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第52話ラクシャサ

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 念力サイキックで飛ばした投擲武器が粉砕される。
 何度も磨き、軽く触れただけでも指を斬り落とす切れ味を持つ刃が手刀で粉々にされていく様子を見て流石に結城も顔を顰めた。
 あれ1つに50万も払ったのだ。
 購入した後、懐が寂しくなったことを思えば何も感じるなと言うのが無理な話だ。

「————ッ」

 大きく後退し、吸血鬼のかかと落としを回避。
 次の瞬間、まるでミサイルでも落ちたかのような破壊音が響いた。床が破壊され、1層の天上に穴を開ける。

「(とんでもない威力。一発でも喰らったらアウトね)」

 今の自分では一撃を受け止めることもできない。
 幸い念力での移動は体力をあまり使わずに高速で出来るため、回避できている。このまま回避に徹すれば十分に時間は稼げるだろう。
 だが、結城はそれで終えるつもりはない。

「チョロチョロと——いい加減に死ね!!」
「私が死なないのはお前が私より劣ってるからだろ。もう少し頑張ったらどう?」

 結城の挑発に吸血鬼は顔を真っ赤にする。
 自分よりも劣っている者に馬鹿にされることは許しておけないたちなのだろう。
 やりやすい、と結城はほくそ笑んだ。

「どうしたの? ほら、自慢の力はその程度?」
「舐めるなよ。人間ッ——貴様を殺すことなど造作もない!!」
「その割には、私はかなり余裕を持ってるけど?」

 面白い程挑発に乗る吸血鬼。それを見て更に結城は煽っていく。だが、余裕という訳ではない。表情を取り繕ってはいるものの内心は吸血鬼の猛攻に冷や汗を流していた。

 瞬きする間も惜しい。呼吸すら意識して行わないと忘れてしまう。
 けれど、これでも相手が冷静であった時よりもマシだ。
 怒りに身を任せた単調な攻撃は対処しやすいもの。だからこそ、結城は相手が頭に血を昇らせている間に片付けようとしていた。

「曲がれ」

 駆け出そうとしている吸血鬼の右足を念力で捻じ曲げる。
 常人ならざる筋力を以て抵抗されたため、薄皮1枚しか剥げなかったが、それでも相手の意識を下に持って行くことは出来た。

「——ハッ!!」

 瞬時に距離を詰め、相手の顎を蹴り上げる。
 遠距離から超近距離戦へ。
 今まで遠くから突っつくように攻撃してこなかった人間が距離を詰め、自分の顎を蹴り上げたことに吸血鬼は目を見開き、屈辱に顔を歪める。
 吸血鬼にとっては近づいてやったんだからさっさとやってみろと言われているも同然だった。
 歯を軋ませ、怒りに任せた大振りの一撃。
 直ぐに察することが出来た結城はもう一度距離を取り、紙一重でそれを躱す。

「(ギリッギリ!! 危なかったッ)」

 もう一撃加えなかったが、その一撃を欲張っていたら先程の一撃は躱せなかっただろう。
 これまで以上に危険な状態になった結城は思わず冷や汗を流す。それを隠すために結城は挑発を口にした。

「近づいたのにまた逃げれちゃった。もしかして、近距離戦は苦手?」
「女ァッ——調子に乗るのも大概にしろよッ」

 怨嗟の声を漏らし、怒りで全身の筋肉を強張らせる。
 巨大な威圧が結城を襲うが、当の本人は涼しい顔を取り繕った。
 動じない結城に吸血鬼は異能の使用を決断する。
 赤い瞳が揺らいだ。

 異能は吸血鬼の中でも純潔と呼ばれる者。生まれながらの吸血鬼しか持っていない力だ。下級の吸血鬼は言わずもがな、人間から吸血鬼になった安満地なども持ってはいなかった。
 異能の力は吸血鬼によって違う。
 外皮を固くしたり、現象を操ったり、自らの体を分けて同等の眷属を作り出したりと様々だ。そして、この吸血鬼の力は精神操作。
 目を合わせた相手の心を掌握し、壊すことは勿論、操ることだってできる異能。
 前の人間と同じく操る。その後、心を壊し、仲間を殺させる。
 これまで受けた屈辱を返そうと結城の精神へと潜り込もうとする。
 だが————。

「何だと?」

 視線を逸らし、異能に掛かる条件から逃れた結城を見て吸血鬼は声を漏らした。

「(まさか、知っているのか? この俺の異能に掛かる条件を!?)」
「(その通りだよッ)」

 驚愕を浮かべる吸血鬼に結城はお返しとばかりに瓦礫の流星群を降らせる。
 それらをいなしながら吸血鬼は再び異能を発動する。そして、手応えの無さに確信した。この女は、異能に掛かる条件を知っているのだと。

 ——精神操作、精神暴走。暗示。精神に働きかける異能は決まって条件がある。その条件とは、対象と目を合わせる必要があるということだ。

「(ありがとうございます。恭也さん)」

 レジスタンスに入る前、自分を育ててくれた恩人に胸の内で感謝を告げる。
 魔眼——精神操作を始めとする人を操る異能や視界に入れるだけでも効果を発揮する異能の総称。
 魔眼を使用する際、どうしても目と目を合わせる必要がある。だからこそ、意識するあまり、目線を合わせるように戦いの中でも仕草で誘導をする。
 そう教えられていなければ、結城は目の前の吸血鬼が魔眼持ちだと判断せずに簡単に術中に嵌っただろう。
 だが、結城は既に相手を警戒している。その知識を結城は持っている。幼い頃からその異能の力を見続けてきた結城は対処法を心得ていた。
 目を合わせる。つまりは目から発せられる光信号。
 頭部を視界に入れずに、手足の動きだけで判断する。光を防ぐために遮光眼鏡を掛ける。対策はいくらでもできた。


 一方吸血鬼は更に怒りを募らせる。
 自分の異能で操ることが出来ない。自分の思い通りにならないことに怒りの炎を大きくし、動きを荒くした。

 結城が前に出る。狙うのは足、と見せかけて首だ。
 念力で体を捩じ切ろうとしても筋力に負ける。ならば他の箇所を狙い、そちらに意識を持って行かれている内に首を落とすまで。
 上空に隠していた投擲武器で吸血鬼の首に狙いを定める。
 自分1人で戦果を挙げるためにも、動作が大きくなり、隙を晒した瞬間を見逃すことは出来なかった。

「(この程度、乗り越えて見せるッ)」

 中級の吸血鬼が1体。だからどうした。
 あれはただの通過点に過ぎない。強い奴らはまだまだそこら中にいる。1体に手間取っている訳にはいかない。
 安満地との戦いは何もできなかった。
 粘質な視線や狂った思考に恐怖を覚えた。未熟だ。何もかもが未熟だった。
 一緒に戦えると思ってここに来た。なのに配属されたのは本部ではなく支部。
 それを悲観的には捉えたことはない。むしろ、自分は弱いからここに異動命令が下ったのだと考えていた。
 当然だ。他の異能持ちは中級などには手こずることはない。全員が鼻歌交じりに退治してのけるだろう。
 異能持ちの中で、自分だけが中級も倒せない落ちこぼれ。
 それが結城の自分自身の評価だった。

「(だから、お前程度——私1人で)」

 人間を操る異能持ちと当たれば対処法を知らない北條は直ぐに術中に嵌ってしまう。それを防ぐために援護を断った。
 一番強い者が時間を稼いだ方が全員が生き延びる可能性が高まる。
 全て言い訳だ。
 結城が北條の援護を断った最大の理由。それはたった1人で吸血鬼を倒せると証明するためだ。
 極めて個人的な、自己中心的な理由を口にしても北條は納得しない。だから、建前を口にしただけ。
 粉塵の向こうから飛んできた瓦礫を障壁で防ぐ。
 反応が遅い。体が脆い。逃げ回るしか出来ていない。
 頭の中で力の無さを嘆く自分がいた。でももう違う。これを倒せばきっと自分にだって——。
 その欲が相対する吸血鬼の表情が変えたことに結城は気付かなかった。




 ——ラクシャサ。
 人の心を惑わし、操る異能を持つ吸血鬼。それがこの吸血鬼の名前だった。
 保有する異能は記憶改竄の魔眼。そして、心読。
 尤もそれは副産物だ。
 敵の心に深く潜り込むことを続けている内にいつしか、僅かな表情の変化で、体の動きで、心拍数で、流れる汗でそれらを声として読み取れるようになっただけのこと。本当に声が聞こえる訳ではない。
 だが、その的中率は凄まじい。
 表情を取り繕っている者を看破し、地獄に落とした。冷静ぶっている人間の秘密を暴き、心を壊したこともある。

 結城の欲が深く潜り込まなければ聞こえなかったこと、怒りによってそれどころではなかったことが重なり、これまでラクシャサに声は聞こえなかった。
 だが、結城は最後の最後で声を漏らしてしまった。
 自分自身が塞いできた過去に、思い出したくもない出来事に。救済という大義名分のもとに正当化された所業から逃れるために。

「楽しい楽しい時間の始まりだ」

 そこにいたのはもう怒りに捉われた吸血鬼ではない。
 娯楽に飢え、気分で全てを壊す怪物がいた。
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