ってるかって? ふふふ…実は、そのカフェの店員の女の子と俺がオトモダチなんだよね。数週間前にクラウドが店の前に来て、メニューやら客層やらを見て行ったと聞いたんだが、その後結局デートしたのか? どの店にしたんだ?」
「お前に話す必要があるのか」
「だって気になるじゃん。これまで俺は純粋にクラウドの性癖を疑っていたが、今はものすごくホッとしている。俺たちはまだ若いんだし、お互いにもっと健全に恋愛を楽しんでいこうぜ!」
「……なんだって?」
「まあ、皆までは聞かないでおくよ。クラウドが前向きになってくれただけでも十分だし」
同僚からの唐突な告白『純粋に性癖を疑っていた』というワードが強すぎて、一瞬デジレの言葉が頭に入ってこなかったクラウドは、頭痛を堪えるように額を押さえた。
『早く出て行け』と言うように素っ気なく相手をしていたが、この男は片手間で相手をしているとロクなことにならない事を思い出したのだ。
誰に何を思われようとどうでもいいが、狭い騎士団本部内で、しかも結構な声のボリュームで、不用意な発言はやめろ。そんな意味を込めて睨み付けるが当のデジレはニコリと笑うだけでどこ吹く風だ。
デジレも今日は非番のようで、騎士服ではなく町に行っても違和感のないように清潔なシャツにスラックスというシンプルな装いをしている。準備は万端ということだ。
「いいか、クラウド。女の子は十人十色なんだから流行りや好みは自分の目でも確かめることが大事なんだ! なにより女の子の気持ち自体が流行より早いスピードで変わるから、昨日まで欲しがっていたものを今日は要らないと言われる事だってザラなんだぜ? 決してリサーチを怠ってはいけない。継続は恋愛力に繋がる」
「…」
唐突に始まった説教に若干の苛立ちを覚えるが、デジレの言葉には何故だか謎の説得力がある。
確かに他の女性が喜ぶものが、全てミレーヌに当てはまるとは言い切れない。ミレーヌに似合わないものなどこの世にはないと断言できるが、彼女にも好みというものがある。
その点、先日のカフェは相当気に入ったようで幸せそうにパンケーキを頬張っていた。控えめに言っても天使だった。その姿を思い出すだけでクラウドの表情も自然と綻んでくる。
クラウド自身は街の庶民の流行りなどどうかと思っていたが、デジレから女性が喜ぶと煩いほどに聞かされたことが間違いではなかったということだ。
「わかった。行く」
(街に行くのなら、貰った手紙のお礼にミレーヌに花を贈ろう。彼女の雰囲気に合う暖かな色合いの季節の花を、自身の目で選ぶのも悪くない)
クラウドが珍しく素直に頷くと「そうこなくっちゃ!」とデジレも喜んで手を打った。
……もちろん、裏に打算を滲ませながら。
(いやー、脱シスコンが順調だわー。これはクラウドの顔面力で美女集団と合コンする日も近いな!!)
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