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後編
人の形。(ローデリヒ過去)
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「母上!今日は近衛の団長に体術を教えてもらっていました。難しいです」
「頑張っているのね」
夕食の為にテーブルにつきながら、ローデリヒは嬉々とした表情で母親に今日の出来事を報告する。
「はい!」
「アロイスはすごいわ」
なんでも褒めてくれる母親に聞いて欲しくて、やや身を乗り出し気味にローデリヒは口を開く。
その頃には後宮ではなく、王城に一室を与えられていた。男子禁制の後宮に男の家庭教師は呼べない。
王子として決められている分の勉強分を終わらせ、後宮に通って今日の出来事を母親に語っていた。後宮に近い位置にわざわざ部屋を貰ったお陰もある。
流石に料理が運ばれてきた頃には居住まいを正したローデリヒだったが、運動をしてきた成長期の子供だ。お腹が減っていて、そちらに気を取られる。
べティーナもその様子に口を緩める。
簡単に祈りを捧げてから、一気に運ばれてきた料理に手を付ける。サラダから食べ始めたべティーナとは対照的に、子供らしく野菜が苦手だったローデリヒは、肉がゴロゴロ入っているシチューへと意識を向けた。
「ディートヘルム様からもアロイスについて聞いているわ。お勉強も頑張っているのね」
「はい」
スプーンを口に運びながら、べティーナの話もそこそこに食べる事に集中する。大きな具材をモグ……と頬張っていた。
急にローデリヒの腹が熱を持つ。体が勝手にえづいて、慌ててローデリヒは顔を背けて口元を手で覆う。
「アロイス?!」
無理矢理口の中にあったものを飲み込んで、ローデリヒは一息ついた。ローデリヒの異変を感じ取ったべティーナが駆け寄って、顔を覗き込んだ。
大丈夫だと、言おうとした。相変わらず腹は熱を持っている。息が詰まった。胃がしゃくり上げるように動く。
「ゲホ……ッ」
無意識に覆った口元からは、鈍い音と共に赤い液体が滴り落ちる。呆然と手のひらを見るとベッタリとついている。
すぐ側で甲高い悲鳴が上がった。周囲がバタバタと慌ただしくなる。まだ腹が熱い。腹部の服を、指が白くなるまで握り締める。
「……い、……た……」
熱い。息がしづらい。苦しかった。
そこからはあまり覚えていない。いつの間にか医務室に運ばれていて、眠っていた。
目を覚ました時、ローデリヒの傍には偶然誰にもいなかった。
部屋の外で何やら言い争いをしているから、先程までは居たのかもしれない。声を出して呼ぼうとしたが、聞こえてきた母親の叫びに口を閉じた。
「ディートヘルム様!アロイスは死にかけたんですよ?!どうしてそんな事をするんですか?!」
珍しい、と思った。
基本的に母親が声を荒らげる所なんて見たことがなかったから。
「もう死にかけるような事がない為だ。我が子には無事で居て欲しいからに決まっている」
対する父親は静かに説得する。
「だからといって、毒に慣れさせるなんて……っ!アロイスの王子位を返上させてください!」
「無理だ。唯一の王子を失う訳にはいかない」
「駄目です!あの子はまだまだ小さいんですよ!」
思ったより近くにいるらしく、断片的だが話の内容が聞こえてくる。だがそれに集中するよりも、体が重くて引きずり込まれるように睡魔が襲ってきた。
「確かにまだ若いが……、早いか遅いかの問題だ」
「お願いします……っ!アロイスは……っ、あの子は、体が……っ!」
「べティーナ、今は大病も風邪も引いていないだろう?」
宥めるように話している父親だったが、それでも母親は取り乱したままだった。甲高い声が響いてくる。
「いいえ、いいえ……っ!そんなの安心出来ないわ……!だって、アロイスは産まれた時――
人の形をしていなかったんだもの……っ!」
閉じかけていた瞳を思わず開けた。ローデリヒは反射的に自身の手を見つめるが、他の人間と変わっている様子はない。だが、自分の体は思うように動かない。
激しい運動をした後よりも体は重かった。
未だに両親は言い争いをしている。いや、母親がヒートアップしているのか。
どういう事かと聞きたくて、頑張って目を開いていたはずなのに、ローデリヒはいつの間にか眠りに落ちてしまっていた。
次に瞼を開けた時、母親が心配そうに見下ろしていた。ローデリヒと視線が合うなり、パッと表情を明るくする。
「アロイス……っ!お父さん……!アロイスが目を覚ました……!」
べティーナに呼ばれ、ジギスムントがローデリヒを診察していく。脈を測られたりした後に、ジギスムントは小さく息を吐いた。
「だいぶ回復されましたね。胃と食道、喉を痛めておられるので、しばしの間声は出しにくいかもしれませんが、もう命の危険はありませんよ」
「よかった……」
胸をなでおろした母親に、眠る前の出来事を聞きたかったが、上手く声が出せなかったので諦めた。
また後で聞けるか、と思っていたから。
まるであの事が夢だったのではないかと思うくらい、何事もなかった。母親がびっくりする程過保護になった以外は。
騎士団に武術を練習するのにも渋るようになってしまった。危ないから、の一点張り。流石に心配は掛けたくない、とべティーナの前では騎士団についての話題は出さなかった。だけど、動き回りたいローデリヒはこっそり騎士団に行っていた。
人の形をしていなかった、その言葉が妙に気になってしまったが、鏡に映る己の姿はどこもおかしい事なんてない。まず人の形をしていないというのは、どういう状況なのか。
だから、声が再び出るようになる頃には、ローデリヒはすっかり忘れてしまっていた。
それからしばらくしてからだった。
「ローデリヒ、お前を毒に慣らそうと思う」
そう、父親に言われたのは。
「毒……」
「本当はもう少し大人になってからにしようと思っていたのだが、こんな事が起こった以上、お前の命を守る為に必要だ」
「はい……」
嫌だなあ、と思った。が、父親も通った道だと言われると、極度の負けず嫌いのローデリヒは逃げなかった。
だが、その出来事が父親と母親の仲を修復不可能にしてしまった。
今まで一緒にお茶をする事もあった。だが、父親が母親の元にくる回数が目に見えて減った。
そして、父親が母親の元に来ても、母親は父親に冷たく当たるようになった。目に見えてギスギスしているのはローデリヒでも丸分かり。
これ以上ローデリヒの事で仲が悪くなって欲しくなくて、母親に必死に「大丈夫だ」と説得した。だが、母親はローデリヒを憐れむばかり。
確かに毒を体に慣らすのは大変だったが、成人前の王族でも耐えられるようにされているもの。思っていたよりも過酷ではなかった。
大丈夫なのに、母親はローデリヒの事に関しては過保護だ。前までマメを潰すと手当てしてくれていたのに、毒で生死をさまよってからは小さなかすり傷だけで大騒ぎするようになった。
「アロイス。剣を握るなんて危ないことはしないで、貴方は私の傍にいて」
それだけ心配を掛けてしまったのだろう。だが、次第に後宮からも中々出してもらえなくなったローデリヒにもストレスが溜まってしまった。
「母上、僕は大丈夫です。だって、父上もやっていた事です!」
「貴方はディートヘルム様と違うの」
「……っ、どうして!」
「貴方は体が他の人よりもだいぶ弱いのよ?!」
眉間に皺を寄せて、険しい顔をする母親にやや気圧された。しかし、ローデリヒには納得出来なかった。
「僕は風邪もほとんど引いたことがありません!」
むしろ他の人よりも体は丈夫だという自信があったから。周りで季節風邪にかかる人が多くても、ローデリヒはピンピンとしていた。よく寝込むべティーナを見ている事も相まって、自身が体が弱いと思ったことはない。
「駄目よ!貴方は産まれた時、人の形をしていなかったんだもの……!無理をしてはいけないわ……!」
ローデリヒは息を飲んだ。意識朦朧としていた時に言い争っていた事は、本当だったのだと知った。
「……人の形をしていないって、どういう……?」
「頑張っているのね」
夕食の為にテーブルにつきながら、ローデリヒは嬉々とした表情で母親に今日の出来事を報告する。
「はい!」
「アロイスはすごいわ」
なんでも褒めてくれる母親に聞いて欲しくて、やや身を乗り出し気味にローデリヒは口を開く。
その頃には後宮ではなく、王城に一室を与えられていた。男子禁制の後宮に男の家庭教師は呼べない。
王子として決められている分の勉強分を終わらせ、後宮に通って今日の出来事を母親に語っていた。後宮に近い位置にわざわざ部屋を貰ったお陰もある。
流石に料理が運ばれてきた頃には居住まいを正したローデリヒだったが、運動をしてきた成長期の子供だ。お腹が減っていて、そちらに気を取られる。
べティーナもその様子に口を緩める。
簡単に祈りを捧げてから、一気に運ばれてきた料理に手を付ける。サラダから食べ始めたべティーナとは対照的に、子供らしく野菜が苦手だったローデリヒは、肉がゴロゴロ入っているシチューへと意識を向けた。
「ディートヘルム様からもアロイスについて聞いているわ。お勉強も頑張っているのね」
「はい」
スプーンを口に運びながら、べティーナの話もそこそこに食べる事に集中する。大きな具材をモグ……と頬張っていた。
急にローデリヒの腹が熱を持つ。体が勝手にえづいて、慌ててローデリヒは顔を背けて口元を手で覆う。
「アロイス?!」
無理矢理口の中にあったものを飲み込んで、ローデリヒは一息ついた。ローデリヒの異変を感じ取ったべティーナが駆け寄って、顔を覗き込んだ。
大丈夫だと、言おうとした。相変わらず腹は熱を持っている。息が詰まった。胃がしゃくり上げるように動く。
「ゲホ……ッ」
無意識に覆った口元からは、鈍い音と共に赤い液体が滴り落ちる。呆然と手のひらを見るとベッタリとついている。
すぐ側で甲高い悲鳴が上がった。周囲がバタバタと慌ただしくなる。まだ腹が熱い。腹部の服を、指が白くなるまで握り締める。
「……い、……た……」
熱い。息がしづらい。苦しかった。
そこからはあまり覚えていない。いつの間にか医務室に運ばれていて、眠っていた。
目を覚ました時、ローデリヒの傍には偶然誰にもいなかった。
部屋の外で何やら言い争いをしているから、先程までは居たのかもしれない。声を出して呼ぼうとしたが、聞こえてきた母親の叫びに口を閉じた。
「ディートヘルム様!アロイスは死にかけたんですよ?!どうしてそんな事をするんですか?!」
珍しい、と思った。
基本的に母親が声を荒らげる所なんて見たことがなかったから。
「もう死にかけるような事がない為だ。我が子には無事で居て欲しいからに決まっている」
対する父親は静かに説得する。
「だからといって、毒に慣れさせるなんて……っ!アロイスの王子位を返上させてください!」
「無理だ。唯一の王子を失う訳にはいかない」
「駄目です!あの子はまだまだ小さいんですよ!」
思ったより近くにいるらしく、断片的だが話の内容が聞こえてくる。だがそれに集中するよりも、体が重くて引きずり込まれるように睡魔が襲ってきた。
「確かにまだ若いが……、早いか遅いかの問題だ」
「お願いします……っ!アロイスは……っ、あの子は、体が……っ!」
「べティーナ、今は大病も風邪も引いていないだろう?」
宥めるように話している父親だったが、それでも母親は取り乱したままだった。甲高い声が響いてくる。
「いいえ、いいえ……っ!そんなの安心出来ないわ……!だって、アロイスは産まれた時――
人の形をしていなかったんだもの……っ!」
閉じかけていた瞳を思わず開けた。ローデリヒは反射的に自身の手を見つめるが、他の人間と変わっている様子はない。だが、自分の体は思うように動かない。
激しい運動をした後よりも体は重かった。
未だに両親は言い争いをしている。いや、母親がヒートアップしているのか。
どういう事かと聞きたくて、頑張って目を開いていたはずなのに、ローデリヒはいつの間にか眠りに落ちてしまっていた。
次に瞼を開けた時、母親が心配そうに見下ろしていた。ローデリヒと視線が合うなり、パッと表情を明るくする。
「アロイス……っ!お父さん……!アロイスが目を覚ました……!」
べティーナに呼ばれ、ジギスムントがローデリヒを診察していく。脈を測られたりした後に、ジギスムントは小さく息を吐いた。
「だいぶ回復されましたね。胃と食道、喉を痛めておられるので、しばしの間声は出しにくいかもしれませんが、もう命の危険はありませんよ」
「よかった……」
胸をなでおろした母親に、眠る前の出来事を聞きたかったが、上手く声が出せなかったので諦めた。
また後で聞けるか、と思っていたから。
まるであの事が夢だったのではないかと思うくらい、何事もなかった。母親がびっくりする程過保護になった以外は。
騎士団に武術を練習するのにも渋るようになってしまった。危ないから、の一点張り。流石に心配は掛けたくない、とべティーナの前では騎士団についての話題は出さなかった。だけど、動き回りたいローデリヒはこっそり騎士団に行っていた。
人の形をしていなかった、その言葉が妙に気になってしまったが、鏡に映る己の姿はどこもおかしい事なんてない。まず人の形をしていないというのは、どういう状況なのか。
だから、声が再び出るようになる頃には、ローデリヒはすっかり忘れてしまっていた。
それからしばらくしてからだった。
「ローデリヒ、お前を毒に慣らそうと思う」
そう、父親に言われたのは。
「毒……」
「本当はもう少し大人になってからにしようと思っていたのだが、こんな事が起こった以上、お前の命を守る為に必要だ」
「はい……」
嫌だなあ、と思った。が、父親も通った道だと言われると、極度の負けず嫌いのローデリヒは逃げなかった。
だが、その出来事が父親と母親の仲を修復不可能にしてしまった。
今まで一緒にお茶をする事もあった。だが、父親が母親の元にくる回数が目に見えて減った。
そして、父親が母親の元に来ても、母親は父親に冷たく当たるようになった。目に見えてギスギスしているのはローデリヒでも丸分かり。
これ以上ローデリヒの事で仲が悪くなって欲しくなくて、母親に必死に「大丈夫だ」と説得した。だが、母親はローデリヒを憐れむばかり。
確かに毒を体に慣らすのは大変だったが、成人前の王族でも耐えられるようにされているもの。思っていたよりも過酷ではなかった。
大丈夫なのに、母親はローデリヒの事に関しては過保護だ。前までマメを潰すと手当てしてくれていたのに、毒で生死をさまよってからは小さなかすり傷だけで大騒ぎするようになった。
「アロイス。剣を握るなんて危ないことはしないで、貴方は私の傍にいて」
それだけ心配を掛けてしまったのだろう。だが、次第に後宮からも中々出してもらえなくなったローデリヒにもストレスが溜まってしまった。
「母上、僕は大丈夫です。だって、父上もやっていた事です!」
「貴方はディートヘルム様と違うの」
「……っ、どうして!」
「貴方は体が他の人よりもだいぶ弱いのよ?!」
眉間に皺を寄せて、険しい顔をする母親にやや気圧された。しかし、ローデリヒには納得出来なかった。
「僕は風邪もほとんど引いたことがありません!」
むしろ他の人よりも体は丈夫だという自信があったから。周りで季節風邪にかかる人が多くても、ローデリヒはピンピンとしていた。よく寝込むべティーナを見ている事も相まって、自身が体が弱いと思ったことはない。
「駄目よ!貴方は産まれた時、人の形をしていなかったんだもの……!無理をしてはいけないわ……!」
ローデリヒは息を飲んだ。意識朦朧としていた時に言い争っていた事は、本当だったのだと知った。
「……人の形をしていないって、どういう……?」
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