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始まり

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20××年 6月 ×日 雨
「ヒロキ。俺、人を殺した。」
僕が塾に行くのを止めるように、ずぶ濡れになって僕の家の前に立っているコウスケ。その顔は決意したようなもので、高校生の顔つきではなかった。ザー。とあたり一面に響く雨の音。僕は少し恐怖を覚えた。
「殺したのは、俺をいつも虐めてくるあいつ。」
コウスケがぽつりぽつりとつぶやいていく。
「もう嫌になったんだ。イライラして気づいたら殺してた。俺は、もうここにはいられない。どっか遠いとおい所で皆が知らないところで死んで来るよ。」
そう言い放ったコウスケ。僕は、漠然とコウスケを見た。コウスケは僕が見ていることを知らないように、僕の家の前から立ち去っていく。僕は・・・。いや、僕ではない何かが、立ち去っていくコウスケを引き留めるように
「待って、僕も一緒に行く。」
と言った。コウスケが立ち止まった。
「今日夜9時に、俺はお前の家の前を通る。」
こちらを見ずに言うと、また歩き始めた。どんな表情をしているのか気になった。雨は何かの合図だったかのように止んでいった。
僕はドアを開け部屋に戻るため階段を駆け上がっていた。

「塾に行くんじゃなかったの?」
母が言った。
「今日はいかない。」
母が今どんな顔をしているのか分かる。だから、僕は母の顔を見なかった。
「ねえ、何で行かないの?私を困らせる気?行くって言ったよね?私の気持ちで遊んで、笑っているんでしょ?自習でも行くって約束したよね?ね?ね?ね?ヒロキ?私の言ったことわからないの?ねぇ?」
昔からそうだ。僕は今の再婚相手との子供ではない。母が昔、結婚していた男との間にできた子供。男のDVが原因で離婚した。その男に僕が似ているらしいのだ。
「聞いてるの?」
母がこちらに向かってくる。僕は手を握りしめた。

僕は何も言わず、階段を駆け上がり、自分の部屋に戻って行った。ドアを閉め鍵をかけ、リュックを放り投げて、ベッドに飛び込んで仰向けになった。母の声は、聞こえなかった。耳が拒んだのかもしれない。リュックからは今日行くはずだった塾の教材が飛び出していた。
『今日夜9時、俺はお前の家の前を通る。』
コウスケの後ろ姿と声が頭の中によぎった。(気づいたら言ってた。一緒に行くって。どうしよう。)
「あ~!もういいや!行く準備をしよう!」
そう言い僕は立ち上がった。塾に持っていく教材をリュック逆さまにして全部出した。リュックを空っぽにして準備を始めた。財布、コウスケと遊ぶためのゲーム、用意をしていると、本棚に飾ってあった家族の写真が目に入った。
「もうどうでもいいや。」
僕はライターを手に持つ。カチッカチッ。写真を燃やした。写真だけではない。日記も。メラメラと写真の中の僕が消えていった。

その時の僕は、そんな大きな冒険ではないと思っていたのでほとんど何も持って行かなかった。

もう何もいらない。ただ、今から始まる、人殺しをしたというコウスケと、ココにいてはいけないダメ人間の僕の、小さなちいさな冒険を試したいんだ。

僕は明日までの学校の課題を終わらせた。
もう9時になる。

この先どんな運命になるかは、誰も分からない。知らない。

思い出を消したライターをリュックに入れ背中に背負って階段を下りた。
真っ暗なリビング。母は夜のパートだろう。父もどうせ仕事だろう。靴を履き、膝を手で覆って立ち上がった。
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