愛を請うひと

くろねこや

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その後の話

不穏

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詩音の様子がおかしい。

毎日、会社まで送り迎えしてくれるのだ。


朝と昼休みに『事後』のふらつくオレを送ってくれることはあったが、何もない朝も夜も、というのは、彼に『温泉街で男達に襲われる姿』を見られた頃以来だ。



「何があった?」

と聞いても、誤魔化される。


勤務時間を16時間から8時間に変えてもらったらしく、施設から退勤する時会社へ送ってくれて、出勤する前にオレを迎えに来てくれる。


家に送り届けた後は、

『くれぐれも外に出ないように』

『誰が来ても無視するように』

と念を押して出かけていくのだ。

まるで子どもを留守番させる親みたいに。


そういえば、アパートの鍵もピッキング防止の複雑なものに変えたり、窓に防犯装置を取り付けたりしていた。

…彼は自分で出来てしまうのがすごい。


完全なすれ違い生活の頃に比べると、朝と夜だけでも毎日会えるのは嬉しい。でも、明らかに様子がおかしいのだ。


こうなったのは啓一先生の家へ、『冴先生から預かった』という本を受け取りに行った時。

八嶋が詩音の耳に『何か』を囁いてからだ。





何を言われたんだ? 詩音。

オレには言えないことなのか?



「あ。卵…」

疲れて帰宅する詩音の為に、だし巻き卵を作ってあげたかった。

彼が『好きだ』『食べると落ち着く』と言った、ミサト先生直伝の少し甘い味付け。
亡くなった母さんの味付けとも似てる。


オレを何から守っているのかは分からないが、彼は絶対に無理をしている。

仕事終わりの疲れた身体で、毎日オレを会社に送るのだ。

その道中は常に気を張っているのが分かる。
視線は鋭く、オレの腰を抱き寄せて歩くから。

普段はオレが気にするからと、朝の街中では極力『普通の男同士の距離感』を保ってくれているのに。

どんな恐ろしいものからオレを遠ざけようとしているのか…。



……でも卵を買いに行きたい。

コンビニなら、すぐそこ。

すぐに戻ればいいかな。




カチッ、ガチャ、

アパートのドアを開け、そーっと外に出て施錠しようとしていた時、


「どちらへお出かけですか?」

背後から低い声。



「ひっ!」

びっくりしすぎて思わず部屋に戻り、ドアの鍵を閉めてしまった。


知らない男だ。

ドアスコープ越しに外を見ると、その男はしばらくドアの前で周りを見回した後、道路にとめた車の中に入って行ったようだ。

何となく『SP』?『警察官』みたいな雰囲気の人だ。





「詩音。そろそろ話してくれないか。何からオレを守ってる?」


朝、仕事から帰った彼に切り出した。

詩音はその場でしゃがみ込むと、
はぁ、とため息を吐いた。

「…竜瑚が彩人を守っているみたいに、オレも『嫌なもの』に触れさせないまま、お前を守りたかったんだ。…ごめん。全部話すよ」




葛谷くずや


その名前を聞いた時、

ブワッと甘ったるいにおい、


『結城くん、私のではらむといい…』


イヤらしく粘ついた男の声。


複数の男の精液を集めた『ミックスミルク』、

その舌に絡みつく酷い味と、臭い。


それらを急激に思い出し…、


「オエッ…、」

「凛!」


吐き気に襲われ、オレは慌ててトイレに駆け込んだ。



「……ごめん。自分から訊いたのに…」

ここまで身体が拒絶するとは思わなかった。

詩音が持たせてくれた、氷水のコップにはミントの葉。

彼が施設から貰ってきた種が、窓辺の鉢で芽吹いたものだ。

スーッとして美味しい。

背中を優しくさすってもらうと、ようやく吐き気が治った。




「『葛谷』をこの辺りで目撃したという者がいる」

八嶋が詩音に囁いたのは、親切な忠告だった。


『葛谷』

それは、オレが前に勤めていた会社の社長…いや、元社長の名前だった。


ヤツは『会社の金を横領した罪』で逮捕された筈だったが、社長室に隠し持っていた『違法な薬』でさらに逮捕されていた。

睡眠薬と興奮剤。

異なる薬効の組み合わせを持ったその薬を、社内や、立場の弱い取引先を呼んだ飲み会で、気に入った相手へ酒に混ぜて飲ませていたらしい。

『性被害に遭った』という女性や、男性が複数、その逮捕の後で声を上げたのだ。

その裁判が長引き、ようやく最近釈放されたらしい。




「このアパートの場所、凛とオレの職場、全てあの男に知られているそうだ」

別居している奥さんが現在社長を務めているらしく、本人は無職。
それなのに、奥さんから毎月渡される生活費のほとんどを注ぎ込んで探偵を雇ったらしい。

狙いはオレか、詩音か。両方か。

葛谷は横領のきっかけを、詩音が見せた『オレの動画』のせいだと言っていたらしいから、逆恨みかもしれない。


「オレには探偵の知り合いがいて…、あの『会社』に潜入していた2人と、その上司の人なんだが、」

オレが『奴隷』にされていた『会社』。
そこで『スポンサー』・『奴隷』として、1人ずつ潜入していたと聞いた。

「あの男が住んでいるアパートの場所を調べてもらった。今は不審な行動をするヤツの姿を証拠動画に収めてもらいながら、凛の護衛をしてもらってるんだ」

葛谷はここから15分圏内にある狭いアパートで一人暮らしをしているそうだ。

卵を買いに出かけようとした時、声をかけてきたのは、その2人の『上司』、佐久間さんという人らしい。


「そうか…。いきなり知らない男に声をかけられたから、本当にびっくりした。何となく『警察の人』っぽい気がして、後から考えたらあんまり怖くはなかったんだけど、…『見守られてるな』って感じで」

でも、事情が分からないから怖かった。

『何を恐れればいいのか分からない』ことが怖かったのだ。


「うん。元刑事だって」


詩音にも違う人が付いており、

あわよくば『詩音にヤツが襲い掛かってきた瞬間』を動画に収める。

それが作戦だったそうだ。


「詩音が強いのは分かってる。…でも頼むから、自分だけを危険に晒すのはやめてほしい。お前がオレを守ろうとしてくれるように、オレもお前を…守ることは出来ないかもしれないけど、1人だけ危ない目に遭って欲しくないんだ」

自分をおとりに男を捕まえる。

護衛に『元刑事さん』が付いてくれてるなら、オレにも出来ると思うんだ。

「オレのことも、囮に使ってくれ。オレへの『ストーカー行為』っていう罪も増えれば、『接近禁止命令』みたいなものも出して貰えるかもしれないじゃないか」


しばらく沈黙した後、

「分かった。オレかお前、どちらかに襲い掛からせて捕まえる」

「うん」

「…ただし、明日だ。昼から2人で外に出かけないか?」

「?」


「『仲良く楽しそうにオレ達がデートしている姿』を見せつけてやれば、ヤツは我慢出来なくなると思わないか?」


明日は土曜日。夜は詩音も休みだ。

彼が今夜の仕事を終えたら、午前中に仮眠をとって、午後からデート。


不謹慎かもしれないが、…嬉しい。

2人で買い物に行きたいし、たまには外食もいいだろう。


「うん。デートしよう」



オレの顔を見て、

詩音はホッとしたように笑った。
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