上 下
30 / 86

第30話 悪夢の幕が上がる

しおりを挟む
「それで、お主らは峡谷に棲むあの化け物、『グラウンドイーター』に襲われながら、ここに辿り着いたということでいいんじゃな?」

「ああ、そうだ」

 レーナからやっと解放され、落ち着きを取り戻したオルビーク(レーナと名前がややこしいので、そう呼び分けることにした)は、呆れ顔で俺たちにそう確認した。

「は~~~~~~~バカじゃの~~~~~~~。『グラウンドイーター』は夜行性……というか、夜にしか動けないモンスターなんじゃ。ギルダム自治区に張り出した警告にも確かにそう書いておいたんじゃが……」

「ええっ! そうだったのっ?」

 露骨に驚くレーナ。

 あなたは張り紙を見てたんじゃなかったでしたっけ……。

「だから昼に来れば、さほど危険はなかったというのに。まさか、あの化け物の活動時間に峡谷の底に降り、しかもやられずにここまで到達するなんて……二つの意味で、すごいバカじゃの」

「わーい、レアナちゃんに褒められたー!」

「いや、褒められてないだろ……」

 とにかく、オルビークは峡谷の化け物『グラウンドイーター』について詳しく情報を持っているようだった。

 ギルダム自治区の中にそんな化け物が生息しているというのは危険すぎる。
 
 できることなら、俺の文字召喚で撃退してしまいたいところだ。

「なあ、あの化け物に弱点とかないのか?」

「……? なぜそんなことを聞くのじゃ? あの化け物はどうせお主たちには倒せん。なぜなら、強大な力を持った魔術師であるこのわらわでさえ、負けてしまったのだからな」

「そうなのか? でも、オルビークが負けたからって、俺たちが負けるとは限らないぞ。たぶん、オルビークよりも俺たちの方が強いし」

「は?」

 オルビークの表情が露骨に歪んだ。

「今、なんと言った? お主たちがわらわよりも強い……? ふん、あり得んのう。わらわの魔術適性は王国の上流魔術師にも劣らぬもの。そもそも、高潔な魔術師に文字召喚術師風情が勝つというのか?」

 その瞳には、多少の苛立ちが滲んでいた。

 どうやら、オルビークは自分の力にかなりの自信があるらしい。

 だが、それは俺だけに向けられた感情ではない。

 彼女の言葉には、文字召喚術師全員に対する侮りが含まれていた。

「あー……もしかして、この世界では文字召喚術師より、魔術師の方が格上だったりするのか?」

 俺は後ろを振り返って、こそっとアリカに訊ねてみる。

 すると、彼女は少し悔しそうに唇を噛んでから頷いた。

「純粋な力勝負では、文字召喚術師の方が上回っているかもしれません。でも、実戦で問題となるのは、その召喚スピード。見ての通り、魔術師の方々は魔術の行使を一瞬で行いますから、事前準備のない文字召喚術師に勝ち目はないでしょう」

 確かに言われてみれば、そうだ。

 俺は初めから顕現待ちという厄介なものと無縁だったからいいが、アリカやレーナが文字召喚術師として人生を歩む上で、顕現待ちはいつもついて回る大きな問題であるに違いない。

 速度重視の魔術、破壊力の文字召喚。

 実用的なのはどちらかと言えば、俺でも魔術と答えるだろう。

 だから、文字召喚術師は魔術師に見下されてきた。
 そういうことだ。

 この調子では、レーナたちがやってきた召喚宮殿とかいう場所も、王国内でどんな地位にあるか、大方察しがつく。

 しかし、そうやってただ見下されることを、俺は認めたくない。

 俺はともかく、これまで文字召喚術師として生きてきたレーナたちを見下すような真似は看過できなかった。

「――んじゃ、証明してやるよ。オルビーク」

 だから、俺は魔術師レアナ・オルビークに向き直って宣言する。

「俺たちがその『グラウンドイーター』とかいう化け物を排除してやる。だから、協力しろ。あいつが消えれば、お前たちにとっても有益だろ?」

 オルビークは俺の言葉を鼻で笑ってから、頷いてみせた。

「ふん、いいじゃろう。なら、見せてもらおうではないか。文字召喚術師の力とやらを。情報もくれてやる。だが、目標が『グラウンドイーター』のみというのは認められないな」

「ん? どういうことだ」

 俺が首を捻って尋ねると、オルビークも拍子抜けしたように小首を傾げた。

「へ? お前も見たじゃろ? 『グラウンドイーター』はただの傀儡にすぎん。傀儡を倒しただけでは、認められんと言ったのじゃ」

「傀儡にすぎない……? 待ってくれ、俺たちの相手は『グラウンドイーター』だけじゃないのか?」

「お主こそ、何を言っているんじゃ。『グラウンドイーター』と対峙したのなら見たじゃろ? 奴の上に乗る、その主人格モンスターの姿を」

 待て待て、嫌な予感がする。

 さっき俺たちを襲ってきた敵は『グラウンドイーター』単体ではなかった?
 
『グラウンドイーター』の上に、奴を御する主人格がいた?

 あり得る話だ。だって、俺たちは暗闇に隠れる奴の姿を見ていないのだから。

「……なあ、実は俺たち、『グラウンドイーター』の姿をちゃんと見ていないんだよ」

 俺が青い顔でそう呟くと、オルビークの表情が変わる。

「なっ!? お主ら、火の魔術は――と、高度な魔術は使えないんじゃったな。この村の者たちなら使えるような魔術だから、当然、お主もあやつの姿を見たものだとばかり……じゃが、まあ、別に問題なかろう。今は襲われる心配はない。ちゃんと準備をして臨めば――」

 俺の背中を冷汗が流れた。
 最悪の想定が頭の中を駆け抜ける。

 ――『グラウンドイーター』の背中に乗ることができるということは、主人格のモンスターは小型なのではないか?

「オルビーク。その、主人ってやつの大きさは……どのくらいだ?」

「む、一般の人型のはずだが」

 嫌な想定は的中する。

 俺たちは石壁に穴を開け、『グラウンドイーター』から逃げ切った。

 だが、それは敵があのデカい『グラウンドイーター』だけの場合だ。
 
 もしかしたら、俺たちは敵から逃げ切っていなかったのかもしれない。

 もし、その主人格のモンスターが、あの穴を通り抜けることができたのなら。

「きゃああああああああああああああああああッ!!!」

 鋭い悲鳴が聞こえた。
 それは村と魔法石壁を繋ぐ空洞の方から。


 ――悪夢が始まる。


 そんな予感がした。
しおりを挟む

処理中です...