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賛否… ※
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今日は大雪です。
これを境に、いよいよ本格的に雪が降り、冬の到来となると言われています。
長期予報でも、寒くなり雪が多いと言われていますが、備えは出来ていますか?
帽子、手袋、雪搔きスコップなど、玄関先に準備して置かないと出られなくなったりしますよね…って、雪の多い所だけですね!
本日も、どうぞよしなに。
今年、東京でオリンピックが開催されました。
まず開催前に、世界中にコ□ナの感染が広がり、延期になりました。
コ□ナ対策、入国時の隔離規制とその期間、運営の準備、ボランティアの方々、
聖火リレーと街頭での応援規制…など。
さらに、自国の感染者の状況と、ワクチン問題、病床数と医療従事者の問題、
全国の感染者数と県ごとの感染者数、市区町村ごとの感染者数によって、
県を跨ぐ移動の規制…など。
オリンピックが開催される事で、国の負担、県の負担、市区町村の負担がある事、
政治が、オリンピック、感染対策等にかけた金額…など。
今まであまり公にされてこなかった事や、深く考えた事がなかった事にも、
目を向ける良い機会となりました。
開催にあたって、対策、問題提起と問題定義、解決策と改善策、今までの開催とは全く違った状況で、数週間先の事を予測して、更なる対策が必要となるような、
難しい判断が迫られるものでした。
まさに、視点を何処に置くかで、大きく賛否が分かれる事が、沢山ありました。
私は好きなスポーツ以外は、ほとんど見る事はありません。
だから、オリンピックの重要性も、重さも分かっていないのかも知れません。
それぞれの競技に、世界大会や大きな大会があるのに、わざわざ、世界各国から
一つの国に集まり、沢山の競技を、一斉に執り行う事に、どのような意味があって、重要性があるのか理解出来ないのです。
オリンピックの種目は、開催国によって違っていて、メジャーな競技、マイナーな競技によって、行われる時間や放映時間も大きく変わり、全てを見る事は出来ない。結果だけをニュース等のダイジェストで見るのなら、一つの国で行わなくても、自国開催に拘らなくても、何か国かで協力して執り行っても良いと、私は思うのです。
そうなると、それぞれの競技の世界大会で十分だと思ってしまうのです。
……と、長々とオリンピックの重要性、開催によってのメリット、デメリット等、
目線が違えば、大きく意見も変わる。賛否ある難しい事を取り上げました。
しかし今回の話は、これではありません。
800文字近く書いておいて、何だ!と思われるでしょうが、タイトルにあるように
〝賛否〟です。
スポーツの大会で、必ずと言って良いほど流れるのが、国歌です。
各国の特色あるメロディー、選手たちが歌うようすを見て、どのような意味があるのだろうと想像しました。
民族性や宗教観等の入ったもの、国民を鼓舞するような力強いもの等が多いように
感じました。
日本の国歌〝君が代〟も、君が誰を指すか、戦争の暗い影等、まさに賛否分かれるものだと思います。
ですから、ここでは〝君が代〟の難しい立ち位置を、全て無視して、
私の個人的な考えと思いを、書こうと思います。
君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
国歌を、小学校の音楽の時間に学び、不思議な感覚を覚えたのを記憶しています。
それは音楽の先生が、主観や、複雑な背景や、議論されている事を、一旦横に置き、小学生に分かるように、ざっくりと歌詞の意味だけを教えてくれたものでした。
小石が成長して、大きな岩となり、それに苔が生えるまで
この国歌の歌詞を、そう訳されたので、当時の私は、
〝何て長い時間の流れを表した歌詞なんだ〟
きっと、この時間の経過を表す為に、敢えてゆるりとしたメロディーなのではないかと、勝手に理解したのです。
中学に入り部活の大会で、国歌を歌っていた時、この歌詞がふと浮かびました。
国語の先生に、君が代の歌詞を尋ねると、元は和歌だった事を知りました。
そして祝いの歌で〝祝福を受ける人の長寿を願うもの〟だったと教わりました。
更に、さざれ石という石が実在し、祀られている所がある事も知り、驚きました。
歌詞は、悠久の時を可視化した言葉で、そこから読み手にイメージさせているのに、たった三十一文字に詰まっているなんて…って、ぞわっとしました。
君が代を、国歌として認めるか否か、そういう議論がありましたが、
平成になってから、正式に国歌として制定されました。
私が、国歌として習い、式典や大会で歌っていたものは、国歌として制定されて
いなかったのだと知り、暗く悲しい歴史を経て来たが故に、複雑な思いがあったの
だろうと感じました。
単純だと言われてしまうかも知れませんが、
民族性でも、宗教観でも、国民を鼓舞するものでもなく、たった三十一文字しかない上に〝長寿〟を願う歌詞が、国歌になっている国なんて他にないと思うんです。
捉えようによっては、〝隣人愛をぶち上げている国〟ですよ。
スポーツの開会式、入学式や卒業式と、国歌を歌うタイミングがありますが、
長寿を願う歌詞だと知った上で、競い合う競技や、セレモニーに歌うというのは、
ちょっと微妙でモヤモヤしますが、どんな時も隣人愛を高らかに歌うというのも
悪くないと思います。
この複雑で、多様化した世界の中で、
どのような立ち位置に居ても、視点を変えても、賛否ある今、優劣、善悪、利害、
相反するものと背中合わせの状況で、日本という国の在り方を世界に示しているとも言えます。
このタイトルで書き出した時点で、毀誉褒貶あるでしょうね…。
お叱りが7割かな…。内容もですけど、長い!って怒られそうですね。
これを境に、いよいよ本格的に雪が降り、冬の到来となると言われています。
長期予報でも、寒くなり雪が多いと言われていますが、備えは出来ていますか?
帽子、手袋、雪搔きスコップなど、玄関先に準備して置かないと出られなくなったりしますよね…って、雪の多い所だけですね!
本日も、どうぞよしなに。
今年、東京でオリンピックが開催されました。
まず開催前に、世界中にコ□ナの感染が広がり、延期になりました。
コ□ナ対策、入国時の隔離規制とその期間、運営の準備、ボランティアの方々、
聖火リレーと街頭での応援規制…など。
さらに、自国の感染者の状況と、ワクチン問題、病床数と医療従事者の問題、
全国の感染者数と県ごとの感染者数、市区町村ごとの感染者数によって、
県を跨ぐ移動の規制…など。
オリンピックが開催される事で、国の負担、県の負担、市区町村の負担がある事、
政治が、オリンピック、感染対策等にかけた金額…など。
今まであまり公にされてこなかった事や、深く考えた事がなかった事にも、
目を向ける良い機会となりました。
開催にあたって、対策、問題提起と問題定義、解決策と改善策、今までの開催とは全く違った状況で、数週間先の事を予測して、更なる対策が必要となるような、
難しい判断が迫られるものでした。
まさに、視点を何処に置くかで、大きく賛否が分かれる事が、沢山ありました。
私は好きなスポーツ以外は、ほとんど見る事はありません。
だから、オリンピックの重要性も、重さも分かっていないのかも知れません。
それぞれの競技に、世界大会や大きな大会があるのに、わざわざ、世界各国から
一つの国に集まり、沢山の競技を、一斉に執り行う事に、どのような意味があって、重要性があるのか理解出来ないのです。
オリンピックの種目は、開催国によって違っていて、メジャーな競技、マイナーな競技によって、行われる時間や放映時間も大きく変わり、全てを見る事は出来ない。結果だけをニュース等のダイジェストで見るのなら、一つの国で行わなくても、自国開催に拘らなくても、何か国かで協力して執り行っても良いと、私は思うのです。
そうなると、それぞれの競技の世界大会で十分だと思ってしまうのです。
……と、長々とオリンピックの重要性、開催によってのメリット、デメリット等、
目線が違えば、大きく意見も変わる。賛否ある難しい事を取り上げました。
しかし今回の話は、これではありません。
800文字近く書いておいて、何だ!と思われるでしょうが、タイトルにあるように
〝賛否〟です。
スポーツの大会で、必ずと言って良いほど流れるのが、国歌です。
各国の特色あるメロディー、選手たちが歌うようすを見て、どのような意味があるのだろうと想像しました。
民族性や宗教観等の入ったもの、国民を鼓舞するような力強いもの等が多いように
感じました。
日本の国歌〝君が代〟も、君が誰を指すか、戦争の暗い影等、まさに賛否分かれるものだと思います。
ですから、ここでは〝君が代〟の難しい立ち位置を、全て無視して、
私の個人的な考えと思いを、書こうと思います。
君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
国歌を、小学校の音楽の時間に学び、不思議な感覚を覚えたのを記憶しています。
それは音楽の先生が、主観や、複雑な背景や、議論されている事を、一旦横に置き、小学生に分かるように、ざっくりと歌詞の意味だけを教えてくれたものでした。
小石が成長して、大きな岩となり、それに苔が生えるまで
この国歌の歌詞を、そう訳されたので、当時の私は、
〝何て長い時間の流れを表した歌詞なんだ〟
きっと、この時間の経過を表す為に、敢えてゆるりとしたメロディーなのではないかと、勝手に理解したのです。
中学に入り部活の大会で、国歌を歌っていた時、この歌詞がふと浮かびました。
国語の先生に、君が代の歌詞を尋ねると、元は和歌だった事を知りました。
そして祝いの歌で〝祝福を受ける人の長寿を願うもの〟だったと教わりました。
更に、さざれ石という石が実在し、祀られている所がある事も知り、驚きました。
歌詞は、悠久の時を可視化した言葉で、そこから読み手にイメージさせているのに、たった三十一文字に詰まっているなんて…って、ぞわっとしました。
君が代を、国歌として認めるか否か、そういう議論がありましたが、
平成になってから、正式に国歌として制定されました。
私が、国歌として習い、式典や大会で歌っていたものは、国歌として制定されて
いなかったのだと知り、暗く悲しい歴史を経て来たが故に、複雑な思いがあったの
だろうと感じました。
単純だと言われてしまうかも知れませんが、
民族性でも、宗教観でも、国民を鼓舞するものでもなく、たった三十一文字しかない上に〝長寿〟を願う歌詞が、国歌になっている国なんて他にないと思うんです。
捉えようによっては、〝隣人愛をぶち上げている国〟ですよ。
スポーツの開会式、入学式や卒業式と、国歌を歌うタイミングがありますが、
長寿を願う歌詞だと知った上で、競い合う競技や、セレモニーに歌うというのは、
ちょっと微妙でモヤモヤしますが、どんな時も隣人愛を高らかに歌うというのも
悪くないと思います。
この複雑で、多様化した世界の中で、
どのような立ち位置に居ても、視点を変えても、賛否ある今、優劣、善悪、利害、
相反するものと背中合わせの状況で、日本という国の在り方を世界に示しているとも言えます。
このタイトルで書き出した時点で、毀誉褒貶あるでしょうね…。
お叱りが7割かな…。内容もですけど、長い!って怒られそうですね。
応援ありがとうございます!
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