この度、仮面夫婦の妊婦妻になりまして。

天織 みお

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後編

脆い幸せ。(ローデリヒ過去)

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「お庭の薔薇がそろそろ咲く頃ねえ……。アロイスが産まれたのもこんな時期だったのよ」

 少女のような頼りなさを残したままの母親は、

「……母上、僕の誕生日は秋の初めです」

 少々、おかしかった。

 ――十三年前、キルシュライト王国首都キルシュ。

 王城の賑わいとはかけ離れた場所にある後宮。そこでもひっそりと建っている後宮の一角、ローデリヒとべティーナは向かい合ってお茶を楽しんでいた。

 葉が青々と茂る季節。薔薇の花の蕾に囲まれた庭園は、静かに彼らを包んでいた。
 べティーナはふわふわとしたように首を傾げる。

「薔薇の蕾を見ながら考えていたのよ。男の子が産まれたら、名前はアロイスにしようって」
「……そうですか」

 いつもと同じだ、とローデリヒは慣れきったやり取りに半ば面倒くさくなりながらティーカップに手を付ける。

「……っ」

 陶器のカップが手のひらに当たって、ローデリヒは顔を歪めた。手を開くと出来ていたマメが潰れている。まだ子供らしい形の手だが、皮膚は硬くなっていた。

 小さい頃からかなりの負けず嫌いだったローデリヒの努力の証だった。本人はまだまだだと思っているが。

「あら?怪我でもしたの?見せて?」

 優しい声音でべティーナは手を差し出してくる。おずおずとその手の上に自身の手を広げて見せると、べティーナはびっくりしたように目を見開いた。

「まあ!大変。痛そうだわ!」

 手早く近くに居た侍女に応急処置の道具を持ってこさせ、ローデリヒの手を消毒し、ガーゼで固定した。痛々しそうにローデリヒの手を見るべティーナに、ローデリヒも気まずい気分になる。

「あんまり無理しちゃ駄目よ」
「……はい」
「よし。良い子」

 殊勝に頷く子供の頭をべティーナが撫でると、ローデリヒはようやく笑顔を浮かべた。

「おや?二人共どうしたんだ?」
「ディートヘルム様」
「父上」

 月光のような金髪。海色の瞳の男が、堅苦しい服の襟元を緩めながらべティーナとローデリヒに近づいてくる。二十代半ばの男を二人は立ち上がって迎えた。

 この国で一番尊い人物を迎える為、礼をする使用人達に慣れたように男は軽く手を振って面を上げさせる。そんな男に畏怖する事無く、べティーナは返事をした。

「アロイスが手を怪我していたんですよ」
「そうなのか?見せてみろ」

 ローデリヒが国王に手当して貰った手を見せる。二回り近く小さな手を怪我に響かないように軽く握る。

「近衛騎士団長から聞いているぞ。あまり無理はするな」
「アロイスはそんなに無理をしているの?」
「ああ。大人の騎士に勝つまで諦めないって困り果てていた」
「あら、まあ」

 眉を下げたべティーナ。ローデリヒはむくれたようにやや口を尖らせた。

「悔しかったので……」

 そんな可愛らしい我が子の反応に、国王は苦笑いをする。

「まあ、まだ体が出来てないから仕方ない。……それと、べティーナ。今日は体の調子は良いのか?」
「はい。今日は元気なの」

 べティーナは儚げな微笑みを浮かべて、首を縦にゆっくりと振った。彼女は一応貴族の縁者とはいえ、ほとんど平民のように暮らしてきた。

 本流の貴族のような魔力量は持っておらず、妊娠時にかなり体に負担を掛けてしまっている。それはローデリヒが六歳になった今でも治っていない。
 おそらくは一生良くなる事は無いだろう、というのが宮廷医の見立てだ。

 そんな彼女から産まれた子供も虚弱体質で、まともな魔法の才能も無いだろうと言われてきたらしい。
 しかし、幸いな事にローデリヒ自身は健康体であり、かなり魔力を持っている可能性があると言われている。

 母の為だった。
 まだ出来ない魔法の練習の代わりに、剣を取ったのは。
 一度後宮から出ればべティーナへの風当たりが強いことを知っていたから。

 負けないようにしなければならないと思っていた。ローデリヒの母親が平民だからという理由で、能力が低いなんて言われたくはなかった。

 現国王は剣の天才だ。だからその血を受け継いでいるローデリヒは、剣が上手になる可能性は充分にあった。だから剣を選んだ。弓でも、槍でもなく。

 自分が国王の息子に相応しいと認めさせたかった。

 〝陛下はべティーナ様の子供を王位につける気はないと仰っていた〟なんて声を、どうしても撤回させたくて。

 王位につきたい訳ではない。ただ、己の母親が平民だからといって、差をつけられたくなかった。

「それは良かった」

 ローデリヒの内心など知らず、国王はホッとしたようにべティーナに笑いかける。ここ最近特に寝込みがちのべティーナの事は、誰も彼もが心配している。侍女もハラハラとしていた。

「ディートヘルム様。見てください。だいぶお庭の薔薇の蕾が膨らんできたんです」
「ああ……。もうすぐ咲きそうだな」

 眩しいものでも見るように国王が庭に目を向ける。そして、ローデリヒに同意を求めるように「なあ?」と話しかけた。

「はい……」
「はは。興味無さそうだな」

 花よりも動き回りたい年頃のローデリヒの反応に、国王は軽く笑った。ローデリヒの脇に手を入れて軽々と抱き上げる。

「ちょ、父上っ?!」
「また大きくなったんじゃないか?」
「恥ずかしいです!やめてください!!」

 腕を突っ張って抵抗するローデリヒをものともせず、国王は宥めるように背中を軽く叩く。べティーナも「そうですねえ」とのんびりと笑う。

「アロイスは産まれた時はとっても小さかったのよねえ」
「ああ。赤ん坊なんて見る機会がなかったからな。こんなに小さいものかと驚いたが、健康で育ってくれてよかった」
「ええ。アロイスが産まれる時、窓の外に見える薔薇の蕾が咲くのを見れるのかな、なんて思ったわ」
「べティーナはよく頑張ったよ」

 片腕でローデリヒを抱き上げながら、もう片方の腕でべティーナの腰を抱く。べティーナも国王に身を寄せて、ローデリヒの頭を撫でた。

「そういえば、アロイスがもうすぐ誕生日よ。だから、何かプレゼントをあげたいと思っているの」
「そうだな」
「父上、母上……。僕の誕生日はまだ先です」

 抗議する目をローデリヒが二人へ向ける。

「王子の誕生日だ。今から準備してもおかしくはないだろう?何が欲しい?」

 ローデリヒはしばし沈黙した。特に思いつく欲しいものはない。欲しいものは欲しい時に全て貰える。

「まあ、じっくり考えておきなさい」

 ローデリヒの悩みを感じ取った国王は笑いながら、彼を腕から降ろす。六歳になって抱き上げられていたローデリヒは、恥ずかしそうにやや頬を染めながら大人しく返事をした。

 周囲の風当たりこそはキツいが、まだ三人の間には穏やかな空気が流れていた。

 公務で忙しい父。病弱で後宮から外へは出ない母。
 そして、負けず嫌いでまだまだ子供のローデリヒ。
 時々べティーナが体調を崩して心配する日々。それが彼らにとっては大事件だった。

 ――ローデリヒが、毒を盛られるまでは。
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