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#016 スクリュードライバー
しおりを挟む雨。
雨。
雨。
あぁ…。今日もまた雨が降っている。
雨。
雨だよ。
雨が降っているよ。
季節はもう、すっかり秋になってしまって、肌寒い日々がやってきた。
そう…秋。
秋だよ。
もう、秋になってしまった。
秋の雨が降っている。秋の雨だ。
秋の雨。
秋に降る雨…。
君の好きな、秋の雨だ。
秋は、君が好きな季節だったね。
僕も、秋が好きだったんだよ。
秋は、一年の中で一番過ごしやすい季節だから。
休日は、よく二人で出かけたね。日が落ちてきて少し肌寒くなってくると、君は僕の手を掴んで身を寄せてきた。触れ合っている肌から伝わる温もりと、僕達を包み込む秋風の匂いは、今でも鮮明に思い出せるよ。
それから君は、雨が好きだった。
僕も、雨が好きだった。
雨が降る日には、少し冷たいフローリングに座って、窓の外を二人で眺めた。
君はホットミルク。僕はホットコーヒーを飲みながら、最近読んだ本のことや、観た映画、聴いた音楽のことを語り合ったね。
一枚のブランケットを二人で使って肩を寄せあい、ふと目が合ったときは、そのままキスをした。
君の唇は、少し薄くて、乾燥していたかもしれない。でも、柔らかな温かさを持った唇は、いつだって僕の心を満たしてくれたんだ。
僕達の目に映っていた空はどんよりとした灰色だったけど、僕達の心はいつだって晴れやかで、雲ひとつ無いくらいの晴天だったろう。
君の好きなものは、僕も好きになった。
だから君も、僕も、雨と秋が好きだった。
雨と秋。
雨と秋。
秋と雨。
秋の雨。
僕達が同じものを好きになることは少なかったけど、雨と秋だけは、二人とも本当に好きだったね。
それから、君と僕にはもう一つ。お互いに好きなものがあった。
それは、あのバーだ。
君と僕が初めて出会った、大切な、思い出の場所。
あのバーは、僕にとっても、君にとっても行きつけの店だった。
初めて君と出会ったのは、今からもう五年も前のこと。
一人寂しく飲んでいた僕の隣に、君が座ったんだったね。
君を見た時、なんて綺麗な人なんだ。と、持っていたグラスを落としそうになった。あの衝撃は、今でも忘れられないよ。
今思えば、僕はあの日君を一目見たときから恋に落ちていたんだと思う。一目惚れ…っていうやつかな。
儚げで美しい君の姿に、僕は心の底から惹かれたんだ。
あの日のことは、これからもずっと忘れられないと思う。
あの日君に出会わなければ、僕は本当の幸せを知ることは出来なかった。大袈裟なんかじゃないよ。全部本当のことさ。
最初、君に話しかけるのは本当に勇気が必要だったし、もし変な奴だと思われたらどうしようと思っていた。
でも、僕から一歩踏み出さなければと思ったんだ。
もしこれで嫌な顔をされたら、潔く店を去ろうと、そう覚悟を決めて。
僕は君に、一杯のカクテルを贈った。
贈ったのは、スクリュードライバーというカクテル。
「あなたに心を奪われた」
そんな意味を持つあのカクテルを贈った時、僕は心臓が口から飛び出てしまうんじゃないかと思った。
カクテルで思いを伝えるなんて高等テクニック。僕は今まで一度だって使ったことはなかったから。
断られるだろうか。受け取ってくれるだろうか。僕の気持ちは…、伝わるだろうか。
たくさんのことが頭をよぎっていた。
照れ隠しに飲んだウイスキーも、味が全く分からない。
君がどんな反応をしているのかすごく気になったけど、僕は手元を見つめることしか出来なくて、ただ君からの反応を待ち続けていた。
しばらくして、僕の目の前に一杯のカクテルが差し出された。
スクリュードライバー。僕が君に贈ったカクテルと全く同じもの。
僕は最初、君が僕からのカクテルを返してきたのかと思った。しかし、君の手元には僕が贈ったカクテルがある。
このスクリュードライバーは、君が僕へ贈ってくれたものだった。
本当に驚いたよ。
君は、このカクテルの意味を知っていたんだと。知っていて、僕にこのカクテルを贈ってくれたんだと。
僕と君の目が合ったとき、、あの時君は、僕の目を見つめて、優しい笑みを向けてくれたね。
お互いに心を奪われた僕達の恋が、あの瞬間、確かに始まったんだ。
それから、僕と君の距離が縮まるのに、時間はかからなかった。
気づけば毎日を共にする関係になっていたね。
僕達は、何度も何度もデートをした。
お互いの家を行き来して、ついには同じ家で生活をするようにもなった。二人で暮らすには少し狭いマンションの一室で過ごしたあの生活は、まるで夢のような日々だったよ。
二人で過ごしてきたたくさんの時間の中で、僕達は何度もお互いを抱きしめあって、キスをしたね。
君は、愛する人と触れ合うことの幸せを、僕にたくさん教えてくれた。
けれど、僕達は決して、互いの恋人を名乗ることはなかったね。
勿論。僕は君を愛していた。君も、僕のことを愛してくれていた。けれど、僕達は「恋人」ではなかったんだ。
僕達の関係は、なんて言うのが正解なのだろうと、最初の頃はずっと考えていた。
家族でも友人でもない。恋人でもない。結局、どれだけ考えても、しっくりくるような答えは見つからなかったんだ。
でもきっと、僕達の間に「言葉」で表せるような関係は要らなかったんだと思う。
ただこれからもずっと、隣に居られたら。それだけで幸せだと思ったんだ。
死ぬまで、君と一緒にいたい。心からそう思っていた。
そんなことを思うのも、そこまで誰かを愛したのも、君が初めてだったんだよ。
そして僕は、君もそれを望んでくれていると。信じていた。
しかし、別れというのは突然にやって来てしまうんだ。
僕が君を失った日。
あの日も、雨が降っていた。
季節は秋だった。
秋の雨が降っていた日だった。
前の晩。いつものバーで、僕達は酒を飲んでいた。
いつものバーの、いつもの席で、いつも通りの時間を過ごしていた。
本当に、いつも通りだった。
いつも通りの……筈だった。
いつもと違った事があるとすれば、僕達の酒を飲むペースが、少し早かったということ。確か、思い出話に花が咲いたか何だかで、いつもよりも酒が進んでしまったのだと思う。
いつもは昔の話なんてしたがらない君が、珍しく色々な事を話してくれて、僕は、それが嬉しかったんだ。
君の話はとても切なくて、悲しい話ばかりだったけれど、今まで知ることの出来なかったことを聞けて、また君について深く知ることができたと思って……、それが本当に嬉しかった。
でも、そのせいで僕は君の異変に気づいていなかった。どうして、君が急に昔の話をしだしたのか、僕はこれっぽっちも考えられてはいなかったんだ。
次の日。
僕は自宅のベッドの上で目覚めた。
隣で寝ている筈の君はいない。
二日酔いのせいか激しい頭痛に見舞われていたが、僕は体を起こして君を探した。
まだ薄暗い部屋の中、何度名前を呼んでも、君からの返事はなくて、寝室を出てリビングへ行ってみても、君の姿は見当たらなかった。
外にでも行ったのだろうか。そう思い窓の方を見ると、何故か窓は全開になっていて、外から沢山の雨が吹き込んでいた。
あぁ、また雨が降っているのか…。
そう思いながら窓の方へ近づくと、すぐ下でなにやら騒ぎ声が聞こえた。少しベランダから身を乗り出して見ると、人集りが出来ている。
何かあったのだろうか。と少し目をやっていると、遠くの方からサイレンが聞こえてきた。
その音が段々とこちらに近づくにつれ、僕の胸がザワついていく。
何だか嫌な予感がしたんだ。
僕が立ち尽くしている間に、音はどんどん近づいてくる。
そして次第に、真っ赤な光がちかちかと僕の視界の中で回り出した。
煌々としたその光に、ぼやけていた意識も鮮明になっていく。
ハッキリ、くっきりとしていく視界。
あれは、なんだ…?
人集り。
その場にいた全員が見つめる先には、誰か人が倒れている。
倒れている。
誰が……?
誰。
あれは誰だ。
あれは、あれは……
君だ。
君だ。
君だよ。
君じゃないか。
あそこで倒れているのは……君じゃないか。
それにあれは……
あの赤は……
視界が歪んだ。吐き気に襲われた。
膝が震える。身体中が震えている。
今にも倒れそうだ。もう、立っていられない。
でも、僕は目の前の出来事から目を離せなかった。
雨。
雨。
雨。
赤……
赤……
赤……
一体どうして……どうしてこんなことが、
把握しきれない。情報が多すぎる。
色んな感情が、思いが、僕の中で暴れていて、何も整理ができない。
君はどうして、そんな所で倒れているんだ。
外はこんなにも冷たい雨が降っているというのに……
すると、下から聞こえる騒ぎ声の中から、ふとこんな言葉が聞こえた。
「ベランダから飛び降りたのかしら」
……飛び降りた、? ここから、君が、?
どうして、?
このマンションは五階建てで、僕たちの部屋は四階にある。飛び降りれば、命を落とす可能性は十分にあるのに。
そんなこと、わかりきっていることじゃないか。
それじゃあ君は、、君は……
考えたくもないことを考えながら、僕は君が昨夜言っていたことを思い出した。
昨夜、いつものバーの、いつもの席で、いつも通りの時間を過ごしていた時のことを……
そして、僕は全てを理解した。
あの時の君の言葉は、こういうことだったのかと。君は、あの時から……いや、もうずっと前からこうするつもりだったのだと。
僕はそれに、ずっと気づいていなかった。
君のすぐ傍にいたのに、君のことを知れている気になっていただけだったんだ。
あぁそうか……そうだったのか……
ふと、僕の中で、何かの糸が切れた音がした。
そして次の瞬間。僕は叫んでいた。
ただ、ひたすらに泣き叫んだ。
叫ぶことしかできなかった。叫ばなければ、今にも壊れそうだった。いや、もう僕はとっくに壊れているんだ。君に、僕は壊されてしまった。
奪われてしまったんだ。君が、僕の大切なものを、奪ってしまった。
でもそれは、君になら奪われてもいいと思っていた。けど、今になって気がついたんだ。僕が失ったものはあまりにも大きいということに。
あぁ、君はズルいよ。なんて人だ。
初めて会った時から始まっていたことだったなんて。
あの夜から、僕は君に全てを奪われていたんだ。
君は、君は…、
僕から心を奪った。
僕は君に、心を奪われた。
君は…、君は…、君は……!
僕の心を全て……
奪って逝ってしまった。
あの日から、もう二年が経つ。
今でも僕は、君に心を奪われたままだ。
雨が降る度に、君と過ごした日々を思い出しては、枯れることのない涙を流している。
秋が訪れる度に、君のことを思い出しては、一人でいることの寂しさを突きつけられる。
もう僕は君に全てを奪われてしまったというのに、それでもまだ足りないとでも言うように、君は僕の心を掴んで離さない。
ねぇ、一体君は、いつまで僕の心を奪ったままでいるつもりなの。いつになったら、僕を解放してくれるの。
もう苦しいんだ。毎日、苦しくて苦しくて堪らない。
ねぇ、あんなに輝いていた日々はどこへ行ってしまったの。僕達、あんなに幸せだったじゃないか。
……あんなに好きだった雨も、秋も、いつしか嫌いになってしまったよ。
あのバーにだって、もう行っていない。
だって、どれだけ待っていたとしても、君が僕の隣に座ってくれることは、もう二度とないのだから。
雨も、秋も、バーも。
君と僕が好きだったもの全部。
僕は嫌いになってしまった。
でも、でも…
君だけは…
君のことだけは……嫌いになれないんだ。
僕は、今でも君のことを愛している。
ずっと、ずっとさ。
それは、きっとこれからも変わらない。
ずっと苦しい。苦しいよ。
この苦しみから解放されたいと思うのに。もういっそのこと、君のことなんて嫌いになれたらいいのに。
嫌いになりたいよ。君のことなんて。
僕の心を奪っておきながら、僕を一人にしてしまった君のことなんて。
憎んで、憎んで、恨んで、恨んで。
大っ嫌いになりたいよ……
でも、できないんだ。嫌いになれないんだよ。
君は、酷い人なのに。ずるい人なのに。
僕の中にいる君は、美しくて、儚くて、優しくて、あたたかくて柔らかい……
何一つ変わらないんだ。
何一つ変えられないんだ。
だって僕は、君を愛してしまったから。
君の愛を知ってしまったから。
君に、僕の心は全て……奪われてしまったから。
ねぇ、今日もまた雨が降っているよ。
今年もまた、秋がやってきたよ。
君と僕が大好きだった、秋の雨だよ……
雨
雨だ
雨だよ……
雨が降っているんだよ
秋に……
秋に降る雨だ…
君の好きな…、秋の雨だよ……
ー完ー
今回のカクテル 「スクリュードライバー」
ウォッカとオレンジジュースという飲みやすい組み合わせから、「女殺し」のカクテルとも呼ばれている。
ある労働者が、ドライバーでこのカクテルを混ぜたことが由来の名前を持つ。
惹かれた相手へ贈るのにピッタリのカクテル。
意味は 「あなたに心を奪われた」
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