22 / 22
【終章】
00
しおりを挟む「それで、どうなったんだい、万歳爺は」
いつの間にか老人のまわりには、話を聞こうとする者たちが集まっていた。
「どうだろうね。リュバーニャに帰ったとも聞くが」
「そッから先は知らねェのかよ」
「残念ながら」
小さく笑う老人。知っているようにも、知らないようにも見える。
「あの、あたし。李淑妃さまは不幸なんかじゃないって、思います」
給仕をしてくれた娘が、思いきったように口を開いた。皆の視線が発言主に集まる。
「だって、何十年もずっと想われてて、玉座を手放してまで約束を守ってくださったんだもの。そりゃあ、悲しい最期だったけど、やっぱり幸せなんじゃないかって、そう思います」
周囲から、ほおぅと感心する声があがる。
「そう、思ってくれるかい?」
まるで、許しを請うように老人は彼女に問う。彼女は、話に出てきた翠蘭と同じくらいの年齢か。
「ええ。好きなひとに愛されたし、ちょっとだけだったけど一緒にいられたし、幸せだったと思う。万歳爺に、李淑妃さまのそのお気持ちが伝わっていたと、あたしは信じたいです」
「そうさな。―――わしも、そう信じたい。そうであって欲しいの」
店内の煙草の煙にまかれている老人に窓外から声がかかったのは、そのときだった。
「蘭馨さま。そこにおいででしたか」
現れたのは、年の頃は五十前後と見られる男だった。息子かもしれないが、老人とはあまり似ていない。背は高く、身体つきもしっかりしている彼の声は、どこか詰問調である。
彼が入口からやってくると、老人は気まずそうな顔になる。
「また女人に目を奪われて道に迷われたのでしょう? 本当にあなたという方は目を離すとすぐにどこかへ行っておしまいになる。―――それで、この集まりは?」
「お連れさんを待つ間、都の話をしてもらってたんですよ」
「都の?」
「昔の万歳爺とお妃さまの恋のお話さ」
さらりと言った女老板に、一瞬にも満たない時間男の表情が凍りつくが、それに気付いた者はいなかった。
「がらにもないお話をなさって」
「遥惟。ここのお代、頼むぞ。ご馳走さま。美味しい蘿蔔絲餅をありがとう」
誤魔化すように老人はそそくさと席を立つ。遥惟と呼ばれた男は、老人の背に当然のごとく声を投げかけた。
「ちゃんとそこで待っていてくださいよ。まだ勇惟は街中駆けずりまわってあなたを探しているんですから、これ以上迷惑かけないように」
「判っておる」
「判っていらっしゃるなら、美人を見かけたからと言ってほいほいついていらっしゃらぬようになさいませ」
「奥さんひとすじのわしがそんなことするか」
「そうおっしゃって何度迷子になりました?」
老人の反論などどこ吹く風と、遥惟は胸元から銭包を出す。ぶつくさと文句を言いつつ戸口に向かう老人。
「ああいりませんよ」
代金を聞こうとした遥惟に、女老板は言う。
「アタシが無理にお招きしたんです。老大爷の初めての無銭飲食に貢献できて、光栄ですわね」
含みを持つ言い方だった。言葉をなくす遥惟に、田草宋が横からためらいがちに問うた。
「なぁ、あんた。あの老大爷、何者なんだ?」
「―――とは?」
「都にいたって、言ってたけど……」
言葉を濁す田草宋。思いつめた表情から、彼が老人の正体を怪しんでいることが見て取れた。
ああ、と、どうでもいいことのように遥惟は軽く笑んで見せた。
「晋塀自治区で塾舎を開いている方です。教え子が都で省試(科挙の試験のひとつ)を受けるので、この鎮まで見送りにおいでだったんです」
「晋塀自治区で……」
それは、先程の話を裏付けはしないか。
「晋塀出身の万歳爺の話をされたんですね?」
「あ、ああ」
まさか遥惟から持ちかけられるとは思わなかったらしく、田草宋は言葉を詰まらせる。勘定を諦めた遥惟は、笑みに苦いものを混じらせた。
「同じ晋塀出身ということで思い入れがあるようですよ。遠い昔話が好きなただの老人ですから、聞き流してあげてくださいな」
「あんたは教え子じゃないなのか?」
遥惟の話しぶりに、老人への近しさを感じた田草宋が訊く。
「ええ。家姐があの方と結婚をしたので。―――あッ! と。失礼、また迷子になるつもりのようなので。女老板。世話になりました。では。―――ちょっと、蘭馨さま、お待ちくださいと申し上げたばかりでしょうが!」
そう言って、遥惟は老人を追って足早にその場を去って行った。田草宋の連れが、訝しげに訊く。
「どうした? なにかあったンか?」
「あ……いや……」
どこか納得しきれないのか、しきりに首をかしげる田草宋。
「さっき、あの老大爷が蘿蔔絲餅を食べるとき、見た気がしたんだよな」
「? 見た? って、なにを?」
老人が去った店内は、それぞれが自分の卓子に戻ろうとざわついている。だから彼の疑念が、他の誰かに聞かれることはなかった。
「ん。左耳がさ、―――なかったんだ」
この国の男たちは、髪をまとめて巾で覆うのが一般的だ。だがあの老人は、胸元あたりまでの髪を伸ばしたままにしていた。隠居した老人にときどき見られるから、最初はなにも思わなかったが。
「……それって」
「異国の血が混じっているような顔だったしさ」
あの話の皇帝は、母親が異国人だった。
老人は言っていた。皇帝は必ず棺にその身を収めねばならないと。たとえ干乾びた指先のかけらであっても。
「偶然、だよな。気のせいかもしれない。あのひとが言うには違うようだし」
異国の血が混じった者など、このあたりでは掃いて捨てるほどいる。
「そうだろ? だってよ、おれの爸爸も左耳なかったぜ? 昔酔っぱらって喧嘩して失くしたんだと」
「じゃあ、あの老大爷も、なんか、事故かなんかだったのかな」
「じゃねェの? 都にいたってンだから、ヤバイことがあってこっちに逃げてきたクチとか」
「あ……ああ。そうだよな」
そうだ、違うに決まっている。脛に傷を持つような人物には見えないが、万歳爺がこんな田舎にいるはずがない。
田草宋は、無理やりに自分の想像を思考の底に追いやったのだった。
―――数年後。
リュバーニャから、首都、龍黎に向かう早馬があった。
郭蘭馨という老人の死を伝えるものである。
知らせを受けた皇帝は、密かに祖廟に足を運び、ひとり声を殺して涙に頬を濡らした。
その名が郭風騎のものであると知っているのは、もはや早馬を出した双子の兄弟と、第八代乾国皇帝瑛晶だけであった。
了
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
おばさんは、ひっそり暮らしたい
波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
ストーカー婚約者でしたが、転生者だったので経歴を身綺麗にしておく
犬野きらり
恋愛
リディア・ガルドニ(14)、本日誕生日で転生者として気付きました。私がつい先程までやっていた行動…それは、自分の婚約者に対して重い愛ではなく、ストーカー行為。
「絶対駄目ーー」
と前世の私が気づかせてくれ、そもそも何故こんな男にこだわっていたのかと目が覚めました。
何の物語かも乙女ゲームの中の人になったのかもわかりませんが、私の黒歴史は証拠隠滅、慰謝料ガッポリ、新たな出会い新たな人生に進みます。
募集 婿入り希望者
対象外は、嫡男、後継者、王族
目指せハッピーエンド(?)!!
全23話で完結です。
この作品を気に留めて下さりありがとうございます。感謝を込めて、その後(直後)2話追加しました。25話になりました。
【完結】番である私の旦那様
桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族!
黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。
バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。
オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。
気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。
でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!)
大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです!
神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。
前半は転移する前の私生活から始まります。
そんなに義妹が大事なら、番は解消してあげます。さようなら。
雪葉
恋愛
貧しい子爵家の娘であるセルマは、ある日突然王国の使者から「あなたは我が国の竜人の番だ」と宣言され、竜人族の住まう国、ズーグへと連れて行かれることになる。しかし、連れて行かれた先でのセルマの扱いは散々なものだった。番であるはずのウィルフレッドには既に好きな相手がおり、終始冷たい態度を取られるのだ。セルマはそれでも頑張って彼と仲良くなろうとしたが、何もかもを否定されて終わってしまった。
その内、セルマはウィルフレッドとの番解消を考えるようになる。しかし、「竜人族からしか番関係は解消できない」と言われ、また絶望の中に叩き落とされそうになったその時──、セルマの前に、一人の手が差し伸べられるのであった。
*相手を大事にしなければ、そりゃあ見捨てられてもしょうがないよね。っていう当然の話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる