【完結】神様は愛し子を餌付けしたい

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第一章 東雲の織物

東雲の織物(3/5)

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「レナ様のように自信満々に振る舞える日は、俺には生涯来ない気がします」
「どうしたいきなり、と言うかあれは自信満々というのか……?」

 ようやっとレナの怒りを静めることに成功し、這々の体でムシュカの部屋へと辿り着いた二人は、さっさと湯浴みを済ませ清潔な夜着に身を包んで立派な寝台にその身を横たえていた。
 洗い上がりのシーツは肌に心地よく、枕元で炊かれる香の甘やかな香りと相まって、眠りに誘われるまでの二人にいつも穏やかな時間を与えてくれる。

 大の男が二人寝転がっても窮屈さを感じない大きな寝台は、ムシュカが15で成人を迎えた日に設えられた……そう、正室と過ごすためのものだ。
 隣に迎え入れられるのは宰相派が推すダルシャンか、それとも大公派のレナか……様々な思惑が交錯する中、成人の儀を終えたムシュカが唐突に王宮近衛騎士団の副団長を拝命し市民権を得たばかりのヴィナを正室に指名したあの日からそろそろ4年、彼は毎夜この寝台に呼ばれ未来の王たるたおやかな青年と夜を共にしている。

 ――残念ながら周囲が期待し貴族達が危惧するような夜は、一度も訪れたことがないのだが。

 王太子の隣などあまりにも恐れ多くてまともに眠れなかった日々が、今となっては懐かしい。
 3年かけてその熱量にすっかり絆されてしまった今、洗い上がりのムシュカの香りはどうにも心臓と股間によろしくないなと、ヴィナは時折脳内にやってくる悪魔の囁きを全力で振り払いながら、先ほどのやりとりを思い出してぽつりと呟く。

「……俺も、殿下やレナ様のような美しい黒髪を持っていれば……少しは男らしくなれたのでしょうか」
「ヴィナ」
「どれだけ訓練して強くなっても、この見た目は変えられません。毛染めをしても艶のない髪など、みすぼらしいだけで……どう足掻いても俺は、『この国の民』にはなれない」
「ふむ……見た目は十分男らしいと私は思っているぞ?」

 これもな、とムシュカの指がそっとヴィナの額に触れる。
 刈り上げた銀髪の生え際から右の眉に向かって走る三本の傷跡をなぞれば、ヴィナの口から「んっ」と小さな吐息が漏れた。

「あの時のお主は、鬼神と見まごうほどの強さであった。幼き私が胸を撃ち抜かれてしまうほどに、な? ……だから胸を張れ、ヴィナよ。誰が何と言おうとお主は一国の王となる男にふさわしき伴侶だ」
「……恐縮です、殿下」

 ヴィナの両親は、元北国の領民だ。色素の薄い髪は北国の民特有のものである。
 この国では異国との戦いで得た領土の民を等しく奴隷として扱う。
 と言っても、別に鎖で繋がれているわけではない。市民権を持つこの国の民のような安定した仕事には就けず、奴隷用に提供された長屋で暮らし危険を伴う仕事で日銭を稼がなければならないけれど、少なくとも飢えることはない。

 ヴィナも例に漏れず、その恵まれた体躯を活かして傭兵家業に勤しんでいた。当時から剣の筋はよかったらしく、故郷ではちょっとした有名人だったようだ。

 そんなヴィナに転機が訪れたのは、16歳の時。
 仕事を終えた帰り道、巨大な獣に馬車が襲われる現場に遭遇した彼は、勢い討伐に奮闘する身なりの良い兵士達に混じり、額に傷を負いながらも見事な剣さばきで荒れ狂う獣――当時首都で恐れられていた「魔熊」と呼ばれる人食い熊にトドメを刺した。
 そうしてさっさとその場を立ち去ろうとしたヴィナを、馬車の主……二人の王子を連れた国王妃は引き留め、半ば強引に王宮へと連れて行った挙げ句即日王宮直属の近衛騎士団への入団手続きを取ってしまったのである。

『そっ、そんな、奴隷の俺が騎士団になんて恐れ多いです! それに俺、働かないと幼い弟妹が』
『騎士団に入団して5年勤めれば、市民権も得られるぞ? 給与だって十分に出るし、今の傭兵生活に比べればずっと安定するはずだ。何よりこの食の都と名高いクラマ王国の首都で、好きなものをたらふく食べたいとは思わぬか?』
『あ、それなら入団します』
『はやっ! さっきまであれほど入団を渋っていたのは、何だったのだ!?』

 ――そして、思いがけない入団から6年後。
 奴隷身分故の偏見に晒されつつもめきめきと頭角を現したヴィナは、若干22歳にして史上最年少の王宮近衛騎士団副団長に任命され、同時にあの馬車の中でヴィナの勇士に一目惚れしてしまったクラマ王国の王太子、ムシュカによる正室指名を賜ることとなる。

 ……これほどの幸運に恵まれながら、しかしその生まれ故か奴隷身分から解放されムシュカの寵愛を受ける今でも、剣を持たない時の彼はどこまでも気弱で、奥手で、そしてただの食いしん坊な男のまま。
 いつか自分の言葉がただの恋に浮かれた惚気ではない、正当な評価だと分かって欲しいものだと心の中で溜息をつきながら、今日もムシュカはどこまでも自信のなさげな恋人の言葉に耳を傾ける。

「市民権を得たとは言え、色の薄い髪は……この国では異邦人、奴隷の色ですから。俺を良く思わない貴族様の気持ちは……分からなくはないです」
「全く……貴族連中の髪色信仰は度が過ぎているからな」

 困ったものだと首を振るムシュカの輝く髪にヴィナはふと手を伸ばしかけて、慌てて拳を握りしめる。
 黒を基調とし、差し色がその美しさを引き立てる――法的に定められずともこの黒髪こそがこの国の民たる証と認識される世界で、銀髪のヴィナは殊更目を惹く異分子だ。そんなものが次代の王の隣に立つなど、穢らわしいと公言してはばからない貴族は少なくない。

 もっとも当の王族は、王妃と幼き王子二人の命を救った英雄たるヴィナを正室に迎え入れることには、ムシュカが世継ぎのため側室を娶ることも約束している以上何の問題も無いという立場を当初から崩していない。
 だから本来は今すぐ婚儀を執り行っても問題はないのだが、そうもいかないのが王宮というところである。

「……ヴィナ、私に触れても良いのだぞ?」
「いけません、殿下。御身は大事にされねば」
「全く……私が良いと言っておるのに、お主のその奥手っぷりはどうにかならぬのか?」

 やれやれといった様子で、ムシュカはヴィナの頭をくしゃりと撫でる。
 一目惚れした男に大手を振って愛を告げられるようになってもうすぐ4年、この偉丈夫は未だ褥を共にするどころか、額への口付けすら恐れ多いと固辞してしまう。
 ……本心ではどうしたいか、隣に寝ていればバレバレだというのに。

(まぁ、4年かかって手を繋いでくれるようになっただけ進展か……もう少し貴族共が大人しくならねば婚儀もままならぬし、ちょうど良いかも知れぬな)

「そろそろ寝るか」と燭台の明かりを消せば、すぅと眠気が二人を包み込む。
 闇に溶ける意識の中で「次のお忍びは……何を食べに行く?」とムシュカが尋ねれば、隣からぼんやりした、けれどどこか嬉しさを隠せない声が返ってくるのだった。

「そうですね……次は東通りの翠玉飯店で……魚団子麺を、一緒に…………」


 ◇◇◇


 いつもと変わらない夜は、けたたましい叫び声によってあっさりと破られてしまう。
 ……それが全ての始まりだなんて、あの時には思いも寄らなかったけれど。

「失礼します、殿下!! ほっ、宝物庫に賊が侵入いたしました!」
「!!」

 夜もとっぷり更けた頃、夜勤の騎士団員が緊張した声色で寝室のドアを乱暴にノックする。
 その声に何事かと目を擦りながらムシュカが身を起こせば、隣でぐっすり眠っていた筈の偉丈夫は既に戦装束に身を包み、眼光鋭く厳しい顔つきで「状況は?」と部下に尋ねていた。

「どこの宝物庫だ? 離れか、地下か」
「そ、それが……王族廟の……」
「っ、封印庫か! あそこは王族以外が中に入ることは出来ないはずだ、一体どうやって」
「分かりません。ただ見張りの者が言うには、入口には誰も近づかなかった、突然内部の侵入者感知機構が作動したと……」
「なんだと……!?」

 その報告に、ヴィナの顔が強張る。
 王族のみが開けられる扉以外に、封印庫に入る手段はない。そう、通常の手段ならば。
 しかしヴィナの頭には幼い頃、両親に聞かされた話がよぎっていた。

 この世界には不可思議な術を用いる戦闘民族が各地に点在している。
 ここ南方に位置するクラマ王国ではとうの昔に消滅しているが、北国には数年前までその末裔が生存していたし、東方のとある国には今でも魔法と呼ばれる術を使う一族が残っているらしい。
 彼らは千里を一瞬で見渡し、あらゆる障害をすり抜け、鍛え上げられた鋼すら飴のように溶かす恐ろしい技を使うのだと――

(……嫌な予感がする)

 首筋にチリチリとした感覚が走る。
 これはきっとただの賊ではない。あの魔熊などとは比べものにならない相手だと、ヴィナの直感が警鐘を鳴らしていて。

「招集は」
「既にかけております!」
「分かった、行くぞ」

 いつもの気弱さはどこへやら、瞳に獰猛な光を灯し足を踏み出したヴィナの背後から「待て」と声がかかる。
 振り向けばそこには、夜着にガウンを羽織ったムシュカが「私も行く」と立っていた。

「いけません、殿下。相手はかなり危険な賊です。殿下にもしもの事があっては」
「だが、封印庫の内部に賊はいるのだろう? あそこは王族の瞳がなければ、何人たりとも扉を開けることは出来ぬ。……瞳を持つのは父上と私、弟のサリムだけ。なら、ここで扉を開けに行くのは私が適任だ」
「…………分かりました。ですが、扉を開けた後は必ず身を隠して下さい」

 御身は必ず俺達騎士団が守り抜きますから。
 そういって伸ばされた手は、いつもより力強かった。


 ◇◇◇


「扉が開いたぞ、逃げろ!」
「賊め、逃がすかっ!!」

 地下にある王族廟の更に奥まった所。
 ムシュカにより封印庫の扉が開けられるや否や、騎士団は一斉に内部へとなだれ込んだ。
 そこにいたのは、ありふれた格好をした野盗が6人。大した武器も持たず、手に宝物を抱えて部屋の奥へと走っていく。
「はっ、そっちは行き止まりだぜ!」と若い団員が剣を振り下ろした次の瞬間、目の前を走っていたはずの野盗の姿がまるで煙のようにすぅと消えてしまい、ガン! と床を叩き付ける音だけが部屋の中に響いた。

「きっ、消えた……!?」
「怯むな、残りを捕まえろ!」

 怯える団員に活をいれながら、ヴィナは(やはりか)と冷静に状況を把握していた。
 敵は間違いなく、珍妙な術を使う。だがそれを使ったのは先ほど消えた野盗ではない。フードの端から見えていた髪の色は黒に淡い緑が混じる――この国の民らしい特徴を帯びていたから。

(東国の民は、差し色のない純粋な黒髪……恐らくそいつがボスだ。こいつら野盗の動きは戦い慣れていない、つまり雇われの目くらましに過ぎない)

 野盗の相手を部下に任せ、ヴィナは暗がりに目を凝らす。
 確か言い伝えによれば、魔法を使う民は術を発動するまでその場から動けないはず。見つけてしまえばこちらのものだ。

(……しかし、何故封印庫に? 東国の宝を取り戻しにでも来たのか? それにしては雇われ連中があまりにお粗末すぎる……)

 神経をとがらせ、周囲を見回し、しかしその思考は止まることなく。
 そしてヴィナはある結論に達する。

 ――この宝物庫を開けることが出来るのは、王族だけ。
 そして、このような騒ぎがあったときにやってくる王族は、現国王でも、まだ幼いサリム王子でもなく、今まさに正室争いの渦中にいるムシュカ王太子だと――

「っ、目的は殿下かっ!!」

 ぞくり、と背中に嫌な震えが走る。
 いけない、いくら団員達の守りがあるとは言え、魔法の前では無力にすぎない。まずはムシュカを安全な場所にお連れせねばならないと、ヴィナは慌てて宝物庫から飛び出した。

「! どうされました、副団長!?」
「ここは任せる、私は殿下を王族用の防護室へお連れする! 敵は恐らく東国の魔法使いだ、黒髪のやつに気をつけろ!」
「はっ!!」

 この王宮には、北国遠征の際に術から王族を守るために作られた小部屋がある。
 王族廟とは繋がっていないから一度地上に出なければならないが、それでもここに留まり続けるよりはムシュカの安全が確保出来る、そうヴィナは判断する。

「ヴィナ」
「大丈夫です、殿下。あなた様は命に替えても、お守りいたしますから」
「…………命には替えないでくれ」
「……善処します」

 ああ、これほどまでに俺は殿下に愛されていると、ヴィナは胸にこみ上げるものをぐっと堪える。
 こんな状況でなんと不埒なことを……とは思うけれど、一介の奴隷に過ぎなかった自分に有り余るほどの愛を与えて下さったこの方をお守りしながら生涯添い遂げるというのは、きっと幸せなことに違いない。

(許されるなら……明日の夜は、その手への口付けを……願っても良いだろうか)

 そのためにもまずはこの場を乗り切らねばと、ヴィナの無骨な手が少し震えるムシュカのすらりとした手を握りしめる。
 そして「殿下、行きましょう」とヴィナが扉に背を向けた、その時。


 パシュン


 小さな、空気を圧縮したような音が、真っ直ぐにヴィナの頭を貫いた。


 ◇◇◇


「あ…………」
「……ヴィナ…………?」

 ぐらり、と目の前の景色が揺れる。
 どこかでドサリと音がして、視界が紅く染まって、身体から力が……いや、身体と世界の境界が、溶けていく――

「……!! ……ナ! ヴィナ!! しっかりしろ、ヴィナっ!!」

 遠くから、愛しい人の声が聞こえる気がする。
 その声色は悲嘆に溢れていて……ああ、俺は愛しい人になんて声を出させてしまったのだと、薄れ往く意識の中でどこかがズキンと痛んだ。

 何が起こったのか、詳しく把握はできない。
 ただ一つだけ確信したのは……自分はここで、間もなく命を落とすと言うことだけ。

(申し訳、ございません、殿下……)

 ヴィナは最後の力を振り絞り、右手を天に伸ばす。
 もう、これで身体が動いているのかすらよく分からない。けれど伸ばした手はがっしりと握りしめられ、なんだろう、ぽたぽたと熱い何かが滴っているような感覚を覚える。

(ああ……けれど、これでいいのかも知れない)

 薄れ往く意識の中、ヴィナの脳裏によぎったのは愛する人の行く末だ。

 この国にとって、自分の存在はどこまで行っても異分子だった。
 自分が騎士団に入らなければ、魔熊を討伐していなければ、あの時首都に仕事に来ていなければ……王宮にいらぬ混乱を招くことだってなかったに違いない。

 ここで、自分の命は潰える。
 きっとムシュカのことだ、暫くは自分を想って涙に暮れることだろう。
 だが、彼の傍にはレナがいる。何よりムシュカはまだ若い、時が経てば喪失の痛みも和らぎ、あの素敵な女性と結ばれ国王として立派に役目を果たすに違いない。
 権力のためとは言え、ダルシャンもきっとムシュカの力になってくれよう。

(十分です。俺は、十分愛された。……幸せだったのです、殿下)

 少しでも愛しい人を悲しませたくなくて、ヴィナは必死に笑顔を作ろうとする。
 どうかあなたの瞳に映る最期の自分が、幸せに見えますようにと祈りながら。

 ああでも、出来ることなら。
 もう一度だけ、あなたと共に屋台で美味い飯を食べたかった――

 そんな小さな願いを小さなため息にのせ……ヴィナの鼓動は、永遠に時を止めた。
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