上 下
56 / 86

第56話 たった一つの強欲

しおりを挟む
 その半球状の大広間は、中世の闘技場のような作りになっていた。

 広場の中心部分が一番低く、周囲を階段状にぐるりと座席が囲んでいる。

 天井は遥か高く、五階までの吹き抜けになっているようだ。

「ここは召喚宮殿の意思決定を行う場です。会議が行われる際は、ここにたくさんの文字召喚術師たちが集まりますし、会議がない時も中央の広場では盛んに情報交換がされています」

 アリカが大広間についての情報を教えてくれる。だが、彼女の説明と今の大広間の様子は合致しない。

 無音だった。

 何の音もしない。

 気配もない。

 誰も、いない。

 その異様な光景が、足を前に踏み出すことを許さない。
 
 確実に罠だ。それはどんな子供でもわかる。

「呆れるほどわかりやすい状況じゃの。こんな見え見えの罠なんぞ張るから、文字召喚術師は見下されるのじゃ」

 背後でオルビークが深くため息をつく。

 それから、彼女は俺に向かって言った。

「シュウト、この先の大広場には存在を消す初級魔術を使用して、大量の召喚モンスターが隠れておる。奴らは学習能力がないのう。今のシュウトに不意打ちなど効かんというのに。進軍には何の問題もない。恐れんでいい」

「よかった。なら、進もう」

「――じゃが」

 すぐに進軍を開始しようとする俺を止めるように、オルビークは苦い声色で言葉を続けた。

「今までとは桁違いの戦力数じゃ。さっきも言った通り、進軍にはなんら問題ない。でも、血の雨が降ることになるじゃろう――ダメージを受け続けているお主の精神がもつかどうかは、わからんぞ」

 彼女の言葉に、俺は目を見開く。

 俺の精神が摩耗していることは、誰にも悟られていないつもりだったのだ。

 だが、オルビークは俺の心の奥を全て見透かしていたらしい。

「え、えっと~、何の話をしてるんですか~?」

 近くにいたレーナはなんの話をしているのかわからないようで、しきりに首を傾げていた。
 
 俺は苦笑する。

 そして、真面目な表情を作って、オルビークの幼い顔を正面から見据える。

「心配してくれてありがとな、オルビーク。でも、大丈夫。俺は大丈夫だ。少なくとも、『地獄骸』を助けるまでは」

「べ、別に心配しているわけじゃないのじゃっ! わらわがシュウトのことをそんなに気遣うはずがないじゃろうっ」

 オルビークは照れたように、ふいっと顔を背ける。

 その頬はほんのり赤く染まっていた。

 みんな、俺を心配してくれている。
 でも、それでも、俺がここで立ち止まることは許されないのだ。

 俺を許さないのは、神でも運命でもない。

 紛れもない俺の心だ。

 仲間を失って傷ついた俺自身の心だ。

 だから、大きく震えている足を誰にも気づかないように、俺は一歩を踏み出した。

 敵の待ち受ける大広間へと進んでいく。

 距離を空けないように、レーナやアリカにオルビーク、アンデッドや召喚モンスターが追従してくる。

 大丈夫だ、大丈夫。俺は魔王なんだから。

 そう言い聞かせながら、重い一歩を踏み出していく。

 そして、大広間の中央まで辿り着いた時。

 無数の大剣や槍が頭上から降り注いだ。

 それはいつかの光景の再現だった。

 気配のないところから、無数の物量を使って押し潰す。それは彼らが用いる常套手段のようだ。

 俺の心は揺らぐ。

『地獄骸』を貫いたいくつもの剣を思い出して、憎悪と嫌悪が溢れ出す。

 なんだかよくわからないが、泣いてしまいそうだ。

 唇を噛んで、俺は涙を堪えた。

 大剣や槍が高速で眼前に迫る。

 頭上からの攻撃に加えて、大広間外周の全方位からの投擲が行われていた。

 しかし、俺はもうあの時と同じ手はくらわない。

『邪神剣』が見えない速度で風を切るように、激しく斬撃を繰り出す。

 左、右上、右横、左上、左右同時、上――。

 一瞬のうちに、俺に迫る全ての武器が吹き飛ばされ、あとに立っているのは、無傷の俺だけだった。

 周囲では、アンデッドたちも各自迎撃を行っていた。

「こんな手が二度も通用すると思ってるわけ?」

 ため息を大きくついて、周囲に手をかざしたのは『地獄射手』。

 吹き抜けになった天井部分に突如、巨大な闇が出現し、それは無数の矢に変化して、大剣や槍を地に落としていく。

「お~い! 弱い奴はこっち来い~~~」

『地獄暴食』は迎撃能力を持たない召喚モンスターたちを集め、自分の巨体で覆うようにかばっていた。

 他のアンデッドの能力で、武器が降り注ぐ背中は硬質化しており、何物も通す気配はない。

「ええい! まだ仕留められんのか! 直接攻撃を加えよ!」

 しわがれた声色、おそらく老齢の文字召喚術師によるその命令に従って、今度は姿を現した敵モンスターたちが頭上から一斉に襲いかかってきた。

 気配霧消の魔術は解除されたようで、周囲の高くなった段上に、ずらりと文字召喚術師の姿が出現する。

 ここが決め時だ。
 
 俺は『邪神剣』を構え、敵の殲滅を願うのみ。

 たとえ、俺のたった一つの強欲が敵の全てを奪おうと、俺は進むしかないのだ。
しおりを挟む

処理中です...