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第7話 蜘蛛の巣を払う黒川さん
タトゥーアーティスト KEIKO
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「ホンモノ」
ネオンで作られたその文字を潜り、ガラス張りドアを開ける。
備え付けられたベルがカラコロという音を立てると、奥の方から「只今」と低い女の声が響いた。
どこか全体的に、甘い匂いがする。
明るすぎない照明が、クリーム色の壁と赤茶色のカーペットを照らしているからか。
あるいはギャリギャリと流れる「Rock姉」の曲のせいだろうか。
ーーレアチーズケーキってさ
ーー結構見るけどどこがレアなん?
ーーエクレアの方が好みなんだ
ーーでもケーキというより菓子パンじゃない?
多分、この曲のせいだな。
部屋の真ん中においてある、ゆったりとくつろげそうな、二人掛けのソファに腰かける。
膝ほどの高さしかないテーブルに置かれたカタログをめくると、露出された様々な人間の肌に刻まれた鮮やかな絵柄と文字の写真が並んでいた。
でも、僕のイメージしていた物騒さより、華奢というか、繊細というか、華やかな印象を受ける。
それもそのはず、ここは女性専用タトゥースタジオ、ホンモノ。
僕がタトゥーを入れに来た訳がない。
「これすごいぞ北野。まるで本当に肌の下にケーブルがあるみたいだ」
塗装が剥げてそこから青い配線が見える作品に興奮している、オールバックに髪を撫で付けた同僚、水樹。
巧みな叙述トリックによってこいつが行きなり女性だと明らかになって、自分の肌に心情を刻むのを拝みに来たのだ。
...んなわけないのだ。
「好きなものなら、ブタメンのブタとかでもいいんスもんね?」
「先生はそれでいいんですか...!」
「いや水樹さんが入れるんスよ?」
「はぇ!?」
僕らは、現役ギャル女子高生小説家、宮古島先生の付き添いである。
ギャルならタトゥーくらい入れないとネ!というステレオタイプなのかすらもオジサンズにはわからない理屈で、あれよあれよと言うままに連れてこられた。
「黒川さんがタトゥーを入れてると思う?」などと水樹に聞かなければ生涯入らなかった施設は、髑髏!薔薇!パンクロック!という僕のイメージからはかけ離れていた。
だからと言って居心地がいい訳でもなく、オシャレ女子のための空間は明らかに僕に「No」を両手で突きつけている。辛い。
「おまたせしましたー、彫り師のKEIKOです」
現れた店主も、店の雰囲気にそぐう、いたって普通の女性だった。
茶髪のボブヘアーに、花柄のTシャツ。
すらりと細い顔立ちと細い目の端に見える細かいシワからは、僕らと同じアラサーだと伺える。
だが、仏頂面というのだろうか、雰囲気がどこか仏像然としている。
だが一番目を引いたのは、びっしりとタトゥーの入った左腕だった。
意匠に気が付いたのは、宮古島先生だった。
「風、花、鳥。花鳥風月スか」
「ん、よく気付いたね。君が予約いれた子?」
「宮古島っす。あの二人は、私が未成年なので念のための付き添いスね」
場から浮いている二人の男を一瞥するも特に取り合わず、彼女は宮古島先生に歩み寄る。
「失恋した?」
「なら聞き方考えましょうよ」
「一度彫ったら完全には元に戻せない。だから君みたいに若い娘に彫るなら相当な理由がないと」
宮古島先生は言いにくそうな顔を浮かべ、何とか「興味本位」という動機を取り繕った。
「ウチ小説家でしてぇ、その小説の取材にできないかなってぇ」
「興味本位ってわけだ」
おいおい、玉砕だよ。
しかしKEIKOさんは僕らを追い出そうとはせず、むしろ好奇の眼差しを向けている。
機に乗じて、気を遣った問いを先生は投げ掛けた。
「例えば、タトゥーをいれた腕を頑として隠すってこと、あると思います?」
「普通にあるよ。正直怖いし。でもそれで避けられたくないでしょ?あとは、元カレの名前なんて入れた日にはサイアク」
心当たりがあるのだろう、ケタケタと笑うKEIKOさん。
「お風呂には入れないんスか?」
「別に入れるよ。公衆浴場は他の客がビビっちゃうからNG出してるとこがほとんど。最近はスミOKのとこもチラホラあるけどねー」
日本人がタトゥーを敬遠するのは今に始まった話じゃない。
元来受刑者の証として刻まれていたからとも、ヤクザのイメージが強いとも言われているが、自分の体を目に見える形で傷つけてまで何かを残したいというその覚悟にこそ、僕は畏怖を覚えるのだ。
彼女は「デザイン決まったら教えて」と言い残して再び店の奥へと戻ろうとする。
その背に声をかけたのは水樹だった。
「初めて他人に彫ったタトゥーって、どんな感じだったんです?」
ネオンで作られたその文字を潜り、ガラス張りドアを開ける。
備え付けられたベルがカラコロという音を立てると、奥の方から「只今」と低い女の声が響いた。
どこか全体的に、甘い匂いがする。
明るすぎない照明が、クリーム色の壁と赤茶色のカーペットを照らしているからか。
あるいはギャリギャリと流れる「Rock姉」の曲のせいだろうか。
ーーレアチーズケーキってさ
ーー結構見るけどどこがレアなん?
ーーエクレアの方が好みなんだ
ーーでもケーキというより菓子パンじゃない?
多分、この曲のせいだな。
部屋の真ん中においてある、ゆったりとくつろげそうな、二人掛けのソファに腰かける。
膝ほどの高さしかないテーブルに置かれたカタログをめくると、露出された様々な人間の肌に刻まれた鮮やかな絵柄と文字の写真が並んでいた。
でも、僕のイメージしていた物騒さより、華奢というか、繊細というか、華やかな印象を受ける。
それもそのはず、ここは女性専用タトゥースタジオ、ホンモノ。
僕がタトゥーを入れに来た訳がない。
「これすごいぞ北野。まるで本当に肌の下にケーブルがあるみたいだ」
塗装が剥げてそこから青い配線が見える作品に興奮している、オールバックに髪を撫で付けた同僚、水樹。
巧みな叙述トリックによってこいつが行きなり女性だと明らかになって、自分の肌に心情を刻むのを拝みに来たのだ。
...んなわけないのだ。
「好きなものなら、ブタメンのブタとかでもいいんスもんね?」
「先生はそれでいいんですか...!」
「いや水樹さんが入れるんスよ?」
「はぇ!?」
僕らは、現役ギャル女子高生小説家、宮古島先生の付き添いである。
ギャルならタトゥーくらい入れないとネ!というステレオタイプなのかすらもオジサンズにはわからない理屈で、あれよあれよと言うままに連れてこられた。
「黒川さんがタトゥーを入れてると思う?」などと水樹に聞かなければ生涯入らなかった施設は、髑髏!薔薇!パンクロック!という僕のイメージからはかけ離れていた。
だからと言って居心地がいい訳でもなく、オシャレ女子のための空間は明らかに僕に「No」を両手で突きつけている。辛い。
「おまたせしましたー、彫り師のKEIKOです」
現れた店主も、店の雰囲気にそぐう、いたって普通の女性だった。
茶髪のボブヘアーに、花柄のTシャツ。
すらりと細い顔立ちと細い目の端に見える細かいシワからは、僕らと同じアラサーだと伺える。
だが、仏頂面というのだろうか、雰囲気がどこか仏像然としている。
だが一番目を引いたのは、びっしりとタトゥーの入った左腕だった。
意匠に気が付いたのは、宮古島先生だった。
「風、花、鳥。花鳥風月スか」
「ん、よく気付いたね。君が予約いれた子?」
「宮古島っす。あの二人は、私が未成年なので念のための付き添いスね」
場から浮いている二人の男を一瞥するも特に取り合わず、彼女は宮古島先生に歩み寄る。
「失恋した?」
「なら聞き方考えましょうよ」
「一度彫ったら完全には元に戻せない。だから君みたいに若い娘に彫るなら相当な理由がないと」
宮古島先生は言いにくそうな顔を浮かべ、何とか「興味本位」という動機を取り繕った。
「ウチ小説家でしてぇ、その小説の取材にできないかなってぇ」
「興味本位ってわけだ」
おいおい、玉砕だよ。
しかしKEIKOさんは僕らを追い出そうとはせず、むしろ好奇の眼差しを向けている。
機に乗じて、気を遣った問いを先生は投げ掛けた。
「例えば、タトゥーをいれた腕を頑として隠すってこと、あると思います?」
「普通にあるよ。正直怖いし。でもそれで避けられたくないでしょ?あとは、元カレの名前なんて入れた日にはサイアク」
心当たりがあるのだろう、ケタケタと笑うKEIKOさん。
「お風呂には入れないんスか?」
「別に入れるよ。公衆浴場は他の客がビビっちゃうからNG出してるとこがほとんど。最近はスミOKのとこもチラホラあるけどねー」
日本人がタトゥーを敬遠するのは今に始まった話じゃない。
元来受刑者の証として刻まれていたからとも、ヤクザのイメージが強いとも言われているが、自分の体を目に見える形で傷つけてまで何かを残したいというその覚悟にこそ、僕は畏怖を覚えるのだ。
彼女は「デザイン決まったら教えて」と言い残して再び店の奥へと戻ろうとする。
その背に声をかけたのは水樹だった。
「初めて他人に彫ったタトゥーって、どんな感じだったんです?」
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