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第57話 血の雨が降る。傷ついたのは誰だろうか。

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 勝敗が先に決まっている勝負ほど、面白くないものはない。
 
 俺はぼんやりとそんなことを考えていた。

 これがもし仕事で制作したゲームだったのなら、戦闘バランスが崩壊したクソゲーと言われることだろう。

 それでも今の状況は現実であり、そして俺には、絶対に勝たなければならない理由がある。

 だから、半ば恐怖の感情を顔に出しながらも命令に従い、襲い掛かってくる敵モンスターたちを斬り捨てることに躊躇はなかった。

 俺の頭上から接近する敵召喚モンスターたちは、これまでのモンスターとは違って普通の肉体を持っていた。

 二足、四足歩行が入り混じった獣たちの群れ。

 きっと、これらを全て殺してしまえば、血の雨が降る。

 だが、もう俺には時間がない。

 あと数秒と経たないうちに、敵モンスターが振りかざした鋭い爪は俺の喉元に到達するだろう。

『邪神剣』が動いた。

 相変わらず、目で追うことが不可能な太刀筋。

 刀身が一瞬だけ蠱惑的に輝いたのを辛うじて感じることだけが、俺にできる精一杯だった。

『邪神剣』は一番近くに迫っていた敵モンスターの胴体を確かに切り裂いた。

 皮が裂け、肉が裂け、鮮血が爆発したかのように広範囲に飛び散る。

 やめてくれ。

 そうやって誰にも聞こえない小さな音量で呟くのは、俺の心の奥深くにいる自分自身だ。

 対話を求め、平和を願い、全てを友好的に解決しようと努力していた自分。

 だが、現在の俺はかつての俺が嫌った修羅そのものだ。

 対話は通じず、ひたすら力によって物事を解決する。
 それは果たして、正しいことなのだろうか。

 二体、三体……十体――。

 俺の左手は襲いかかってきた頭上の全ての敵を蹴散らし、大広間の中央には敵モンスターの血の雨が注がれる。

 その中で、俺は吹き抜けの天井を見上げて、ただ呆然としていた。

 心が、壊れていく音がする。

 配下たちの怒号が響く。

 どうやら、ここにいる敵召喚モンスターたちは回廊で遭遇したモンスターよりも格上らしい。

 B級、C級の下級アンデッドたちが押さえ込まれ始めて、床に崩れる者も現れ始めた。

 俺は朦朧とした意識の中、大広間の段になった外周、そこを上る階段へと足をかけた。

 目の前には、怯えた様子の文字召喚術師たちが立っている。

 彼らは階段や各座席のある通路などで事の推移を見ていた。

 目の前の文字召喚術師を、俺は無感情で薙ぎ払う。

 痛みによって崩れ落ち、視界から消えた文字召喚術師が絶叫する。

「うるさい」

 俺は焦点の合わない視界のまま、足元の文字召喚術師を強く踏みつけた。

 そのまま全体重をかけて、その身体を乗り越える。

 その先にいた新しい文字召喚術師二人に狙いを定めた俺は、軽い駆け足でなんということもないように近寄っていき――。

 次の瞬間には、『邪神剣』が全てを終わらせていた。

 周囲に俺以外、立っている者はいない。

『邪神剣』は血塗れになり、俺の身体も気付けば返り血で酷いことになっていた。

 俺は知らぬ間に大広間の外周、一番上の段まで上りきっていた。
 
 振り返ると、大広間の中央で『邪神砲』が強烈な砲弾の一撃を放っており、宮殿の天井付近に大穴が開く。

 大量の瓦礫の破片が落下してきて、かなりの文字召喚術師が巻き込まれ、沈黙した。

 戦闘が長引くにつれ、その真価を発揮する『堕落した王冠』は、すでに敵の全ての攻撃パターンを見切ったらしく、ダメージを負ったB級、C級モンスターたちを背中で守りながら、残った敵召喚モンスターを無力化していく。

「一度『堕落した王冠』の部下に使用した攻撃は、全て無効になる」という能力を知らない敵側は、全くダメージの入らない『堕落した王冠』に怯え、その背後から『地獄射手』の矢をくらって、地に沈んでいった。

 大広間での戦闘は収束に向かっていた。
 
 床に倒れている文字召喚術師の数は、五十人ではきかない。

 かなりの戦力がこの場所に集結していたようだ。

 もう俺たちの行く手を阻む者はほとんどいないだろう。

 最後の敵モンスターが消滅して、大広間には再び静寂が戻った。

 そして一拍置いたのち、俺の召喚モンスターたちの歓声が上がる。

 そう、これでいいんだ。

 鈍く痛む俺の胸の奥のことは、今は忘れてしまおう。
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