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第51話 圧倒

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「俺の利き手は左手じゃないが……特に問題はなさそうか?」

 俺は自らの左手に握られた邪神の剣に向かって訊ねる。

 視線は敵の召喚術師に向けたまま、警戒を怠ることはない。

 俺の問いを『邪神剣』は鼻で笑った。

『誠に愚問。かつて邪神の左手を支配した時も、奴の利き手は右手だったよ。俺が要求するのは、自由に動かすことができる肉と骨のみ。要求する代償を支払ったのなら、あとは望みの結果をもたらしてやろう』

 遠い過去、邪神の左腕を支配し、自在に操ったとされる邪神の剣。

 それは今、俺の左手にあり、すでに左腕の感覚は俺から奪われていた。

 左腕は俺の意志と関係なく、剣の具合を確かめるように、見えないほどの速度で剣を振り回す。

 それを見て、俺は『邪神剣』の力を認めた。

「いらない質問だったな。右手はどうしても空けておかないといけないんだ。文字召喚をするのに必要だからな」

『なあ、召喚主。会話をするのもいいが、そろそろ敵が動き出しそうだぞ?』

『邪神剣』の言葉通り、敵の文字召喚術師たちは動きを見せ始めていた。

 彼らの表情に走るのは困惑と驚愕。何にそんなに驚いているのかと、俺は首を傾げたが、

「お、お前……なんで、顕現待ちがないんだ……!?」

 文字召喚術師の一人が悪魔でも見るような目でそんな言葉を吐いたため、納得する。

「ああ……あまりにも普通のことすぎて忘れていたな。お前らは顕現待ちしないと文字召喚できないんだっけ」

 相手を攻める前に予め何時間もかけて、モンスターを数体召喚する。

 そんな奴らから見れば、俺は非常識な存在なのだろう。

「な、何を言っているんだ……!? お前には顕現待ちがないのか!?」

「自分の目で見た物も信じられないようじゃ、どうしようもないよな」

 俺は大きく息を吐き、そして、全ての感情を心の奥へと押し込めていく。
 
 なるべく何も感じないように。
 
 無感情を心がける。
 
 そうしないと、これからの戦闘で俺はどうにかなってしまうだろうから。

 そうして、呼吸が安定してきた俺は『邪神剣』に告げる。

「やってくれ」

 それと同時に、俺は敵の召喚術師に向かって、一直線に駆け出した。

「く、来るなぁ!」

 怯えた表情を浮かべる敵召喚術師の眼前に到達した瞬間、俺の支配された左手が一切の躊躇なく、敵の腹部を切り裂いた。

「うわああああああああああああっ!!!!!!」

 溢れ出た相手の血しぶきが俺の頬を汚した。

 だが、俺の踏み込みが甘かったせいか傷は浅く、敵魔術師は悲鳴を上げながら、流れ出す血液を両手で押さえて地面に転がる。

 俺の先制攻撃を受け、残りの文字召喚術師たちが明確に戦闘態勢に入った。
 その中の数人は手で大きく指を鳴らし叫ぶ。

「これ以上は看過できん! 我ら召喚宮殿所属文字召喚術師の力に圧倒されるがいい! 『遠隔召喚サモン』ッ!」

 すると、指から生じた音に反応して、敵の周囲に召喚モンスターが出現した。

 一人につき二体ずつ。鉄でできた大男のモンスターである。

 彼らは全員大剣や大槍を担いでいた。

 あの大剣と大槍には見覚えがある。

 峡谷で俺たちを襲ったモンスターたちの一部だと俺は直感的に理解した。

「『遠隔召喚』はすでに召喚済みのモンスターを術者の近くに引き寄せる、初級魔術の一種です! 気をつけてください、シュウトさま!」

 アンデッド軍団の中に紛れて、流れ弾から身を守ってもらっているレーナが俺に助言をくれる。

 なるほど、これは顕現待ちを克服するために有効な手段の一つだ。

 だが所詮、ここにいるのは数を召喚できない文字召喚術師ばかり。
 目の前の敵さえ倒してしまえば、次の弾はないはずだ。

「行くぞッ! 『邪神剣』!」

 俺は雄叫びを上げながら、敵モンスターの中に飛び込んでいく。

 鉄の大男が、大剣を大きく縦に振るう。

 俺はそれを間一髪のところで横にかわして懐に潜り込んだ。

 すぐさま俺の左手がしなって、大男の腹部を斜めに斬りつける。

 鉄さえ切り裂く闇の刃は、体勢を崩した大男の胸部を弾くように叩き、その衝撃で大男は後方に大きく倒れた。

 しかし今度は俺の背後から、別の鉄男が大槍で一突きにしようと迫る。

 俺の足が回避をしようとする前に、『邪神剣』が突き出された槍の先端を弾いて、槍は俺の身体から逸れた。

 そのまま、俺は大男に肩から体当たりをかまし、揺らいだ敵の身体を『邪神剣』が横薙ぎにする。

 激しい金属音と共に横転した大男は、その身体を発光させ、やがて存在ごと消滅する。

「な、なんなんだよ……その力……」

 恐怖に震える文字召喚術師の声が、俺の耳に届いた。

「そんなの、勝てるわけないだろ……! 反則だ、そんな剣ッ!! 俺たちが束になってもかなわない!!」

 まだ数体の召喚モンスターがいるにもかかわらず、戦意を失い、ほとんど泣きそうな召喚術師の姿が哀れに見えてくる。

 だが、彼らには現実が見えていないようだ。

 だから、俺は教えてやる。

「なあ、あんたら。忘れてるみたいだけどさ。敵は俺だけじゃないんだぞ?」

 そう言って、俺は背後を指さす。

 そこにいるのは、120体を超える俺の召喚モンスターたち。
 血に飢え、復讐の時を待つ獣たち。

『邪神剣』に気を取られて一瞬存在を忘れていたのか、その大軍を、自らの状況を、改めて認識した文字召喚術師たちは声にならない叫びを上げる。

「もういいぞ。みんな、やれ」

 敵から距離を取った俺が口にした合図。

 それを待ち望んでいたアンデッドの大群は、次の瞬間にはもうすでに敵召喚術師たちへと飛びかかっていて、俺が息を吐く間もなく、文字召喚術師は一人残らず床に伏したのだった。
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