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海岸沿いを行けば出会う野盗と恩返し
海岸沿いを行けば出会う野盗と恩返し その1
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リズウィッドの領地を出たミア達は別の神の治める領地へと入って来ていた。
時代が時代なら国境を越えたと言うことなのだが、今の時代に関所などもない。
今の時代の人間の使命は、神に与えられた土地を維持することだけだ。
大きな争い合いも神々により禁止されているので、基本的には領地間での出入りも自由となっているところが多い。
そんなわけでミア達も特に何事もなく別の領地へと入り、今は街道沿いに小さな港町を目指している。
「風が生臭いですね。海が近いんでしょうか?」
ミアは場所の窓から入り込んでくる風に海の匂いを感じる。
その匂いを生臭いと言ってしまうのはミアが山育ちだからだろう。
「そうですね、しばらくは海岸線沿いに街道が続きますね」
フーベルト教授は、もうその辺まで来たのか、と少しだけ驚く。
ゆっくりとしているようで、確実に進んではいるのだと実感する。
とはいえ、まだまだ旅ははじまったばかりで極東の地、リッケルト村のある地域は遠い。
「この辺りから山越えすると割と魔術学院まですぐなんだよな」
エリックは地図を確認しながらそう言った。
確かに地図上ではそうだ。
ただ険しい山々と精霊の領域があるので、人間が用もなくそこを通ることは少ないし、不用意に足を踏み入れれば命懸けになる。
「途中に精霊の森があるので危険ですよ」
フーベルト教授はミアを見ながら言った。
ミアは知らないとはいえ、その道を通って魔術学院に来たのだ。
本当に道なき道のはずだ。
よく無事だったと、今でもそう思えるほどだ。
「そういや、ミアはこの辺りから山に入ったんだっけ?」
スティフィもそんな話だったと思い出す。
確かに、山に慣れたミアなら可能かもしれないが、危険な行為には違いない。
「ええっと、もう少し手前です。東側から見てですが」
ミアはそう言って苦笑する。
エリックの持っている地図を見ながら、当時のことを思い出す。
ミアとしても、置き引きにあい路銀を完全になくし、仕方なく決死の想いで山越えの選択肢をしただけだ。
「とすると、ミアが山に入ったっていうのは…… 多分、この辺りね。よく無事だったわね、完全に精霊の森を突っ切ってるんじゃない」
スティフィはエリックが暇つぶしに見ていた地図を奪い、おおよその位置を指さす。
地図上で見るなら確かにシュトルムルン魔術学院は近く感じる。
街道が山脈と精霊の領域である森を大きく迂回するように作られているのがわかる。
だが、地図上で近くても実際に歩くとなるとかなりの距離があるはずだ。
「ほんとうですね」
ミアも地図で見て違和感を覚える。
シュトルムルン魔術学院から精霊の森の中心部まで、歩いて一週間かかる。
どう見てもミアが山越えして来た道はその道のりの倍以上はあるのだ。一週間で魔術学院まで歩けるわけがない。
だが、ミアは違和感があるものの、そこまでは気づけない。
「あれ? ミア……」
だが、スティフィはその違和感に気づく。
「なんです?」
「あんた、確か山に入って一週間くらいで魔術学院に着いたって話よね?」
ミアの話ではそんな日数だったはずだ。
だが、ミアが山越えした距離は、そんな日数ではどうやっても無理だ。
「そうです、それくらいのはずですよ。あの時は先を急いでいたので食料もほぼなかったですし」
ミアも正確には覚えていない。
正確に日数を数えてはいなかったが、それくらいの日数が限界だったはずだ。
山に慣れているとはいえ、装備も何もない状態でミアもそれほど長く山中を進めるわけではない。
ミアもその時は必死だったし、シュトルムルン魔術学院になんとかたどり着いた時は、意識も少し朦朧としていたので確かではないはずだが、それほど日数はかわらないはずだ。
「うーん……」
スティフィは地図を見て唸る。
「どうしたんですが?」
「いや、流石にこの距離を一週間ってのはミアでも無理じゃない?」
ミアは見た目以上に健脚であり山道にも慣れている。
山道だからと言って、ミアの歩みをそれほど妨げることはできない。
それでも、物理的に一週間程度で魔術学院に行くには無理な距離をしている。
「地図で見るとそうですね」
ミアも同意見だ。
スティフィに言われて、ミアも自分が感じていた違和感にやっと気づく。
地図で見ると少しの距離でも、実際にはかなりの距離だ。
この距離を一週間で踏破するのはやはり無理がある。
「精霊の…… 領域…… 精霊の森に、はじき出された…… のかも、知れないですね…… 運が良いと、言うか、なるべくしてなった…… というべきか……」
サリー教授も地図を覗き込んできて、そのことを半ば呆れながら指摘する。
確かに精霊の領域のある森は、精霊の案内なしに入ると迷いの森と化す。
本来は中心部の精霊王がいる地域に不要な人間や外敵を寄せ付けないためであり、人を迷わせるための物ではない。
だから、ミアは運よくシュトルムルン魔術学院側へと精霊の森からはじき出されたのかもしれない。
それなら、確かに一週間程度でシュトルムルン魔術学院まで行くことはできそうだ。
「やっぱりミアは神に愛されているのね」
スティフィからはそんな言葉しか出てこない。
それは呆れながらの発言なのだが、
「そ、そうでしょうか!! えへへ」
ミアは嬉しそうに照れている。
無論、スティフィは皮肉で言っただけなのだが。
「そう言えば、ミアさんの大精霊はまだいるんですか?」
ジュリーも会話に入ってくる。
ミアの周りには大精霊がいて、ミアの身を守っているはずだ。
ただ精霊の姿は常人には確認することはできない。
本当にいるのかどうか、それすらもわからない。
「いるわね。私にも見えないけど、その気配は感じているわよ」
ミアに憑いている精霊と因縁のあるスティフィはその精霊を見えずとも恐怖として、その精霊を感じ取れている。
もう慣れはしたが、その存在を忘れることはない。
「荷物持ち君も普通にしてますし、やっぱりその腕輪が御使いを寄せ付けないっていうのは間違いなんじゃないんですか?」
スティフィの言葉を受けて、ジュリーはそんな事をミアに進言する。
御使いがいなくなるのであれば、精霊もいなくなるのではないか、そんなことを考えてだ。
「そ、そうでしょうか? 確かに、試しに一日ずっと外して見ましたが、アイちゃん様は帰ってきませんでした」
この腕輪のせいでロロカカ神の御使いが離れて行ってしまったかもしれない、と言うことで、ミアはそんな事もしたのだが、結局、ミアの元に御使いが帰ってくることはなかった。
「御使いは…… より神に近い存在ですからね。例えば…… その腕輪が…… ミアさんを守っている…… そうなると御使いは…… 秘匿の神に遠慮してミアさんから離れている、ということは考えられますよ……」
神が守っているのであれば、御使いがさらにミアの身を守るのは、その神に対して不敬に当たるのかもしれない。
荷物持ち君や大精霊は、ミアの護衛者と言う役割を与えられた存在でまた別なのかもしれないが、アイちゃん様と言う御使いはミアの護衛者と言うわけではない。
ミアがリッケルト村まで安全に帰るための案内人なのだと言う。
サリー教授の言葉も分からない話でもない。
「なるほど……」
ミアもサリー教授の言葉に納得する。
「それに相手は御使いですからね。用があるときは戻って来てくれると思いますよ」
さらにフーベルト教授もそう言ってミアに笑顔を見せる。
相手は御使いであり、神が造った神の次に万能な種族なのだ。
この場に居なくとも、人一人守るのに何も苦労することもない。
「それもそうですね…… なんと言ってもロロカカ様の御使いですからね…… って、馬車が止まりました?」
まだ次の町まではかなり距離があるはずだが、馬車が止まった。
スティフィがいち早く、外のその異変に気づき、
「あー、馬鹿な連中ね。よりにもよってこの馬車を狙うだなんて……」
と、嬉しそうに嘲笑いながらそう言った。
「何が起きました?」
フーベルト教授がスティフィに聞くと、
「野盗って奴ね」
と、スティフィが答える。
そこ言葉でエリックは剣の柄を握り、ジュリーは馬車に出入り口から離れ身を縮こませる。
「でも、どうも…… 様子が…… おかしいです…… ね?」
サリー教授も外の様子に気づいているのか、少し不思議そうな顔をしている。
「とりあえずボクが見てきますので、皆さんは、まあ、待っていてください。あっ、スティフィさんはついて来てくれますか?」
「えー」
フーベルト教授の言葉にスティフィが嫌そうな顔をする。
それに対してミアが、
「スティフィ!」
と、その名を呼ぶ。
スティフィは嫌な顔を見せて、席から立ち上がる。
「はいはい…… 荷物持ち君がいるんだから私が行く意味ないでしょうに。エリック、もしもの事はミアの身を一番に守るのよ?」
念のために、エリックに釘をさしておく。
まあ、ここにはサリー教授もいるので何か起こる訳もないのだが。
「おぅよ」
と、エリックは元気よく返事をするが、その出番が来ることもない。
街道に投げ出されるように、道の真ん中でのされている野盗の連中をエリックが邪魔だろうから、と、街道の脇に運んでいる。
野党がのされているのはスティフィの仕業だ。
「つまり、どういうことですか?」
と、ミアがそんな光景を見ながらスティフィに話を聞く。
ミアの問いに答えたのはフーベルト教授だ。
「野盗の村に流行り病が流行ったので助けてくれ、ってことですよ。この馬車を見て魔術師がいると確信し、脅し…… 頼み込んで来たようです。まあ、魔術学院の教授が乗っているとは思っていなかったようですが。その上、問答無用にのされてしまいましたが」
憐れみの目でフーベルト教授は野盗達を見る。
野盗達は最初から襲う気もなかった。
少し上からだったが、助けを求めてやってきただけだ。
話を聞いた後、いや、流行り病と言うことを聞いた後、問答無用でスティフィが野盗達をのしていった。
血からの感染を気にしてか、スティフィは刃物すら使っていない。
スティフィが野盗達を無力化した理由は、流行り病に関わりたくないからだ。
「それでスティフィがやっつけちゃったんですか?」
と、街道に転がっている野盗達を見ながらミアは驚く。
ほんの一瞬で、五、六人の野盗を素手で、しかも右手のみで気絶させている。
「殺してはないわよ? でも、助けないと殺すって言われたのよ? 格下に。それに流行り病だなんて関わりたくはないでしょう?」
スティフィはそう言って当然と言う顔を見せる。
「で、どうするんですか? ボクも…… あまり関わりたくないですね。野盗と言うこともありますが、流行り病となるとなおさらです」
この旅の主はミアだ。
フーベルト教授もその付き添いでしかない。
これはミアが決めるべきことだ。
「流行り病って…… なんですか?」
と、ミアが聞いた時、フーベルト教授は少し表情を曇らす。
「黄咳熱だそうです」
フーベルト教授はミアを見ながら言った。
恐らくは、だが、ミアの母親が罹り、その命を奪った疫病だ。
黄色い痰と共に酷い咳、高熱がでるのが特徴的で、咳により爆発的に感染を広げる厄介な病だ。
ただ十数年前の大流行により、対策は既にできている。
対処法を知っている魔術師がいるならば、今はどうとでもなる病気となっている。
それでも感染力が強いので大規模に広がってしまえば、対応できなくなりかねない厄介な病ではある。
「とりあえず話を聞きたいです」
黄咳熱と聞いて、ミアもなにか感じるものがあった。
自分の母親の命を奪った病かもしれない。
そう思うとミアの心もざわつくのだ。
「ミア、黄咳熱ってのは咳で感染するの。こいつらだって既に感染しているだろうし、起して話を聞くのは危険よ?」
非常に感染力の高い病だ。
魔術で治療できるようになったとはいえ、関わりたくはない。
「母が…… 私のお母さんが罹った病気かもしれないので」
ミアはそう言って、転がされ街道の隅に並べられた野盗達を見る。
「フーベルト教授は対策方法を知っているのよね?」
スティフィは最低限それだけは確認しておかなければならない。
感染初期なら誰か一人でも対処法を知っていればどうにかなる。
黄咳熱はすぐに死ぬような病でもない。
「もちろんですよ。サリーも知っていますので、その点は問題ないですよ」
フーベルト教授はそう言って、ミアを見る。
決めるのはミアだと。そう考えている。
「ミア、それでもフーベルト教授は最初に関わりたくないって言ったのよ? わかるわよね?」
スティフィとしては、対処できるとはいえ流行り病に関わりたくはない。
スティフィはミアを強く見るのだが、ミアは既に決めてしまっているようだ。
「すいません…… スティフィ、気になるんです……」
ミアが一度決めてしまったと言うことは、それを変えさせるのは物凄く大変であると言うことでもある。
「はぁ、なら仕方がないわね。ミアが気になるって言うのなら、これも、これすらも必要な事なんでしょうね」
それにミアは本物の神の巫女なのだ。
特に神から印を貰ったミアのその精神は、どこかで神と繋がっているかもしれない。
そのミアが気になると言うのだ。
何かあるかもしれない。
だが、別の意味で動かないといけない人間もいる。
「疫病が流行ってんのか? なら、騎士隊に知らせないとな」
野盗達を道の端に移動させたエリックはそう言って頭を掻いた。
流行り病の兆しがあれば、いち早く騎士隊に知らせなければならない、騎士隊の決まりだ。
「馬を貸すのでエリック君は一足先に近くの騎士隊詰め所迄先行していてください。街道沿いを進んだ先の町にもあるはずですので」
騎士隊に魔術を教えているフーベルト教授もそのことは知っている。
どちらにせよ、野盗の村とはいえ、感染力の強い黄咳熱であるのならば、早い段階で対処をしないといけない。
その野盗の村の規模にもよるが、初期段階ならフーベルト教授らでどうにかできるかもしれない。
「馬車馬だろ? 良いのかよ?」
エリックはそう聞き返す。
二頭いるうちの一頭を、フーベルト教授はエリックに貸す気でいる。
「なので、ちゃんと連れて帰って来てくださいよ」
エリックに聞き返されたことに、少し驚きつつフーベルト教授はそう答える。
最悪、馬一頭だけでも最寄りの町までくらいなら問題はない。
「わかった。じゃあ、教授、馬を借りていくぜ」
エリックは早速馬車から馬を切り離しにかかる。
気絶している野盗をサリー教授が診断して、
「黄咳熱で…… 間違いないですね…… この方も既に感染しています」
と、判断する。
そして、すぐに地面に魔法陣を描き始める。
「こんな場所ですが黄咳熱です。さっさと病払いしてしまいましょう」
フーベルト教授もサリー教授に習うように地面に魔法陣を描き始める。
「どんな術式なんですか?」
と、ミアが質問する。
「えっと…… 馬車の荷台の中の魔術書にもあったはずですね。『疫病と対策』と言う題名の本の第七巻です」
フーベルト教授が魔法陣を描きながらそれに答える。
「わかりました! 探してきます!」
ミアはすぐに馬が一匹いなくなった、馬車に戻って行く。
「今から覚える気なの?」
スティフィも馬車に戻り、魔導書を探すのを手伝いながらミアに声を掛ける。
「ミアさんならすぐでしょうね」
元々馬車から出てこなかったジュリーも魔術書を探すのを手伝う。
魔導書を見ながら魔法陣を描けば、知らなくても使えはするだろうが、ミアの事だ。
魔法陣を丸覚えするつもりだろう。
「ジュリーも…… 外に出るのを嫌がってないで、こっちを…… 手伝ってください…… あなたは既に知っているはずです…… よね?」
馬車の外からサリー教授がジュリーを呼ぶ声がする。
ジュリーは馬車の中だから、見えないと思ってか、本当に嫌そうな顔をする。
「うぅ…… わ、わかりました、師匠…… でも、ですね。こ、この辺り死後の世界がないみたいなんです。死者が何人か見えるんですよ。全部、病気で最近、死んでいて助けを求められてて……」
と、ジュリーが返事をする。
馬車に乗っているときはジュリーも気づかなかったが、馬車が止まった今ならよくわかる。
ジュリーは死者が見える目を持っている。
死後の世界があれば、地上に死者などいないのだが、この辺りは死者が溢れている。
領地の境目なので、死後の世界の境界もあいまいなのかもしれない。
そのせいで野盗の件とは別の意味でも、ジュリーは外に出たくなかったのだ。
「ああ、それで…… でも、死後の神の神官でも…… 通りかかるのを待つしかないですね……」
そんな神官はそうそう居ない。
そもそも死と関わり合いの強い死後の神を信仰している人間が稀なのだ。
後は死者達が自力で死後の世界がある場所まで行ってもらうしかない。
「マーカスの奴、そう言えばどうなったのかしらね。ちゃんと戻って来たのかしら」
その話を聞いて、スティフィは一番最初にマーカスのことを思い出す。
マーカスも死者を死後の世界に送ることができたはずだ。
ただスティフィもマーカスたちが後ろからついてきていることは知らない。
そんな情報は、今のところスティフィに届いていない。
「冥府の神のところへ白竜丸さんと行ったきりでしたね…… スティフィもこっちに来てください、一緒に術式を覚えましょう」
お目当ての魔導書を見つけたミアはスティフィを呼び、一緒に覚えようと持ちかける。
それに対して、スティフィはあきれるばかりだ。
「無理よ。ミア。常人には魔法陣を見て丸々一つ覚えるとか、できる事じゃないのよ」
基本的にスティフィの言っている通りだ。
魔法陣は魔導書に分けて描かれた物を、魔導書を見ながら書き写す、というのが常人での常識だ。
ミアや外で魔法陣を既に描き始めている教授達のように魔法陣を丸暗記する方がおかしい。
ついでにジュリーは、サリー教授の魔法陣を見ながら、それを真似て描いているだけだ。
「スティフィならできるんじゃないですか?」
と、意外、と言った表情でミアはスティフィを見る。
「出来なくはないけど…… 今は無理よ」
確かに、スティフィの改造された目には、見たものを記憶しておく魔術も仕込まれている。
だが、それはシトウス砦で万物強化の魔術の魔法陣を記憶するのに使っている。
新しくその魔術を使うには、その記憶を消さないといけない。
スティフィからすれば、どちらが重要かなど考えるまでもない。
ましてや、野盗を助けるために、貴重な魔術の記憶を消すわけがない。
「そうですか、じゃあ、この魔術書を見ながら描いてください。それならできますよね?」
ミアはそう言って、魔術書を開いたままスティフィに手渡した。
「え? もう覚えたの?」
ものの数分、ミアは魔導書を見ていただけだ。
それで魔法陣を覚えるなど常軌を逸している。
「はい、あまり複雑じゃなかったですので」
確かに、流行り病を治療するための魔術だけあってわかりやすく簡易的に書かれている。
普通は簡単に真似されたり改良されたりされないように難読化しているものだが、それもされていない簡単なものだ。
それでも、そんな短い間で覚えられるほど単純な物ではないはずなのにだ。
「疫病対策の魔術ですからね。簡単にわかるように描かれてはいますよ。それでも流石ですね」
馬車の外でミア達の会話を聞いていたフーベルト教授が驚きの声を上げる。
魔導書を受け取ったスティフィもやれやれと、馬車の外に出来る。
「野盗なんか助けてどうするのよ、まったく」
と、つぶやくころにはスティフィの出番はなかった。
既にのされた野盗の病払いは終わっていたからだ。
「助けていただき、ありがとうございます…… けど、うちの村、というか集落には魔術師がいません。どうか村の者の治療もお願いします」
野盗の一人が地面に頭をつけて、そう懇願して来た。
「なんで野盗なんかしているんですか?」
その様子を見てミアが疑問をぶつける。
「我々は…… 元々はリズウィッドで暮らしていました。ですが、外道に襲われ村を焼かれ、なんとか逃げ延びた者で集まりはしましたが……」
野盗は顔を上げないまま、ミアの問いに答える。
「闇の小鬼難民ってところか…… まあ、リズウィッドの冬は厳しいから、わからない話でもないけど」
リズウィッドの冬は確かに厳しい。冬だけでも乗り越えるためにリズウィッドを出て、こちらまで逃げて来たのだろう。
ただ、命からがら逃げて来たが持ち出せた物はなにもない。
野盗でもして冬を越すしかなかったのだろう。
冬さえ越せてしまえば、元々住んでいた村の再建も夢ではない。
「ち、誓って殺しだけはしてないです。金品を奪ったのは認めますが……」
別の野盗がそんなことをいう。
ミアには判断つかなかったが、スティフィからすればたしかに野盗にしてもその腕は素人だ。
元々、農民か何かなのだろうし、嘘でもなさそうだ。
だが、
「財産を奪われたら殺しているのとも同じでしょうに。あんたらもそうでしょう」
と、スティフィは野盗達を見下してそう言った。
「それは…… そうです……」
野盗もそれを認める。
そこでスティフィはニヤリと笑う。
「まあ、力が強いものが弱い物から奪うのは自然の摂理よ、あなた達もデミア……」
そして、デミアス教徒への勧誘を始めたところで、
「スティフィ!」
と、名を呼ばれミアに止められる。
「はいはい」
と、スティフィも素直にそれを聞き入れる。
「で、村はどこにあるんですか?」
既に野盗の村も助けるつもりでいるミアはその場所を確認する。
「この森の奥です。村と呼べるようなものでもありませんが……」
野盗の人が、そう言ってただの森を指さした。
「行きましょう」
ミアはそう言って躊躇なく森に入って行こうとする。
御者台から荷物持ち君が飛び降りて、ミアの前に立ち、ミアが歩きやすいように薮を薙ぎ払っていく。
「ミア、黄咳熱にかからないでよ」
スティフィが心配そうにそう言った
「黄咳熱はすぐに命を奪う様な病じゃないのですので、複数治療できる魔術師がいるのであれば、それほど怖い病気ではないですよ」
それにフーベルト教授が答え、ミアがどんどんと先行していくので、野盗達を立たせ道を案内させる。
時代が時代なら国境を越えたと言うことなのだが、今の時代に関所などもない。
今の時代の人間の使命は、神に与えられた土地を維持することだけだ。
大きな争い合いも神々により禁止されているので、基本的には領地間での出入りも自由となっているところが多い。
そんなわけでミア達も特に何事もなく別の領地へと入り、今は街道沿いに小さな港町を目指している。
「風が生臭いですね。海が近いんでしょうか?」
ミアは場所の窓から入り込んでくる風に海の匂いを感じる。
その匂いを生臭いと言ってしまうのはミアが山育ちだからだろう。
「そうですね、しばらくは海岸線沿いに街道が続きますね」
フーベルト教授は、もうその辺まで来たのか、と少しだけ驚く。
ゆっくりとしているようで、確実に進んではいるのだと実感する。
とはいえ、まだまだ旅ははじまったばかりで極東の地、リッケルト村のある地域は遠い。
「この辺りから山越えすると割と魔術学院まですぐなんだよな」
エリックは地図を確認しながらそう言った。
確かに地図上ではそうだ。
ただ険しい山々と精霊の領域があるので、人間が用もなくそこを通ることは少ないし、不用意に足を踏み入れれば命懸けになる。
「途中に精霊の森があるので危険ですよ」
フーベルト教授はミアを見ながら言った。
ミアは知らないとはいえ、その道を通って魔術学院に来たのだ。
本当に道なき道のはずだ。
よく無事だったと、今でもそう思えるほどだ。
「そういや、ミアはこの辺りから山に入ったんだっけ?」
スティフィもそんな話だったと思い出す。
確かに、山に慣れたミアなら可能かもしれないが、危険な行為には違いない。
「ええっと、もう少し手前です。東側から見てですが」
ミアはそう言って苦笑する。
エリックの持っている地図を見ながら、当時のことを思い出す。
ミアとしても、置き引きにあい路銀を完全になくし、仕方なく決死の想いで山越えの選択肢をしただけだ。
「とすると、ミアが山に入ったっていうのは…… 多分、この辺りね。よく無事だったわね、完全に精霊の森を突っ切ってるんじゃない」
スティフィはエリックが暇つぶしに見ていた地図を奪い、おおよその位置を指さす。
地図上で見るなら確かにシュトルムルン魔術学院は近く感じる。
街道が山脈と精霊の領域である森を大きく迂回するように作られているのがわかる。
だが、地図上で近くても実際に歩くとなるとかなりの距離があるはずだ。
「ほんとうですね」
ミアも地図で見て違和感を覚える。
シュトルムルン魔術学院から精霊の森の中心部まで、歩いて一週間かかる。
どう見てもミアが山越えして来た道はその道のりの倍以上はあるのだ。一週間で魔術学院まで歩けるわけがない。
だが、ミアは違和感があるものの、そこまでは気づけない。
「あれ? ミア……」
だが、スティフィはその違和感に気づく。
「なんです?」
「あんた、確か山に入って一週間くらいで魔術学院に着いたって話よね?」
ミアの話ではそんな日数だったはずだ。
だが、ミアが山越えした距離は、そんな日数ではどうやっても無理だ。
「そうです、それくらいのはずですよ。あの時は先を急いでいたので食料もほぼなかったですし」
ミアも正確には覚えていない。
正確に日数を数えてはいなかったが、それくらいの日数が限界だったはずだ。
山に慣れているとはいえ、装備も何もない状態でミアもそれほど長く山中を進めるわけではない。
ミアもその時は必死だったし、シュトルムルン魔術学院になんとかたどり着いた時は、意識も少し朦朧としていたので確かではないはずだが、それほど日数はかわらないはずだ。
「うーん……」
スティフィは地図を見て唸る。
「どうしたんですが?」
「いや、流石にこの距離を一週間ってのはミアでも無理じゃない?」
ミアは見た目以上に健脚であり山道にも慣れている。
山道だからと言って、ミアの歩みをそれほど妨げることはできない。
それでも、物理的に一週間程度で魔術学院に行くには無理な距離をしている。
「地図で見るとそうですね」
ミアも同意見だ。
スティフィに言われて、ミアも自分が感じていた違和感にやっと気づく。
地図で見ると少しの距離でも、実際にはかなりの距離だ。
この距離を一週間で踏破するのはやはり無理がある。
「精霊の…… 領域…… 精霊の森に、はじき出された…… のかも、知れないですね…… 運が良いと、言うか、なるべくしてなった…… というべきか……」
サリー教授も地図を覗き込んできて、そのことを半ば呆れながら指摘する。
確かに精霊の領域のある森は、精霊の案内なしに入ると迷いの森と化す。
本来は中心部の精霊王がいる地域に不要な人間や外敵を寄せ付けないためであり、人を迷わせるための物ではない。
だから、ミアは運よくシュトルムルン魔術学院側へと精霊の森からはじき出されたのかもしれない。
それなら、確かに一週間程度でシュトルムルン魔術学院まで行くことはできそうだ。
「やっぱりミアは神に愛されているのね」
スティフィからはそんな言葉しか出てこない。
それは呆れながらの発言なのだが、
「そ、そうでしょうか!! えへへ」
ミアは嬉しそうに照れている。
無論、スティフィは皮肉で言っただけなのだが。
「そう言えば、ミアさんの大精霊はまだいるんですか?」
ジュリーも会話に入ってくる。
ミアの周りには大精霊がいて、ミアの身を守っているはずだ。
ただ精霊の姿は常人には確認することはできない。
本当にいるのかどうか、それすらもわからない。
「いるわね。私にも見えないけど、その気配は感じているわよ」
ミアに憑いている精霊と因縁のあるスティフィはその精霊を見えずとも恐怖として、その精霊を感じ取れている。
もう慣れはしたが、その存在を忘れることはない。
「荷物持ち君も普通にしてますし、やっぱりその腕輪が御使いを寄せ付けないっていうのは間違いなんじゃないんですか?」
スティフィの言葉を受けて、ジュリーはそんな事をミアに進言する。
御使いがいなくなるのであれば、精霊もいなくなるのではないか、そんなことを考えてだ。
「そ、そうでしょうか? 確かに、試しに一日ずっと外して見ましたが、アイちゃん様は帰ってきませんでした」
この腕輪のせいでロロカカ神の御使いが離れて行ってしまったかもしれない、と言うことで、ミアはそんな事もしたのだが、結局、ミアの元に御使いが帰ってくることはなかった。
「御使いは…… より神に近い存在ですからね。例えば…… その腕輪が…… ミアさんを守っている…… そうなると御使いは…… 秘匿の神に遠慮してミアさんから離れている、ということは考えられますよ……」
神が守っているのであれば、御使いがさらにミアの身を守るのは、その神に対して不敬に当たるのかもしれない。
荷物持ち君や大精霊は、ミアの護衛者と言う役割を与えられた存在でまた別なのかもしれないが、アイちゃん様と言う御使いはミアの護衛者と言うわけではない。
ミアがリッケルト村まで安全に帰るための案内人なのだと言う。
サリー教授の言葉も分からない話でもない。
「なるほど……」
ミアもサリー教授の言葉に納得する。
「それに相手は御使いですからね。用があるときは戻って来てくれると思いますよ」
さらにフーベルト教授もそう言ってミアに笑顔を見せる。
相手は御使いであり、神が造った神の次に万能な種族なのだ。
この場に居なくとも、人一人守るのに何も苦労することもない。
「それもそうですね…… なんと言ってもロロカカ様の御使いですからね…… って、馬車が止まりました?」
まだ次の町まではかなり距離があるはずだが、馬車が止まった。
スティフィがいち早く、外のその異変に気づき、
「あー、馬鹿な連中ね。よりにもよってこの馬車を狙うだなんて……」
と、嬉しそうに嘲笑いながらそう言った。
「何が起きました?」
フーベルト教授がスティフィに聞くと、
「野盗って奴ね」
と、スティフィが答える。
そこ言葉でエリックは剣の柄を握り、ジュリーは馬車に出入り口から離れ身を縮こませる。
「でも、どうも…… 様子が…… おかしいです…… ね?」
サリー教授も外の様子に気づいているのか、少し不思議そうな顔をしている。
「とりあえずボクが見てきますので、皆さんは、まあ、待っていてください。あっ、スティフィさんはついて来てくれますか?」
「えー」
フーベルト教授の言葉にスティフィが嫌そうな顔をする。
それに対してミアが、
「スティフィ!」
と、その名を呼ぶ。
スティフィは嫌な顔を見せて、席から立ち上がる。
「はいはい…… 荷物持ち君がいるんだから私が行く意味ないでしょうに。エリック、もしもの事はミアの身を一番に守るのよ?」
念のために、エリックに釘をさしておく。
まあ、ここにはサリー教授もいるので何か起こる訳もないのだが。
「おぅよ」
と、エリックは元気よく返事をするが、その出番が来ることもない。
街道に投げ出されるように、道の真ん中でのされている野盗の連中をエリックが邪魔だろうから、と、街道の脇に運んでいる。
野党がのされているのはスティフィの仕業だ。
「つまり、どういうことですか?」
と、ミアがそんな光景を見ながらスティフィに話を聞く。
ミアの問いに答えたのはフーベルト教授だ。
「野盗の村に流行り病が流行ったので助けてくれ、ってことですよ。この馬車を見て魔術師がいると確信し、脅し…… 頼み込んで来たようです。まあ、魔術学院の教授が乗っているとは思っていなかったようですが。その上、問答無用にのされてしまいましたが」
憐れみの目でフーベルト教授は野盗達を見る。
野盗達は最初から襲う気もなかった。
少し上からだったが、助けを求めてやってきただけだ。
話を聞いた後、いや、流行り病と言うことを聞いた後、問答無用でスティフィが野盗達をのしていった。
血からの感染を気にしてか、スティフィは刃物すら使っていない。
スティフィが野盗達を無力化した理由は、流行り病に関わりたくないからだ。
「それでスティフィがやっつけちゃったんですか?」
と、街道に転がっている野盗達を見ながらミアは驚く。
ほんの一瞬で、五、六人の野盗を素手で、しかも右手のみで気絶させている。
「殺してはないわよ? でも、助けないと殺すって言われたのよ? 格下に。それに流行り病だなんて関わりたくはないでしょう?」
スティフィはそう言って当然と言う顔を見せる。
「で、どうするんですか? ボクも…… あまり関わりたくないですね。野盗と言うこともありますが、流行り病となるとなおさらです」
この旅の主はミアだ。
フーベルト教授もその付き添いでしかない。
これはミアが決めるべきことだ。
「流行り病って…… なんですか?」
と、ミアが聞いた時、フーベルト教授は少し表情を曇らす。
「黄咳熱だそうです」
フーベルト教授はミアを見ながら言った。
恐らくは、だが、ミアの母親が罹り、その命を奪った疫病だ。
黄色い痰と共に酷い咳、高熱がでるのが特徴的で、咳により爆発的に感染を広げる厄介な病だ。
ただ十数年前の大流行により、対策は既にできている。
対処法を知っている魔術師がいるならば、今はどうとでもなる病気となっている。
それでも感染力が強いので大規模に広がってしまえば、対応できなくなりかねない厄介な病ではある。
「とりあえず話を聞きたいです」
黄咳熱と聞いて、ミアもなにか感じるものがあった。
自分の母親の命を奪った病かもしれない。
そう思うとミアの心もざわつくのだ。
「ミア、黄咳熱ってのは咳で感染するの。こいつらだって既に感染しているだろうし、起して話を聞くのは危険よ?」
非常に感染力の高い病だ。
魔術で治療できるようになったとはいえ、関わりたくはない。
「母が…… 私のお母さんが罹った病気かもしれないので」
ミアはそう言って、転がされ街道の隅に並べられた野盗達を見る。
「フーベルト教授は対策方法を知っているのよね?」
スティフィは最低限それだけは確認しておかなければならない。
感染初期なら誰か一人でも対処法を知っていればどうにかなる。
黄咳熱はすぐに死ぬような病でもない。
「もちろんですよ。サリーも知っていますので、その点は問題ないですよ」
フーベルト教授はそう言って、ミアを見る。
決めるのはミアだと。そう考えている。
「ミア、それでもフーベルト教授は最初に関わりたくないって言ったのよ? わかるわよね?」
スティフィとしては、対処できるとはいえ流行り病に関わりたくはない。
スティフィはミアを強く見るのだが、ミアは既に決めてしまっているようだ。
「すいません…… スティフィ、気になるんです……」
ミアが一度決めてしまったと言うことは、それを変えさせるのは物凄く大変であると言うことでもある。
「はぁ、なら仕方がないわね。ミアが気になるって言うのなら、これも、これすらも必要な事なんでしょうね」
それにミアは本物の神の巫女なのだ。
特に神から印を貰ったミアのその精神は、どこかで神と繋がっているかもしれない。
そのミアが気になると言うのだ。
何かあるかもしれない。
だが、別の意味で動かないといけない人間もいる。
「疫病が流行ってんのか? なら、騎士隊に知らせないとな」
野盗達を道の端に移動させたエリックはそう言って頭を掻いた。
流行り病の兆しがあれば、いち早く騎士隊に知らせなければならない、騎士隊の決まりだ。
「馬を貸すのでエリック君は一足先に近くの騎士隊詰め所迄先行していてください。街道沿いを進んだ先の町にもあるはずですので」
騎士隊に魔術を教えているフーベルト教授もそのことは知っている。
どちらにせよ、野盗の村とはいえ、感染力の強い黄咳熱であるのならば、早い段階で対処をしないといけない。
その野盗の村の規模にもよるが、初期段階ならフーベルト教授らでどうにかできるかもしれない。
「馬車馬だろ? 良いのかよ?」
エリックはそう聞き返す。
二頭いるうちの一頭を、フーベルト教授はエリックに貸す気でいる。
「なので、ちゃんと連れて帰って来てくださいよ」
エリックに聞き返されたことに、少し驚きつつフーベルト教授はそう答える。
最悪、馬一頭だけでも最寄りの町までくらいなら問題はない。
「わかった。じゃあ、教授、馬を借りていくぜ」
エリックは早速馬車から馬を切り離しにかかる。
気絶している野盗をサリー教授が診断して、
「黄咳熱で…… 間違いないですね…… この方も既に感染しています」
と、判断する。
そして、すぐに地面に魔法陣を描き始める。
「こんな場所ですが黄咳熱です。さっさと病払いしてしまいましょう」
フーベルト教授もサリー教授に習うように地面に魔法陣を描き始める。
「どんな術式なんですか?」
と、ミアが質問する。
「えっと…… 馬車の荷台の中の魔術書にもあったはずですね。『疫病と対策』と言う題名の本の第七巻です」
フーベルト教授が魔法陣を描きながらそれに答える。
「わかりました! 探してきます!」
ミアはすぐに馬が一匹いなくなった、馬車に戻って行く。
「今から覚える気なの?」
スティフィも馬車に戻り、魔導書を探すのを手伝いながらミアに声を掛ける。
「ミアさんならすぐでしょうね」
元々馬車から出てこなかったジュリーも魔術書を探すのを手伝う。
魔導書を見ながら魔法陣を描けば、知らなくても使えはするだろうが、ミアの事だ。
魔法陣を丸覚えするつもりだろう。
「ジュリーも…… 外に出るのを嫌がってないで、こっちを…… 手伝ってください…… あなたは既に知っているはずです…… よね?」
馬車の外からサリー教授がジュリーを呼ぶ声がする。
ジュリーは馬車の中だから、見えないと思ってか、本当に嫌そうな顔をする。
「うぅ…… わ、わかりました、師匠…… でも、ですね。こ、この辺り死後の世界がないみたいなんです。死者が何人か見えるんですよ。全部、病気で最近、死んでいて助けを求められてて……」
と、ジュリーが返事をする。
馬車に乗っているときはジュリーも気づかなかったが、馬車が止まった今ならよくわかる。
ジュリーは死者が見える目を持っている。
死後の世界があれば、地上に死者などいないのだが、この辺りは死者が溢れている。
領地の境目なので、死後の世界の境界もあいまいなのかもしれない。
そのせいで野盗の件とは別の意味でも、ジュリーは外に出たくなかったのだ。
「ああ、それで…… でも、死後の神の神官でも…… 通りかかるのを待つしかないですね……」
そんな神官はそうそう居ない。
そもそも死と関わり合いの強い死後の神を信仰している人間が稀なのだ。
後は死者達が自力で死後の世界がある場所まで行ってもらうしかない。
「マーカスの奴、そう言えばどうなったのかしらね。ちゃんと戻って来たのかしら」
その話を聞いて、スティフィは一番最初にマーカスのことを思い出す。
マーカスも死者を死後の世界に送ることができたはずだ。
ただスティフィもマーカスたちが後ろからついてきていることは知らない。
そんな情報は、今のところスティフィに届いていない。
「冥府の神のところへ白竜丸さんと行ったきりでしたね…… スティフィもこっちに来てください、一緒に術式を覚えましょう」
お目当ての魔導書を見つけたミアはスティフィを呼び、一緒に覚えようと持ちかける。
それに対して、スティフィはあきれるばかりだ。
「無理よ。ミア。常人には魔法陣を見て丸々一つ覚えるとか、できる事じゃないのよ」
基本的にスティフィの言っている通りだ。
魔法陣は魔導書に分けて描かれた物を、魔導書を見ながら書き写す、というのが常人での常識だ。
ミアや外で魔法陣を既に描き始めている教授達のように魔法陣を丸暗記する方がおかしい。
ついでにジュリーは、サリー教授の魔法陣を見ながら、それを真似て描いているだけだ。
「スティフィならできるんじゃないですか?」
と、意外、と言った表情でミアはスティフィを見る。
「出来なくはないけど…… 今は無理よ」
確かに、スティフィの改造された目には、見たものを記憶しておく魔術も仕込まれている。
だが、それはシトウス砦で万物強化の魔術の魔法陣を記憶するのに使っている。
新しくその魔術を使うには、その記憶を消さないといけない。
スティフィからすれば、どちらが重要かなど考えるまでもない。
ましてや、野盗を助けるために、貴重な魔術の記憶を消すわけがない。
「そうですか、じゃあ、この魔術書を見ながら描いてください。それならできますよね?」
ミアはそう言って、魔術書を開いたままスティフィに手渡した。
「え? もう覚えたの?」
ものの数分、ミアは魔導書を見ていただけだ。
それで魔法陣を覚えるなど常軌を逸している。
「はい、あまり複雑じゃなかったですので」
確かに、流行り病を治療するための魔術だけあってわかりやすく簡易的に書かれている。
普通は簡単に真似されたり改良されたりされないように難読化しているものだが、それもされていない簡単なものだ。
それでも、そんな短い間で覚えられるほど単純な物ではないはずなのにだ。
「疫病対策の魔術ですからね。簡単にわかるように描かれてはいますよ。それでも流石ですね」
馬車の外でミア達の会話を聞いていたフーベルト教授が驚きの声を上げる。
魔導書を受け取ったスティフィもやれやれと、馬車の外に出来る。
「野盗なんか助けてどうするのよ、まったく」
と、つぶやくころにはスティフィの出番はなかった。
既にのされた野盗の病払いは終わっていたからだ。
「助けていただき、ありがとうございます…… けど、うちの村、というか集落には魔術師がいません。どうか村の者の治療もお願いします」
野盗の一人が地面に頭をつけて、そう懇願して来た。
「なんで野盗なんかしているんですか?」
その様子を見てミアが疑問をぶつける。
「我々は…… 元々はリズウィッドで暮らしていました。ですが、外道に襲われ村を焼かれ、なんとか逃げ延びた者で集まりはしましたが……」
野盗は顔を上げないまま、ミアの問いに答える。
「闇の小鬼難民ってところか…… まあ、リズウィッドの冬は厳しいから、わからない話でもないけど」
リズウィッドの冬は確かに厳しい。冬だけでも乗り越えるためにリズウィッドを出て、こちらまで逃げて来たのだろう。
ただ、命からがら逃げて来たが持ち出せた物はなにもない。
野盗でもして冬を越すしかなかったのだろう。
冬さえ越せてしまえば、元々住んでいた村の再建も夢ではない。
「ち、誓って殺しだけはしてないです。金品を奪ったのは認めますが……」
別の野盗がそんなことをいう。
ミアには判断つかなかったが、スティフィからすればたしかに野盗にしてもその腕は素人だ。
元々、農民か何かなのだろうし、嘘でもなさそうだ。
だが、
「財産を奪われたら殺しているのとも同じでしょうに。あんたらもそうでしょう」
と、スティフィは野盗達を見下してそう言った。
「それは…… そうです……」
野盗もそれを認める。
そこでスティフィはニヤリと笑う。
「まあ、力が強いものが弱い物から奪うのは自然の摂理よ、あなた達もデミア……」
そして、デミアス教徒への勧誘を始めたところで、
「スティフィ!」
と、名を呼ばれミアに止められる。
「はいはい」
と、スティフィも素直にそれを聞き入れる。
「で、村はどこにあるんですか?」
既に野盗の村も助けるつもりでいるミアはその場所を確認する。
「この森の奥です。村と呼べるようなものでもありませんが……」
野盗の人が、そう言ってただの森を指さした。
「行きましょう」
ミアはそう言って躊躇なく森に入って行こうとする。
御者台から荷物持ち君が飛び降りて、ミアの前に立ち、ミアが歩きやすいように薮を薙ぎ払っていく。
「ミア、黄咳熱にかからないでよ」
スティフィが心配そうにそう言った
「黄咳熱はすぐに命を奪う様な病じゃないのですので、複数治療できる魔術師がいるのであれば、それほど怖い病気ではないですよ」
それにフーベルト教授が答え、ミアがどんどんと先行していくので、野盗達を立たせ道を案内させる。
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