2 / 53
第一章 東雲の織物
東雲の織物(2/5)
しおりを挟む
「王太子殿下、また街へ出られたのですか? 護衛も付けずお忍びなど、万が一のことがあっては……」
「な、何のことだダルシャン? 私は街へなど」
「……『曙の森亭』の特製激辛米麺ですよね? その独特な柑橘と香草の混じった香りは」
「まさか店まで一発でバレるとは」
「むしろそれで、バレないとでも思っていたんですか!?」
美味しいご飯と、ヴィナの可愛らしい姿を存分に堪能して。
今日も良い夢が見られそうだと上機嫌でヴィナと共にこっそり自室に戻ろうとしたのに、どうしていつも彼はいの一番に嗅ぎつけるのだろうか……
そんなことをつれつれ考えながら、ムシュカはしおらしい顔を作ってヴィナと共に廊下で突如始まった青年の説教に晒されていた。
「いい加減お立場を自覚なさって下さい!」と憤るのは、先ほどすれ違った宰相カルニア公の御曹司、ダルシャンだ。
普段は理知的で物腰も柔らかい彼だが、度重なるムシュカのお忍びにはあまりいい顔をしない。当然ながら、そんな「悪い遊び」を教えたヴィナのことは蛇蝎のごとく嫌っているようで、さっきから言葉の端々に「お前さえいなければ」という想いが滲み出ている。
「まったく、殿下に現を抜かしてお忍びを止めるどころか率先して出かけるだなんて、騎士団の風上にも置けないですね! 我が国の次期国王に、お前のような奴隷上がり如きが目をかけられているだけでも業腹だというのに……事もあろうに正室の座を狙うとは、盗人猛々しいにも程がある!」
「すみません、ダルシャン様……」
「こらダルシャン、少しは言葉を慎め。そもそも、ヴィナを正室にと望んでいるのは私の方だぞ?」
「……申し訳ございません。しかし殿下、いくら何でも正室にこのような卑しい者を迎えるというのは、貴族としては承服しがたく……」
窘めるムシュカの言葉にも毅然と応戦するダルシャンの姿に、ヴィナの胸がチクリと痛む。
分かっているのだ、彼の言っていることは何一つ間違えていない。
――本来自分は、ここにいるべき人間では無いのだから。
(申し訳ありません、殿下……俺のせいで……)
『恋心に、罪などあるはずがない』
いつぞやか愛しい人がかけてくれた言葉をそっと握りしめ、けれどやはり俺はこの国にとっての咎人だと思うのですと、ヴィナは何度も謝罪の言葉を心で繰り返すのだった。
◇◇◇
ダルシャン・カルニア、23歳。
建国以来王室を支えてきた由緒正しい貴族らしく、艶やかな黒髪に混じる淡藤色が少年のような線の細い体躯と相まって女性と見まごう色香を醸し出しているこの青年は、王宮内の宰相派が白羽の矢を立てたムシュカの正室候補である。
……いや、候補であったと言う方が正しいか。
この国では、古くから大公派と宰相派が度々権力争いを繰り広げていた。
ここ数年も次期国王の権力を巡る争いが勃発していたものの、正室と側室の差はあれどちらからもムシュカに嫁ぐことはほぼ内定しているからだろうか、そこまで過激な動きはなかったのだ。
だが、3年前にムシュカが「ヴィナを正室にする」と宣言して以来、状況は一変する。
世継ぎを求められるのは当然だから、女性の側室を一人置くことは許容する。だが自分はヴィナ一筋だ、だからそれ以外の側室を置くことはしないと若きムシュカが言い放ったものだから、宰相派は大騒ぎ。
ダルシャンが正室になる望みは絶たれ、しかし派閥内には悲しいかな大公派に対抗出来る器量を持つ若い女性もおらず……結果として宰相派は、何とかしてムシュカを翻意させようとあれこれ手を尽くしてはいるものの、その成果は察しの通りである。
そのせいか最近では少々物騒な噂も流れてきているが、当の王族がムシュカの発言を支持しているのもあって今のところ大事には至っていない。
「大体、激辛麺などという身体に悪そうなものを殿下に勧めるとは、どう言う了見ですか!」
「め、面目ない……しかしあそこの米麺は絶品で」
「はぁ? お前、奴隷上がりの癖に貴族に意見をする気ですか?」
「ダルシャン、いい加減にしないか」
「ムシュカの言う通りですわよ! 男のヒステリーなんて見苦しいことこの上ないですわ、ダルシャン」
「!!」
悲しいかな説教はヒートアップするばかりで、これは当分終わらないなと二人が覚悟を決めたその時、後ろから凜とした声が響く。
はっと振り向けば、そこには目元が印象的なこれまた美しい女性が腕組みをして立っていた。
左胸に流された豊かな黒髪には鮮やかな緋色が混じり、凜とした佇まいに華を添えている。
小さな声で「……レナ様」と呟くヴィナを一瞥すると、彼女は「良いじゃ無いの、ムシュカにだって息抜きは必要よ?」とどこか勝ち誇った笑顔をダルシャンに向けた。
途端にダルシャンは苦虫を噛み潰したような顔でため息をつく。
「全く、思い通りにならないからって八つ当たり? そんなことをしたって、あなたが側室になることは出来ないわよ、ダルシャン」
「……たかが女に生まれたと言うだけで、随分余裕そうですね、レナ。こんな筋肉ダルマの奴隷あがりに正室を奪われて、悔しくはないのですか?」
「いつわたくしが正室の座を諦めたと? 正式な婚儀が終わるまでは、わたくしにだってチャンスはありますのよ? ね、ムシュカ?」
「いやその、私はヴィナ一筋「ありますわよね!?」あ、はい、ありますっ」
レナの剣幕に押されて思わずムシュカが首を縦に振れば、レナは「ほらね」と言わんばかりに鷹揚とダルシャンを咎めるのだった。
「家のためとはいえ、最初から正々堂々と戦う気のない卑怯者に用はありませんわ。いい加減ムシュカを解放なさい!」
◇◇◇
「助かった……レナ、いつもすまない」
「いいですわよ、このくらい! あんな顔だけが取り柄の男に、ムシュカの時間を奪う権利など与えてなるものですか!」
「殿下もいい加減目を覚まして下さい!」と捨て台詞を吐いて去るダルシャンを見送り、王宮の小広間へと移動した3人は温かい薬草茶を手に穏やかな時間を過ごしていた。
窓の外はとうに陽が落ちて、柔らかな月明かりが部屋の中に差し込んでくる。蝋燭のオレンジの光がゆらめく空間は、さっきまでのとげとげしいやりとりを洗い流してくれるかのようだ。
「ぬ、これは……美味いな」
「そうでしょう? 東国から取り寄せた一級品ですの。お茶好きのムシュカならきっと気に入ると思って」
「ああ、確かにこれはよい。異国の薬草の香りが口に広がって……ほのかな甘味が心を落ち着けてくれる」
「ふふ、良かったですわ」
ついでにわたくしを正室にすると宣言して下さってもよいのですわよ? とにっこり微笑むレナに、しかしムシュカは何の悪気もなく「だが、私が一番愛しているのはヴィナだぞ?」と返す。
そんなことは分かっていると言わんばかりにむくれてこちらを睨み付けてくるレナの視線は、薬草茶の効果すら打ち消してしまいそうで、ヴィナはどうにも居心地の悪差を感じつつ温かい茶を喉に流し込んでいた。
「まったく、ムシュカもなんでわたくしという美女が傍にいながら、こんな色の薄い髪の男を好きになったのだか……少々趣味が悪いですわよ?」
「レナ、それは」
「分かっていますわ! 異国の生まれであれ、今のヴィナはれっきとした王国民。……それでもこのくらいはいいでしょう? だって、わたくしは幼い頃からずっと……そう、ずーっとムシュカが大好きだったんですもの!」
ぽっと出の男に愛しい人の心を奪われたら、文句の一つも付けたくなりますわ! と愚痴る彼女のかんばせは、その心根と同じでいつだって美しい。
レナはどこまでも正直だ。ムシュカへの想いを素直にぶつけ、かと言って婚姻に政略の面があることも認めた上で、堂々とムシュカを振り向かせようと振る舞う姿は、ガタイばかりが立派な自分より余程男らしいと、ヴィナは内心引け目を感じるばかりである。
レナ・ラグナス、17歳。
彼女は王宮二大派閥の片割れ、大公派のボスであるラグナス大公の一人娘である。
年の近いムシュカとは幼い頃から共に過ごすことが多かった、いわゆる幼馴染みという奴だ。
周りが長じるにつれムシュカを敬称で呼び習わすようになっても、未だ彼女だけは一国の王太子を呼び捨てて憚らない、そしてそれが許される立場でもある。
少々気が強く、幼い頃はしょっちゅうムシュカを泣かしていたというだけあって、未だムシュカはどこか彼女には頭が上がらないらしい。
とは言え、一人だけ側室を迎えるならばレナしかいないと、口にこそしないもののムシュカが思っているのは明白で。
――そう、だからムシュカの隣で正室として微笑むのは、こんなむさ苦しい大男より彼女の方がふさわしいと、誰もが思うに違いない。
「……なに、辛気くさい顔をしてますの? 折角のお茶がまずくなりますわよ!」
「っ、す、すみませんレナ様」
「大方、わたくしのほうがムシュカにはふさわしいと勝手に落ち込んでいたのでしょう? ええ、その通りだとわたくしも思いますわよ! なのに、これほどムシュカに愛されていながらうじうじと……その筋肉は飾りですの!?」
「うぐ……」
そんなヴィナの気持ちを見透かしたかのように、レナはずけずけと容赦なく彼の心を抉ってくる。
「そんな、俺はただ……」と大きな身体を一生懸命小さくしてもごもご言い訳をするヴィナをレナは「情けなど無用ですわ」と一刀両断し、飲みきったカップを少々乱暴にテーブルへと置いた。
「先ほども話しましたけど、わたくしはまだ諦めていませんわよ! わたくしは正々堂々とあなたからムシュカを奪い返しますから!」
「……あのう、レナ? そこに私の気持ちは」
「そんなもの、力尽くでこちらを振り向かせてあげますわ!」
「ひっ、レナはやっぱり鬼嫁候補……」
「!! あっ、殿下それは」
地雷を踏みに行ってます、とヴィナが止めようとするも、時既に遅し。
とてつもなく嫌な予感がしながらそーっと顔を向けたテーブルの向こうでは
「……ムシュカ? 誰が鬼嫁、ですって……?」
「うああああ悪かったすまない許してくれ、レナあぁぁ!!」
……美しいかんばせに青筋を立て、背に修羅を背負った大公令嬢が拳を構えていたのだった。
「な、何のことだダルシャン? 私は街へなど」
「……『曙の森亭』の特製激辛米麺ですよね? その独特な柑橘と香草の混じった香りは」
「まさか店まで一発でバレるとは」
「むしろそれで、バレないとでも思っていたんですか!?」
美味しいご飯と、ヴィナの可愛らしい姿を存分に堪能して。
今日も良い夢が見られそうだと上機嫌でヴィナと共にこっそり自室に戻ろうとしたのに、どうしていつも彼はいの一番に嗅ぎつけるのだろうか……
そんなことをつれつれ考えながら、ムシュカはしおらしい顔を作ってヴィナと共に廊下で突如始まった青年の説教に晒されていた。
「いい加減お立場を自覚なさって下さい!」と憤るのは、先ほどすれ違った宰相カルニア公の御曹司、ダルシャンだ。
普段は理知的で物腰も柔らかい彼だが、度重なるムシュカのお忍びにはあまりいい顔をしない。当然ながら、そんな「悪い遊び」を教えたヴィナのことは蛇蝎のごとく嫌っているようで、さっきから言葉の端々に「お前さえいなければ」という想いが滲み出ている。
「まったく、殿下に現を抜かしてお忍びを止めるどころか率先して出かけるだなんて、騎士団の風上にも置けないですね! 我が国の次期国王に、お前のような奴隷上がり如きが目をかけられているだけでも業腹だというのに……事もあろうに正室の座を狙うとは、盗人猛々しいにも程がある!」
「すみません、ダルシャン様……」
「こらダルシャン、少しは言葉を慎め。そもそも、ヴィナを正室にと望んでいるのは私の方だぞ?」
「……申し訳ございません。しかし殿下、いくら何でも正室にこのような卑しい者を迎えるというのは、貴族としては承服しがたく……」
窘めるムシュカの言葉にも毅然と応戦するダルシャンの姿に、ヴィナの胸がチクリと痛む。
分かっているのだ、彼の言っていることは何一つ間違えていない。
――本来自分は、ここにいるべき人間では無いのだから。
(申し訳ありません、殿下……俺のせいで……)
『恋心に、罪などあるはずがない』
いつぞやか愛しい人がかけてくれた言葉をそっと握りしめ、けれどやはり俺はこの国にとっての咎人だと思うのですと、ヴィナは何度も謝罪の言葉を心で繰り返すのだった。
◇◇◇
ダルシャン・カルニア、23歳。
建国以来王室を支えてきた由緒正しい貴族らしく、艶やかな黒髪に混じる淡藤色が少年のような線の細い体躯と相まって女性と見まごう色香を醸し出しているこの青年は、王宮内の宰相派が白羽の矢を立てたムシュカの正室候補である。
……いや、候補であったと言う方が正しいか。
この国では、古くから大公派と宰相派が度々権力争いを繰り広げていた。
ここ数年も次期国王の権力を巡る争いが勃発していたものの、正室と側室の差はあれどちらからもムシュカに嫁ぐことはほぼ内定しているからだろうか、そこまで過激な動きはなかったのだ。
だが、3年前にムシュカが「ヴィナを正室にする」と宣言して以来、状況は一変する。
世継ぎを求められるのは当然だから、女性の側室を一人置くことは許容する。だが自分はヴィナ一筋だ、だからそれ以外の側室を置くことはしないと若きムシュカが言い放ったものだから、宰相派は大騒ぎ。
ダルシャンが正室になる望みは絶たれ、しかし派閥内には悲しいかな大公派に対抗出来る器量を持つ若い女性もおらず……結果として宰相派は、何とかしてムシュカを翻意させようとあれこれ手を尽くしてはいるものの、その成果は察しの通りである。
そのせいか最近では少々物騒な噂も流れてきているが、当の王族がムシュカの発言を支持しているのもあって今のところ大事には至っていない。
「大体、激辛麺などという身体に悪そうなものを殿下に勧めるとは、どう言う了見ですか!」
「め、面目ない……しかしあそこの米麺は絶品で」
「はぁ? お前、奴隷上がりの癖に貴族に意見をする気ですか?」
「ダルシャン、いい加減にしないか」
「ムシュカの言う通りですわよ! 男のヒステリーなんて見苦しいことこの上ないですわ、ダルシャン」
「!!」
悲しいかな説教はヒートアップするばかりで、これは当分終わらないなと二人が覚悟を決めたその時、後ろから凜とした声が響く。
はっと振り向けば、そこには目元が印象的なこれまた美しい女性が腕組みをして立っていた。
左胸に流された豊かな黒髪には鮮やかな緋色が混じり、凜とした佇まいに華を添えている。
小さな声で「……レナ様」と呟くヴィナを一瞥すると、彼女は「良いじゃ無いの、ムシュカにだって息抜きは必要よ?」とどこか勝ち誇った笑顔をダルシャンに向けた。
途端にダルシャンは苦虫を噛み潰したような顔でため息をつく。
「全く、思い通りにならないからって八つ当たり? そんなことをしたって、あなたが側室になることは出来ないわよ、ダルシャン」
「……たかが女に生まれたと言うだけで、随分余裕そうですね、レナ。こんな筋肉ダルマの奴隷あがりに正室を奪われて、悔しくはないのですか?」
「いつわたくしが正室の座を諦めたと? 正式な婚儀が終わるまでは、わたくしにだってチャンスはありますのよ? ね、ムシュカ?」
「いやその、私はヴィナ一筋「ありますわよね!?」あ、はい、ありますっ」
レナの剣幕に押されて思わずムシュカが首を縦に振れば、レナは「ほらね」と言わんばかりに鷹揚とダルシャンを咎めるのだった。
「家のためとはいえ、最初から正々堂々と戦う気のない卑怯者に用はありませんわ。いい加減ムシュカを解放なさい!」
◇◇◇
「助かった……レナ、いつもすまない」
「いいですわよ、このくらい! あんな顔だけが取り柄の男に、ムシュカの時間を奪う権利など与えてなるものですか!」
「殿下もいい加減目を覚まして下さい!」と捨て台詞を吐いて去るダルシャンを見送り、王宮の小広間へと移動した3人は温かい薬草茶を手に穏やかな時間を過ごしていた。
窓の外はとうに陽が落ちて、柔らかな月明かりが部屋の中に差し込んでくる。蝋燭のオレンジの光がゆらめく空間は、さっきまでのとげとげしいやりとりを洗い流してくれるかのようだ。
「ぬ、これは……美味いな」
「そうでしょう? 東国から取り寄せた一級品ですの。お茶好きのムシュカならきっと気に入ると思って」
「ああ、確かにこれはよい。異国の薬草の香りが口に広がって……ほのかな甘味が心を落ち着けてくれる」
「ふふ、良かったですわ」
ついでにわたくしを正室にすると宣言して下さってもよいのですわよ? とにっこり微笑むレナに、しかしムシュカは何の悪気もなく「だが、私が一番愛しているのはヴィナだぞ?」と返す。
そんなことは分かっていると言わんばかりにむくれてこちらを睨み付けてくるレナの視線は、薬草茶の効果すら打ち消してしまいそうで、ヴィナはどうにも居心地の悪差を感じつつ温かい茶を喉に流し込んでいた。
「まったく、ムシュカもなんでわたくしという美女が傍にいながら、こんな色の薄い髪の男を好きになったのだか……少々趣味が悪いですわよ?」
「レナ、それは」
「分かっていますわ! 異国の生まれであれ、今のヴィナはれっきとした王国民。……それでもこのくらいはいいでしょう? だって、わたくしは幼い頃からずっと……そう、ずーっとムシュカが大好きだったんですもの!」
ぽっと出の男に愛しい人の心を奪われたら、文句の一つも付けたくなりますわ! と愚痴る彼女のかんばせは、その心根と同じでいつだって美しい。
レナはどこまでも正直だ。ムシュカへの想いを素直にぶつけ、かと言って婚姻に政略の面があることも認めた上で、堂々とムシュカを振り向かせようと振る舞う姿は、ガタイばかりが立派な自分より余程男らしいと、ヴィナは内心引け目を感じるばかりである。
レナ・ラグナス、17歳。
彼女は王宮二大派閥の片割れ、大公派のボスであるラグナス大公の一人娘である。
年の近いムシュカとは幼い頃から共に過ごすことが多かった、いわゆる幼馴染みという奴だ。
周りが長じるにつれムシュカを敬称で呼び習わすようになっても、未だ彼女だけは一国の王太子を呼び捨てて憚らない、そしてそれが許される立場でもある。
少々気が強く、幼い頃はしょっちゅうムシュカを泣かしていたというだけあって、未だムシュカはどこか彼女には頭が上がらないらしい。
とは言え、一人だけ側室を迎えるならばレナしかいないと、口にこそしないもののムシュカが思っているのは明白で。
――そう、だからムシュカの隣で正室として微笑むのは、こんなむさ苦しい大男より彼女の方がふさわしいと、誰もが思うに違いない。
「……なに、辛気くさい顔をしてますの? 折角のお茶がまずくなりますわよ!」
「っ、す、すみませんレナ様」
「大方、わたくしのほうがムシュカにはふさわしいと勝手に落ち込んでいたのでしょう? ええ、その通りだとわたくしも思いますわよ! なのに、これほどムシュカに愛されていながらうじうじと……その筋肉は飾りですの!?」
「うぐ……」
そんなヴィナの気持ちを見透かしたかのように、レナはずけずけと容赦なく彼の心を抉ってくる。
「そんな、俺はただ……」と大きな身体を一生懸命小さくしてもごもご言い訳をするヴィナをレナは「情けなど無用ですわ」と一刀両断し、飲みきったカップを少々乱暴にテーブルへと置いた。
「先ほども話しましたけど、わたくしはまだ諦めていませんわよ! わたくしは正々堂々とあなたからムシュカを奪い返しますから!」
「……あのう、レナ? そこに私の気持ちは」
「そんなもの、力尽くでこちらを振り向かせてあげますわ!」
「ひっ、レナはやっぱり鬼嫁候補……」
「!! あっ、殿下それは」
地雷を踏みに行ってます、とヴィナが止めようとするも、時既に遅し。
とてつもなく嫌な予感がしながらそーっと顔を向けたテーブルの向こうでは
「……ムシュカ? 誰が鬼嫁、ですって……?」
「うああああ悪かったすまない許してくれ、レナあぁぁ!!」
……美しいかんばせに青筋を立て、背に修羅を背負った大公令嬢が拳を構えていたのだった。
50
あなたにおすすめの小説
その首輪は、弟の牙でしか外せない。
ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。
第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。
初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。
「今すぐ部屋から出ろ!」
独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。
翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。
「俺以外に触らせるな」
そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。
弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。
本当にこのままでもいいのか。
ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。
その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。
どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。
リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24)
※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。
三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。
【完結】一生に一度だけでいいから、好きなひとに抱かれてみたい。
村松砂音(抹茶砂糖)
BL
第13回BL大賞で奨励賞をいただきました!
ありがとうございました!!
いつも不機嫌そうな美形の騎士×特異体質の不憫な騎士見習い
<あらすじ>
魔力欠乏体質者との性行為は、死ぬほど気持ちがいい。そんな噂が流れている「魔力欠乏体質」であるリュカは、父の命令で第二王子を誘惑するために見習い騎士として騎士団に入る。
見習い騎士には、側仕えとして先輩騎士と宿舎で同室となり、身の回りの世話をするという規則があり、リュカは隊長を務めるアレックスの側仕えとなった。
いつも不機嫌そうな態度とちぐはぐなアレックスのやさしさに触れていくにつれて、アレックスに惹かれていくリュカ。
ある日、リュカの前に第二王子のウィルフリッドが現れ、衝撃の事実を告げてきて……。
親のいいなりで生きてきた不憫な青年が、恋をして、しあわせをもらう物語。
※性描写が多めの作品になっていますのでご注意ください。
└性描写が含まれる話のサブタイトルには※をつけています。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」さまで作成しました。
氷の婚約者様に破談を申し出たら号泣された
楽矢
BL
目が覚めると、レースの牢獄のような天蓋付きベッドの上だった。
何も覚えていない出来損ない下級貴族ミラ。無能だクズだと冷酷な罵詈雑言を浴びせてくる氷の騎士セティアス。
記憶喪失から始まる、2人のファンタジー貴族ラブコメディ。
----------
※注)
かっこいい攻はいません。
タイトル通りそのうち号泣しますのでご注意!
貴族描写は緩い目で雰囲気だけお読みいただけると幸いです。
ハッピーエンドです。
激重感情をこじらせた攻→受な関係がお好きな同志の方、どうぞよろしくお願いします!
全16話 完結済み/数日おきに予定
他サイトにも同作品を投稿しています。
様子を見ながらそのうち統合するかもしれません。
初めての一次創作でまだよく分かっておらず、何かおかしなことをしでかしていたら申し訳ないです!
辺境の酒場で育った少年が、美貌の伯爵にとろけるほど愛されるまで
月ノ江リオ
BL
◆ウィリアム邸でのひだまり家族な子育て編 始動。不器用な父と、懐いた子どもと愛される十五歳の青年と……な第二部追加◆断章は残酷描写があるので、ご注意ください◆
辺境の酒場で育った十三歳の少年ノアは、八歳年上の若き伯爵ユリウスに見初められ肌を重ねる。
けれど、それは一時の戯れに過ぎなかった。
孤独を抱えた伯爵は女性関係において奔放でありながら、幼い息子を育てる父でもあった。
年齢差、身分差、そして心の距離。
不安定だった二人の関係は年月を経て、やがて蜜月へと移り変わり、交差していく想いは複雑な運命の糸をも巻き込んでいく。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
花びらは散らない
美絢
BL
15歳のミコトは貴族の責務を全うするため、翌日に王宮で『祝福』の儀式を受けることになっていた。儀式回避のため親友のリノに逃げようと誘われるが、その現場を王太子であるミカドに目撃されてしまう。儀式後、ミカドから貴族と王族に与えられる「薔薇」を咲かせないと学園から卒業できないことを聞かされる。その条件を満たすため、ミカドはミコトに激しく執着する。
転生したらスパダリに囲われていました……え、違う?
米山のら
BL
王子悠里。苗字のせいで“王子さま”と呼ばれ、距離を置かれてきた、ぼっち新社会人。
ストーカーに追われ、車に轢かれ――気づけば豪奢なベッドで目を覚ましていた。
隣にいたのは、氷の騎士団長であり第二王子でもある、美しきスパダリ。
「愛してるよ、私のユリタン」
そう言って差し出されたのは、彼色の婚約指輪。
“最難関ルート”と恐れられる、甘さと狂気の狭間に立つ騎士団長。
成功すれば溺愛一直線、けれど一歩誤れば廃人コース。
怖いほどの執着と、甘すぎる愛の狭間で――悠里の新しい人生は、いったいどこへ向かうのか?
……え、違う?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる