上 下
75 / 77

第75話愉しむもの、怒るもの

しおりを挟む
 地獄壺。いや、もう地獄壺跡地と言った方が正しい。
 ミサイルすら跳ね返す瞬間衝撃吸収壁もペナンガランの熱閃によって細切れにされ、瓦礫の山になった監獄。
 無人機ドローンによる爆撃、下級吸血鬼の大量出現などが嘘だったかのように、静寂に満ちていた。

「恭也さーん!!」

 その場で大声を張り上げるのは結城えり。
 囚人達を避難させ、地獄壺の周囲にいたレジスタンスに預けると彼女はすぐに地獄壺に引き返していた。
 尤も、彼女が辿り着いた時には既に時遅し。地獄壺は崩壊しており、戦いが終わった後だった。

「恭也さーん!!」

 結城が声を張り上げる。
 まだ潜んでいる敵がいるとは考えなかった。頭の中にあったのは石上、そして北條の安否だ。

「北條ー!!」

 更に大きく声を張り上げるが、ただ木霊するのみ。返事が来ることはない。再び結城は瓦礫の中を走り出す。
 ゴトンッと結城が瓦礫の山の1つを通り過ぎた時、瓦礫の山の一部が動き出す。
 ハッとして足を止め、結城は警戒をした。
 そこから現れたのは、顔が大きくひしゃげた鬼のような顔——それを目にした瞬間に結城は動いた。瓦礫の中でも一番大きなものを選び、這い出てこようとするペナンガランの横顔に叩き付ける。

「待ちなさい‼ 誰かいるの!?」

 ——が、突如聞こえてきた声に結城は動きを止めた。

「もしかして…………朝霧さん、ですか?」

 恐る恐ると言った様子で結城は問いかける。
 するとペナンガランが投げ飛ばされ、結城の位置からは見えなかった朝霧が姿を現す。その足元には石上の姿もあった。

「恭也さん!!」
「よう」

 2人はボロボロだった。
 朝霧は立っているのも不思議なくらい全身に火傷を負っており、石上は体中から血を流している。 だが、2人の目からは生気が失われていなかった。
 地面に転がるペナンガラン。2人の態度。そこから結びつく答えに結城は頬を綻ばせる。

「……やったんですねッ」

 涙が流れた。
 短い言葉だ。称賛しなければならない。戦いに前線にいた戦士に報いなければ。自分の感情は後回しにしろ。2人の方がよっぽど嬉しいだろう。
 そんな思考が頭に流れて来る。なのに、涙は勝手に流れて来る。

「あぁッ。ごめんなさい。私——」

 出てくるのは謝罪の言葉。
 違う。そうじゃない。もっと言うべきことがある。何故こんな言葉しか出てこないんだ。と自分を責める。

「全く、何で貴女が泣いているのよ」
「そうだぞ。喜ぶのは早い」

 そんな結城を見て朝霧と石上は肩を竦めた。
 だが、呆れた様子もなければ責めている様子もない。あの涙は言葉にできないものが溢れたものだと理解していた。
 だが、のんびりとしている暇はない。
 優しげな表情を引っ込めて、朝霧は指示を出す。

「結城」
「はいッ」

 朝霧の固い声色に結城も自然と姿勢を正した。喜んでばかりはいられないと感じ取ったのだ。

「周囲の探索をしなさい。近くにいたはずの北條が私達の感知範囲の何処にもいないのよ。5分で見つけなさい。5分経ったら、周囲にいるレジスタンスの部隊と合流するわ」
「分かりました!!」

 見つけられなければ言うまでもない。そんな朝霧の態度に、2人の姿を見た安堵から北條が見つからない不安が出てくる。
 それを掻き消すように大きく返事をして、結城は走り出した。探す当てなどない。だが、絶対に見つけると決意して結城は北條を探し始めた。
 結城が走り去った後、ドサリと朝霧は瓦礫に倒れ込む。

「…………医療班、先に読んだ方が良かったんじゃないか。お前、死ぬぞ」
「うるさい。この程度で死なないわよ」

 2人の声には覇気がない。
 段々と萎み、弱弱しくなっている。結城は気付くことはなかったが、2人は息をすることすら苦しい瀕死の状態だった。

「部下の前で強がる癖。まだ直ってねぇのか」
「黙れ。ロリコン」
「誰がロリコンだ。誰が」
「そもそも強がっていない。私の部下に手を出そうとしている奴がいるから、体を張って阻止しようとしているだけだ」
「部下思いな奴だな。だけど気を付けろよ。私生活にまで口を出してくる奴には逆に面倒くさいと感じるもんだ」
「ご忠告どうも」

 2人でやり取りをするのに懐かしさを覚えつつ、石上は空を見上げる。そこにあったのは300年前から変わらない黒い空だ。
 死にかけているせいか、昔の事ばかり思い出してしまう。
 始めて異能を開花させたときのこと。初陣で死にかけたこと。仲間内で殺し合ったこと。碌な思い出がねぇなと眉を顰める。

「……俺達も遂にご臨終か」
「知ってる? それフラグって言うのよ」
「知ってる。だから言ってるんだよ」

 フラグを叩き折ってくれることを祈りながらも、軽口を開く。軽い冗談のようなやりとりをする2人の間に笑いは起こらない。もうそんな歳ではないし、互いにそれほど仲が良いという訳でもないのだ。

「相変わらず、仲が良いんだね」

 だが、それは第三者から見たら友達のやり取りにしか見えないものだった。
 瓦礫からひょっこりと顔を覗かせたのは真原治だ。真原の登場に来るのが分かっていたかのように、2人は驚いた様子を見せなかった。

「お久しぶりですね先生」
「どうも」

 倒れたまま視線だけを寄越す朝霧。残った腕を軽く上げる石上。
 2人の様子を見て重症であることを確認すると、直ぐに手を当てて真原は治療を始める。まず治療をしたのは朝霧からだった。

「良いんですか? こんな所に来ちゃって」
「可愛い教え子を助けるのに戸惑う必要があるかい?」
「まぁ、俺らからすれば有難いんですけどねぇ」

 石上が気にしているのは、真原の行動が本部も知っているのかということだ。
 歩く治療院とも言われている真原の価値は異能持ちの中でも高い。回復要因など滅多に出てこないレアであり、真原自身も医療に関する知識もあって重宝されているのだ。
 綺麗サッパリ、火傷どころか無くなった部位まで元通りになった朝霧を確認すると真原は石上へと向かい合う。

「先生、俺の手足と目なんですけど、治さなくて大丈夫です」
「良いのかい?」
「えぇ、後で取り戻しに行きますから」
「——そう。分かったよ」

 石上がある一部分を睨み付けながらそう口にする。真原は同じ方向を見るが、そこにはただの瓦礫の山があるだけだ。
 彼の目には何かが見えたのだろう。そう考えて真原は余計な口を出さなかった。

「義足義手は後で用意しよう。今は傷を治させて貰うよ」
「お願いします」

 真原が治療を始める。
 その間、石上はずっとある一点を睨み続けていた。




「ふん♪ふふふん♪ふ~ん♪」

 鼻歌を歌いながら飛縁魔が廊下を歩く。ギシギシと板を軋ませて歩く様子は愉し気で今にもスキップでもしそうな雰囲気だ。
 だが、その歩き方はどこか片足を庇うようなもの。まるで怪我でも負い、不自由になってしまったかのようだった。

「たっのしい♪たっのしい♪お遊戯♪お遊戯っ♪」

 しかし、飛縁魔は気にしていない。オリジナルの曲まで口遊むになり、益々機嫌は良くなっていく。ゆらゆらと揺れる金髪の髪はまるで犬の尻尾のようだ。
 彼女がそれだけ機嫌がいい理由は唯一つ。地獄壺での戦いはそれほど彼女にとって心を弾ませるものだったのだ。
 後ろに付き従う磯姫も飛縁魔が上機嫌なのを感じ取り、頬を綻ばせている。

「つ~ぎは♪なにして♪あそぼうかっ♪」

 飛縁魔に地獄壺が破壊されたことを怒る様子は感じられない。当然だ。彼女にとってこの街は遊び場。悠久とも言える時間の中で退屈せずにいられるように作った場所なのだ。
 彼女にとってこの街にあるもの全てが玩具だ。だが、好き勝手に壊されることを好むわけではない。あくまでルールの中で、という言葉が付く。
 対戦者を用意し、ルールを設けて遊ぶ。例え、自分が不利になろうとも相手がルールを守る内は自分自身もルールに則って遊ぶ。それが、飛縁魔なりのポリシーだった。

「ふん♪ふふふん♪ふ~ん♪」

 飛縁魔は、手の中にあるを転がして遊ぶ。子供がビー玉を見詰めて惚けるように、飛縁魔はそれを手に取ってうっとりとした表情を作った。

「ふふふっ——なぁ磯姫。見てみてっ」
「はい。大変美しゅうございます」
「そやろっそやろっ」

 磯姫は目玉には目もくれず、笑顔を振りまく飛縁魔だけを見てそう言った。飛縁魔も特に考え込むことはせずに言葉だけを受け取って再び前を見て歩き出す。
 暫く歩くと何処からともなく中級吸血鬼が姿を現した。頭を垂れ、緊張した様子で口を開く。

「飛縁魔様。今回の損害についてお話が」
「愚か者が——」

 頭を垂れる吸血鬼に怒りをぶつけたのは磯姫だ。
 上級吸血鬼の殺気を真正面からぶつけられ、吸血鬼は身を震わす。

「貴様は飛縁魔様が何をしているのか見えていないのか? それとも貴様は主の気分も測れない程愚かなのか? ならば貴様————死ぬしかないぞ?」
「も、申し訳ございません」

 理不尽な物言いにも吸血鬼は頭を下げるしかなかった。
 頭を下げ、命だけは助けて貰うように許しを請う。だが、今の飛縁魔の邪魔をすることを飛縁魔をこよなく愛する磯姫は許さない。
 直ぐに惨殺したい衝動に駆られるが、飛縁魔の城を血で汚す訳にはいかない。グッと我慢をして後で惨殺以上のことをしてやろうと決意する。

「——で、何の用だ」

 飛縁魔が気にせず先に行ってしまったため、磯姫が代わりに報告を聞く。

「は、はい!! その今回の損害についてなのですが」
「それは知っている。早くその先を言え」

 苛立ちを高めながら磯姫は吸血鬼の報告を聞いた。
 その報告は磯姫も知っているもの。地獄壺が瓦礫の山が変わり、レジスタンスの生存を確認する所まで耳にする。
 ここに飛縁魔はいない。だからこそ、飛縁魔に長く就き従い、理解している磯姫が代わりに指示を出した。

「それについては私も知っている。残骸はそのままで良い。生きている吸血鬼共も撤退させろ。あそこはもうレジスタンスが保有する土地だ」
「ハ——? よ、よろしいのですか!?」

 吸血鬼が驚いた様子を見せる。
 人間如きに土地をやるのか。我らは敗北したのかと言った言葉がありありと顔に掛かれていた。
 そんな吸血鬼に対し、磯姫は殺気を高める。

「(コイツ、飛縁魔様のことを理解していない。全く、最近の若い奴らはプライドばかり高くなって……嘆かわしい。勝つ、負ける。そう言った次元で飛縁魔様は生きておられないんだよ)」

 小さなことに感ける吸血鬼。先程の決意を無視してザックリとやってしまうかと考えが浮かぶが、飛閻魔の顔を思い出し、冷静さを呼び戻す。

「えぇ、全員に指示しろ。これは全て飛縁魔様の御意思。逆らう者はこの私自らが手を下す」
「…………御意に」
「(——コイツッ)」

 不満をありありと現した吸血鬼に怒りが高まる。
 伝言させた後は絶対に呼び出してやる。殺してやると殺意を高める。そして、ふと部屋を出る際のことを思い出した。

「(アイツも、いずれは殺してやる)」

 飛縁魔が持っていた目玉。アレは一度この城に呼び出され、飛縁魔との遊戯をした者のものだと言う。
 その者は左目、右足、左腕を失いながらも飛縁魔の足の腱を奪った。
 全ては遊戯の中での出来事。飛縁魔もその結果に怒りは感じていない。むしろ、敗北する一歩手前で一矢報いてきたその者を称賛したぐらいだ。
 しかし、飛縁魔が許しても磯姫は許さなかった。

「(貴様の顔、名前。全て覚えたぞ。石上恭也——)」

 ドロドロとした感情を灯らせる。
 上級吸血鬼に名前を覚えられる。今日レジスタンスは勝利した。だが、完全に勝利するためには越えなければならない壁が更に高くなったことは確かだ。

「磯姫ぇ~。御髪が、ウチの御髪がっ」

 飛縁魔が廊下の曲がり角から涙目で現れる。
 飛縁魔の整えられた髪方が崩れている。どうやらテンションが高すぎて崩してしまったらしい。
 直ぐに磯姫は櫛と鏡を準備した。
 ドロドロした感情は大きくなるばかり。けれど誰もそれには気付かない。無表情を張り付けたまま、磯姫は飛縁魔を見詰めるのだった。
しおりを挟む

処理中です...