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【第四章】
二
しおりを挟む翌日。日の良いこの日、劉賢妃のもとを出産祝いのため翠蘭は訪れた。
いまだ嬰児のいない翠蘭だったが、嬰児自体は好きである。志勾の娘でもあるので、さぞかしかわいいだろうと面会を楽しみにしていたのだが、公主に会うことは叶わず、逆に衝撃的なことを聞かされた。
昭儀の身分は賢妃より下である。下座に通された翠蘭の前で、劉賢妃は榻に傲然と寄りかかって言ったのだ。
「よくもまあ、わざわざ足を運んでくださったこと」
明らかに翠蘭を蔑む言いまわしだった。実家の格、賢妃という身分、なにより公主を産んだ者の強みだ。ともについてきた喬玉の表情が、一瞬こわばる。
翠蘭が持ってきた絹の反物には一瞥をくれただけで礼のひとつもなく、茶を差し出すこともしない。どう考えても、招かれざる客であり、そのとおりの言葉が投げつけられた。
「ありがたいことじゃと礼を言われるとでも思っていらっしゃったか。自己満足もここまでくれば自己顕示だの。足しげく陛下が通っておいでだからと、なにか勘違いをしておるようじゃ。ご自分の立場、よう判っておられぬの」
思ってもみない冷たい言葉だった。快くは思われていないだろうとは覚悟していたが、さすがにこれには血の気が引いた。
「静瑛。そこの物を早々に焼き捨てよ。灰は小川に流せ。清い水でしっかりと祓い清めるのじゃぞ」
「は……はい、かしこまりまして……」
劉賢妃のそばに控えていた侍女のひとりが名指しされる。彼女は目の前の翠蘭たちの反応を気にしながらも、女主人の命をないがしろにはできず、恐るおそる反物を下げると逃げるように房室をあとにした。
「どういう、ことです?」
訊かずにはいられなかった。
「穢れをそのままにする愚か者なぞ、おらぬだろう?」
小さい子に諭すように、逆に問い返す劉賢妃。
翠蘭は、知らず眉をひそめていた。
穢れ、とは?
(―――なんのこと?)
劉賢妃が含みを持たせているその言葉の意味が、よく、判らなかった。
なにも言葉を返せない翠蘭に、劉賢妃は足を組み替え半眼となる。
「孕めぬ女からの祝辞など白々しい。妾からすれば、禍言にしか聞こえぬ。それだけのことよ」
冷たく言い放つ劉賢妃は、唇の端をついと上げる。
「懐妊時に贈られた祝いの品な、あのような呪われたものも、すべて焼き捨てさせてもらった」
「……!?」
あまりの発言に言葉を失う翠蘭。膝の上で握り締めた拳は白くなり、椅子に座る身体が震えた。
「懐妊するかどうかは、まだ判らないことです」
弱い声で反論する翠蘭に、芝居がかって驚いて見せる劉賢妃。
「おや。ご存知でなかったか。そなたがの」
「出過ぎた口をお許しくださいませ劉賢妃さま」
翠蘭の後ろで、どこか面白がるふうの劉賢妃に喬玉が狼狽した声をあげた。昭儀の侍女が賢妃に直接声をかけるのは礼を失している。なのに、堅物の喬玉が自らそれを犯した。礼を欠いた態度を取った喬玉に驚く翠蘭だったが、劉賢妃が構うことなくそのまま続けた言葉に、更に愕然となった。
「そなたが毎日飲んでいるという薬、あるであろう? あれはの、飲む者を孕めぬ身体にするものじゃ」
(―――え)
蒼白となった翠蘭がおかしいのか、劉賢妃は笑顔のまま追い打ちをかける。
「あと二ヵ月ほどで正妃さまがおいでになる。そなたの受けておるご寵愛もそれまでのこと。生まれも育ちも鄙びたどこぞの娘が太子さまを産んでは、正妃さまのお立場が辱めを受けようて」
劉賢妃の声が、遠くで響いている。
聞き間違いかと耳を疑いたくなるその内容は、翠蘭の理解を超えていた。数瞬、なにが起きたのかが判らなくなる。
なのに劉賢妃の発言は、鋭い切り口でもって翠蘭の胸に突き刺さって、傷口を抉るようにして深く浸蝕していく。
(正妃……さま?)
思考は停止し、頭は真っ白になり、時間は止まってしまった。降って湧いた『正妃』という言葉に、どういうことですかという詰問の言葉を、翠蘭はなくした。
よく、判らない。
「おや。正妃さまの入宮も知らなんだか。滑稽なほど大切に守られておいでだのぅ」
硬直する翠蘭に、ほほほと声をあげて嗤う劉賢妃。勝ち誇ったようなその声が、ひどく気に障った。
なにを。劉賢妃は、なにを言っているのだろうか?
正妃?
皇帝の愛を受ける翠蘭への嫉妬で、ありもしない虚構を現実のものとして言葉にしているのか?
ならば、喬玉の身分を超えた発言は?
喬玉をゆるりと振り返る。彼女は視線を避けるように顔を伏せていて、それが逆に、劉賢妃の発言を裏付けていた。
(どういう……)
考えようとしても、もどかしいくらいに思考はざらついて言葉を見つけだせない。
(どういう……)
知らない。
初めて聞いた。
正妃さまが、おいでになる―――。
正妃。皇帝の正妻。いずれは、皇后となるひと。
空席になっていた皇后の位につくひとが、入宮する。
(孕めぬ身体……? 薬……薬湯?)
どういうことなのか。
(志勾さま)
劉賢妃の発言のさまざまが、頭から離れない。
『どこぞの娘が太子さまを産んでは』
志勾の子がどうしてか宿らない自分。
毎日飲まされている、薬湯。
肝の薬だと聞いている。
(―――う、そ)
孕めない、身体にするための。
鄙びた娘が。
正妃さまのお立場が。
(あの薬は)
ここしばらく悩んでいた答えを劉賢妃が持っていたなんて。それもまさかこんな形で提示されるなど。
劉賢妃は、期待どおりの反応を示す翠蘭を楽しげに見遣るばかり。
(そんな……そんなことない)
鼓動が、どくどくと胸を圧迫する。
なにかの、間違いだ。
劉賢妃は、なにか勘違いをしている。ものすごく大きななにかを勘違いしているのだ。
(だけど……)
―――どうやって劉賢妃のもとを辞したのかは覚えていなかった。
燕景殿に戻るとすぐ、翠蘭は喬玉を問い詰めた。しかし喬玉は、真っ青な顔になりながらもただ首を振るばかりでなにも答えない。
声を荒げる翠蘭に何事かと顔を出した柑華も、問い詰められると、紙のように顔を白くさせ、涙さえ浮かべて震えだした。
泣きたいのはこちらのほうだと、憤りばかりが募った。苛立ちに押し流されるように彼女たちの肩を揺すっても、ふたりは決して口を開こうとはしない。
そうして、こんなときに限って、夜伽はなかった。
月のものとも重なり、結局次に翠蘭が志勾に逢えたのは、それから一週間ほどが経ってからだった。
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