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廃墟と掃除と亡霊と
廃墟と掃除と亡霊と その10
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「では、いきますよぉ? 心の準備はいいですか?」
と、アビゲイルが誰に言うでもなく声を掛ける。
それに対して、スティフィだけが、
「何の準備よ? 死ぬ準備でもしろって言うの?」
そう反応する。
スティフィからすると何の気なしに、ただアビゲイルの言葉に反応しただけだ。
確かに、スティフィは人を良くからかいたがるが、からかう相手は選ぶ。
アビゲイルという魔女は、スティフィからしても、からかうには危険すぎる相手だ。
相手なのだが、どうしてもスティフィの性格上、アビゲイルには突っ込んでしまうところがある。
そのことをアビゲイルも分かってはいる。
アビゲイルは作り笑顔のまま首を少しかしげる。
「まあ、それはないとは思いますが、私にも何が起こるかわかりませんのでぇ」
「何が起こるかわからないなら準備のしようなんてないじゃない?」
アビゲイルの返事にスティフィが意地悪そうに、今度は少し意識してそう言うと、
「スティフィちゃんは私に厳しくないですかぁ?」
と、作り笑顔のままじっとスティフィを見つめて、アビゲイルがそう言った。
それに対して言葉を口にしたのが、
「日頃の行いだと思います」
ミアだった。
当然とばかりにミアはアビゲイルに言った。
「ミ、ミアちゃんまで?」
ミアに言われたアビゲイルは流石に作り笑顔を止めて驚いて見せる。
「ミアに言われるって相当よ?」
スティフィはそう言ってアビゲイルにきつく当たるのを、とりあえずはやめる。
からかう相手には実力差がありすぎる。
それに、今、この状況をどうにかできるのはアビゲイルだけだ。
からかっている場合ではない。
「いえ、スティフィはなんだかんだで、周りをよく見ているので」
ミアはしたり顔でそんなことを言った。
まるでスティフィを自慢しているようにだ。
「警戒しているだけ、なんでしょうけどねぇ」
それにアビゲイルがスティフィを見ながら、お返しとばかりにそんなことを言う。
「まあ、そうだけれども……」
スティフィはそれを認め、それに対しての反論はでない。
まったくもってその通りだからだ。
「ではっと」
アビゲイルが、何の気なしに文字を一文字消す。
そうすると、妙な気配が、嫉妬と恨みに満ちた空間が、何となくだが少し和らいだような気配がする。
それらの負の感情を縛り付けていたなにかが、緩むような、そんな感覚を全員が感じる。
「なんか雰囲気が少し変わりましたね?」
と、ミアがそれを言葉にする。
「ふぅ、無事、無力化は成功ですねぇ、今のことろ何も起きていないようですが……」
そう言ってアビゲイルはあたりを見回す。
変化は起きていた。
ここへアビゲイル達を導いた幽霊達は特に変化はない。
恐らく冥府へ送ってくれるという言葉を信じ、大人しく待っているのだろう。
だが、元からこの部屋にいた幽霊達には大きな変化があった。
「ねぇ、アビゲイル。また敵意を感じるんだけど?」
と、スティフィが銀の短剣を構えつつ、向けられた敵意の方向を見る。
スティフィの目には何もいない。
何もない空間から、ただ敵意のみが向けられてくる。
「ですねぇ。えーと、多分ですが、元からここにいた幽霊達がどうも私達を狙っているようですねぇ」
アビゲイルに見えていることを伝える。
もともと、この儀式場にいた幽霊達は今にも襲いかかるかのように、生きた人間を恨めしそうに見ている。
「案内した幽霊達は?」
スティフィが念のために確認する。
「ただただ傍観しているようです」
アビゲイルは、ここまで導いていた幽霊達をもう一度確認する。
少し距離だけ取って傍観している。
もうアビゲイル達を助けようともしていない。
現金なものだが、襲ってこないだけ、まだましだろう。
「は? 騙されたってこと?」
スティフィが声を上げると、どこからともなく声が聞こえてくる。
「よぉこぉせぇ……」
くぐもった声だ。聞き取りづらいが今までとは違い理解できなくはない。
先ほどまで違い、ちゃんと言葉になっている。
まるで水の中で喋っているような、そんな声ではあるのだが、ちゃんと聞き取れる言葉にはなっている。
今までは何を言っているか、アビゲイルでも理解できなかったが、ちゃんと言葉が聞き取ることが出来るようになっている。
恐らく今しがた無力化した陣に、それを、意思疎通を阻害する効果もあったのだろう。
それにアビゲイルだけが心当たりがある。
「声がします!」
と、ミアがそのままのことを口にする。
「何をですかぁ?」
と、アビゲイルは作り笑顔のまま、敵意を向ける幽霊達に聞く。
一応、話せるようになったので、話を聞くだけ聞いても損はない。
「かぁらだぁをぉ…… 肉体をぉ……」
それはすぐに返事が帰ってくる。
アビゲイルもそれで見当がついた。
屋敷に閉じ込められていた者、恐らく一番罪が軽い者達で、事情を知ってはいたが黙っていた者達。
この儀式場に閉じ込められていた幽霊達は、禁忌を犯した三人に生前近い立場の者で、禁忌を犯したのを隠蔽することに協力した者達なのかもしれない。
ここに置いてあった魔導書には、そこまで詳しくは記されてはいないが、罪の大きさに対して三段階で刑を変えていると書かれている。
ここに閉じ込められていた幽霊達は、より強い罰を与えられ、錯乱し、まともに考えることも出来ないような状態なのかもしれない。
アビゲイルはそう予想する。
真実はマリユにでも後で聞けばいい話だ。
今はアビゲイルの中でそう仮定しておく。
まあ、実際は館に閉じ込められていたのが、何も知らなかった弟子達で、儀式場に閉じ込められていたのは知っていたが黙っていた弟子達ではあったが。
無月の女神に無実を主張するだけ無意味だ。
むしろ、この程度で済んでいるのはマリユの采配のおかげだろう。
マリユが居なかったら魔術学院ごと滅んでいてもおかしくはない。
それが祟り神という物だ。
「ああ、だから師匠はこの首飾りを…… こうなると分かってたんですねぇ」
アビゲイルはそう言って首から下げている首飾りを確認する。
マリユの言葉を信じるならば、これのおかげで幽霊に憑りつかれることはない。
そのはずだ。
「どういうこと?」
スティフィが敵意を向けられた方を警戒しながらアビゲイルに聞いてくる。
「私もよくわかりませんよぉ。元からここにいた幽霊達は私達の肉体が欲しいそうですよぉ、師匠はそれを見越してこの首飾りを用意してくれたっていうだけですよぉ」
恐らくはそれで生き返れるとでも幽霊達は思っているのだろう、とアビゲイルは予想する。
憑りつき、肉体の主導権を奪えれば、それで肉体を乗っ取り、人として生き返られると。
だが、この場にいる幽霊達は長年の苦痛で歪み、すり減り、人としては変貌しすぎている。
今更、憑りついたところでまともな人間には戻れはしないし、そうなれば、恐らく無月の女神の神罰が執行されるだけなのだが、そんなことも理解できないでいる。
「え? どうすんのよ?」
「ここにいた、と言うか閉じ込められていた幽霊達は外に荷物持ち君がいることを知らないんですねぇ…… 馬鹿ですねぇ」
と、アビゲイルは嘲笑う様な顔で敵意を向けて来る幽霊達を見下しながらそう言った。
恐らく荷物持ち君がいたからこそ、屋敷内を自由に動けた幽霊達は今も大人しくしているのだ。
その理性だけはまだ残っているのだ。
それを理解し、自分達を冥府へ送ってくれるのを待っているのだ。
だが、ここに閉じ込められていた幽霊達は外に古老樹が、ミアの使い魔となっている古老樹が、ミアを守る使命を持つ古老樹が、それがいることも知らない。
だから、このまま生きた人間の肉体を乗っ取り人として生きていけるなどと、馬鹿げた妄想を持ってしまっているのだ。
「で、その荷物持ち君は来てくれるの?」
スティフィはミアとアビゲイルの顔を伺いながらそう聞く。
ミアはただきょとんとした顔をするだけだ。
アビゲイルはいつもの作り笑顔を浮かべてはいるが返事はしてくれる。
「五分五分ですねぇ、まだ主の領域が完全に消えたわけではないので」
そんなことを話していた瞬間だ。
ドゴォンと大きななにかを破壊したような音がして地下室まで揺れる。
そして、スティフィの手前目掛けて何かがものすごい勢いで飛んでくる。
飛んできたそれは、ドゴォォォンとさらに激しい音を立てて、石床に突き刺さる。
それは刀だった。
鞘に納められた一本の刀だ。
スティフィには見覚えがある。
血水黒蛇。そんな名前の妖刀だ。
ただ柄の部分には植物の根のような物が絡みついている。
「血水黒蛇……?」
スティフィがそれを見てその妖刀の名を口にする。
物凄い力をもった神器でもあり妖刀でもある。
斬りつけた者の血を吸い、その力を使用者に与える。
その代わりに体を溶かす毒を使用者に与え、精神的にも狂わせていくという厄介な妖刀だ。
スティフィも扱え切れずに、古老樹である荷物持ち君に奉納していた物だ。
それが今、半年ぶりくらいにスティフィの目の前にある。
状況から察するに、荷物持ち君はこれをスティフィに使えと言っているのだ。
「荷物持ち君の籠に入れっぱなしだった妖刀ですねぇ、これを使えというのでは?」
と、アビゲイルは他人事のようにそう言った。
精神を狂わせ、身を溶かす毒を持っていると知っていながらだ。
「使って平気なの? 私も死ぬのはまだ良いけど溶けて死ぬのは嫌よ?」
ドロドロに溶けて死ぬのは流石に嫌だと、死に様くらいは選びたいとスティフィも考えている。
「荷物持ち君の根が絡みついているので平気なんじゃないでしょうかぁ?」
アビゲイルはそんなことを言いつつも、その根の一部を採取したい。
そんなことを考えている。
無論そんなことをすれば、荷物持ち君によって何をされるかわからないだろうが、それでも欲しいものは欲しい。
逆に、荷物持ち君がスティフィに異様に寛容なことをアビゲイルは不思議に思うほどだ。
「これなら…… この妖刀なら幽霊も斬れるという事で良いのよね?」
そう言って、スティフィは構えていた銀の短剣を鞘にしまい、血水黒蛇の柄に手をかける。
根が巻き付いているにも拘らず、スティフィの手に程よくなじむ。
握り心地が妙によく手に吸いつくような感覚だ。
「荷物持ち君がわざわざ投げ入れたということは、そう言うことじゃないんですか?」
「まあ、そう言うことよね。とはいえ、私には肝心の相手、幽霊が見えないんだけど?」
そう言いつつもスティフィは恐る恐る血水黒蛇を持つ自分の右手をみる。
この妖刀は使用者に力を与える代わりに使用者を噛み、最終的に使用者を溶かし喰らう妖刀だ。
スティフィはすでに一度噛まれ暴走している。
それでも荷物持ち君を、古老樹を信じ、血水黒蛇の柄をしっかりと強く握る。
以前の様に手に取っても噛まれるような痛みはない。
そのまま、鞘に納められている血水黒蛇を鞘から引き抜く。
黒い怪しげな刀身が姿を見せる。
噛まれるような感覚はないが、右手を何かに巻き付けられるような感覚にスティフィは襲われる。
スティフィが自分の右手を見ると、自分の腕に半透明の黒い蛇と、実物の木の根が絡み合い、自分の腕に巻き付いている。
「なに? これは……」
「血水黒蛇の呪いを荷物持ち君が防いでいるようですねぇ……」
アビゲイルは興味深いとばかりにそれを目を細めて観察する。
だが、変化はそれだけではない。
スティフィの目にも見えるのだ。
急に波長が合ったような、そんな感覚があった後、スティフィの目に幽霊達の姿がはっきりと見える様になる。
「それは助かるわ…… と、幽霊? これが幽霊ってやつね? なるほどね。みんな同じような恰好をして、確かに見分けがつかないわね」
同じようなボロボロ姿の辛うじて女と分かる様な存在が、床から少し上を浮遊している。
スティフィもその姿が急に見えるようになる。
アビゲイルやジュリーが言っていた通りの姿だ。
「スティフィにも見えるんですか?」
ミアが羨ましそうにそう言った。
「古老樹か血水黒蛇の力か、どっちかですねぇ…… 面白い、って、ミアちゃんの杖も輝きが増してますよぉ?」
どちらのおかげかというと、恐らくは古老樹の方だろう。
ただ、血水黒蛇も血と魂を啜る妖刀と言われているので、可能性を否定できない。
それはともかく、今まで淡く光っていただけのミアの古老樹の杖が今は強く輝きだしている。
恐らく本格的に敵意を剥き出した存在に対しての防衛機能なのかもしれない。
だが、それがそうじゃないことに、この場にいる幽霊達にはこの古老樹の杖は意にも介していなかったことに気づくのはもう少し後の話だ。
今はアビゲイルすら、その事に気づけていない。
「え? あっ、本当ですね、なんかすごい光ってます!」
古老樹、それも名前を持つ朽木様の枝から朽木様自身がミアの為に作り出した杖だ。
ここの幽霊達如きでは手も足も出ないことだろう。
ならば、アビゲイルのやることは決まっている。
「あー、じゃあ、ジュリーちゃんは私が見ておきますので、ここはお二人に任せてもいいですかぁ?」
それは観察だ。
古老樹の杖と血水黒蛇の能力を間近で観察できる機会なのだ。
なら、自分が戦闘に参加するよりも、それらを観察していたい、というのがアビゲイルの本音だ。
ジュリーのことは二の次で、マーカスに適当に任せておけば良いと考えている。
「私一人で十分よ、この妖刀で幽霊を斬れるというのならね。敵意を向けてくる奴だけ斬れば良いんでしょう?」
だけれども、そんなことはどうでもいい、と言わんばかりにスティフィが張り切る。
今まで手も足も出せなかった相手に対抗手段が出来たのだ。
今までの鬱憤を晴らしたいのだろう。
「そうです、そうです。どんどんやっちゃってください! マーちゃん、我々の周りに聖水を撒いておいてください、ジュリーちゃんを守りますよぉ」
そう言ってアビゲイルは早速、血水黒蛇の観察と分析に取り掛かる。
「わかりました、わ」
と、マーちゃんは自分とジュリーの周りにだけ聖水を巻く。
アビゲイルの周りには聖水を撒いていないが、アビゲイルは既に観察に夢中になっていて、そのことに気づいていない。
「あの、私は依然として幽霊さん達を見れないんですが?」
ミアは不満そうにそう言って、光り輝く古老樹の杖とニンニク棒を両手に持ちブンブンと振り回す。
この中で自分とマーちゃんだけが今のところ幽霊の姿を見れていない。
そのことが余程不満のようだ。
「後で絵でも書いて教えてあげるから!」
「そう言うことじゃなくて、私は何をすればいいんですか?」
ミアとしては自分も役に立ちたいのだが、肝心の相手が見えていない。
スティフィとは違いミアには他人の敵意を感じ取ることにも長けていない。
敵意を、悪意を向けてくる方向もわからない。
「その杖にでも聞きなさい、もしくはじっとしてて、私が終わらせる!」
「杖に……? 朽木様! どうしたらいいんですか?」
ミアのその言葉に、幽霊達の視線がミアに、いや、古老樹の杖に集まる。
この地域に住むものにとっては恐怖の対象でもある古老樹だ。
視線を、幽霊の気を引くのにも十分な言葉だ。
次の瞬間、杖が眩いばかりの閃光を発する。
幽霊達はそれにより目が眩み怯む。
「ミア、やるじゃん!」
スティフィはそう言って一番近くの幽霊に斬りかかる。
黒い刃は幽霊の、実体のない体をすり抜ける。
何の手ごたえもない。
だが、スティフィの目に見えるようになった幽霊はちゃんと切り裂かれ、切り裂かれた個所から黒い煙のような物を噴出し、苦しんでいる。
問題があるとすれば、その黒い煙のようなものが血水黒蛇にしっかりと吸収されて行っている事だろうか。
それが自分に流れ込まないかスティフィには不安だったようだが、以前のようになにかを切り刻みたい、そう言った衝動はスティフィには湧いてこない。
「ちゃんと斬れるみたいね」
スティフィはそう言って次の獲物に狙いを定める。
「で、結局どうなったんですか? お、いや、私には未だに何にも見えないのですが? わ」
マーちゃんはそう言って辺りを警戒するが、聖水のおかげか特に何も起きていない。
スティフィがまるで宙を舞うかのように動き、何かにむかい刀を振るっている姿を確認できるだけだ。
「元狩り手でしたっけぇ? 流石ですねぇ、一人で、もうほとんどの幽霊を倒してますねぇ。我々の出番はないですよぉ」
アビゲイルが感心しながらそんなことを呟く。
「そうなんですか? 私には一人で刀を振るっているようにしか見えませんが、わ」
マーちゃんにはそうとしか見えない。
ただ断末魔のような言葉は、スティフィが刀を振るうごとに聞こえてくるので、確かに幽霊を斬っているのだろう。
だが、ここにきてやっとアビゲイルも気づく。
本当にヤバイ物が解き放たれていることに。
慌てて色々を確認した結果、この祭壇の魔方陣は罠が張られていた。
アビゲイルの癖を逆手に取ったような、アビゲイルの師匠、マリユにしかできないような、そんな巧妙な罠が仕掛けられていた。
この魔方陣は地脈からも力を得ているように描かれているが、それがまるで機能していない。
つまり、今は超巨大な魔方陣も止まってしまっている。
超巨大な陣は宝物庫に閉じ込めている物を閉じ込めておくための物だ。
それがすでに解き放たれている。
アビゲイルはそれでも慌てずに思考を巡らす。
そして導き出した答えは、
「それよりもマーちゃんは、先ほど修正した物を床にでも書き始めてください。大人しくしている幽霊達は冥府にちゃんと送ってあげましょう」
だった。
今は少しでも敵が増えるような要素は取り除いておいた方が良い。
「え? 今ですか? わ、わかりました、わ」
こんな状況下で? と、マーちゃんはそう思ったが、アビゲイルが笑っていなかったので、素直に床に冥府へと送るための陣を描こうとして気づく。
「ここ、巨大な陣があるって言ってましたよね? ここに描いても良いんですか?」
マーちゃんはそう言ってアビゲイルを見るが、アビゲイルは全く別の方向を見ている。
「ええ、その陣も…… もう力を失ったようです…… 急いでください」
と、表情が凍り付いたアビゲイルがそう言った。
「え? 巨大な陣はヤバイのを封じてるって言ってませんでしたか?」
マーちゃんが聞き返すと、
「そうですねぇ…… それが力を失い、解放されちゃったみたいですぅ……」
アビゲイルが、あのアビゲイルが声を震わせながらそんなことを言いだした。
「え? なら冥府へ送るのは後回しで今は脱出が最優先では?」
それを聞いたマーちゃんは焦って、それを伝える。
アビゲイルですら手に余るという化物が解放されたのだ。
幽霊達には申し訳ないが、冥府に送るのは後回しにしたい。
「今、ここ出るとちょうど鉢合わせですねぇ…… 幸い地上へと向かっているようなので、ここを片付けてから追いましょう。外には荷物持ち君がいますので」
アビゲイルは血水黒蛇を観察することも忘れて、まったく別の方向を凝視している。
恐らくはそちらに、アビゲイルの視線の先に三人の幽霊とやらが居るのだろう。
「な、なるほど? なら、本当に冥府へ送る陣を描いていて良いんですね?」
マーちゃんにはよく現状を理解できてはいないが、アビゲイルがそう言うならばそうなのだろうと思うことにした。
アビゲイルは魔術師としては間違いなく一流なのだから。
アビゲイルとしても、今、大人しくしている幽霊達がいつ牙を剥くのかもわからない状況なのは避けたいと考えている。
「敵を増やすよりは減らしたいですよねぇ?」
それをマーカスに告げる。
「わかりました。陣を描きます。わ、って、もう女言葉じゃなくても、女のふりをしていなくてもいいんですよね?」
既に無月の女神の領域ではないことに気づいた、マーちゃんことマーカスはアビゲイルに確認をする。
「それ、女言葉のつもりだったんですか? それはもう平気です。とりあえず…… どうしましょうか? この状況……」
アビゲイルも現状どうして良いかわからずじまいだ。
とりあえず、三人の幽霊と呪物が山ほど交じりあい一つになった幽霊は地上を目指していて、こちらにはやってきていない。
なら、こちらからは手を出さずに荷物持ち君に任せてしまった方が良い。
荷物持ち君がどう出るかはわからないが、ミアを守るためにどうにかしてくれるはずだ。
「あんた! さっきからとんでもない事を言ってない?」
敵意を向けてきた幽霊をほとんど始末したスティフィは、さっきから耳に入って来る情報を、無視しきれずにアビゲイルに突っ込む。
スティフィとしても以前、幽霊達が使う念動力自体は見えないでいる。絶えず動き回りその力に捕まらないようにしながら戦うしかない。
スティフィが飛び回るように、宙に舞うように戦っているのはそのためだ。
アビゲイルにツッコミをしている余裕はないのだが、アビゲイルが言っている言葉は現状でも無視できるものではない。
「一大事ですよ、スティフィちゃん!」
と、アビゲイルはそう言って頭の髪の毛をわしゃわしゃを掻きむしり始めた。
アビゲイルにも収集が付かないような状態だ。
「ど、どうしたんですか!?」
そこでようやく光る古老樹の杖を持て余していたミアも会話に入ってくる。
そして、アビゲイルも理解する。
「ミアちゃんの杖が激しく光り出したのも、あれに反応してなんですかねぇ? その方がしっくりきますねぇ」
だから、こちらには来ないで地上を目指したのかもしれない。
そうでなければ、憎きマユリの愛弟子であるアビゲイルを、まず最初に襲いに来ていたはずだ。
だとすると、ミアの持つこの古老樹の杖も対抗手段にはなるはずだ。
「なんだか、ヤバイ奴も解放されたらしいです。とりあえず俺はここにいる幽霊を冥府に送る陣を描きます」
ミアの問いに答えたのはマーカスだ。
「マーちゃん手伝いはいりますか?」
それを聞いたミアは手伝うとばかりにマーカスのことろまで駆け寄ってくる。
「もうマーカスです! 確かにこの陣は、ミアの招来陣を真似てはいますが…… それよりもミアは荷物持ち君にヤバイらしい三人の幽霊をどうにかできるか聞いてみてください、逃したら無月の女神の祟りがくだるかもしれませんよ」
マーカスとしては、どうやばいのかを今一理解できていないので、それを取り逃したとき無月の女神に祟られる方を恐れている。
「は、はい! に、荷物持ち君! どうにかできますかー!」
急にそう言われたミアは暗く闇しか見えない地下室の天井にむかい大きな声で叫んだ。
だが、荷物持ち君にそれが聞こえたかどうかもわからない。
ここからミアが上を見上げても闇しか見ることが出来ない。
だが、相手は上位種でありミアの護衛者だ。
ミアの期待に応えてくれるはずだ。
「流石オーケンさんのお弟子さん、頼りになりますねぇ」
アビゲイルが感心したようにマーカスを褒める。
「あんた、肝心なところで役立たずじゃない!」
そこへスティフィのツッコミがはいるが、
「いや、もう人間の手でどうにかできる範疇を超えちゃっているんですよぉ、あれをどうこうさせようとか、師匠は鬼ですよぉ」
当のアビゲイルは両手を投げ出して、そんなことを言っている。
いや、それを見れてしまうからこそ、アビゲイルの右目はその闇を観測できてしまうからこその行動だ。
完全に、ここの宝物庫に閉じ込められていたソレは、数々の神器と言える呪物と交わり一つになったソレは、人間の手に負えるものではなくなっている。
「でも、私達でどうにかしないといけないんでしょう? こっちはもうすぐ終わるわよ!」
スティフィが敵意を向けて来る最後の幽霊と対峙しながら声を荒げた。
「そうですねぇ、主に対して禁忌を犯したような奴らです。それをそのまま野放しにはできませんよぉ」
アビゲイルもやっと腹を括る。
それに、こちらにも古老樹が居るのだ。
どうにかなるはずだと、いや、どうにかしなければならないのだと。
と、アビゲイルが誰に言うでもなく声を掛ける。
それに対して、スティフィだけが、
「何の準備よ? 死ぬ準備でもしろって言うの?」
そう反応する。
スティフィからすると何の気なしに、ただアビゲイルの言葉に反応しただけだ。
確かに、スティフィは人を良くからかいたがるが、からかう相手は選ぶ。
アビゲイルという魔女は、スティフィからしても、からかうには危険すぎる相手だ。
相手なのだが、どうしてもスティフィの性格上、アビゲイルには突っ込んでしまうところがある。
そのことをアビゲイルも分かってはいる。
アビゲイルは作り笑顔のまま首を少しかしげる。
「まあ、それはないとは思いますが、私にも何が起こるかわかりませんのでぇ」
「何が起こるかわからないなら準備のしようなんてないじゃない?」
アビゲイルの返事にスティフィが意地悪そうに、今度は少し意識してそう言うと、
「スティフィちゃんは私に厳しくないですかぁ?」
と、作り笑顔のままじっとスティフィを見つめて、アビゲイルがそう言った。
それに対して言葉を口にしたのが、
「日頃の行いだと思います」
ミアだった。
当然とばかりにミアはアビゲイルに言った。
「ミ、ミアちゃんまで?」
ミアに言われたアビゲイルは流石に作り笑顔を止めて驚いて見せる。
「ミアに言われるって相当よ?」
スティフィはそう言ってアビゲイルにきつく当たるのを、とりあえずはやめる。
からかう相手には実力差がありすぎる。
それに、今、この状況をどうにかできるのはアビゲイルだけだ。
からかっている場合ではない。
「いえ、スティフィはなんだかんだで、周りをよく見ているので」
ミアはしたり顔でそんなことを言った。
まるでスティフィを自慢しているようにだ。
「警戒しているだけ、なんでしょうけどねぇ」
それにアビゲイルがスティフィを見ながら、お返しとばかりにそんなことを言う。
「まあ、そうだけれども……」
スティフィはそれを認め、それに対しての反論はでない。
まったくもってその通りだからだ。
「ではっと」
アビゲイルが、何の気なしに文字を一文字消す。
そうすると、妙な気配が、嫉妬と恨みに満ちた空間が、何となくだが少し和らいだような気配がする。
それらの負の感情を縛り付けていたなにかが、緩むような、そんな感覚を全員が感じる。
「なんか雰囲気が少し変わりましたね?」
と、ミアがそれを言葉にする。
「ふぅ、無事、無力化は成功ですねぇ、今のことろ何も起きていないようですが……」
そう言ってアビゲイルはあたりを見回す。
変化は起きていた。
ここへアビゲイル達を導いた幽霊達は特に変化はない。
恐らく冥府へ送ってくれるという言葉を信じ、大人しく待っているのだろう。
だが、元からこの部屋にいた幽霊達には大きな変化があった。
「ねぇ、アビゲイル。また敵意を感じるんだけど?」
と、スティフィが銀の短剣を構えつつ、向けられた敵意の方向を見る。
スティフィの目には何もいない。
何もない空間から、ただ敵意のみが向けられてくる。
「ですねぇ。えーと、多分ですが、元からここにいた幽霊達がどうも私達を狙っているようですねぇ」
アビゲイルに見えていることを伝える。
もともと、この儀式場にいた幽霊達は今にも襲いかかるかのように、生きた人間を恨めしそうに見ている。
「案内した幽霊達は?」
スティフィが念のために確認する。
「ただただ傍観しているようです」
アビゲイルは、ここまで導いていた幽霊達をもう一度確認する。
少し距離だけ取って傍観している。
もうアビゲイル達を助けようともしていない。
現金なものだが、襲ってこないだけ、まだましだろう。
「は? 騙されたってこと?」
スティフィが声を上げると、どこからともなく声が聞こえてくる。
「よぉこぉせぇ……」
くぐもった声だ。聞き取りづらいが今までとは違い理解できなくはない。
先ほどまで違い、ちゃんと言葉になっている。
まるで水の中で喋っているような、そんな声ではあるのだが、ちゃんと聞き取れる言葉にはなっている。
今までは何を言っているか、アビゲイルでも理解できなかったが、ちゃんと言葉が聞き取ることが出来るようになっている。
恐らく今しがた無力化した陣に、それを、意思疎通を阻害する効果もあったのだろう。
それにアビゲイルだけが心当たりがある。
「声がします!」
と、ミアがそのままのことを口にする。
「何をですかぁ?」
と、アビゲイルは作り笑顔のまま、敵意を向ける幽霊達に聞く。
一応、話せるようになったので、話を聞くだけ聞いても損はない。
「かぁらだぁをぉ…… 肉体をぉ……」
それはすぐに返事が帰ってくる。
アビゲイルもそれで見当がついた。
屋敷に閉じ込められていた者、恐らく一番罪が軽い者達で、事情を知ってはいたが黙っていた者達。
この儀式場に閉じ込められていた幽霊達は、禁忌を犯した三人に生前近い立場の者で、禁忌を犯したのを隠蔽することに協力した者達なのかもしれない。
ここに置いてあった魔導書には、そこまで詳しくは記されてはいないが、罪の大きさに対して三段階で刑を変えていると書かれている。
ここに閉じ込められていた幽霊達は、より強い罰を与えられ、錯乱し、まともに考えることも出来ないような状態なのかもしれない。
アビゲイルはそう予想する。
真実はマリユにでも後で聞けばいい話だ。
今はアビゲイルの中でそう仮定しておく。
まあ、実際は館に閉じ込められていたのが、何も知らなかった弟子達で、儀式場に閉じ込められていたのは知っていたが黙っていた弟子達ではあったが。
無月の女神に無実を主張するだけ無意味だ。
むしろ、この程度で済んでいるのはマリユの采配のおかげだろう。
マリユが居なかったら魔術学院ごと滅んでいてもおかしくはない。
それが祟り神という物だ。
「ああ、だから師匠はこの首飾りを…… こうなると分かってたんですねぇ」
アビゲイルはそう言って首から下げている首飾りを確認する。
マリユの言葉を信じるならば、これのおかげで幽霊に憑りつかれることはない。
そのはずだ。
「どういうこと?」
スティフィが敵意を向けられた方を警戒しながらアビゲイルに聞いてくる。
「私もよくわかりませんよぉ。元からここにいた幽霊達は私達の肉体が欲しいそうですよぉ、師匠はそれを見越してこの首飾りを用意してくれたっていうだけですよぉ」
恐らくはそれで生き返れるとでも幽霊達は思っているのだろう、とアビゲイルは予想する。
憑りつき、肉体の主導権を奪えれば、それで肉体を乗っ取り、人として生き返られると。
だが、この場にいる幽霊達は長年の苦痛で歪み、すり減り、人としては変貌しすぎている。
今更、憑りついたところでまともな人間には戻れはしないし、そうなれば、恐らく無月の女神の神罰が執行されるだけなのだが、そんなことも理解できないでいる。
「え? どうすんのよ?」
「ここにいた、と言うか閉じ込められていた幽霊達は外に荷物持ち君がいることを知らないんですねぇ…… 馬鹿ですねぇ」
と、アビゲイルは嘲笑う様な顔で敵意を向けて来る幽霊達を見下しながらそう言った。
恐らく荷物持ち君がいたからこそ、屋敷内を自由に動けた幽霊達は今も大人しくしているのだ。
その理性だけはまだ残っているのだ。
それを理解し、自分達を冥府へ送ってくれるのを待っているのだ。
だが、ここに閉じ込められていた幽霊達は外に古老樹が、ミアの使い魔となっている古老樹が、ミアを守る使命を持つ古老樹が、それがいることも知らない。
だから、このまま生きた人間の肉体を乗っ取り人として生きていけるなどと、馬鹿げた妄想を持ってしまっているのだ。
「で、その荷物持ち君は来てくれるの?」
スティフィはミアとアビゲイルの顔を伺いながらそう聞く。
ミアはただきょとんとした顔をするだけだ。
アビゲイルはいつもの作り笑顔を浮かべてはいるが返事はしてくれる。
「五分五分ですねぇ、まだ主の領域が完全に消えたわけではないので」
そんなことを話していた瞬間だ。
ドゴォンと大きななにかを破壊したような音がして地下室まで揺れる。
そして、スティフィの手前目掛けて何かがものすごい勢いで飛んでくる。
飛んできたそれは、ドゴォォォンとさらに激しい音を立てて、石床に突き刺さる。
それは刀だった。
鞘に納められた一本の刀だ。
スティフィには見覚えがある。
血水黒蛇。そんな名前の妖刀だ。
ただ柄の部分には植物の根のような物が絡みついている。
「血水黒蛇……?」
スティフィがそれを見てその妖刀の名を口にする。
物凄い力をもった神器でもあり妖刀でもある。
斬りつけた者の血を吸い、その力を使用者に与える。
その代わりに体を溶かす毒を使用者に与え、精神的にも狂わせていくという厄介な妖刀だ。
スティフィも扱え切れずに、古老樹である荷物持ち君に奉納していた物だ。
それが今、半年ぶりくらいにスティフィの目の前にある。
状況から察するに、荷物持ち君はこれをスティフィに使えと言っているのだ。
「荷物持ち君の籠に入れっぱなしだった妖刀ですねぇ、これを使えというのでは?」
と、アビゲイルは他人事のようにそう言った。
精神を狂わせ、身を溶かす毒を持っていると知っていながらだ。
「使って平気なの? 私も死ぬのはまだ良いけど溶けて死ぬのは嫌よ?」
ドロドロに溶けて死ぬのは流石に嫌だと、死に様くらいは選びたいとスティフィも考えている。
「荷物持ち君の根が絡みついているので平気なんじゃないでしょうかぁ?」
アビゲイルはそんなことを言いつつも、その根の一部を採取したい。
そんなことを考えている。
無論そんなことをすれば、荷物持ち君によって何をされるかわからないだろうが、それでも欲しいものは欲しい。
逆に、荷物持ち君がスティフィに異様に寛容なことをアビゲイルは不思議に思うほどだ。
「これなら…… この妖刀なら幽霊も斬れるという事で良いのよね?」
そう言って、スティフィは構えていた銀の短剣を鞘にしまい、血水黒蛇の柄に手をかける。
根が巻き付いているにも拘らず、スティフィの手に程よくなじむ。
握り心地が妙によく手に吸いつくような感覚だ。
「荷物持ち君がわざわざ投げ入れたということは、そう言うことじゃないんですか?」
「まあ、そう言うことよね。とはいえ、私には肝心の相手、幽霊が見えないんだけど?」
そう言いつつもスティフィは恐る恐る血水黒蛇を持つ自分の右手をみる。
この妖刀は使用者に力を与える代わりに使用者を噛み、最終的に使用者を溶かし喰らう妖刀だ。
スティフィはすでに一度噛まれ暴走している。
それでも荷物持ち君を、古老樹を信じ、血水黒蛇の柄をしっかりと強く握る。
以前の様に手に取っても噛まれるような痛みはない。
そのまま、鞘に納められている血水黒蛇を鞘から引き抜く。
黒い怪しげな刀身が姿を見せる。
噛まれるような感覚はないが、右手を何かに巻き付けられるような感覚にスティフィは襲われる。
スティフィが自分の右手を見ると、自分の腕に半透明の黒い蛇と、実物の木の根が絡み合い、自分の腕に巻き付いている。
「なに? これは……」
「血水黒蛇の呪いを荷物持ち君が防いでいるようですねぇ……」
アビゲイルは興味深いとばかりにそれを目を細めて観察する。
だが、変化はそれだけではない。
スティフィの目にも見えるのだ。
急に波長が合ったような、そんな感覚があった後、スティフィの目に幽霊達の姿がはっきりと見える様になる。
「それは助かるわ…… と、幽霊? これが幽霊ってやつね? なるほどね。みんな同じような恰好をして、確かに見分けがつかないわね」
同じようなボロボロ姿の辛うじて女と分かる様な存在が、床から少し上を浮遊している。
スティフィもその姿が急に見えるようになる。
アビゲイルやジュリーが言っていた通りの姿だ。
「スティフィにも見えるんですか?」
ミアが羨ましそうにそう言った。
「古老樹か血水黒蛇の力か、どっちかですねぇ…… 面白い、って、ミアちゃんの杖も輝きが増してますよぉ?」
どちらのおかげかというと、恐らくは古老樹の方だろう。
ただ、血水黒蛇も血と魂を啜る妖刀と言われているので、可能性を否定できない。
それはともかく、今まで淡く光っていただけのミアの古老樹の杖が今は強く輝きだしている。
恐らく本格的に敵意を剥き出した存在に対しての防衛機能なのかもしれない。
だが、それがそうじゃないことに、この場にいる幽霊達にはこの古老樹の杖は意にも介していなかったことに気づくのはもう少し後の話だ。
今はアビゲイルすら、その事に気づけていない。
「え? あっ、本当ですね、なんかすごい光ってます!」
古老樹、それも名前を持つ朽木様の枝から朽木様自身がミアの為に作り出した杖だ。
ここの幽霊達如きでは手も足も出ないことだろう。
ならば、アビゲイルのやることは決まっている。
「あー、じゃあ、ジュリーちゃんは私が見ておきますので、ここはお二人に任せてもいいですかぁ?」
それは観察だ。
古老樹の杖と血水黒蛇の能力を間近で観察できる機会なのだ。
なら、自分が戦闘に参加するよりも、それらを観察していたい、というのがアビゲイルの本音だ。
ジュリーのことは二の次で、マーカスに適当に任せておけば良いと考えている。
「私一人で十分よ、この妖刀で幽霊を斬れるというのならね。敵意を向けてくる奴だけ斬れば良いんでしょう?」
だけれども、そんなことはどうでもいい、と言わんばかりにスティフィが張り切る。
今まで手も足も出せなかった相手に対抗手段が出来たのだ。
今までの鬱憤を晴らしたいのだろう。
「そうです、そうです。どんどんやっちゃってください! マーちゃん、我々の周りに聖水を撒いておいてください、ジュリーちゃんを守りますよぉ」
そう言ってアビゲイルは早速、血水黒蛇の観察と分析に取り掛かる。
「わかりました、わ」
と、マーちゃんは自分とジュリーの周りにだけ聖水を巻く。
アビゲイルの周りには聖水を撒いていないが、アビゲイルは既に観察に夢中になっていて、そのことに気づいていない。
「あの、私は依然として幽霊さん達を見れないんですが?」
ミアは不満そうにそう言って、光り輝く古老樹の杖とニンニク棒を両手に持ちブンブンと振り回す。
この中で自分とマーちゃんだけが今のところ幽霊の姿を見れていない。
そのことが余程不満のようだ。
「後で絵でも書いて教えてあげるから!」
「そう言うことじゃなくて、私は何をすればいいんですか?」
ミアとしては自分も役に立ちたいのだが、肝心の相手が見えていない。
スティフィとは違いミアには他人の敵意を感じ取ることにも長けていない。
敵意を、悪意を向けてくる方向もわからない。
「その杖にでも聞きなさい、もしくはじっとしてて、私が終わらせる!」
「杖に……? 朽木様! どうしたらいいんですか?」
ミアのその言葉に、幽霊達の視線がミアに、いや、古老樹の杖に集まる。
この地域に住むものにとっては恐怖の対象でもある古老樹だ。
視線を、幽霊の気を引くのにも十分な言葉だ。
次の瞬間、杖が眩いばかりの閃光を発する。
幽霊達はそれにより目が眩み怯む。
「ミア、やるじゃん!」
スティフィはそう言って一番近くの幽霊に斬りかかる。
黒い刃は幽霊の、実体のない体をすり抜ける。
何の手ごたえもない。
だが、スティフィの目に見えるようになった幽霊はちゃんと切り裂かれ、切り裂かれた個所から黒い煙のような物を噴出し、苦しんでいる。
問題があるとすれば、その黒い煙のようなものが血水黒蛇にしっかりと吸収されて行っている事だろうか。
それが自分に流れ込まないかスティフィには不安だったようだが、以前のようになにかを切り刻みたい、そう言った衝動はスティフィには湧いてこない。
「ちゃんと斬れるみたいね」
スティフィはそう言って次の獲物に狙いを定める。
「で、結局どうなったんですか? お、いや、私には未だに何にも見えないのですが? わ」
マーちゃんはそう言って辺りを警戒するが、聖水のおかげか特に何も起きていない。
スティフィがまるで宙を舞うかのように動き、何かにむかい刀を振るっている姿を確認できるだけだ。
「元狩り手でしたっけぇ? 流石ですねぇ、一人で、もうほとんどの幽霊を倒してますねぇ。我々の出番はないですよぉ」
アビゲイルが感心しながらそんなことを呟く。
「そうなんですか? 私には一人で刀を振るっているようにしか見えませんが、わ」
マーちゃんにはそうとしか見えない。
ただ断末魔のような言葉は、スティフィが刀を振るうごとに聞こえてくるので、確かに幽霊を斬っているのだろう。
だが、ここにきてやっとアビゲイルも気づく。
本当にヤバイ物が解き放たれていることに。
慌てて色々を確認した結果、この祭壇の魔方陣は罠が張られていた。
アビゲイルの癖を逆手に取ったような、アビゲイルの師匠、マリユにしかできないような、そんな巧妙な罠が仕掛けられていた。
この魔方陣は地脈からも力を得ているように描かれているが、それがまるで機能していない。
つまり、今は超巨大な魔方陣も止まってしまっている。
超巨大な陣は宝物庫に閉じ込めている物を閉じ込めておくための物だ。
それがすでに解き放たれている。
アビゲイルはそれでも慌てずに思考を巡らす。
そして導き出した答えは、
「それよりもマーちゃんは、先ほど修正した物を床にでも書き始めてください。大人しくしている幽霊達は冥府にちゃんと送ってあげましょう」
だった。
今は少しでも敵が増えるような要素は取り除いておいた方が良い。
「え? 今ですか? わ、わかりました、わ」
こんな状況下で? と、マーちゃんはそう思ったが、アビゲイルが笑っていなかったので、素直に床に冥府へと送るための陣を描こうとして気づく。
「ここ、巨大な陣があるって言ってましたよね? ここに描いても良いんですか?」
マーちゃんはそう言ってアビゲイルを見るが、アビゲイルは全く別の方向を見ている。
「ええ、その陣も…… もう力を失ったようです…… 急いでください」
と、表情が凍り付いたアビゲイルがそう言った。
「え? 巨大な陣はヤバイのを封じてるって言ってませんでしたか?」
マーちゃんが聞き返すと、
「そうですねぇ…… それが力を失い、解放されちゃったみたいですぅ……」
アビゲイルが、あのアビゲイルが声を震わせながらそんなことを言いだした。
「え? なら冥府へ送るのは後回しで今は脱出が最優先では?」
それを聞いたマーちゃんは焦って、それを伝える。
アビゲイルですら手に余るという化物が解放されたのだ。
幽霊達には申し訳ないが、冥府に送るのは後回しにしたい。
「今、ここ出るとちょうど鉢合わせですねぇ…… 幸い地上へと向かっているようなので、ここを片付けてから追いましょう。外には荷物持ち君がいますので」
アビゲイルは血水黒蛇を観察することも忘れて、まったく別の方向を凝視している。
恐らくはそちらに、アビゲイルの視線の先に三人の幽霊とやらが居るのだろう。
「な、なるほど? なら、本当に冥府へ送る陣を描いていて良いんですね?」
マーちゃんにはよく現状を理解できてはいないが、アビゲイルがそう言うならばそうなのだろうと思うことにした。
アビゲイルは魔術師としては間違いなく一流なのだから。
アビゲイルとしても、今、大人しくしている幽霊達がいつ牙を剥くのかもわからない状況なのは避けたいと考えている。
「敵を増やすよりは減らしたいですよねぇ?」
それをマーカスに告げる。
「わかりました。陣を描きます。わ、って、もう女言葉じゃなくても、女のふりをしていなくてもいいんですよね?」
既に無月の女神の領域ではないことに気づいた、マーちゃんことマーカスはアビゲイルに確認をする。
「それ、女言葉のつもりだったんですか? それはもう平気です。とりあえず…… どうしましょうか? この状況……」
アビゲイルも現状どうして良いかわからずじまいだ。
とりあえず、三人の幽霊と呪物が山ほど交じりあい一つになった幽霊は地上を目指していて、こちらにはやってきていない。
なら、こちらからは手を出さずに荷物持ち君に任せてしまった方が良い。
荷物持ち君がどう出るかはわからないが、ミアを守るためにどうにかしてくれるはずだ。
「あんた! さっきからとんでもない事を言ってない?」
敵意を向けてきた幽霊をほとんど始末したスティフィは、さっきから耳に入って来る情報を、無視しきれずにアビゲイルに突っ込む。
スティフィとしても以前、幽霊達が使う念動力自体は見えないでいる。絶えず動き回りその力に捕まらないようにしながら戦うしかない。
スティフィが飛び回るように、宙に舞うように戦っているのはそのためだ。
アビゲイルにツッコミをしている余裕はないのだが、アビゲイルが言っている言葉は現状でも無視できるものではない。
「一大事ですよ、スティフィちゃん!」
と、アビゲイルはそう言って頭の髪の毛をわしゃわしゃを掻きむしり始めた。
アビゲイルにも収集が付かないような状態だ。
「ど、どうしたんですか!?」
そこでようやく光る古老樹の杖を持て余していたミアも会話に入ってくる。
そして、アビゲイルも理解する。
「ミアちゃんの杖が激しく光り出したのも、あれに反応してなんですかねぇ? その方がしっくりきますねぇ」
だから、こちらには来ないで地上を目指したのかもしれない。
そうでなければ、憎きマユリの愛弟子であるアビゲイルを、まず最初に襲いに来ていたはずだ。
だとすると、ミアの持つこの古老樹の杖も対抗手段にはなるはずだ。
「なんだか、ヤバイ奴も解放されたらしいです。とりあえず俺はここにいる幽霊を冥府に送る陣を描きます」
ミアの問いに答えたのはマーカスだ。
「マーちゃん手伝いはいりますか?」
それを聞いたミアは手伝うとばかりにマーカスのことろまで駆け寄ってくる。
「もうマーカスです! 確かにこの陣は、ミアの招来陣を真似てはいますが…… それよりもミアは荷物持ち君にヤバイらしい三人の幽霊をどうにかできるか聞いてみてください、逃したら無月の女神の祟りがくだるかもしれませんよ」
マーカスとしては、どうやばいのかを今一理解できていないので、それを取り逃したとき無月の女神に祟られる方を恐れている。
「は、はい! に、荷物持ち君! どうにかできますかー!」
急にそう言われたミアは暗く闇しか見えない地下室の天井にむかい大きな声で叫んだ。
だが、荷物持ち君にそれが聞こえたかどうかもわからない。
ここからミアが上を見上げても闇しか見ることが出来ない。
だが、相手は上位種でありミアの護衛者だ。
ミアの期待に応えてくれるはずだ。
「流石オーケンさんのお弟子さん、頼りになりますねぇ」
アビゲイルが感心したようにマーカスを褒める。
「あんた、肝心なところで役立たずじゃない!」
そこへスティフィのツッコミがはいるが、
「いや、もう人間の手でどうにかできる範疇を超えちゃっているんですよぉ、あれをどうこうさせようとか、師匠は鬼ですよぉ」
当のアビゲイルは両手を投げ出して、そんなことを言っている。
いや、それを見れてしまうからこそ、アビゲイルの右目はその闇を観測できてしまうからこその行動だ。
完全に、ここの宝物庫に閉じ込められていたソレは、数々の神器と言える呪物と交わり一つになったソレは、人間の手に負えるものではなくなっている。
「でも、私達でどうにかしないといけないんでしょう? こっちはもうすぐ終わるわよ!」
スティフィが敵意を向けて来る最後の幽霊と対峙しながら声を荒げた。
「そうですねぇ、主に対して禁忌を犯したような奴らです。それをそのまま野放しにはできませんよぉ」
アビゲイルもやっと腹を括る。
それに、こちらにも古老樹が居るのだ。
どうにかなるはずだと、いや、どうにかしなければならないのだと。
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