全部誤解です。

雪成

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蛇足

(27)子供じゃないんだ。それくらい、わか…(誤算)

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 ひたり、と会話が止まる。
 静かな声がした方へ目をやれば、クラウドが腕を組み扉に背を預けるようにして立っていた。

 ミレーヌは驚きに目を見張ったが、ナタリアは『やっぱりか』と非難を込めて目を細める。
 クラウドがナタリア任せにして大人しく待機しているわけがないとは思っていたが、なんという堂々とした立ち聞きだ。せめてもう少しフリでいいからコソコソしろ。
 
 
「クラウド様ったらまだ呼んでもいないのに、ノックもなしに入ってくるなんてどういうつもりかしら」
「失礼。あまりに突拍子もない話が聞こえたもので、つい口を挟んでしまいました」
「まあ、立ち聞きなんて随分と趣味がよろしいこと」
「様子を見にきたら、たまたま聞こえてしまっただけですよ」

 
(何が たまたま、よ。そんな見え透いた言い逃れで納得するのはこの場でミッちゃんだけだっつの)


 ナタリアの咎めた言葉にクラウドは、『だから何だ』とばかりに開き直っている。無作法をわかっていながら誤魔化す気さえ更々ないようだ。
 先ほどのミレーヌの発言を耳にしてそれどころでは無いのかもしれないが、クラウドのあまりの余裕のなさにナタリアは溜息を零した。
 
 
 この男は、知識と教養を十分に備え的確に場の空気を読むこともできるくせに、どうしてこうもミレーヌが絡んだ途端にミレーヌ以外の全てを『どうでも良いもの』として簡単に投げ捨ててしまうのか。
 一見、穏やかな声色と弧を描いた口元からは平静を保っているかのように見えるが、ナタリアには今のクラウドの苛つきが手に取るようにわかる。
 
 

(だからこの危うい義弟に私の可愛い親友を任せるには不安があるっていうのよ)


 ナタリアは頭痛がしそうなこめかみを指でグリグリと揉み込んで、もう一度深く息を吐いた。


「私は間違えたかしら? クラウド様に協力したことをすでに後悔しそう」
「そうですか? 俺は貴女に頼んで正解でしたけどね。さすがはナタリア嬢、俺ではミレーヌの本音を聞くことは叶わなかったでしょう」
「……貴方、多分勘違いをしているわ」
「ナタリア嬢の言う勘違いが何かは知りませんが、ミレーヌとふたりで話し合う必要はありそうです。申し訳ないが、ここからは席を外して頂きたい」


 呼び出しておきながら用が済めばとっとと出て行けと言いやがる。何だこのやろう、とナタリアの額にはうっすらと青筋が浮かんだ。
 
 正直、ミレーヌとこのムカつく義弟をふたりきりにするのは憚られる。けれど、ナタリアがここに残ってミレーヌの気持ちを代弁するより当人同士がきちんと向き合い言葉を尽くすことがこの拗れ切った行き違いを解くには必要に思えた。
 
 ナタリアはこれ見よがしに ふぅ、と息をついた。
 クラウドの言う通りにするのは面白くないが、ここは仕方ない。

「まあいいわ。元々貴方を呼び出すつもりだったから手間が省けたといえばその通りだし。ただし、言っておくけどミッちゃんを傷つけたら承知しないわよ。ちゃんと彼女の話を聞いてあげて」
「もちろんそのつもりです。俺はミレーヌが何より大切ですから、傷付けるなんてとんでもない。想像でさえ恐ろしい」


 そのセリフが嘘だとは思わないがどうしても白々しく感じてしまうのは、今のクラウドが纏う硬く冷えた空気のせいだろうか。「信じていいのね?」と念を押すナタリアに、クラウドはただ綺麗に微笑んで返した。

 
 予期せぬ義弟の登場に顔色を悪くしたミレーヌがそのやり取りを聞きながら隣のナタリアの腕をキュッと掴んだ。縋るような行動に気づいたナタリアはミレーヌ落ち着かせるように滑らかな金糸の髪を撫でる。


「心配しないでミッちゃん。貴女とクラウド様はきちんと話し合えば分かり合えるはずよ」
「い、行かないで、ナッちゃん…っ!」
「ああ、でも今のクラウド様は『待て』が出来ないようだから、私がこの部屋を出たらすぐに貴女の今の気持ちを話すのよ」


「いいわね?」と言い聞かせるようにミレーヌの瞳を覗き込むけれど、ミレーヌは必死に「無理!無理!」と訴えて首を振っている。


「大丈夫よ、ミッちゃん。ミッちゃんがその気になれば言葉ひとつでクラウド様を殺すことも奴隷にすることもできるのだから恐れることは何もないわ」
「なにそれ怖い…っ!」
「それにね」

 ナタリアは唇をそっとミレーヌの耳元に寄せた。
 視界の端ではそれにクラウドが僅かに反応したことに気付いたが知った事かと無視を決め込む。
 女同士の内緒話にまで嫉妬するなんて狭量な奴だ。



 口元を片手で隠すとナタリアはクラウドには届かないであろう声量でこっそりとミレーヌに耳打ちした。


「もし、万が一にでもクラウド様がミッちゃんを傷付けるようなことがあれば、私が貴女の王子様になってクラウド様の居ないところへ連れ去ってあげる。どうせ二度と会わないつもりなら、貴女の本音を伝えてからでも遅くはないでしょう?」



 

 ミレーヌの瞳は、綺麗に微笑み離れていったナタリアの顔を見つめながらまだ不安げに揺れていた。
 
 


※※※




「ミレーヌ、おいで」


 ナタリアが部屋を出るのを見送ると、部屋の中央のソファからクラウドがミレーヌに向かって手を差し出した。
 声は優しく口元は笑みを湛えているのに、従わざるを得ない空気がある。

 ミレーヌが気不味い表情を浮かべながらおずおずと近づき、クラウドの手に自らの手を重ねようと腕を上げると、すぐに掬い取られるように指先を握り込まれて引き寄せられた。
 気付けばソファに座るクラウドの隣にポスンと腰を下ろしている。
 膝が触れ合うほどに近い。今のミレーヌにこの距離は少しだけ居心地が悪いものだ。


「やっと、顔が見れた」


 クラウドが小さく息を吐いて指の背でミレーヌの頬を慈しむ様に撫でた。
 しばらく触れる事のなかった微かな温もりを感じると、ミレーヌの頬は途端にそれ以上の熱を帯び始める。
 自制できない過剰反応。そして先程までの会話をどの辺りまで聞かれてしまっていたのか気が気ではなく、ミレーヌは落ち着きなくうろうろと視線を彷徨わせた。



「心配をかけて……ごめんなさい」
「いいよ、俺も悪かった。でも、ミレーヌの計画には驚いたな。子爵家へ行った後に、俺に黙って消えようなどと考えていたなんて、悲しいよ」


 クラウドの浮かべている困ったような笑みは『悲しい』という割に、まるで義姉の我儘を往なすよく出来た義弟の顔だった。
 ミレーヌにはわかる。それがクラウドが作った上辺だけの笑みで、言葉には感情が何ひとつ篭っていないということを。



「……貴方が出て行けと言ったのよ」


 不満を露わに眉を顰めると、責める様な言葉が口をついた。

 それにクラウドは不思議なものを見るように、ゆっくりと首を傾げた。



「それは結婚するための一時的なものだと言ったよね?」
「そんなの、おかしいじゃない。なぜ戻る必要があるの? 私は、もう戻らないって決めたから。だからクラウドも私のことなど気にせずにそのま、ま……っ」


 言葉の途中で視界がグラリと揺れて、気付けば反転していた。
 一瞬、自分に何が起きたのか理解が追いつかず数度パチパチと瞳を瞬く。
 確か、クラウドが急に憎らしくなってプイと顔を背けたはずだ。その時、頬を掠めていた指先で軽く肩を押されたような……気がする。



「……なに。聞こえなかった。もう一度言ってみて?」


 クラウドの銀髪がサラリと彼の額を流れるのを見上げる。照明を背に受けた表情は逆光に陰り、いつもの穏やかな微笑みが今は冴え冴えとした冷笑に見えた。

 ミレーヌはクラウドによってソファの座面に背中を押し付けられていた。
 逃げ場を断つように顔の真横とソファの背もたれに腕をついたクラウドに覆いかぶさるようにして囲われている。

 

「ク、クラウド?」
「ねえ。ほんとうに、それが、ミレーヌの本音?」

 
 言葉を区切り念を押すように問われ、ミレーヌはグッと喉を詰まらせた。心を覗かれたくなくて顔を背けたいのに凍りついたようにクラウドから視線を逸らすことができない。
 

「教えてよ。アイツが貴女に何を言ったの? 俺の元から消えてどうするの? そんなことを考えるだけ無駄だとなぜ分からないの?」


 真上から見下ろす双眸のアイスブルーはミレーヌの大好きな色。どれだけ見つめても見飽きることがない宝石のように輝くクラウドの色が今はミレーヌを強く責めている。こんな風に明らかな怒りを滲ませる義弟は見たことがない。
 

「クラウド、どうして怒っているの……? 私は、貴方のために…いえ、お互いの幸せを考えて……」
「お互いの幸せ?」


 クラウドがうっすらと口端を引き上げた。
 

「俺は以前、貴女の幸せを一番に考えると言ったけど、それは俺と共に在ることが前提だって知らなかった? 道がたがう先での幸せなんてないんだよ。それを拒むのならミレーヌは幸せになんてならないで。ずっと、不幸のまま、俺のそばに居て」


 ミレーヌを追い出そうとしているはずなのに、消えることは許さないと言う。子供をあやすかの様にミレーヌの頬にかかる髪を梳き耳に掛けたクラウドの浮かべる冷めた嘲笑と優しい手つきはひどくアンバランスで、言葉の矛盾と同様にミレーヌを困惑させた。


「きっと、俺はどこかおかしいんだろうね。貴女のためならなんでもするし、なにより大切だと思うのに、時々、手酷く傷つけて壊してしまいたくなるんだ。…今も、そう。この手で貴女の胸に一生消えない跡を残して、俺を憎しみ続けてほしいとさえ思うよ」


 クラウドの指先がミレーヌの耳から頬を滑り、首筋を通り過ぎて胸骨を突く。


「俺は今ここで、貴女の全てを奪うことだって出来る。だから、ここから先はよく考えて答えたほうがいい」
「私の、全て……」
「子供じゃないんだ。それくらい、わかるだろう?」



 促されて、あの家も地位も財産も失いのたれ死ぬ悪夢を思い返す。
 夢の中のクラウドは顔色ひとつ変えることなく、ミレーヌから家も財産も、果ては命までも奪った。
 
 けれど今のクラウドは、あの悪夢の中のクラウドとは何かが違う。
 彼の言葉は一方的で残酷な響きを孕みながらも、その細められた瞳は痛々しく傷ついているかのように見えるのだ。


(どうしてそんな目をするの? 今のクラウドには矛盾だらけだわ。私が邪魔なら放っておけば……)


 ミレーヌは、ハッとした。
 感じていた違和感の正体。
 そうだ。クラウドには決定的に夢と違う部分がある。
 それは今の彼が《とんでもないシスコン》だということだ。

 
 長い年月をかけてミレーヌが刷り込んだ親愛の情は見事に愛を求めていたクラウドに根を張った。
 けれど、そのミレーヌに対する執着はいつしか彼自身の呪縛となり今まさに義弟を苦しめているのだ。
 
 小さな子供にとっては、家の中が世界の全て。
 義母に辛く当たられて自分はいらない存在だと植え付けられた孤独な世界で、ミレーヌだけがクラウドにとってたったひとりの味方だった。
 クラウドを唯一認めてくれるミレーヌを失うことは、自分の存在意義が無くなることと思いこんでしまっても不思議ではない。


(ひとりぼっちだったクラウドには私しか居なかっただけなのに……)

 
 
 義弟を哀れだと思う。
 けれどミレーヌの心はそんなクラウドの仄暗い瞳と鼓膜を震わせる冷たい声音にさえ歓喜し、大きく心音を立て続けている。
 もっと自分に縛り付けてしまいたいと思うなんて、なんて酷く浅ましい義姉なのだろう。
 

(私は、最低だわ。こんな形で、クラウドを裏切ってしまうなんて……)



 お門違いだとわかっていても、ルーカスが恨めしい。
 気持ちに気付かなければ、ミレーヌだってこんな思いをせずにすんだのに。ずっと《義弟思いの義姉》の仮面を被り続けていられたのに。


(ルーカス様は、恋は恥ずかしいことではないと言っていたけれど、ルーカス様と私は違う)


 クラウドは義弟なのだ。
 こんなにも卑しい感情を義弟に向けてしまうなんて、クラウドを家族だと思っていれば起こり得なかったことなのではないのか。
 抱いてしまった想いは自身の不誠実さの表れのようで、ミレーヌは自分の気持ちに気付いてからずっと己を恥じていた。
 自分の中で何度も否定して捨ててしまおうとしたのに、こうして相手の顔を見れば一気に溢れてしまうのだからもう隠しきれない。心を誤魔化せない。
 いくら伯爵家を出て距離を置こうと、表面上は良い義姉を演じようと、仲睦まじい義弟夫婦を目にしていたらいつか嫉妬に泣いて縋ってしまう気がした。
 そしてきっと姉の呪縛に囚われたクラウドならば自分を突き離しきれないとわかっていて、浅ましくもそうしてしまうのだ。




 ならば、やはりもう会わない方が良い。

 ただ静かに見つめ返すとクラウドは苦しげに綺麗な顔を歪ませて、両手でミレーヌの頬を包んだ。
 騎士として剣を握る手にしては綺麗な長い指。大きな掌。
 ミレーヌは幼い頃、この手を繋いでいればどこまでもいけると信じていた。
 あの小さな掌はもう何処にもないのと同じようにミレーヌもクラウドも、あの頃とは違う。
 戻ることはできないと、わかっている。



「…ミレーヌ、貴女が俺を受け入れてくれるなら、ずっと大切にすると誓う。だから、居なくなるなんて言わないで」


 縋るような切実な声がミレーヌの胸を詰まらせた。


(ごめんね、クラウド)


 ミレーヌだって、すべてを受け入れられたらどんなに楽かと思う。
 クラウドの前から消えるだなんて、本当はしたくない。


(ただ、おめでとうと、言えたら良かった。
 可愛いお嫁さんからたまに義弟の愚痴を聞いてあげて、義弟にはお嫁さんに内緒でアドバイスをするの。私は義姉として二人の仲を取り持つ存在に…そんな風に、自然と、関わっていけたなら……)



 クラウドはもうミレーヌが居なくとも、自分が将来を決めた相手と生きていける。
 彼の幸せを願う気持ちがまだ少しでもあるうちに、解放するべきなのだ。

 義弟の自立を妨げるような、捨てるに捨てられないお荷物にはなりたくない。
 なってはいけない。
 

 

「だめよクラウド。
私達はもう一緒に居ない方がいいの。離れて、私は貴方の幸せを遠くから祈るわ」
 


 うまく笑えていたかわからないけれど、精一杯の笑みを浮かべたミレーヌは、必死で本音を飲み込んで心とは裏腹の言葉を吐き出した。



 
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