乾宮――昔がたり

トグサマリ

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【終章】

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「それで、どうなったんだい、万歳爺わんすいいぇは」
 いつの間にか老人のまわりには、話を聞こうとする者たちが集まっていた。
「どうだろうね。リュバーニャに帰ったとも聞くが」
「そッから先は知らねェのかよ」
「残念ながら」
 小さく笑う老人。知っているようにも、知らないようにも見える。
「あの、あたし。淑妃しゅくひさまは不幸なんかじゃないって、思います」
 給仕をしてくれた娘が、思いきったように口を開いた。皆の視線が発言主に集まる。
「だって、何十年もずっと想われてて、玉座を手放してまで約束を守ってくださったんだもの。そりゃあ、悲しい最期だったけど、やっぱり幸せなんじゃないかって、そう思います」
 周囲から、ほおぅと感心する声があがる。
「そう、思ってくれるかい?」
 まるで、許しを請うように老人は彼女に問う。彼女は、話に出てきた翠蘭すいらんと同じくらいの年齢か。
「ええ。好きなひとに愛されたし、ちょっとだけだったけど一緒にいられたし、幸せだったと思う。万歳爺わんすいいぇに、李淑妃さまのそのお気持ちが伝わっていたと、あたしは信じたいです」
「そうさな。―――わしも、そう信じたい。そうであって欲しいの」
 店内の煙草の煙にまかれている老人に窓外から声がかかったのは、そのときだった。
蘭馨らんけいさま。そこにおいででしたか」
 現れたのは、年の頃は五十前後と見られる男だった。息子かもしれないが、老人とはあまり似ていない。背は高く、身体つきもしっかりしている彼の声は、どこか詰問調である。
 彼が入口からやってくると、老人は気まずそうな顔になる。
「また女人に目を奪われて道に迷われたのでしょう? 本当にあなたという方は目を離すとすぐにどこかへ行っておしまいになる。―――それで、この集まりは?」
「お連れさんを待つ間、都の話をしてもらってたんですよ」
「都の?」
「昔の万歳爺わんすいいぇとおきさきさまの恋のお話さ」
 さらりと言った女老板おかみに、一瞬にも満たない時間男の表情が凍りつくが、それに気付いた者はいなかった。
「がらにもないお話をなさって」
遥惟ようい。ここのお代、頼むぞ。ご馳走さま。美味しい蘿蔔だいこん絲餅もちをありがとう」
 誤魔化すように老人はそそくさと席を立つ。遥惟と呼ばれた男は、老人の背に当然のごとく声を投げかけた。
「ちゃんとそこで待っていてくださいよ。まだ勇惟ゆういは街中駆けずりまわってあなたを探しているんですから、これ以上迷惑かけないように」
「判っておる」
「判っていらっしゃるなら、美人を見かけたからと言ってほいほいついていらっしゃらぬようになさいませ」
「奥さんひとすじのわしがそんなことするか」
「そうおっしゃって何度迷子になりました?」
 老人の反論などどこ吹く風と、遥惟は胸元から銭包さいふを出す。ぶつくさと文句を言いつつ戸口に向かう老人。
「ああいりませんよ」
 代金を聞こうとした遥惟よういに、女老板おかみは言う。
「アタシが無理にお招きしたんです。老大爷おじいさんの初めての無銭飲食に貢献できて、光栄ですわね」
 含みを持つ言い方だった。言葉をなくす遥惟に、田草宋でんそうそうが横からためらいがちに問うた。
「なぁ、あんた。あの老大爷じいさん、何者なんだ?」
「―――とは?」
「都にいたって、言ってたけど……」
 言葉を濁す田草宋。思いつめた表情から、彼が老人の正体を怪しんでいることが見て取れた。
 ああ、と、どうでもいいことのように遥惟は軽く笑んで見せた。
晋塀しんへい自治区で塾舎しじゅくを開いている方です。教え子が都で省試しょうし(科挙の試験のひとつ)を受けるので、このまちまで見送りにおいでだったんです」
「晋塀自治区で……」
 それは、先程の話を裏付けはしないか。
「晋塀出身の万歳爺わんすいいぇの話をされたんですね?」
「あ、ああ」
 まさか遥惟から持ちかけられるとは思わなかったらしく、田草宋は言葉を詰まらせる。勘定を諦めた遥惟は、笑みに苦いものを混じらせた。
「同じ晋塀出身ということで思い入れがあるようですよ。遠い昔話が好きなただの老人ですから、聞き流してあげてくださいな」
「あんたは教え子じゃないなのか?」
 遥惟よういの話しぶりに、老人への近しさを感じた田草宋が訊く。
「ええ。家姐あねがあの方と結婚をしたので。―――あッ! と。失礼、また迷子になるつもりのようなので。女老板おかみ。世話になりました。では。―――ちょっと、蘭馨らんけいさま、お待ちくださいと申し上げたばかりでしょうが!」
 そう言って、遥惟は老人を追って足早にその場を去って行った。田草宋の連れが、訝しげに訊く。
「どうした? なにかあったンか?」
「あ……いや……」
 どこか納得しきれないのか、しきりに首をかしげる田草宋でんそうそう
「さっき、あの老大爷じいさん蘿蔔だいこん絲餅もちを食べるとき、見た気がしたんだよな」
「? 見た? って、なにを?」
 老人が去った店内は、それぞれが自分の卓子つくえに戻ろうとざわついている。だから彼の疑念が、他の誰かに聞かれることはなかった。
「ん。左耳がさ、―――なかったんだ」
 この国の男たちは、髪をまとめてきんで覆うのが一般的だ。だがあの老人は、胸元あたりまでの髪を伸ばしたままにしていた。隠居した老人にときどき見られるから、最初はなにも思わなかったが。
「……それって」
「異国の血が混じっているような顔だったしさ」
 あの話の皇帝は、母親が異国人だった。
 老人は言っていた。皇帝は必ずひつぎにその身を収めねばならないと。たとえ干乾びた指先のかけらであっても。
「偶然、だよな。気のせいかもしれない。あのひとが言うには違うようだし」
 異国の血が混じった者など、このあたりでは掃いて捨てるほどいる。
「そうだろ? だってよ、おれの爸爸おやじも左耳なかったぜ? 昔酔っぱらって喧嘩して失くしたんだと」
「じゃあ、あの老大爷じいさんも、なんか、事故かなんかだったのかな」
「じゃねェの? 都にいたってンだから、ヤバイことがあってこっちに逃げてきたクチとか」
「あ……ああ。そうだよな」
 そうだ、違うに決まっている。脛に傷を持つような人物には見えないが、万歳爺わんすいいぇがこんな田舎にいるはずがない。
 田草宋は、無理やりに自分の想像を思考の底に追いやったのだった。


 ―――数年後。
 リュバーニャから、首都、龍黎りゅうれいに向かう早馬があった。
 郭蘭馨かくらんけいという老人の死を伝えるものである。
 知らせを受けた皇帝は、密かに祖廟に足を運び、ひとり声を殺して涙に頬を濡らした。
 その名がかく風騎ふうきのものであると知っているのは、もはや早馬を出した双子の兄弟と、第八代乾国皇帝瑛晶えいしょうだけであった。








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